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第三章 六根清浄(ろつこんしようじよう)

 初詣、暇だから諏訪神社に行った。皆が賽銭を投げてる。

「何もしてくれない神様に何で金を投げるんだ」って思った。オレならその分働くのに。

 正月明け、おやじは仕事に出た。その夜。

「ガタッ」寝入りばな、裏口が開く音。「……オヤジだな」と分かって眠り直す。

「ウーン、ウェー」変なうめき声が聞こえて目が覚めた。

 耳を凝らすと「ハア、ハア」と息遣いが聞こえる。

「ザザッ」ユキも気づいていて先に起き上がった。オヤジの部屋に向かう。

「なんだよ、眠いのにぃ」とオレはユキに任して眠りの続きに入った。

「エッ、ギャーッ」ユキの絶叫が響く。尋常でない叫び方。

「バタバタ」ユキが戻ってきた。

「おにいちゃん、お父さんが死にそう。血だらけでもう目がつぶれてる。死んじゃうよぅ」

「何ぃ、目がぁ、死ぬってぇ?」

 オレは慌てて起き上がり、オヤジの部屋に向かう。

「ウーン」オヤジのうめきは大きくなっていた。ゴロッと仰向けになった姿にオレは全身の毛がビシッと逆立った。顔は血だらけで紫色に腫れあがり、怪談の『お岩さん』のようだ。這って来たのか服も破れている。

「おとうさん、大丈夫? 何したの?」オレは慌てた。

「救急車、電話、電話ないぞ」

 慌ててまくるオレにオヤジが小さく言った。

「救急車、呼ばなくていい、大丈夫」

「大丈夫って、大怪我じゃん、目から血が出てるし」

「眼はつぶれてねえ、血が入っただけだ、骨も折れてねえ」

 意外と意識はしっかりしていたので少し安心したが、見た目が凄い。

「やられた……」

「誰に?」

「三人に殴られた。ちくしょう。……ウーッ」

 幸いオヤジの怪我は大事には至らなかったようだ。少し経つと起き上がった。

「ふうっ、痛てえ、ウーッ、タバコ、タバコその辺に落ちてるだろ、拾ってくれ」

 オヤジは一服すると事の顛末を話し出した。

「飲み屋で口論になったんだ。オレのこと知っててバカにしやがったから言い返したら、いきなり殴ってきやがった。オレは先に手を出してねぇ。そんで殴り返したら三人でかかってきやがった。クッソー」

 オヤジは「学生時代にボクシングをやってたからケンカで負けることはねえ」と豪語していたのだが三人じゃあ、やられても仕方ないかもしれない。

 朝までうなっていたオヤジだが水で冷やしたのが効いたのか昼になったら痛みは和らいだようだ。

 数日後。

「ちくしょう、このままじゃ済まさねえぞ」あまりのひどい形相に外出をためらっていたオヤジがそう叫んで出て行った。どこへ向かうのだろう。


 朝からオヤジが家の掃除をしている。珍しい事だ、だれか来るのだろうか。掃除が終わるとオレたち二人が呼ばれた。

「いいか、おまらはおとうさんの復讐を手伝うんだ。今日、えらい人がここに来られる。手伝う、といっても何もしなくていい。ただ、おとうさんのそばに座って悲しそうな顔をしていればいいんだ。ちょっと涙が出るともっといい。わかったな二人とも」

「はい」

「はい、わかりました」

「よし、もうすぐ一時だ来られるぞ」

 まもなく誰かが入ってくる気配。オヤジが迎えに出る。

「すみません、申し訳ございません。わざわざお越しいただきましてありがとうございます」と、オヤジはこれ以上ないほど丁寧いな言葉遣いで一人の老人を招き入れた。

「むさくるしい所ですがどうぞお入りください」とオヤジはオレたちにお辞儀をするよう手で指図をする。

 驚いた。『仙人ジジイ』だ。オヤジの言う『えらい人』とはオレたちが『仙人ジジイ』と半ばバカにしている真っ白な長いヒゲのジイさんだったのだ。時々ドブ板通りを天狗みたいな衣装に大きな長い杖、一本歯の高ゲタをはいてノッシノッシと歩いている。

『仙人ジジイは』上座に座るとグルッと部屋を見回した。オレたちは頭を下げたままだ。

「二人とも頭をあげなさい。うん、いい子だ」

「出来の悪い兄妹です。それに私のしつけが悪くて……」

「そんなこたぁないよ。いい子たちだ」

「恐縮です」と言いながらオヤジは封筒を差し出した。

「ん、橘さん、それは引っ込めてください」と『仙人ジジイ』は封筒を押し返す。

「いやいや、お願いするんですからこれは当然です」とオヤジがもう一度渡そうとする。

「橘さん、最初にはっきりしときましょう。私が来たのは仕事じゃないんだ。あくまでも人助け。だからもし、いい結果になったら、『お礼』という意味で受け取ることはある。いいね」と『仙人ジジイ』は少し大きな声でオヤジをたしなめた。

「本題に入りましょう。あんたが三対一で暴力を受けたことは確かなんだね」

「本当です。飲み屋のママが証人です。それに私から先に手を出していません」

「ふうん、じゃぁ簡単じゃないか。日本の法律でも私らの掟でも相手がやりすぎってことだ」

「そうですか、そう言っていただくと心強いです」

「橘さん、部屋を見れば分かる。子供たちも痩せてるし、相当貧乏してるな」

「はあ……」オヤジは頭をかく。

「今回の一番いい解決とは金、金だな。どっちが悪いかは結論出てるんだから、この際ふんだくってやろう」と『仙人ジジイ』はニヤける。

「よし、これから難しい話をする。子供たちは抜けてもらおう。ほら、これでチョコレートでも買いなさい」と『仙人ジジイ』はオレたちそれぞれに千円札を渡してくれた。

「そんな、とんでもないです」とオヤジは慌てる。

「いいんだ、私の気持ちだから」これ以上言うな、と『仙人ジジイはオヤジを睨む。

 お小遣いもらえるなんて――オレたちは予想外の展開に喜んだ。後でオヤジが教えてくれた。『仙人ジジイ』は古くからの地元ヤクザ、須賀組の三代目組長、神野創平だったのだ。現役ではないが顔が広い影の実力者だそうだ。

 明日、オヤジのケンカ相手が家に来るらしい。「準備がある、手伝え」とオヤジがオレを呼ぶ。

 昼過ぎ、須賀組の組員だろうか目つきが鋭くてガタイの大きい男が荷物を運び込んだ。

「橘さんこれ、正面の部屋に全部並べてください」と言って木の桶やら、ヒラヒラ白い紙が付いた箱、大きなろうそく、榊など、神社にありそうなものを次々並べてゆく。

 男は「おらよっ」と掛け声をかけて重そうな座椅子を部屋の中心に置いた。もう一つ、唯一近代的な装置、テープレコーダーを襖の影に置く。

 墨で書かれた昔っぽい絵の垂れ幕を壁中に下げていると組長がやってきた。

「こんちわー」今日の組長は作業服姿だ。

「うん、まあこんなもんだ。あっ、御香を忘れてるぞ」

「あー、そうだ、すいません、持ってきやす」男は頭をかきながら出て行った。

 組長は部屋を見回すとおやじを呼んだ。

「橘さん、明日あんたは御香の前に横になってりゃいい、何も話すな」と説明すると次にオレを呼んだ「いいか明日はだ、・・・・・」とオレたちは少々芝居をするように命じられた。

「じゃあな」組長は満足そうに薄笑いを浮かべて出て行った。


 当日の朝、オレはオヤジに徳用の安い包帯と赤チンを買ってこいと指示された。

 自転車で隣町のスーパーに向かう。「これだ」、医薬品売り場を捜すと言われた通りの大袋の包帯が見つかった。それを買うと急いで家に帰る。

「これでいいの?」と買ってきた包帯を取り出す。

「OK、これだ。包帯巻くの手伝ってくれ、ユキはおとうさんの体の目立つとこに赤チンを塗るんだ。濃くな」

「よし、これでいい」

 オヤジは戦場で負傷した兵士みたいになった。グルグル巻きの包帯に赤チンを多く塗ったので血がしみ出したみたいに見える。

 朝十時、「おはよう」神野組長が入ってきた。

「ご、ご苦労様です」包帯だらけのオヤジは動きにくく、よろめきながら迎え入れる。

「プッ、派手にしたなぁ」組長はオヤジを見て吹き出した。

「天狗の恰好だ……」組長はオレが以前に見た衣装だった。白っぽい服に太く黄色い(たすき)みたいなものが巻き付いている。頭には烏帽子(えぼし)というのか黒っぽい帽子。大きさは神社の物より小さい。

「すごいですね、これ、何の衣装ですか?」とおやじが尋ねる。

「ふふん、知らんか。……これはな、長野県の御嶽山(おんたけさん)の修行で着る衣装だ」

「御嶽山?」

「そう、『六根清浄(ろつこんしようじよう)』という有難い掛け声を聞いたことないか?」

「『六根……?』知りません」

「知らねえ? しょうがねえヤツだ。来年の修行の時、あんたも連れてって仕込んでやる。いいな」

「はい……」おやじは恐縮して小さくなった。

「飾りつけはいい、このくらいで適当だ、合格」と言いながら組長は中央の座椅子に座る。

「もうそろそろだな、ローソクを点けて、電気を消す。お香を焚くんだ。テープレコーダーオン」と組長の指示が飛ぶ。

 午後一時。複数の人の気配。ケンカの相手が来たようだ。

「ごめんください」

 ユキが迎えに出た。三人は様子を伺いながら入ってくる。

「ウッ」三人は一瞬たじろいだ。部屋は薄暗く、ろうそくの光で組長の影が揺れている。

『六根清浄』、『ウーム』、『ハッ』、『六根清浄』、『ウーム』、『ハッ』

 テープの再生音が繰り返し小さく流れ、きついお香の香りが漂っている。よく見ると中央に『天狗』のような人物が座っている。

 異様な雰囲気に度肝を抜かれた三人だったが、交渉事に弱みを見せまいと必死に耐えているようだ。

「いらっしゃい……まぁ、座敷に上がりなさいよ」部屋の中央に座っている神野組長の太い声が響く。

 三人は無言で座敷に上がって小さくなった。

 目の前には包帯だらけのおやじが横になっていて目は虚ろだ。

「お三人、あんたらが殴り倒した橘さんはこういう状態だ。言葉もうまくしゃべれない、どう思う」

「……」

「……」

「……」

「どう思うって聞いてるんだ。何か答えろ」ドスの聞いた組長の声が響く。

「……」

「そこの白シャツ、どうなんだよ」指された男は場の雰囲気と組長の迫力に押されブルブルと震えだした。

「ケ、ケンカなんで一応そちらにも責任があると思います。『ケンカ両成敗』っていうか……」

と一人がやっと声を絞り出す。

「本当にケンカしたのはそいつ一人で、オレたちはちょっと手伝っただけみたいな……」

「そうそう……」と二人は口裏を合わせる。

「三人がかわるがわる殴ったと飲み屋のママが証言してる。それに最初に手をだしたのはおまえだ!」

 組長は男を指さすと。目をカッと見開き、呪文を唱えだした。

『ウーム、六根清浄、ウーム、六根清浄、御嶽山、お裁きを』

 それに合わせてバックに流れるテープの音量が上がり音が割れてくる。

 三人は組長に目を射抜かれたように一点を見たまま動けなくなった。

『ウーム、ハッ、ハッ、ハッ』座っている組長の呪文のピッチ早くなり体がユラユラと揺れてはじめる。

『ヤーッ』、「バンッ」割れるような大声と共に座ったままの組長の体が一メートル近くも跳ね上がった。

「飛んだ……」オレは信じられない。組長の体が座ったまま宙に浮いたのだ。

「あわわ……」三人は思わず言葉にならない声を出した。

「……」

「……」

「……」

 三人は口を開けたまま組長を凝視している。

「どうなんだ」と組長は三人を睨んだまま再度呼びかける。

「あ、あの、やり過ぎたと、お、思います」

 組長の迫力で、全員が完全に固まってしまった。

「ふうん、見た感じだとあんたら全員、『やり過ぎた』と思ってる様だな」と組長はそれぞれに目を向ける。

「はい」

「はい」

「そうか、じゃ話は簡単だ。ここで話をつけるか、警察に持ってゆくか、それを決めよう」

「ウーッ」オヤジがうめき声をあげた。

「おとうさん」と叫んでユキがオヤジに寄り添って背中をさする。

「痛い?」とオレも近寄ってオヤジの目を見る。オヤジは目が定まらず虚ろな目で天井を見上げている。

「見た通りだよ。……大黒柱が倒れたらこの子らはどうやって生きていくんだよ」

 組長の言葉に三人は首を垂れた。

「慰謝料、一本出しなよ、一本、十万じゃねえ、百万、一人が三十三万三千、それで見逃してやる。いやなら今すぐオレが警察にタレ込む。オレは横須賀署長に貸しがあるんだよ。あんたら即日連行されるぞ。まさかそっちの方がいいってヤツはいねえよな。金は今週中、どうする?」

「払います」

「払います」

「借りてでも払います」

「オッケー、話は決まった。お疲れさん。帰っていいよ」と神野が手で三人を追い払うようなしぐさをする。

「失礼します」

「すいませんでした」

「どうも……」

 三人は出て行った。

 組長とオヤジが顔を見合わせる。

「ハッ、ハッ、ハー、一発で決まった」二人は大声で笑い出した。

「子供らの演技、才能ある。役者になれるぞ」組長はオレたちの肩をポンポンと叩いてご満悦だ。


「組長、私、横になっていても驚いて腰が抜けた。どうやって飛び上がったんですか? 修行すると飛べるんですか?」とおやじが真剣に尋ねる。

「ふふっ、座椅子を持ち上げて見てごらん」組長は座椅子を指さした。

 オレはすぐに座椅子を持ち上げて中を見る。

「あーっ、バネが入ってる」中には大きなバネと金具が見えた。

「浅草の手品師から買ったんだよ。もう使わねえって言うから」

 おやじはガクッときて半分笑った顔で組長に頭を下げた。「恐れ入りました」って。


 数日後、オヤジは満面の笑顔でオレたちを呼んだ。

「こんどの日曜日、遊園地に行こう、ゴーカートがあるとこがいい。ユキはどっか行きたいとこあるか? 帰りに豪華レストランで食事だ」

 またオヤジの豪遊か、やっぱり貯金はできない。でも怪我の代償だからな。たまにはいいか、ユキも同じ事を考えてると思う。

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