第一章 小学生時代
書き出しは50年前ですから、大半の読者の皆さんが知らない時代の、誰も知らないドブイタ通りでの出来事です。フィクションもありますが、かなりリアルな話です。お楽しみください。
「おばさん、バルタン星人、何個ある?」
「そうねぇ、四個あるけど」
「それ、全部買う」
「全部…… ホントに?」
「うん、全部買っちゃうから他の子に売らないで!」
そうおもちゃ屋のおばさんに告げると橘ヒロシは店を飛び出して家に向かう。ウルトラ怪獣のソフビ人形が出たと聞いて学校からおもちゃ屋に直行したのだった。
お目当てはバルタン星人。レッドキングもいいけど、なんたってバルタン星人だ、「他のやつには買わせない。オレが全部買っちゃえばいいんだ」そう思うとヒロシはワクワク感で足が軽い。
家に着いた。
いま、おふくろがシャッターをあけたとこ、店を通り抜けて奥の部屋に向かう、「オレん家、おもちゃ屋だったらよかったのになぁ……」と思いながら。
ヒロシは部屋に着いて貯金箱を持つとガーンときた、……軽い。「いけねぇ、小遣いねえぞ……」忘れてた。今月分の小遣いは全部ミニカー買うのに使っちゃったんだ。
「やべえ、おばさんに全部買うって言っちゃったのにぃ……」と焦って空の貯金箱をもう一度振ってみる。「カサッ」情けない軽い音がした。「全部一円玉かよ……」
ここは横須賀の『ドブ板通り』。米兵向けのスーベニア(土産物屋)やバー、キャバレーがひしめき合う。ヒロシの家は通りの真ん中付近のスーベニア。夜になるとこの通りはベトナム戦争から戻ってきた軍艦の米兵があふれる。今、午後三時。この時刻、通りはまだ閑散としていて、どの店も開けたばかりでまだ客はない。
「ヒロシ、ちょっとタバコ買ってくるからさ、おまえ店に居て」おふくろはそう言うと通りの端のタバコ屋に向かった。
「なんだよー、暇じゃねえんだからよぅ」とイライラしながらヒロシは店の奥の椅子に座って足をバタバタ動かした。
「ゴトッ」机の下で何かが動いた。
「ん……」――足が当たって木の釣銭箱の蓋がずれた音だった。蓋の隙間を覗くと釣銭用の五百円や千円札がチラッと見える。
「鍵、掛かってねぇ……」と気が付くとヒロシは誰もいない店内をあらめて念を押すように見回す。
「バルタン星人……」お札とバルタン星人が頭の中で交互に浮かんできた。――前にも千円札を一枚失敬したがバレなかった。――もう一回だけ。夜になりゃ結構売上のお金が混ざるから気付かねぇはずだ。――買える。
ヒロシはちょっと表に出ておふくろがまだ帰ってこない事を確認すると素早く千円札を一枚抜いてポケットにねじ込んだ。
やがておふくろがタバコを咥えながら帰ってきた。店のちょっと前で足が止まった。
「あらー、久しぶり」おふくろは以前から仲がいいホステスのミーコが手を振りながら近寄ってくるのに気付いたのだ。
ミーコも嬉しそうに手を振る。ヒロシは彼女が去年「ちょっと佐世保で稼いでくるからさぁ」とおふくろと話していたのを覚えている。
「佐世保の景気どうだったぁ?」とおふくろはミーコにタバコを勧めながら店に入った。
「大外れ。ゼーンゼンだめ、だから見切りつけちゃった」
二人はタバコをバフバフふかしながらいつもの長話に入る。ちょうどいいタイミング。
「もういいべ」と、一応おふくろに断ってヒロシは店を飛び出す。一目散におもちゃ屋へ。
おもちゃ屋にはもう同級生が二人来ていておばさんともめているようだった。
「あっ、来た来た」ヒロシに気付いたおばさんは同級生にそう告げると「早く来い来い」と手招きをする。
「あの子がね、バルタン星人、全部買っちゃったのよぉ。悪いけどこんど入ってくるまで待ってぇ」と、おばさんは「ごめんね……」の顔をして同級生の頭をなでた。
同級生二人は、ムッとした顔でヒロシを睨む。
「ヘヘッ悪いな。予約してあったんだよ、よ・や・く」ヒロシはそう言うと勝ち誇った顔で舌を出し、これ見よがしに千円札を差し出した。
「はい、はい、毎度ありがとうございます」おばさんはヒロシの目を見てニヤッとする。
「こんどいつ入ってくるんですかぁ」と同級生はおばさんが紙袋に入れているバルタン星人を横目で見ながら尋ねた。
「そうねぇ……これ、人気あってさぁ、問屋さんにも余分に無いんだって聞いたわ。来月になっちゃうかもね。来月になったらまた来てみてよ」と、おばさんは無慈悲に言って店の奥に引っ込んだ。
「やったぁ」とヒロシは声には出さないが心のなかで拳を握る。
――オレん家は金持ち――その優越感が常にある。おもちゃの数はクラスで一番。気に入ればなんでも買っちゃう。年子の妹、ユキも同様。だから部屋は人形とオモチャだらけ。それを見た同級生がうらやむ事が快感。このころのヒロシは無敵だった。
オヤジが経営するこの店はドブイタ通りの中でもひときわ活気があった。おふくろの客扱いがうまいのだ。子供のヒロシにも分かる。
おふくろはちょっとハーフっぽくて、美人というほどじゃないが男受けがやたらいい。そのうえ英語がペラペラ。米兵が来たらうまくおだてて必ず何かを買わせちゃう。
そんなおふくろ。大正生まれのおふくろ。実は田舎者で何と漢字がまともに書けない。当時、義務教育もまともに受けられず奉公に出されて小学校も行けなかったそうだ。だけど英語は店を出してからたった一年で覚えたと聞く。じゃあ『頭がいい』のかというと、そうでもない。釣銭の計算をしょっちゅう間違える。
それに比べておやじはいつもムスッと偉そうにしていた。本当かどうか分からないが、どっかの大学出でインテリらしい。オヤジ流の売り方はこうだ。例えば観光地の城ケ島に行って、そこら辺で売ってるありふれた土産物――細工した貝とかだけど、それらを定価でゴッソリ買ってきて店の奥の一段高いとこに置く。「ここの掘りが全然違う。これ、凄い名作だよ」と大ウソを言って十倍の値段で売っちゃう。まあ、『商売がうまい』とも言えるけど、ここが有名な『ドブイタ通り』ってことがウソがまかり通った理由かもしれない。
週一で雑貨の問屋のトラックが来る。うちの場合は土産物だから皿とかコップとかの食器類、あるときは木の彫り物、装飾品とかだ。それぞれ専門があって、オヤジは単に問屋の勧めるものを仕入れる。商品を見極める眼力なんかがあるわけじゃあない。うちに限らずドブイタの店はどこも同じようなもんだ。『米軍放出品』なんてのも実はほとんどが日本製で東京の浅草橋の問屋が持ってくる。本当の『放出品』もないわけじゃないが、実数は少ない。
どこでもやってるのが米兵に小遣いを渡して、洋酒をEMクラブというドブイタ通りの外れにある米軍の基地外売店で買ってくるという手だ。それを店でこっそり売る。クラブの出口で見ていると箱に入った酒を担いで出てくる外人が目につく。それだ。あまり沢山買うとバレるので、普通は同じ米兵を何度も使わない。
バーやキャバレーも同様だが、さすがに当局の目が光っていてその手は使えない。あくまで飲み屋以外での話だ。
ところがメインの通りではなく、裏通りの立地の悪い場所のスーベニアにはバレるリスクを負って洋酒をたくさん買い込む店もある。それは自分の店で売るんじゃなくて東京の飲み屋に売るためだ。無税の酒だから安い。銀座、浅草あたりの有名な店がお忍びで仕入れに来る。そんな風にここでは裏のビジネスが当たり前に機能している。
「陳さんよぉ、土日、熱海行かねえか?」
オヤジが食器問屋の社員に声をかけた。
「あぁ、はい、橘さんのお誘いじゃぁ断れない。行きまーす」
陳さんは二つ返事で行くことになった。オヤジは少なくとも月に二回は近場の旅行に行く。今回はドブイタ通りの仲間と友達、それに別々の問屋の社員三人が一緒だ。オレが声を掛けたんだからと問屋の連中の旅費は全部オヤジが持つ。こういった大盤振る舞いは、いつものこと。
おふくろの文子も同様に話が合う近所の奥さんや気に入ったホステスに声をかけて四、五人で歌舞伎を見にゆくことになったようだ。おふくろも自分が誘った人の分は自分が持つ。歌舞伎を見た後の飲み食い代もだ。
そんなことだから近所でうちの両親の悪口を言う人はいない――もちろん表面的にだが。
オヤジとおふくろ。確かなのはこの両親は揃って見栄っ張りの浪費家だったってこと。今思うとそのころのオレと妹は確かに両親のコピーそのものだった。
店の繁盛は永遠に続くと思ってた。オレも両親も。
月末の金曜日、オレとユキは店の掃除を手伝っている。今日は小遣いが出る日。
オヤジが朝からぼやいている。
「二週間、船が一隻も入らねえ……今週もだとすると三週間ほとんど売り上げがねえ」
オヤジが新聞を読んで「やっぱりな。この不景気はサイゴンが陥落して米軍が引いたのが原因だな。アメリカは負けたって書いてある」とおふくろに説明している。
「戦争終わったんならアメちゃん横須賀には帰って来るんじゃないのかさ」
「ちがう、普段から横須賀に来るのは戦争の休憩に寄るだけ、帰るつったらアメリカに帰っちゃうってことだ」
「じゃあ、もう横須賀に来ないわけ?」おふくろはオヤジの言う意味が分からないが、もう景気は戻らないらしいという認識は持ったようだ。
「そんなら自衛隊で稼ぐしかないじゃん」
「ばか、自衛隊も最近減ってるの分かんねえ?」
「そうだけど何でさ? アメちゃんの代わりに自衛隊がベトナムに行っちゃったってこと?」
「おまえ、つくづくばかだな、自衛隊とアメちゃんとは関係ねえ」
「基地が横須賀港と長浦港だから隣どうしじゃん」
「分かんねえやつだな、自衛隊が最近減ってるのは『あんまりドブイタ近辺で遊ぶな』って内部通達が出てるらしい。こないだのドブイタ通り町内会の会合で会長が言ってた。だからだろ」
「……」おふくろが黙りこんだ。
「土曜日みんなと明治座に行くことになってるけどやめようか……」
「やめとけ、オレも来週の熱海行きは中止だ」
オヤジの話を聞かなくてもこのところ店の売り上げが激減しているのはオレにも分かる。しかし子供の小遣いは少額だ、大したことはないはず。小遣いの出る時刻、二人はいつものようにオヤジの前に正座する。
「お前らには当分小遣いは出さねえ。店の景気が悪いんだ。無駄遣いは禁止」
オヤジの言い方がいやにキツイ。妹も雰囲気を悟ったようだ。仕方なく引き下がる。
部屋に帰るとユキが部屋をグルグル回って落ち着かない様子。
「おにいちゃん、あたしおもちゃ屋にバービー人形の新製品頼んじゃってるの。もう入ってるはずよ、お小遣い無いと買いに行けないよぉ……」
「オレだって戦車のプラモデル予約しちゃってる。模型屋に顔だせねえ……」と二人は顔を見合わせた。
土曜日夕方、早朝から釣りに出かけたオヤジが帰ってきた。部屋を見回してオレに尋ねる。
「文子どこ行った?」
「昼過ぎにみんなと出かけたよ」
「みんなと? どこへ?」
「知らないよ、いつもと同じじゃないの」
オレの言葉を聞いてオヤジの顔色が変わった。
「あの野郎!」と叫ぶと持っていた釣り竿を床に叩きつける。
すごい形相で店から表に飛び出した。
近所を回るとすぐにオヤジは帰ってきた。目つきが違う。完全に怒ってる。オレはただ事じゃない予感がする。
「フーッ」オヤジは大きなため息をつくと部屋に入り、「バンッ」と大きな音をたててふすまを閉めた。
もう十時半、布団に入ってウトウトし始めたころ「ガラガラガラ」シャッターを上げる音がした。すぐに「ガタッ」っとふすまを開ける音。オヤジが飛び出したみたいだ。
「この野郎」、「ヒーッ」オヤジの声とおふくろの悲鳴だ。
「バタン、バタン、ドンッ」
「ごめんなさい、ごめんなさい、ヒーッ」
「バンッ、パンッ、ドーン」
音で分かる。部屋でおふくろが張り倒されている。しばらくしてシーンと音が無くなった。オレとユキは恐る恐る布団から出て部屋をのぞく。
「アーッ……」おふくろが小さな声で泣き出した。
おふくろは部屋の隅にしゃがみこんで泣いている。涙と鼻血で顔がまだらだ。うっすら目を開け虚ろにこちらを見る。
オヤジは反対向きに座って酒をあおっている。「ヒロシ、ユキ、お母さんは行くなと言ってあったのに遊びに出たんだ。だから許さねえ」と酒の合間にボソッと言った。
「ごめんなさい、断る時間がなくて、みんなが来ちゃったのよぉ。……断れなくて……」とおふくろはがっくりと頭を下げた。
オレたちは怖くて震えながらふとんに戻る。その夜は未明まで二人とも寝付けなかった。
数か月経つが商売はちっとも好転しない。時々船が入るが米兵の絶対数が少ない。客の取り合いになって、ドブイタ通りの店どうしは以前のような温かい感じがなくなってきた。いつもギスギスしているような、いやな雰囲気。
両親は豪遊を止めたが店の赤字は続いているようだ。景気のいいころは日銭が潤沢だったので、そもそも金を貯える習慣がない。一週間無駄使いをしまくって余った金を貯金するだけだから貯えはわずかだろう。オヤジは「貯金が見る見る減ってく」と嘆くばかりだ。
オレたちの小遣いも何か月も止まったまま。オヤジがおふくろに手を上げる事が多くなった。些細なことで夫婦喧嘩。少しでもおふくろが反論するとすぐ暴力。
オヤジの不満のはけ口はオレたちにも向いてきた。部屋の掃除が雑だと怒ってすぐビンタ、妹は正座二時間。それにも慣れてウソ反省。ウソ泣きでゴマ化す技も身に付いた。ただ、どうしてもイヤな事がある。このところオヤジはあちこちに借金を作っているようで、集金人や借金取りが頻繁にやってくる。オヤジが「ちょっと出かけるから店番してろ」と言うと、たいがいそれだ。子供のオレに店番をさせといて逃げるんだ。
「お父さん、いつ帰ってくる?」と問屋の集金人が待っている。その間、オレはどんな顔をしてりゃいいんだ。「あなたが帰るまで戻って来ない」とは言えないし。借金取りはムカついた顔でオレを睨む。とにかくこの時間がイヤだ。何よりも。
「こんな状態、いつまで続くんだろう……」と思いながら学校から帰る毎日。
オヤジが厳しい顔で帰ってきた。無言で店を通り抜け、奥へ消えた。
「ヒロシ来て……」おふくろが手招きをしている。
「ダメだ、もう見えた。商売替えだ」オヤジが家族を集めて話し出す。
「焼き鳥屋を始めるぞ」そう宣言した。
おふくろも了解しているようで。何も言わない。
そういえば先週、珍しく横浜の親戚のおじさんが来ていた。オヤジらしくなくペコペコしていたので覚えている。「ははーん、借金したんだ」オレの想像だがたぶん当たってる。
貯金は全然ないはずだから。
翌日からバーゲンセールが始まった。「とにかく何でも売って金に換えろ」とオヤジの号令がかかった。
店の商品は三分の一に値下げ、近所の店には十分の一で売り払った。もったいないが今月の生活費はなんとかなるとオヤジが言う。
店は空になり、明日から店の改装の大工が入る。夕食の時、おふくろが言った。
「あたしが焼き鳥屋やろうって言ったのさ。いつも遊びに行く仲間の旦那が『焼き鳥屋は仕入れが少なくて利益が出る。店は自分が安く焼き鳥屋に改造してやる』っていうから」
「えっ、お父さんが考えたんじゃないの?」
「そう、お父さんは学はあるけどアイデアはないの。ただ怒るだけでどうしたらいいか分かんない。このまま行ったら私の身が持たないよ。おまえたちだってもっとひどいことになるかもよ」
初めて聞いた。確かにこのまま待ってても景気が良くなるはずはないと思う。オヤジは浪費家だけど博打はしない。でもこれは一種の博打じゃないか。賭けてどうなるんだろう。オレの頭にサイコロが浮かんだ。奇数になるか偶数になるか、サイコロなら確率は半々なんだけど……。
中途半端に始めた焼き鳥屋。そもそも両親は料理の素養などなく、――焼き鳥ならタレでごまかせるんじゃないか――程度の安易な動機で始めた店。ほとんど借金で開いた店。ドブイタ通りに焼き鳥屋が似合うかなぁ? 小学生だったオレでもミスマッチじゃないかと思った。
案の定、日本式の畳のある店は米兵にはウケない。入っては来るが[What is this?] と匂いを嗅ぐだけで客にはならなかった。
じゃあ日本人はというと、そもそも焼き鳥屋ならちょっと先の汐入駅の周りに三軒もある。わざわざドブイタ通りのこの店に来るわけがない。
実際のところ客は主に近所のバーのホステス、それと自衛隊員だった。昼間は出勤の遅いホステスがおにぎりを買いに来る。オレの発想でいろいろバリエーションを作った。ちょうど現代のコンビニおにぎりに似ている。窯で炊いたごはんが好評でまあまあ売れた。夜は焼き鳥と小料理に酒。料理はロクなもんじゃなかったが、自衛隊員がぼちぼち来る。
オレがちょっと気になるホステスがほぼ一日おきにやってくるようになった。この人は酒だ、酒だけが目当て。というよりおふくろに親近感を持っている。生まれや育ちが似ているのだと聞いた。酔っぱらってグチを言い、おふくろに聞いてもらいたくて来るのだ。 ある日は昼間からベロベロに酔っぱらって店に入ってきて閉店までいた。本名は比護泰子。おふくろは『ヤスコ』を『タイコ』と読み間違えて、タイちゃんと呼ぶ。
彼女は佐世保の出身で半年前に横須賀に来たそうだ。同じように軍港のある街でも横須賀と佐世保では雲泥の差があるそうだ。横須賀のドブ板通りが不景気だといっても仕事はあるって。
このタイちゃん、ものすごい酒乱で素面の時とのギャップが凄いんだ。オレは昼間タイちゃんを見て下半身が熱くなった。昼間はおっ恐ろしい美人、スタイルも抜群。夜は魔女。
オレはタイちゃんが来ると何かと用事を作って店に出る。閉店が待ち遠しいんだ。魔女は酔いつぶれると必ずパンツ丸見えで横になってる。それを「おねえさん、閉店ですよ」なんて言って抱き起こすときにオッパイ触れる。
タイちゃんは酔うと理性が無くなって、大柄な米兵にケンカを売ったり、道路で立ち小便したり、たちまちドブ板通りの有名人になった。
いつの間にか大酒飲み、イコール『虎』。タイちゃんは『タイガー』に進化。それに『横須賀』がくっついて『横須賀タイガー』と呼ばれるようになった。
ある日タイガーは珍しく素面でやってきた。
「オバちゃん、どお?」と言ってニコッとするタイガー。手には鎖、鎖にはなんと『子猿』が繋がれている。
「エーッ、あんたその子買ったのぉ? 」おふくろが呆れている。
「そうよ、リスザル、かわいいでしょ」とタイガーは子猿を抱えて満面の笑みだ。
「でさあ、オバちゃん、悪いんだけどあたしが仕事出てる間、この子預かってくれない?」
「預かるって鎖で繋いどきゃいいの? 」
「そうそう、大きな鳴き声とか出さないからさぁ、水とエサだけやって」
「エサって何? 」
「人と同じ。だから残り物をあげればいいの」
「ウーン、確かにかわいいけどさぁ」とおふくろはまんざらでもない様子。
「お願い」
「いいよ、だけど毎日引き取りに来てよ」
「来ます」とタイガーはきっぱり言った。
あっさりとおふくろは引き受けてしまった。オレは「大丈夫かなぁ」と少し心配。
「くっせえ」アルバイトから帰って部屋に入ると『ウンチ』くさい。猿が臭いんだ。見るとオシメがずれて便が漏れ出している。
「これだ」オレは慌てておふくろを呼んだ。
「猿のオシメがずれてウンチだらけだぞ」
「あら、ほんと」おふくろはテキパキとオシメを替え、子猿を拭いてやる。
「プウーッ」子猿のお尻を吹いているおふくろに向けてオナラが一発。おふくろはムッと渋い顔。
しかし、結局オレの心配していた通りになった。約束通りだったのは二、三回で、酔っぱらったタイガーはフラフラで、「ごめん、今日だけ、今日だけ夜も預かって」となってしまう。
さすがにおふくろも手を焼いて「もうこれっきり」と子猿を突き返した。その後、タイガーは来るが、子猿の消息は不明。
面白い客は来るが店の売り上げは予想にとうてい達しない。この商売を勧めた女が手伝いに一日おきに店に立ち、給料を取るものだから金が回らない。
自分が提案した手前、おふくろは必死だ。わずかな自衛隊員の客をおふくろは逃がさない。スーベニヤだった時の客扱いそのままに彼らをゲットした。
ところが「なんかおかしい……」オレは子供ながら――自衛隊員の目当てはおふくろなんじゃないか――って疑うようになった。だってオレが店の奥から見てると外人みたいにちょこっとキスをしてるんだもの。イチャイチャしてるんだよな。オヤジが居ないときはいつも。
開店から二か月。例の女は消えた。朝からいつもの夫婦喧嘩。どっちかと言えばオレはおふくろの肩を持つ。だってトコトン貧乏なのに親父は朝から酒飲んでゴロゴロしてたんだから。
「家賃払えない。……もうやってけないよ。どうすんだクソ親父」おふくろの声が引きつってる。言い方もとんでもなくキツイ。いやーな感じ。
「家賃? ……一、二か月待ってくれるさ、大家だってウチが出たら次が入らねえのわかってるから。」と親父はうそぶいた。
「じゃあ三か月後は大丈夫ってゆーの? あんた学があるくせに能天気だね」
「仕方ねえじゃん、アメちゃんがバッタリ来ねからこうなっちゃったんじゃんか……」とオヤジは酒瓶を抱えて横になった。
「もう全部終わりだよ……店、閉めるか、あんた一人でやんなよ。そうそう、言っとくけど明日、先月の肉屋の支払い、集金に来るよ」
おふくろがタンスから衣類を出して風呂敷にくるんでる。いつもと違う。何も言わず、
目が座ってる。オレは首のあたりがザワザワしてきた。妹も起きてきてオレに寄ってきた。肩に力が入ってて少し震えてるのが分かる。
「いま、目の前でこの家がぶっ壊れてる……」オレは地震で家が倒壊してく映画を見てるように思う。きっと妹も同じ映画を見てるはずだ。
もう暴力はなかった。オヤジは「勝手にしろ」という意味だろう、後ろを向いて手枕で横になった。
おふくろは大きな風呂敷を背負って家を出てゆく。
玄関を出るときチラッとこっちを見た。オレとユキ、おふくろの目が合った。言葉はなかった。だれも何も言えなかったんだ。