あたまをぶつけた少女K
□□冬の日、二月十九日 其の一 新太の視点□□
あれ、何だ、これ。
暖房の効いていない教室の中。俺は空のはずの机の中で、何かを見つけた。封筒に入った何か。封筒には何も書かれていない。
がさがさと音を立てて中身を取り出してみると、便箋だった。文章が書かれていた。
『小山田新太さま。私は、あなたのことが好きになってしまいました。でも、私にはあなたを見ていることしかできません。もう登校日も残り少なくなってしまったし、高校を卒業してしまえば、もう会えなくなってしまうような、儚い繋がりです。だけど……だから……好きだと伝えたくて、こうして手紙を書きました。もしも、できることなら、返事が欲しいです』
こいつは、まさか……。
「ラヴレター……なのか……?」
俺は白い息を吐いた。
この俺、小山田新太。生まれて今年で十八年目。
高校最後の冬に、俺は人生初の愛の告白らしきものを受けたようだ。
「誰からだ?」
胸をときめかせる反面、不安でもあった。とにかく、誰からの手紙だか確認せずにはいられない。
「……あれ?」
ところが、裏面を見てもどこを見ても差出人の名前が無かった。ヒントさえも無い。他に何か手がかりは無いのかと、自分のロッカーの中を探した後、教室を出て下駄箱に行ってみたが何の手がかりも得られず、もう一度俺の机の周辺を探そうと教室に戻った時、
「きゃぁ!」
俺は、教室内からの微かな悲鳴を耳にした。
そして、ガンッ……という何かが何かにぶつかった音も。
俺は引き戸をそっと開け、中の様子を窺った。
するとどうだろう、背の高い女子が、俺の机をじっと見つめていた。
彼女の名前は、確か……大林。大林かつみ。
と、すれば、机の中に入っていた差出人不明のラヴレターは、彼女のものなのだろうか。
この俺、小山田新太に宛てられたこの手紙が……。
しばらくすると、彼女は俺の机を撫でていた。
「……何してんだろ……」
顔を紅潮させながら、いとおしそうに撫でている。柔らかい動きだ。
俺はその様子を見て、何だかドキドキした。
やはり、彼女は、俺のことが好きなのだろうか。
だって、しばらく見ていたら、今度は俺の机にほお擦りまでしているのだから。
さらに、彼女は言った。
「どうして返事してくれないの?」
その長身で俺の机に覆いかぶさり、抱きつくようにしながら、彼女は確かにそう言った。
となれば、やはりこのラヴレターは彼女の……。
大林かつみからの手紙だったのだろうか。
確信しかけている。でも確実じゃない。確認したい。
俺だって、以前から大林のことは気になっていた。好きだったかもしれない。
だから!
俺は勢いよく引き戸を全開にして、彼女を見据えた。
顔が赤い。ぱっちりと見開かれた瞳が、可愛かった。
「こ、こんにちは」
大林かつみは、この場面に似つかわしくないような、爽やかな挨拶をすると、机から飛び降り、俺の方に向き直った。あくまで平静を装うつもりらしい。
「あの、大林。返事って……何のこと?」
俺は遠まわしに訊いてみた。
「え? えっと……うん……あぁ、うーん……」
言葉を必死に探しているようだ。少し意地悪だったかもしれない。
面と向かって「好きだ」と言えないからこそ、ああしてラヴレターという形態で想いを伝えようとしたのだ。俺の中で、手紙の差出人が彼女であることは確信に変わった。
だから、
「好きです!」
俺はそう言った。
「え?」
彼女は、不思議そうな顔をした。でもそんなことはお構い無しに、俺は続ける。
「俺……ずっと前から、大林のこと、気になってて……でもそれが恋なのかわからなくて、踏み切れずにいたんだ。フラれたらどうしようって、逃げてたのかもしれない。でも、お前からのこの手紙を見て、やっと勇気が出た。もう一度言います。好きです。付き合って下さい」
俺は、彼女を見つめた。しかし、彼女から返って来た言葉は、予想外のものだった。
「手紙って、何のこと?」
「え?」
きっと俺は、アホみたいな顔をしていただろう。
混乱した。
何だ、どういうことだ。ああ、そうか、まだ恥ずかしくてしらばっくれているのか。ならば、言い逃れできないような証拠の品を見せてやろう。大林が自分の名前を書かずに俺に宛てたラヴレターを。
「これ……」
俺は彼女にラヴレターを見せた。
「んん?」
首をかしげている。
がさがさと封筒から便箋を取り出し、また音を立てて、折りたたまれた手紙を広げると、それを読み上げた。
「小山田新太さま。私は、あなたのことが好きになってしまいました。でも、私にはあなたを見ていることしかできません。もう登校日も残り少なくなってしまったし、高校を卒業してしまえば、もう会えなくなってしまうような、儚い繋がりです。だけど……だから……好きだと伝えたくて、こうして手紙を書きました。もしも、できることなら、返事が欲しいです……?」
だんだん小さくなる声で読み上げ、読み終えた後も、きょとんとしていた。
おかしい、まさか、彼女が差し出した手紙ではない?
ということは、俺は今、超恥ずかしい勘違いをしている?
いや、でも、彼女は俺に好意を持っているはずだ。そうでなければ、好きでもない男の席の、その机に抱きついたり頬擦りしたりするものか。
「えと、それ、大林のじゃないの? 手紙」
「んなわけないじゃない。あたしは、別に好きなものがあるわ」
「まじっすか……」
勘違いだった。手紙の主は大林ではなかったらしい。いや、しかし、それでも、
「でも、俺が大林のこと好きなのは、本当だから」
一番大事なのは、その感情だ。
この手紙が引き金になったのか、彼女の行為……つまり俺の机を愛でるという行為が引き金になったのかは不明だが、俺の中に、確かに大林かつみが好きだ、という感情が灯ったのは事実。
「か、勝手に勘違いしないでよね。あたしはあんたの机は好きだけど、あんたのことが好きってわけじゃないんだからね」
「え?」
彼女は言うと、顔を赤くして俺の横を通り過ぎ、その後、廊下を走っていく音が響いた。
これでますますわからなくなった。
今の言い回し……まるでツンデレじゃないか。だとするなら、口では何と言っていようと、本当は俺のことが好きなんじゃないか?
その可能性が高い……高いぞっ!
■■冬の日、二月十九日 其の二 かつみの視点■■
忘れ物を取りに教室へと来たあたしは、「きゃぁ!」とかって女らしい悲鳴を上げた。
何も無い床で滑って転んだのだ。
そして、
――ガンッ!
意識を、衝撃が覆った。
暗い視界に、星が舞った。
机の角に即頭部を強打し、一瞬、視力が奪われたのだ。
痛みに目を閉じたのだろうか。
「あたたたた……」
呟きながら、目を開いた瞬間、あたしは恋に落ちた。
あたしは、それを撫でた。
どうして、それに恋してしまったのかわからない。
頭をぶつけたショック?
そんなのどうでも良かった。
あたしは、これに、恋をした。
そう、机に……。
あたしは、その机に覆いかぶさるようにして抱きしめた。
そして問いかける。
「あんたは……あたしのこと、どう思う?」
「…………」
返事は無い。
「どうして返事してくれないの?」
悲しかった。
そんな時、突然、扉が開いた。
そこに居たのは、クラスメイトの男子、小山田新太だった。
「あっ……」
恥ずかしい場面を見られてしまったな、と思った。
もしかして、あたしと机との語らいを聞かれてしまったのだろうか。
だとしたら、と考えて、顔から火が出たような気がした。それ以前に、机を抱きしめているこの光景を見られたのだ。きっとあたしは赤面していただろう。変な女だと勘違いされて、クラスの男子の話題の真ん中に上るのは嫌だ。だからあたしは、
「こ、こんにちは」
平静を装った。机から静かに飛び降りると、彼の方に向き直った。
「あの、大林。返事って……何のこと?」
どうやら、机との会話を聞かれてしまったようだった。どうにかして誤魔化したい。でも、どうやって?
「え? えっと……うん……あぁ、うーん……」
煮え切らないでいると……。小山田は言った。
「好きです!」
告られた?
何故っ。突然すぎる。意味がわからない。
「え?」
あたしはアホみたいな顔をしていただろう。
「俺……ずっと前から、大林のこと、気になってて……でもそれが恋なのかわからなくて、踏み切れずにいたんだ。フラれたらどうしようって、逃げてたのかもしれない。でも、お前からのこの手紙を見て、やっと勇気が出た。もう一度言います。好きです。付き合って下さい」
彼は、あたしのことを見つめていた。
でも待って。彼の言う事は少しおかしい。
「手紙って、何のこと?」
私は訊いた。
「え?」
一瞬、アホみたいな顔をして、その後すぐに封筒を手渡してきた。全く見覚えが無かった。
「んん?」
首をかしげる。
音を立てて封筒から便箋を取り出し、折りたたまれた手紙を広げる。あたしはそれを読み上げた。
ラヴレターのようだった。
これを見せてどうしようと言うのだろう?
自分がモテることをさりげなくアピールでもしているのだろうか。
「それ、大林のじゃないの?」
「んなわけないじゃない。あたしは、別に好きなものがあるわ」
「まじっすか……でも、俺が大林のこと好きなのは、本当だから」
よくわからないけど、好かれているらしい。だけど、少し遅かった。もう、あたしの心は奪われているんだ。
――そう、机に。
「か、勝手に勘違いしないでよね。あたしはあんたの机は好きだけど、あんたのことが好きってわけじゃないんだからね」
あたしはそう言って、彼の横を通り過ぎ、その後、廊下を駆け出した。言ってしまった。
……言ってしまった!
机の事が好きだと、言ってしまった。
恥ずかしさで、顔が熱くなる。
机さんに聞かれてしまっただろうか。机さんの心に響いてくれただろうか。
ああ、好きだ、本当に、机が、好きだ。
あたしは、走って帰った。
家に帰るまで、いや、家に帰ってもずっと、あたしの頭の中は、机のことばかりだった。
ベッドに仰向けに寝転がり、目を閉じて思い出す。
四本の細い脚。ひんやり冷たい金属部分。スベスベな木材の表面。
ああ、ドキドキする。こんなにも胸が高鳴ってしまうものなのかな。
やっぱりこれは、恋……なんじゃないか。
そう――恋。
これは、恋だ。
□□次の登校日、二月二十二日 新太の視点□□
朝、大林かつみが、俺に向かって言った。
「ねぇ、小山田。今日一日だけでいいからさ、席交換してくんない?」
この間の俺の告白など、まるで無かったかのようにさらりと話しかけてきた。
「ああ、いいぜ」
断る理由などない。彼女と関われるのは何でも嬉しいし、普段彼女が座っている席につくことができるのも嬉しい。
俺が席を立つと、かつみは俺を片手で押し退け、勢い良く椅子に座ると、すぐに俺の机に抱きつくように突っ伏した。
「あぁ……幸せだわ……」
彼女は、少しおかしいかもしれない。
でも好きだった。
俺も、普段かつみが座っている席に座る事ができて、何だかドキドキした。
さて、受験生である俺たちは、登校しても一日中自習のようなものだった。
だから、俺がかつみの席に座っていたり、かつみが俺の席に座っていたりしても、教師たちは気にもしなかった。我々三年生は、もうほとんど進路が決まっていて、もうじき、この学校にも来なくなって、そしたらすぐに卒業で……それは何だか寂しいけど、仕方のないことなのかな。
ふと、俺の頭の中で、差出人不明の手紙を読み上げる大林かつみの声が再生された。
『もう登校日も残り少なくなってしまったし、高校を卒業してしまえば、もう会えなくなってしまうような、儚い繋がりです。だけど……だから……好きだと伝えたくて、こうして手紙を書きました。もしも、できることなら、返事が欲しいです――……』
妙に、もの悲しい手紙だと改めて思う。
ああ、そういえば、あの手紙の差出人って、結局誰なんだろうか。
かつみである可能性が高いと思うけど、本人が否定しているのだからそれを信じたい気持ちもある。
で、放課後になったのだが……彼女は俺の席から離れようとしなかった。
「何してんだ、大林」
俺はそう言って、自分の机に触れたところ、
ものすごい力で、はたき落とされた。手がジンジンする。
「触らないでよ!」
いや、あの……ここ俺の席じゃん。
どうしよう、俺の好きなかつみさんが、どんどん変な人に見えてきた。
やがて、皆が下校し、夕焼けタイム。二人きりになった。
どうあっても俺の席を離れようとしないかつみ。その真意を何とか汲み取ろうと、俺は頭をフル回転させているのだが、どうするべきなのか、次の選択肢すら見出せない。そこで、俺は返事を催促してみることにした。
「なぁ、大林。前にも一度言ったと思うけど――」
「ごめんなさい」
まだ何も言ってねえよ!
「いや、あのな――」
「あんたがどれだけあたしのことが好きでも、あたしはもう、結婚相手が決まってるの」
「え? なにそれ。もう婚約者みたいなのがいるのか?」
驚きながら訊ねると、予想以上に謎の回答が返ってきた。
「あたしは、この机と結婚するの」
「…………」
「…………」
「え?」
彼女の大きな瞳は、とても真面目な色で、しっかりと俺を見据えていた。
□□ある休日、二月二十八日 其の一 新太の視点□□
俺は、学校に忍び込んだ。
何故あんな行動に及んだのか、今となってはわからない。
フラれたからだろうか。そうかもしれない。
忍び込んだ教室で、自分が普段使っているその机を見たとき、怒りがこみ上げた。
何故、彼女は俺じゃなくて、こんな机なんかのことを好きだとか言っているんだろうか。
電波女にも程がある。
でも、彼女を憎む事はどうしてもできない。
だから、その怒りの矛先が、机へと向くのは自然なことだったかもしれない。
鞄からカッターナイフを取り出し机を傷つけようとした。
「お前さえ……いなければ……」
俺も、おかしくなっていたのかもしれない。
しかし大きな音を立てて引き戸が開いて、俺の肩は跳ね上がった。そこに居たのは。
「小山田ァ!」
「あっ、あっ。え……?」
そう、大林かつみだった。
何故こんな休みの日に、ここに来たんだ?
まさか、休みにも関わらず、この机に会いに来たってのか?
「何……しているの?」
大林かつみはそう言って、俺の手元に視線を落とした。
俺の手に握られていたのは、今にも机を傷つけようとする凶器。
「いや……何も……」
「嘘っ!」
かつみは叫んで、俺の手からカッターナイフを奪い取った。
そして、構える。
俺に、刃を向けていた。
何で。どうしてこんなことに。
何で、俺は好きな人に刃物と敵意を向けられてしまっているんだろうか。
ああ、俺が悪い。俺が最低な行為に及ぼうとした。それは理解している。
「ごめん……俺、どうにかしちゃってたかもしれない……」
「そ、そう……なんだ」
素直に謝った俺を見てホッとしたのか、彼女はカッターナイフの刃をしまい、俺に手渡した。
あろうことか、俺は、机に嫉妬していたのだ。
■■ある休日、二月二十二日 其の二 かつみの視点■■
ある休日。
あたしは、机に会いに学校へ行った。忍び込んだ。
本来は休みの日だけど、だからこそ、机と一緒に丸一日過ごせると思った。
でも、そこで見つけたのは――。
「お前さえ……いなければ……」
小山田新太の声だった。小山田は、自分の席の机、つまり、あたしの愛する机に刃を向けていた。今にも、今にも、あたしの大好きな机が傷つけられようとしている!
そんなの、そんなの、許すわけにはいかない!
「小山田ァ!」
「あっ、あ、え……?」
彼は驚いた後、呆然として、悲しそうな顔でそう呟いた。
「何……しているの?」
あたしは責めるように訊いて、小山田が握っているカッターナイフを見た。
「いや……何も……」
「嘘っ!」
あたしは叫んで、彼の手からカッターを奪い取る。そして、構えた。
もしも、もしも、机に傷でもつけていたら、斬りかかっていたところだ。
傷つけようと考えていたとしたら……想像しただけでも殺してしまいたいくらいの憎しみが湧き上がって来る。
でも、きっと、自分のせいで目の前の誰かが傷つくのを見たら、机さんは悲しむに決まっている。絶対に喜ばない。そんなことをするわけにはいかない。
小山田が心から謝ってくれることを願った。
「ごめん……俺、どうにかしちゃってたかもしれない……」
「そ、そう……なんだ」
あたしは、彼の反省の言葉が真剣なものだと確信した後、カッターナイフの刃をしまい、手渡した。
その後すぐに、彼は教室を後にした。
すれ違うとき、少し、泣いているように見えた。
□□別の休日、三月三日 新太の視点□□
別のある休日のこと、俺は自分の席の前に立った。今度はカッターナイフなんてものは持たずに、だ。あの時の俺は、やはりどうかしていたのだろう。今では、反省している。
やはり、ここはしっかりとライバルの存在を認めて、正々堂々とやり合うべきだと思った。
だから、
「おい、机。俺はかつみさんのことが好きなんだ。だから、お前とはライバルだ。お前なんかに、負けないからな」
それだけ言って、俺は去った。その一言のためだけに、俺はまた休日に登校したのだ。
それほど、俺はかつみのことが好きだということなんだ。
□□卒業式の日、三月十四日 其の一 新太の視点□□
その後、かつみに「机を交換しないか」と何度も言われたが、断り続けた。それほどに俺は机をライバル視していて、それほどにかつみは机のことが好きだったのだろう。
――そして月日は流れて、卒業式の日が来た。
やはり、何事も無く卒業、というわけにはいかなかった。
俺は、廊下で担任教師とかつみが言い争う声を聞いた。
「どうしてですか! 何で!」
「学校の備品だからに決まっているだろう。特例は認められない。これは社会のルールだ。常識だ。備品を私物化するのは……」
「そんなの知ってる!」
「知っているのなら……」
「でも、それでもあたしには、あの机でなくちゃ嫌なのよ!」
彼女は、担任教師に背を向け、走り出し、俺の横を恐ろしい形相で駆け抜けると、階段を二段飛ばしでのぼっていった。
「あ、オイ……」
担任教師の声。
「大林!」
俺は彼女の名前を呼んだ。しかし彼女は止まらない。
あの勢いは……もしかして、あの机のところに行く気だろうか。
俺もかつみを追いかけるように階段をのぼり、俺やかつみが高校生活最後の一年を過ごした教室へと入った。
俺の机は、そこにあったが、かつみの姿が無かった。
どこへ行ったのだろうか。
周囲をもう一度見渡してみるが、やはり彼女の姿は無い。
すると、開いていた窓から声がした。
「離して! 机くれなきゃ! 死んでやるんだから!」
かつみの頭上からの声だった。屋上に居るようだ。
怒りが、俺の意識を支配した。矛先は――机に向いた。
「お前は、彼女を不幸にするだけの存在だ。だから、俺はお前を、お前の存在を許しておくことはできない!」
俺は、彼女の愛する机を担ぎ上げると、そのまま屋上へ向かった。
■■卒業式の日、三月十四日 其の二 かつみの視点■■
月日が流れ、卒業式の日が来た。
「あの……あたし、机が欲しいです」
「え?」
「このまま別れるのは嫌……なんです……。だから……机をあたしにください」
あたしは涙を流しながら、震えた声で頼み込んでいた。相手は、担任。廊下を、水滴が叩く。
「いや、机……? それはあげるわけにはいかない」
「どうしてですか! 何で!」
「学校の備品だからに決まっているだろう。特例は認められない。これは社会のルールだ。常識だ。備品を私物化するのは……」
「そんなの知ってます!」
「知っているのなら……」
「でも、それでもあたしには、あの机でなくちゃ嫌なのよ!」
あたしは、担任教師に背を向け、走り出した、階段を二段飛ばしでのぼっていった。
目指す先は、屋上だ。
階段の終点の鉄扉を勢い良く開けて閉め、緑色に塗装されたコンクリートを走り、緑色の金網に手を掛ける。
そこで捕まった。あたしを捕まえたのは、担任教師だった。
「何してるんだ、大林! 目を覚ませ!」
目を覚ますのはお前の方だ!
あたしたちの愛を引き裂こうとするのが、どれほど愚かしい行為なのか、あたしが命を懸けて実感させてやる!
「離して! 机くれなきゃ! 死んでやるんだから!」
叫んだ。学校中に響き渡るような大声で。
「落ち着け! 大林!」
担任はそう言って、あたしを金網から無理矢理ひっぺがしにかかった。
だけどあたしは抵抗する。
肩に触れていた担任の手に噛み付いた。
「いっ!」
担任の小さな叫び声。痛みからか担任の手が離れた。
「あたしに机をくれれば良いのよ! それで全て解決するじゃない! 何で? 何であたしの言う事を少しも聞き入れてくれないの? あたしはあの机が大好きなの! あの机と結婚したいとさえ思っているのに! 何で邪魔するの? それが大人のすることなの? 愛し合う二つのものを引き離して楽しい? それが滑稽で笑えるの? あたしは、あたしには、あの机しか無いの!」
言って、金網をよじ登る。
そのとき。
「かつみぃいいいい!」
あたしを呼ぶ声がした。叫び声だった。振り返ると、屋上と校舎内を繋ぐ鉄扉の前に、小山田新太が立っていた。手には、あたしの大好きな机を抱えて。
「俺を見ろぉおお!」
言って、机を白い壁に叩きつけた。
「きゃぁあああああああ!」
あたしの悲鳴。
後、降下、着地、疾走。
黙って見てなんていられない。あたしの大好きな机が、壁に叩きつけられているんだ!
「うおおおお!」
ガン、ガンと。思い切り振り回して、何度もぶつけて、机の脚が、曲がっていく。木の板が、剥がれそうになる。
「やめてええええええ!」
甲高い声で叫んだ。走りながら。手を伸ばして。
だけど彼は手を止めない。
駆け寄ろうとした。そうすれば、小山田が机の破壊を中止するんじゃないかと思った。
だけど、あたしの肩は、またしても担任に掴まれた。
「大林! 危険だ! 寄るな!」
担任の声。
でも、でも……机が……っ!
あぁ……あっ……!
木の板が……折れた。
机の脚も……ひしゃげてしまった。
あの美しい脚が……スベスベの木の肌触りが……。
どうして、なんで……。
青空の下。木片、舞う。
「小山田ぁああ!」
あたしは、担任の手を振り解こうと暴れた。だけどしっかりと捕まえられてしまっている。
「やめろォ! 小山田ぁああああ!」
あたしの全力の叫びなんて無視して、小山田新太は肩で息をしながら、もう一度机を振り回した。
ガンッ!
壁にぶつかった時、小山田の掴んでいた脚がポキリと折れ、机本体はフェンスに激突。
ガシャン、と崩れ落ちる音がした。
小山田の手に残ったのは、一本の折れた金属片。グニャグニャに曲がって、くすんだ色に変色している。
かつては、美しいシルバーの脚だったものだ。
はぁはぁ、と肩で息をする小山田。
あたしは、涙が止まらない。
担任の手が緩んだ。
あたしは担任の手を振り解いて、駆けた。
助走。
目指す先には、男!
「小山田ァ! 殺すぅううう!」
叫んで、走った。
小山田は、動かず、あたしを見据えていた。
「死ねぇえええ!」
あたしは叫んで、拳を握った。
殴った。生まれて初めて、人を。
ああ……痛い。手が、痛い。何かが、痛い。
でも、小山田は、許せないことをしたんだ!
何発殴っても、足りないんだ!
もう一発。
息を荒く吐きながら、歯を食いしばる。涙が止まらない。まだまだ殴らないといけない。
でも、三発目を放とうとしたところで、また、止められた。
振り向くと、担任があたしの腕を掴んで、首を小さく横に振った。そして言うのだ。
「もう十分だろう」
「ふざけんなァあああ!」
当然、あたしは全力で叫ぶ。一瞬、声が裏返るほど、全力で。
「小山田ぁ! あんた、この机の気持ち、考えたことあんの? あんたの机でしょう! 何でこんなことしたの! 何でこんなことできるの? どうして壊したりなんかしたのよ! それは何よりも、最悪なことだってわからないの? あんた、殺したんだよ? わかってんの? ねぇ! 小山田ァ!」
「ごめん……でも……」
「最低、最低最低!」
声が震えてかすれた。涙が、止まらない。憎い。
「いや……でも、こうしないと、お前……本当に飛び降りそうで……」
あたしは、小山田の言葉なんか無視して、静かに担任の手をどけると、屋上の緑色に塗装されたコンクリートの上に落ちた机の残骸に駆け寄った。
しゃがみこんで、触れてみる。
一番大きな木片を、抱きしめた。
嗚呼、本当に好きだった。
好きだったのに、何で……?
これが運命だったって?
そんなの許せないよ……。
「大林、小山田。お前ら、もう高校を卒業するんだろ、小学生じゃないんだから、学校の備品を持ち帰ったり傷つけたりしたらいけないことくらい、わからないのか?」
担任が冷静にそう言ったので、あたしは叫ぶように、
「「そんなの、知ってます!」」
と言った。
先生の言った事は確かに正論だ。だけど、そんなもので論破できるほど、あたしも、彼も、落ち着いていられない。
「小山田……あんた、この机のこと、どう思ってたの?」
「ライバルだと、思ってたよ」
「そう……」
「だって俺は、大林かつみが好きだから……」
「でもあたしは、絶対、あなたを絶対許せない」
あたしはそう言って、もう机としての役割を果たせなくなってしまった残骸の金属部分を抱きしめるように倒れこみ、泣いた。
「ねえ、机、あんたは……小山田のこと、どう思う?」
返事は無かった。
「……どうして返事をくれないの……?」
悲しかった。
■□机の視点■□
私の体が舞っていく。解体されて、飛んでいく。
私の足を掴んだ彼が、私をぶんぶん振り回す。
壁に何度も打ち付けられて、遠くで彼女が泣き叫ぶ。
私が好きなのは、彼。
私を好きなのは、彼女。
最初から、叶わない恋だとわかっていた。彼が、私を好きな女生徒のことが好きだったと知った日から、ならばせめて、二人が一緒になればいいなって願ってた。私が、二人を繋げたかった。でも、それすら叶わないなんて、ままならないにも程がある。
彼に宛てた手紙には、差出人である私の名前を書かなかった。迷いがあったんだ。たとえば、私が彼と結ばれたとして、それは本当に彼の幸せなのかって思い悩んだ。机と愛し合うことが、果たして本当の幸せなのかって。
手紙なんて出さなければ、彼と結ばれる可能性なんて無くなっただろう。そして、その消極的な選択を選ぶのが、机としての当然の道、義務みたいなものだと思っていた。
でも、止まらなかった。中途半端でも、どうしても、伝えたかった。気付いてもらいたかった。彼のことが好きだった。授業中、毎日のように私を抱きしめて眠る彼が、本当に……。
なのに彼は、私を敵視して、カッターナイフまで突き立てようとした。私のカドに頭をぶつけた彼女が私のことを好きだと言ったことから、嫉妬を抱いた彼にライバル宣言もされた。どうしようもなく悲しかった。
そして今、私は机としての一生を終えようとしている。
私の体は、少しずつ歪んで、ひしゃげて、割れて、折れて、そうやって色んなパーツが舞って、ついに私は空に舞って、フェンスにぶつかって緑色に塗装されたコンクリートの上に落ちた。
彼女が、ボロボロになった私の上に覆いかぶさるように抱きしめて、涙を流しながら、何かを言った。もう、何も聞こえないけど、それは、きっと、優しい言葉。返事をすることはできないけれど、彼女のことも、嫌いではなかった。
大好きだった彼は、ただ私に覆いかぶさる彼女を見つめている。私のことなんて、見てくれていなかった。でも、それでも構わない。あなたと暮らせた教室での一年間は、とても、とても幸せだったから……。
私が好きなのは、あなた。
私を好きなのは、この娘。
二人に、ありがとう。
これから先、二人が幸せになれることを、私は祈っている……。
【完】




