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3-地から天へ


『……なさい、……目覚めなさい』


 ゲームの冒頭でしか聞かないような台詞が聞こえる。この後に、「目覚めなさい、勇者よ」なんて台詞が続けば完璧だ。

 だけど、声は永遠と「目覚めなさい」とだけ、繰り返している。


『目覚めなさい、……さぁ、目覚めなさい』


 現実にこんな台詞を聞く機会があるなんて思わなかった。随分と痛い人だな、なんて思考が泳ぐ間も、何度も繰り返される台詞に、段々と意識が浮上してくる。


 気付くと僕は暗い空間にいた。

 どこまでが天井か分からない暗闇の中には、星の様な光が無数に輝いている。

 何も映さない地面は呑まれるような漆黒。そこに床があるのか、それとも大きな穴が開いているのか判断がつかない。時折視界の端で流れる極細い光の線が、この空間が半球のドーム状である事を目視で伝えてくる。


『意識が戻ったようですね』


 声の聞こえた方を向くと、そこには大きな女性がいた。

 大きいというのは、そのままの意味だ。胸の大きさでも、腹部の肥大の事でもない。

 全長が3mぐらいある。

 その異質さを差し引いても有り余る、荘厳な雰囲気と美貌を持つ女性だった。


 顔と指先しか露出していない純白のロングドレスを纏い、頭には細やかな装飾が施されたヴェールを被っている。乳白色に輝く長い髪は水中にいるかのように空を漂い、長い前髪の隙間から覗く金の瞳も光を反射する水面の様に揺れていた。

 まず姿からして普通の人には見えない。さらには空中に浮き、全身が淡く発光している。控えめに言って人ではない。

 そして、極めつけは頭に刺さっている金属の輪だ。右の側頭部から生えた輪が頭上を通り、左の側頭部に貫通している。痛くはないのだろうか?

 つい、じっと頭上の輪に目を取られていると、女性は静かに僕を見つめ話しかける。


『私の言葉がわかりますか』


 さっきまで聞こえていた声と同じ声。

 どうやら、この女性が僕に声を掛けていたらしい。


「……ぁ……、……はい……」


 返事をしようとすると、何故か声が上手く出せなかった。


「……貴女は?」


 次は上手く声が出た。でも、なんだか喉に違和感がある。


『私は律を見定め、理を説く者。貴方の世界では神と呼ばれる存在です』


 告げれた言葉に思考が止まる。また、どえらい存在が現れたものである。

 幽霊さえ見たことのない人間の前にいきなり神を語る人物が現れたとして、それを丸ごと受け入れられるかと言えば否だろう。

 どうみても人間には見えないけれど、神は受け入れレベルのハードルが高すぎる。まだ宇宙人と言われた方がすんなり受け入れられた。

 しかし、ここで否定的なことを言って神罰とか与えられるのも嫌だ。

 何とも答えられないでいる僕の気持ちを察してくれたのか、女神様はそのまま話を続けてくれる。


『……まだ気付いていないようですので先に伝えておきます。貴方は死亡しました』

「え?」

『本来なら天命尽きた者の魂は回収され輪廻の中へ戻されます──ですが、貴方の身に起きた出来事は、不測の事態によって起きた事故。何事も無かったかのように無視できる問題ではありませんでした。今回は特例として、私があなたの魂をこの場へ引き寄せたのです』


 そう言われても、死ぬ直前までの事を何も思い出せない。

 起こった事故の内容も知りたいので、直接聞いてみることにする。


「具体的に、何が起こったのかお聞きしても?」

『貴方は神の諍いに巻き込まれたのです。放たれた神力の余波が地上へ干渉し、此度の大地震を引き起こしました。その際発生した橋の崩落に、貴方は巻き込まれ命を落としたのです』


 女神様にそう告げられた途端、僕の頭の中に大量の記憶が蘇った。

 僕が生まれた家、通った学校、住んでた地域。楽しかったことや、悲しかったことなど、その時々で感じた感情が目まぐるしく湧き起こり、──最後にキャンプ場へ行き、そこで地震に見舞われ橋が崩落した……ところで情報が中断される。


「……ぅ、…………」


 一瞬、ズキリと走った痛みに、思わず頭に手をやろうとする──と、手が空振った。

 なんだ?と思い自分の腕を見下ろすと、動かしたつもりでいた腕が存在していなかった。

 声にならない絶叫をあげる。

 ここでようやく、僕は自分の身体が無いことに気がついた。


 身体が無い──よく考えれば視界の高さから推測しても僕の体は浮いているし、足先も見えない。

 魂を引き寄せたって言ってたから、今の僕の姿は光の玉や火の玉みたいな姿なんだろうか?目が無いはずなのに周りが見えている原理は分からないけれど……。どうりで声を発するのに違和感を感じた訳である。喉がないのだから当たり前だ。

 どうやら死んだという話は本当らしい。

 自分の体の変化に戸惑う間にも、女神様はこちらの様子を気にする風でもなく淡々と説明を続けていく。


『不運に見舞われ貴方が迎えるべき未来は消失しました。ですので、貴方の本来の時間を戻します』


 まさかの申し出に、頭の高い女神様に向けぐぐっと視線を上げる。

 それって神様パワーを使って……、


「生き返れるってことですか?」

『違います』


 はい、速攻で否定されました。

 女神様はずっと無表情なのに、その視線がなんだか痛く感じるのは気の所為かな?僕が聞く姿勢に戻るのを待っている気がするので、少し黙ることにする。


『…………魂が器を求める行動は理解出来なくもありません。ですが、人の器は朽ちるのも早い。既に貴方の肉体はあの世界には残っていないでしょう』


 それはもう葬儀が終わっている、ってことかな?

 この女神様は遠回りな言い方で話すものだから、聞いてから一度頭の中て噛み砕かないと理解できない。聞いた内容が僕の認識で合っているのか不安になる。

 僕の体感では、意識を飛ばしていたのは1分とかその位だと思っていたけれど、3日ぐらい経っていたのかもしれない。

 無い首を傾げる代わりに、ふよふよと身体を揺らす僕を見て、女神が頷く。


『あの災時より少し経ちます。そうですね……約……半年、もう少しで1年と言ったところでしょうか』

「んなぁ!」


 女神様の言葉につい変な声を上げてしまう。

 正味3日ぐらいかと思ってたのに1年も経っていたなんて信じられない。それを少しとは言わないんですよ女神様。神様とはいえ時間の流れが曖昧過ぎやしませんか?と問いたい。

 その間、僕はずっと魂のまま放置されていたんだろうか?

 半年と1年の差も気になるけれど、もはやどっち寄りかはこの際どうでもいい問題だった。どちらにしても僕の体はとっくに火葬されてしまっているのだから。

 女神様の言う通り元の体に戻るのは無理だろう。


「そんなに時間が経ってたなんて……」


 唖然と呟く僕を見て、女神様がゆるりと首を振る。


『私がそちらの世界──地球への神力の干渉を認めた時には、既に歪みは生じた後でした。早急に歪みを正し、その場に残った力の残滓より此度の諍いに関わった両者を辿り、何故このような事になったのか追及しましたが話にならず……、私も心を尽くしましたが分かり合えませんでした。その後も使者を数名送っていますが、直接会うことも叶いません』


 女神様の顔が僅かに曇る。残念とも、不満そうにも見える。そのどちら共かもしれないけど。──ようするに、今回の事件の引き金を引いた奴に責任取らせようとしたら、引きこもってしまい出て来ようとしない、という話らしい。

 神様にも人間らしいところってあるんっすね。なんて、あまりの状況に生意気な口を聞きたくなる。

 これは、運が悪かったで済ませられない事態じゃないかな、僕は怒ってもいい気がする。

 けど、相手は神様。しかも、やらかした神様は別神?別人ときた。目の前にいる女神様は代理で矢面に立ってくれているだけで、当事者でもない無関係な人であって……無い頭が痛い。


『これ以上、貴方の魂を無意味に拘束してしまうのは理に反する……なので、この度の問題は私が対処する事としました。輪廻を通さず、私が直接貴方の魂を転生させます。人の世に戻り、魂の本来の用途を全うして欲しいのです。……巻き込まれただけの貴方からすれば、納得できる解決法ではないかもしれません。ですが、これが私の考え得る中で、もっとも貴方の為となる解決法となる筈です』


 女神様の言葉聞き、僕の直観がピキーンと音を立てる。

 これは逆に運が良いんじゃなかろうか?

 ほら、よく聞くじゃないか、転生したら虫だったとか鳥だったとか。虫になって食物連鎖ピラミッドを下るのも、鳥になって虫を食べ続けるのも嫌だ。

 それを女神様の方から人に戻してくれると言っているのだ。100%人間に生まれ変われるなんて話、美味しくない訳がない!


「わ、分かりました」


 一も二もなく僕は頷く。快く了承した僕の様子に、女神様の表情が少しだけ和らげ、直ぐに真剣な表情に戻る。


『ただし、貴方には地球とは違う、別の世界で過ごしてもらう事となります』


 別の世界とはなんだ?話がまた斜め上に進み理解が追い付かない。


『貴方の生まれ育った世界よりも人と神の関係が近い世界です。故に、私も世界に干渉し貴方の魂を送り出すことが可能となるのです』


 よく意味は分からないけれど、管轄外の世界には輪廻ってやつを無視して転生させるのが難しいってことかな?

 地球でも国ごとに信仰する神様は違っていたんだし、神様側も自分達が見守りたい国や世界を決めていたとしてもおかしな話じゃない。

 地球以外の世界……というのが異次元になるのか、宇宙の何処かにある惑星の1つなのかは、たぶん聞いても理解できそうにないけど、神様も仕事を分担しているらしい。

 なんともスケールの大きい話である。もしかしたら、この話を知っているのは僕だけかもしれない。生まれ変わったら誰かに自慢しよう。

 神様と関係が近い世界って言うのも、教会がものすごい多いとかそんな感じの意味だろうし──うん、とくに問題はなさそうに思える。


「分かりました」


 再度頷く僕に、今度こそ女神様は安心したように目を閉じて見せた。


『それでは……貴方を転生させる前に、未来を歪めてしまった代償として祝福を与えます。何か希望はありますか?』

「祝福ですか?」

『前世で貴方が培ってきたものは全て無くなってしまいました。その代わりに、前世で習得した技術を来世では時間を掛けず再習得出来るよう、技術の補填をいたします』


 なるほど、今まで頑張って覚えてきた分を、また一から学び直せってのは酷だから、それぐらいは慈悲を掛けてくれるということらしい。

 ……でも、僕が前世で習得した技術といわれても困ってしまう。

 料理は作れるけど、レシピを考えたりしていたんじゃないし。

 ゲームはコントローラーさばきが上手かったところで、他で使いようがない。

 プラモ作りは上手いって褒められたけど、次の世界で使えてもな……、そんなハマってやっていたものでもない。

 体育はそこそこ、美術もそこそこ、免許も資格も持っていなかった。

 あれ?特技なんてなくない?

 社会に出る前の大学生に、習得した技術などある訳もなく……。

 考え込んだ僕に女神様が助けをくれる。


『多少でしたら、技術の習得を他のもので代用するのもいいでしょう。そうですね……転生後の性別や外見、産まれ落ちる環境等でしょうか』

『‼︎』

『他に──貴方が騎士を目指すのなら強靭な肉体を、学問を総べるのならそれに見合う頭脳を持って人生をやり直す事も可能です。この場合、肉体の鍛錬及び、新しい知識は貴方自身で修得して得る事となります。私はただ、得るべき能力に見合う器を準備するだけ、貴方の人生を円滑に進める為の助力程度と考えて下さい』


 女神様の言葉に僕は目を輝かせる──目は無いから気分だけだけど……魂は発光していたかもしれない。ちょっと周囲が明るくなった気がしたから。

 咄嗟に、次に産まれてくる時も男の子でお願いします!と食いつきそうになったが、一旦冷静になれ僕。ここは慎重に考えるべきところだ。

 性別はもちろん男がいい。しかし、外見が名刺代わりの人間社会でイケメン転生は必須……と、思わせて生活環境も死活問題過ぎる!

 顔が良くてもDV借金まみれの駄目人間が両親だったり、悪の組織なんかに生まれたらバッドエンド直行になる。

 それに加えて、次の世界には騎士や科学者?のような職業もあるようだ。中世ヨーロッパみたいなんだろうか。

 経験値が必要な騎士や学者の生活環境は悪くないだろう。一般市民より給料は高いだろうし、憧れの職業って感じがする。僕に騎士や学者が似合うかな?とは思わなくもないけど、こっちの道を選ぶのも手かもしれない。


 どれを選んでも強カードだからこそ、どれも捨て難い。

 ちょっとお時間貰ってもいいですか?と女神様に許可を頂戴しようと考えた所で、僕はふと思考を止める。

 女神様の提案は自分ではどうしようも出来ない部分を補ってくれる破格の条件ばかりだが、それよりも……と、僕は魂になってしまってからずっと気になっていた事を口にする。


「あの女神様。実は死んでから記憶が……家族の記憶が無いんです」


 そう、僕には記憶が残っていなかった。

 正確には、死ぬ前の自分が関わっていた人物との記憶が思い出せないのだ。

 最初は気づいていなかったのだけれど、死ぬ前の状況を思い出そうとすると。徐々に違和感があることに気が付いた。

 友達や家族の顔や名前が思い出せない。それどころか、自分の顔も、有名人や歴史上の偉人達の顔までまるっと抜けていた。

 その人物が僕に優しかった事や、ふざけ合って、笑い合って、時には喧嘩もしたり──そんな出来事があった事は覚えている。

 思い返すと、僕の前世は結構充実してたと思う。

 けれど、その記憶がいつ誰との出来事だったのか判断できるものが残っていない。

 男だったか女だったかは何となく感覚で思い出せる。

 でも、相手が誰だったのか、子供の頃の出来事なのか大人になってからなのか、いつ過ごした時のものかが分からない。

 ドラマのストーリーや展開は覚えているけど、それが何話目で、どんな俳優が出演していたかを覚えていないような感覚とでも言えばいいのか。

 直近で言えば、キャンプに行って、橋から落ちた時のことは思い出せるけれど、その前後の記憶は酷く曖昧になっていた。

 地震が起きて橋が崩落し、それに巻き込まれた事までは思い出せる……。けれど橋が落ちた時、近くに誰かが居たような気がしても、それが誰かが分からない。

 誰も居なかったのかもしれないけれど、車で出かけていたのは覚えているから、誰かしらは居たはずだ。だって僕は免許なんて持ってなかったんだから。


 免許なんてどうでもいいことは覚えているのに、友達や親の顔どころか、元の自分の顔さえ思い出せない。

 死んだと聞かされた時に、怒りよりも驚きの方が大きかったのも、前の人生に未練があまり感じられないのも、前世の記憶が薄れている所為なのかな?


 転生後これだけ優遇してもらえる権利があるなら、それなら……大切な家族の思い出を記憶を残しておきたい。

 そう思い、女神様に話を切り出した次第だ。

 女神様の提案を蹴ってのお願いごと、気を悪くさせてなければいいけどと、少し身構える。


(でも条件からしたら、転生後どうこうより格段に簡単なはず……!)


 元あった欠けた記憶を戻すだけなら、女神様の気分を害してない限り確実に飲んでくれるだろう。きっと指先をくるりと回すだけで簡単に解決してくれるに違いない。


『あの事故で、貴方が関わった人物との記憶だけが無くなるというのは考え難いのですが……。ただ、神の力が地上にまで影響を及ぼしたとなれば、近くにいた貴方へなんらかの影響が出たと考えるのが正しいかもしれません』


 僕の状態を察してくれたようだ。あとは記憶を戻せるのか、戻せないのかだが……と返事を待っていると、女神様は何でもなさそうな顔で続ける。


『──ですが、記憶の欠落だけで済んだのなら幸いでしたね。次の世界では会うことも無い人物と考えるなら何ら問題は無いでしょう』

「いやいや、大問題なんですけど!」


 思いがけない返答に、つい素でツッコんでしまう。

 僕の反応を不思議に思ったのか、女神様が一度瞬きをする。〝はて?〟って表情やめて。


『転生後に前世の記憶は引き継がれないものです。ごく稀に記憶が残る者もいますが、あれらは例外と言っていいでしょう』


 それを聞いて、今度は僕の方が〝はた〟と動きが止まる。

 思い出した。よく見ていたバラエティ番組で、前世の記憶を持った子供の話を見た覚えがある。知らないはずの記憶を話す子供の言う通りに、過去住んでいた場所を訪れて見たり、昔の資料を探し前世の自分だと言う人物と同じ名前があるかを調べたりしていた。

 僕は今持っている記憶を残したまま転生すると思い込んでいたが、前世の記憶を持ったまま生まれるなんて事は、番組で取り上げられるくらい稀な現象だという事を失念してしまっていた。


「あの、でしたら最後に家族へ伝言だけでもお願いできませんか……」


 伝言だけでもいから最後にお別れをちゃんとさせて欲しい。……会えたとしても自分の両親だと分かるかは微妙だけど、心に残っている愛情だけは本物なのだから。

 僕の記憶はなくなってしまう。でも、残された家族は僕の事を覚えているのだ。唐突に家族を亡くす事と、終活を終え別れを済ませた後では残された者の気持ちの差は大きいだろう。

 急な事だったんだ、最後にお別れを言うぐらいはさせて欲しい。母は心配性で天然気質で家族にメロ甘だったような印象があるから、きっと凄く悲しませてる。貴女の息子は無事に女神様に拾われて、転生後も安泰に過ごせそうだから安心してくれと伝えたい。1年も経ってしまっていて今更遅いかもしれないけれど、少しでも心の負担を軽くしてあげたい。


『不可能です。既に貴方は地球を離れています。別世界の住人となる貴方に、他次元世界への干渉はできません』


 だが、女神様は考える素振りも見せず無情にも言い切る。それがマニュアル通りの返答の様に聞こえ、重ねて問う。


「神様でもですか?」

『神だからこそ、世界の理に干渉することは適いません』

「他に方法はありませんか?」


 この際、夢枕に立つとか生霊を飛ばすとかでもよかった。けれど、女神様の返答は変わらず『不可能です』と切り捨てられる。


『ですが……そうですね。……その代わりとして、地球に残る貴方と縁のある者の記憶から、貴方に関する記憶を遠ざけましょう。思い出す頻度を緩やかにし、貴方が居なくとも問題無く過ごせるだけの精神的な保護を約束しましょう』


女神様からの譲歩、でもそれは──。


「……家族も僕を忘れてしまうってこと、ですよね……」

『そうなります』

「…………」


 僕の記憶は無くなってしまうことは確定している。その上、家族まで僕の記憶を忘れてしまえば、僕と家族の絆は完全に消えて無くなってしまう。

 ……でも、それでいいのかもしれない。

 死んでしまった子を思う親の気持ちはどれほどのものなのだろう。

 親になった事が無いから解るなんて軽々しく言えないけれど、いっそ忘れてしまえたらと考えるかもしれない。何度も繰り返し辛い記憶を思い出させ、大切な人たちを悲しませるぐらいなら、いっそ僕の存在なんて忘れてしまった方がいい。

 女神様の言う通り、残された者からしたら、これが最大限の救済なのかも知れない。

 せめて、僕だけでも家族の記憶を残せればよかったのに──そうループする思考を無理矢理押さえ込む。


「……それで、お願いします」


女神様が頷く。


『それでは──まいりましょう。心配することはありません。貴方の肉体を分解し、渡界後、新たに再構築させます』


 なんだかもの凄く物騒なこと言われているような気がする。

 でももう口を挟めない雰囲気なのでじっと待つ。


『運命に関与しない事柄において、貴方の記憶を抹消する代価を補うため、次なる世界の言語知識を補填をいたします。また、今回のような不運な災事が起こることを危惧し、外部からもたらされる身体に有害となる要因、及び呪法除けの耐性を余命日数分与えます』


 あああぁあ、分からない。何を言われているのか分からない。

 つらつらと息継ぎも噛む事もなく女神様が何か説明してくれている。

 その間にも、僕の周囲には光が発生し、視界が白い光で前が見えなくなる。

 どうやら次の世界の言葉と余命年数分の何かの耐性を貰ったらしい。ニュアンス的に間違いじゃないはず。


『さぁ、いきましょう。……神の祝福が貴方に──』


【──ツァムテール】


 急に響いた声に女神の動きが止まる。

 同時に、僕の周りに発生していた白い光が消えた。

 女神様を見ると、こちらに向けられていた手の平から光を消し、腕を下げてしまう。

 不発に終わった転生の原因。割り込んだ声の主を探して辺りを見回すが、周りには誰もいない。

 女神様に視線を戻すと、顔を上げ、何もない虚空へ視線を向けていた。


【──何を……いるの?──……せないで】


 また、空間に声が響く。

 所どころ途切れて聞こえる声は、男のものだと分かるが、成人男性のような低さはない。高く張りがあり、子供の声のようだった。

 始めだけはっきりと聞こえた「ツァムテール」という言葉は女神の名前だろうか?

 続く声に、女神が反応している。

 声の主と何かを話している様子だが、女神の声は聞こえない。

 邪魔にならないよう黙って事態を見守っていると、


『…………。……どうやら、あの子にも理の意志を理解する心が残っていたようですね』


 長い長考の後、そう言って疲れた様子で女神が目を閉じた。

 話が終わったようだ。


『いいでしょう。不遇の魂への責を果たし、次の世界へ送り届ける。それを以って、あの子の贖いとしましょう』


 女神様の視線が僕を射抜く。


『貴方を次の世界へ送り出す役割を、あの子へ委ねます』

「あの子とは……」

『此度の原因を招いた者です』


 それって、事故を起こしたのに拗ねて引きこもってる神に僕の今後の運命が託されるって話だろうか?


「え、えっと、あのっ!僕は女神様の方が……」


 僕が言い終える前に女神様が無言で目を閉じる。

 次の瞬間、女神様の姿は僕の前から消えてしまっていた。

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