25-夫婦が起こした奇跡
夜中、ガタガタと重い物が揺れるような音が聞こえ目が覚める。
音は遠い。だけど、僕の耳はしっかりと音を拾っていた。
この宿には、現在僕しかお客さんはいない。
となれば、音を立てた相手はレイナさん達の誰かになり、その可能性が一番高いのは……。
(デイムスさん、トイレかな……?)
それなら体を支えてあげたがいいんじゃないかと思い、そっと扉から廊下を覗く。
廊下の突きあたり。奥の部屋から蝋燭の灯りが漏れているのが見えた──と、同時に「くそっ!!」と、苛立ったようなデイムスさんの声が聞こえてきた。
──あの部屋はデイムスさん達の寝室だ。
「無理をしないで」
レイナさんの声も聞こえてくる。どうやらレイナさんも起きているようだ。
あの重い音は、デイムスさんが転びそうになって、棚にでもぶつかった音だろうか?
レイナさんではデイムスさんを支えるには体格に差があり過ぎる。トイレに行くのならお手伝いしたいところなんだけど……、今の雰囲気的に家族でもない僕が出て行くのは不味い気がする。
少し待ってみて、必要そうなら声をかけることにして、こっそり様子を窺う。
寝室の方からは、家具の揺れるような物音とレイナさんの心配する声が続き、そしてデイムスさんの荒い息遣いが僕のところまで聞こえてきた。
デイムスさんは苛立っているようだった。
……その気持ちが僕には何となく分かるような気がした。
デイムスさんが怒っているのは、今足を踏み外し転んだことでも、ましてや付き添っているレイナさんに対し八つ当たりしている訳でもない。
デイムスさんは自分自身に激高しているんだ。
そうだよな……。
デイムスさんは気丈振る舞ってたけどさ、ほんとは悔しいんだろうな。
デイムスさんは家族のために悪い足を引きずって、長時間の仕事に身をやつして頑張って来てたんだ。それなのに、元から悪かった足がさらに動かなくなるなんて……。
「立つ瀬がない……」
デイムスさんの声が聞こえてくる。
「……話を聞いたよ、今日は新しいパンを作ってたんだってな……。こんなに、お前達が頑張ってくれてるのに、いつもその努力を俺が全部駄目にしちまう……。足ばっか引っ張っちまって……本当に、情け無い父親だ」
確かにレイナさんの負担は多いだろう。
宿の運営とパン屋を並走しながら、子育てに食事作り、その他の家事全般を毎日こなしている。
けれど、レイナさんから一言の愚痴さえも聞いたことが無かった。
夕食の席でもレイナさんは言っていた。家族としてデイムスさんを支える力になりたいのだと。
だが、その負担を全てレイナさん1人に与えてしまっている現状を、デイムスさんはずっと悔やんでいたんだ。
「はは……、こんな俺が2人目が欲しいなんて、夢を見たのがいけなかったのかもな」
(そうか、デイムスさんが仕事を延長してたのは……)
そのためでもあったのかと気付く。
店の客の数は少なく、余裕があるほど稼げているようには見えない。けど、宿とパン屋の収入に合わせデイムスさんの賃金があっても、デイムスさんが毎日休みなしで仕事を延長しなければならないぐらい、生活が厳しいのかと疑問に思ってたんだ……、そっか、そういうことか。
子供を育てるにはお金がかかる。2人目にもなればさらに必要になるだろう。
障害があるために正規の値段で雇ってもらえる職場が無く、毎日違う職場に通うデイムスさんの収入は不安定だ。今は仕事が受けられても、その状況が長く続く保証もない。
稼げる内に、休みを削り時間を延長してでも、仕事をして貯金がしたかったのか。
宿代を僕のような子供に頭まで下げ、元の値段で交渉するぐらい必死だったんだ。
自分を責めるデイムスさん。けれど、レイナさんはもう一つの話が気になったようだ。
「あら、その話は私聞かされてないわ」
「いや、俺が勝手に思ってただけで……」
「私だって!レーリンに弟か妹を作ってあげたいわ。なんなら9人ぐらい欲しいと思ってるわ!」
これ、僕このまま聞いてても大丈夫かな?盗み聞きにならない?
レイナさんの堂々とした宣言に、今すぐ扉を閉めるべきか真剣に悩む。
でも、ごめんなさい。たぶん扉を閉めてても今の声なら聞こえてました。
「あ……、あははは……!」
レイナさんの勢いに圧倒されたのか、ついにデイムスさんの陰鬱とした空気が崩れる。
「……っははは……、それはさすがに多過ぎるだろう?」
「そうかしら?」
レイナさんは本気で9人ぐらい欲しいと思ってるんだろうな。
もう孫とひ孫の存在まで人生の計画に入れてるぐらいだし。
「はは……、……悪かった。レイナ」
「あなたは一人で背負い過ぎてるのよ」
レイナさんが静かな声で言う。
「心配しなくても、わたしも母親なのよ?」
「レイナ……」
「この先、もしあなたが働けなくなっても、私は新しいパンを作って、お店は人気店になってどんどん大きくなっちゃって、あなたは一日中パン生地をこねるだけで手一杯になっちゃうぐらい、てんやわんやになっちゃうかもしれないんだから」
「……そうか、そうなる、のかもな」
デイムスさんの声が一瞬震える。
「私はあなたの背には乗らないわ。あなたの横に並ぶの。あなたと私でレーリンを肩車したら、きっとどこまでも歩いていけるわ」
少しの静寂──そして、
「あなた、お腹が減ったでしょう?」
「……あぁ、そうだな。そうだな」
デイムスさんがレイナさんの名前を呼ぶ。
「あ──」
これ以上聞くのはダメだ。
ありがとうか、あいしてるか……聞こえて来た声を、僕は扉を静かに閉めシャットダウンした。
※※※※※※※※※※※※※※
翌朝、夫婦の愛が奇跡を起こした。
昨日の怪我でデイムスさんは、お休みをもらっていた。
だから朝食は皆んなと一緒に食べることになっていたし、準備ができたら僕が部屋まで迎えに行くことになっていた。
なっていたんだけど──、
「自分でも信じられねぇんだが……、脚が動くようになったんだ」
朝食の場に1人降りて来たデイムスさんの姿に、全員がぽかん。
口と目を丸くして、杖も無しで立って歩いているデイムスさんを見て声を失くしている。
デイムスさん本人も信じられないとばかりに驚愕の表情。
足が動くことに気付いて飛び起きて来たのか、いつものきっちりとした様子と違い、髪のセットは乱れていて服もよれたままだ。
1番に正気を取り戻したのはレイナさんだった。
「あなた……!」
レイナさんがデイムスさんに勢いよく飛びついていく。
だが、デイムスさんはしっかり踏み止まり、体幹もブレない。
完璧に治っている!
「パパ……!」
「デイムスさん!」
僕たちもデイムスさんの側に駆け寄る。
「痛みどころか痺れもなんもねぇ……、どういうことだ?」
足を動かし、叩き、その場で軽くジャンプまでしてみるデイムスさん。だが、どの動きも昨日まで足が動かなかった人とは思えない軽やかさだ。
こんな奇跡があるなんて。
(奇跡……)
──こんな話を見たことがある。
あれは元の世界で見たテレビのエンタメ番組。世界の信じられない出来事をドラマで再現して放送した内容だった。
その中にも似たような話があったことを僕は思い出していた。
「聞いたことがあります。何年も半身麻痺だった人が、もう一度なんらかの刺激を受けたことで、途切れていたシナプスが復活してまた身体が動くようになったと──」
似た話は複数あって、全部が同じ理由じゃなったけど境遇は似ている。
「しなぷす?」と、首を傾げるレイナさんの横で、デイムスさんがハッとした顔をする。
「もしかしてだが、昨日の転倒で?」
「おそらく」
そう、僕が考えたのは、昨日の転倒によりデイムスさんが大きな衝撃を受けたことで、身体の中のなにかしらの細胞が影響され再起動したんじゃないかという推測だ。
たぶん間違いない。実際にそういった事例があったんだから、近からず遠からずだろう。
頷いた僕に、デイムスさんとレイナさんが顔を見合わせ、歓喜に声を振るわせ抱きしめ合う。
「なんて奇跡だよ……!」
「あなた、あなた良かったわね!」
2人の間にレーリンちゃんが駆け寄っていく。
「パパー!」
「レーリン!抱っこさせてくれ、ほら!もういくらでも高い高いだってできるぞ!」
デイムスさんがレーリンちゃんを高い高いした途端、レーリンちゃんの表情が崩れ、ぼろぼろと涙を流し始めた。
「う……ぅああぁあん‼︎」
「ど、どうしたんだレーリン!高すぎたか?!」
「ちが、ちがぅの……」
「そうよね、嬉しいのよねレーリン」
「ぅん……、うん……!」
「レーリン……」
パパも娘愛しさに感動で涙ぐんでます。
でも、ここは見なかったフリで。
レーリンちゃんを抱っこしたまま、デイムスさんが僕の方を見る。
「ノルン。お前にも世話になった、ありがとう。助かった」
「僕は何もしてませんよ。でも、ほんとうに、足が動くようになって、良かっ……」
雰囲気に呑まれて僕まで涙が出てくる。「おいおい、君まで泣き出さないでくれよ」と、デイムスさんが苦笑しながら、僕の頭をぐりぐりと撫でてくれる。
ほんと、申し訳ないです。でも、油断するとまた涙が……。
少し落ち着いたところで、第三者として冷静な意見も伝えておくことにする。
「念のため、もう一度病院で診てもらってくださいね。なるべく早めにですよ」
たとえ異常がなくても、やっぱりお医者さんから診断は受けた方がいい。
完治と太鼓判を押された方が安心もできるしね。
「ああ、そうだな。これから行ってくる」
「私も付き添うわ!」
「リーも!」
朝食も中途半端に、レイナさん達は病院に行く準備を始めた。食ってる場合じゃねぇ、ってやつだ。
でも、この時間から病院って開いてるのかな?
(これはお医者さんもびっくりの症例になるような気がするぞ)