21-新しいパン作り
僕が『やどや』に帰りついたのは、昼時をとうに過ぎた頃だった。
購入したチュロスの材料を片手に歩いていると、ふわりとパンの焼ける良い匂いが漂ってくる。
どこかの家でパンを焼いているらしい。まだ昼食を食べていなかったせいか、匂いに刺激された空きっ腹が空腹を訴えだす。
(宿に戻ったら、レイナさんにチュロスを作ってもいいか確認しよう……)
なんて考えている間にも『やどや』に到着──したところで、匂いの発生源がここだったのだと気付く。
見ると、テイクアウト用の窓口が開いている。ここから匂いが漏れていたようだ。
(こんな時間にパン?珍しいな……)
レイナさんは、いつも朝イチでパンを焼きは始め、昼までには当日分のパンはほぼ作り終えられるよう動いている。夜になると客足が減ってしまうので、夕方までに売れる量だけを作っているのだとレイナさんは言っていた。
なのに、今の時間からパンを焼いているということは、急な注文でも入ったのだろうか?
扉を開けると、パンの焼ける匂いはさらに強くなった。
香ばしい匂いがホールいっぱいに満ちていた。
「あら、おかえりなさい〜」
「おかえりなさ〜い!」
調理場に居たレイナさんとレーリンちゃんが僕に気付いて声を掛けてくれる。
その手には、出来立てのパンが並べられたプレートを持っている。
「この時間にパンを作ってるのは珍しいですね。急な注文でもあったんですか?」
「違うのよ〜、ちょっと新しい商品でも増やそうかなって気分になってね。今試作中なの」
「それは楽しそうですね」
それでパンを焼いていたのか。
調理場には、形成前のパン生地が3つ乗っていた。その周りにはミルクに砂糖、卵にチーズ。ボールに入ったドライフルーツやナッツが置かれている。
準備万端、レイナさんのやる気が伝わってくる。
それとは別に…………、今日はチュロスを作れなさそうなので、次のチャレンジに期待しよう。
「粉屋さんに行ったら小麦粉の値段が下がってたの。だから、この機会にと思って、いろんな粉を少しずつ購入してみたのよ」
レイナさんの言うように、カウンターの上には粉の入った紙袋が6つも並べてあった。
粉物は持って帰ってくるの重かったんじゃないかな……、やっぱり僕も付き合えばよかった。
レイナさんの話では、粉屋が新しく水車小屋を増設したそうだ。
水車で粉挽きなんて古典的だなと思ったが、ちゃんと意味があるらしい。
粉挽き用の機械を使えば効率は格段によくなるが、購入するにはそれなりの値段がする。
だが、水車であれば粉挽き機の半分の値段で済み、さらには、この国の水はタダで流れてくるので、粉挽きに回していた人員を割いた分だけ人件費が浮く、といった寸法らしい。
そこで浮いた人材費をまるまる懐に入れることはせず、顧客のために商品の値段を下げたと言うのなら、かなり良識的なオーナーさんじゃないかな?
きっと今回職を外れた職人さん達も悪いようにはなってなさそう。
レイナさんが、出来立てほかほかのパンが乗ったプレートを差し出してくる。
「ノルンも味見してみて」
「わぁ、いいんですか!」
出来立てのパンを食べれるなんて、すごく良いタイミングで帰ってきたみたいだ。
「好きなのを選んで」という言葉に甘えて、クルミの入ったパンをいただく。小ぶりだけど、満遍なくクルミが混ぜ込まれたパンは、一口目からその美味しさを僕に伝えてくる。
「おいしいです!焼きたてはまた格別ですね!」
お世辞じゃない、本当に美味しい。
焼きたてだからこそのふんわり食感と、クルミのカリッとしたアクセント、そして空腹のエッセンスによって、僕はぺろりと1個を食べ切った。
「こっちもたべてみて」
まだ口の中をもぐもぐさせている僕の横で、レーリンちゃんが同じプレートに乗ったクルミパンを指差してくる。
よく見ると、他のクルミパンより少しだけ型が歪んでいた。もしかしなくてもレーリンちゃんが作ったのかな?と思いながら、そっちもいただく。
「こっちもすごく美味しいよ!すごいふわふわ!」
「えへん!」
やはりレーリンちゃん作だったようです。こっちも味は変わらずとても美味い。
けど、今ならどれだけでも食べられそうな勢いでいる僕とは対照的に、レイナさんの表情はよろしくない。
「ただね~色々と粉を変えて作ってはみたんだけど、どれもお店に出すにはいまいちかしら……」
「充分美味しいとは思うんですけど……」
「でも、今うちに出してるパンとそれほど変わりがないのよね」
そう言って、レイナさんがカウンターに乗せられたプレートを見る。
プレートに並んでいるパンは、全部こんがり焼けた茶色一色だった。
「せっかくなら、バーンとびっくりするような……あとはそうね、パァッと幸せな気持ちになれるパンがいいかなと思うの」
バーンとパァッが、果たして1つのパンから得られるかはちょっと横に置いておいたとして……確かに、レイナさんの言う通り新商品というには珍しさは感じない。
色が茶色だから?インパクトが足りないのかな?
味はこのままでも充分美味しい……、でもそれは、他のパン屋もクリアするべき最低条件だ。
他のパン屋にも見劣りしない、思わず食べたくなるパンって何があったかな?
「なに、うなってるの?」
考え込む僕にレーリンちゃんが小首を傾げて聞いてくる。
「ん〜僕も少しだけならパン作りの経験があったから、何かインパクトのあるものがないかなぁって唸ってたんだよ」
それを聞いたレイナさんの表情が明るくなる。
「まぁ、それならもっと早くに声をかけるんだったわ!」
「いや、そんな期待されると、家庭消費する程度の出来でしかないので」
「うちと同じじゃないの〜。それに、そういうところから新たな発想は生まれるのよ」
レイナさん、なんてポジティブなんだ。
「それもそうですね!」
だが、その通りだ!これは僕も気合いを入れなければ!
僕は気合いを入れて作ったことのあるパンを思い出してみた。
ホットケーキ、ドーナツ、ベーグル、揚げパン、サーターアンダギー、マフィン、メロンパン、カツサンド……クッキー、プリン、アメリカンドッグ──待った、途中からお菓子になってきてる。
母さん──だと思うけど、家族の誰かが料理好きだったから、僕も子供の頃から一緒に作って遊んでたんだよね。
母の言う通りに作ってただけだし、迷ったらレシピを見てたから、今ここで完全再現とはいかないけれ ど、似たものならどうにか僕でも作れるはず。
条件は、持ち帰れて、気軽に作れて、売れそうなもの。
そうなるとホットケーキは難しいかな。
ベーグルは他の店にもありそうだから後回し。
『やどや』には惣菜パンが一つもないから、チャレンジしてみるのも手かもしれないが、こっちも基本は揚げるか蒸すか……となれば、専用の調理器具が必要になる。
揚げ物系は、油を大量に使うし、レーリンちゃんが調理場を出入りするからもう少し大きくなってからがいいかなぁ?
あとは菓子パン系だけど、これはどこの店でも簡単に作れるし……。
「ん……?」
そこで僕は、偵察したパン屋に並んでいた商品のレパートリーを思い出した。
なぜだか分からないが、菓子パンの種類が異様に少なかったような気がする。
「レイナさん、このお店の菓子パンってマフィンと木の実を練り込んだパンの2種類ですけど、他には増やさないんですか?」
菓子パンならレパートリーは無限大だ。だけど、他のパン屋でも菓子パンの数は少なかった。
そのことをレイナさんに話してみると、「それはこの国の砂糖が輸入品だからって理由があるからかしら」と話してくれる。
「この国では砂糖は完全輸入品なの。北と西では量産もしてるんだけど、輸送料がついて割り増しになるのよね。輸入だから在庫も不安定だから。
手に入れられなくはないけど、自宅で使う分に残しておきたい、だから商品では積極的に使いたくないっていうのが本音かしら」
「砂糖を使う料理は多いですからね、自宅での使用が優先になるのは仕方ないですね」
「それでも昔よりはずっと値段も下がったのよ。でも、今は砂糖を紅茶入れて飲むのが一般的かしら。紅茶にふんだんに砂糖を入れて飲むのが、上流階級の人達には人気なのよ」
なるほど、安定して入手できなくて、他の材料より少し割高となれば、商品に菓子パンが少なくなる理由も納得だ。
けど、お菓子を作らずに、紅茶の方に入れちゃうなんて……。
「ある意味で贅沢な使い方ですね。もったいないですよ、紅茶には甘い菓子が付きものなのに、紅茶の方を甘くするなんて」
「うふふ、甘いクッキーもあまり見かけないわね。紅茶と合うドライフルーツやスパイスの効いたクッキーが人気なの。でも、自分達で食べる分には、皆んな惜しまず使ってるんじゃないかしら?」
菓子パンの話題を出した僕の意図に気付いたレイナさんが、顎に手を当て僕に聞いてくる。
「ノルンは甘い菓子パンを作った方がいいと考えたのね」
「他のパン屋を偵察した時にも、そんなに種類がなかったのでどうかと思ったんですが、自宅用がなくなってしまっては意味がないですよね」
「大丈夫よ。少し材料費はかかるし、砂糖がない時には作れないけど、今は輸入も安定してきてるもの。きっと他のパン屋でも、菓子パンが増え始めるのは時間の問題ね」
おや、この話の流れはもしや。
「じゃあ──」
「試しに1つ菓子パン、いっちゃいましょうか!」
さすがレイナさん思い切りがいい。
そういえば初めてこの宿に来た日、レイナさんに値段を聞いた時も、悩んだ様子はあったけど最終的には思い切った値段を言ってたもんな……アレ、この宿で客が泊まる上で必要な最低金額だったんじゃないか?利益を抜きの……。
さっそく戸棚の中から砂糖の入った壺を取り出し、持ってきているレーリンちゃん。
挑戦のためなら自宅の砂糖を躊躇なくベットする姿勢は、母子揃って実にたくましい。




