2-最後の夏休み
到着したキャンプ場は、想像よりもずっと広々していた。
木の生えていない整備された大地が広がり、奥の方に見える森林には、バンガローらしき建物が並んでいる。
山の中というよりも、森林公園のような馴染みやすさがあった。
客層は、夏休み真っ只中なだけあって親子連れが多い。小学校入りたてぐらいの、小さい子も結構見かける。
このキャンプ場は「区画サイト」という、あらかじめ使用できる敷地が決まっている種類のキャンプ場なのだという。車の横付けOKで、不要なら駐車場も利用できる。なかなか自由度が高い。
その代わり値段が少し高かったけど、タンス貯金を切り詰めたら夏祭りでたこ焼きを買えるぐらいの金額は残せたから問題なし。
僕らの敷地は、広場の端寄り。
整地の使い易さに背景に広がる森と、良い塩梅にいいとこ取りした場所だった。
先にテントとタープの設営をする。男2人だからか設営は直ぐに完了。
横付けした車から荷物を降ろしていると、隣の敷地から小さな悲鳴。見ると、テント設営中らしい熟年のご夫婦がしゃがみ込んでいる。
どうやらテントのポールが破損した様子。正章に相談すると、どうにかできるかもとのことで、ご夫婦に声を掛けお手伝い。
正章が壊れたポールをリペアして、男手3人でちゃっちゃと設営。お礼にスイカのおすそ分けを貰ってしまった。
人情って悪くない。旦那さんに捕まり腕を取られ肩を叩かれながら「お兄ちゃん!腕がいいなぁ!」なんて礼を言われている正章も満更でもない顔をしている。
自分達のテントに帰って、準備の続きに戻る。
食後のデザートを得たが夕食にはまだまだ時間が早い。
だから、僕らはこの時間で鍾乳洞を見に行く予定である。徒歩では無理だが、車なら陽が落ちる前に余裕で戻って来れる距離にあるらしい。
周りのキャンパー達も、魚釣りの道具やハイキングのを準備していた。
僕らは車でそのまま移動だから大した準備は必要ないけれど、キャンプ場に戻ってきてからもたつかない様に、調理の準備だけはしておかないといけない。
食材や貴重品を除いた、コンロや鍋などが入ったBOXを正章が車から下し、下ろした荷物を僕がタープに運び設置。
何往復かして、ようやくタープ内がそれらしくなってきた。
「よし、これで最後だな」
最後の荷物を降ろし終えた正章の横──荷室の中に覚えのない保冷ボックスを発見した。しかも、結構大き目。他の荷物に埋もれていて気付かなかったみたいだ。
「あきしょー、こっちには何入ってんの?」
乗せただろう本人に聞くと、開けてみろと顎で指す。許可が出たので、遠慮なく残された保冷ボックスの蓋を開けて見る。
中身を見た僕は自分の目を疑った。
「こ、これは!ブルジョワ肉!?」
ブルジョワ肉、もといブロック肉。
自分で好みの厚さに切って食べる、高級肉ですよ!豚でも鳥でもない、牛!サシの美しいつやつやとした赤肉が輝いて見える。
「ま、眩しいっ、何だこの輝きは……」
「ラップが反射しているだけだろ」
「ちょっと現実に戻さないで欲しいんだけど」
これは近所のスーパーで売ってるデカさじゃない。僕のカレーを鼻で笑われる訳ですよ!
でも、キャンプと言ったらカレーしか思い浮かばない庶民の僕には、ちょっと敷居が高く感じたり。ミディアム?レア?焼き加減の正解か分からない……。料理担当を名乗り出た身としては、ちゃんと焼けるか不安になってくる。
けれど!友人の、いや親友の気持ちを無駄にしはしないとそう決意した!
「誠心誠意、心を込めて焼かせていただきます」
お肉様を天に掲げ崇めていると、横から伸びてきた正章の手に回収された。なに?と、振り向けば、
「お前はこっち」
そう言って、代わりに軽い箱を乗せられる。
「……カレールー」
見慣れたパッケージのカレールー(辛口)。そして、正章が持ち上げて見せるジャガイモ1袋。
それを見て僕の目が輝く。
「庶民の心が分かってるね、心の友よ!」
「俺も庶民だよ。お前にこの肉をあずけるのは早すぎるからな」
「そっちが本音だろっ!」
そうは言っても、焼き方に自信がないのは見抜かれているだろうから、高級なお肉は経験者に任せるとしよう。
僕が普段作るカレーは、野菜ごろごろカレー。その時期に合った野菜を沢山入れて、肉はその日の時の気分で牛や鶏に変えて入れる。辛口か中辛のルーに、少しの甘みを付けるのが僕の家流。
普通だって?プロじゃないんだから、このぐらいでいいの。
貰ったスイカに豪華なお肉。夕食の楽しみが2つも増えた。
それじゃあ、そろそろ鍾乳洞見学へ向かいますかと車に乗り込もうとすると、目の合った隣のご夫婦がまたお礼を伝えてくる。正章が爽やかに対応しながら、夫婦に少し出かける事を告げていた。近くにいる人の目は防犯の意味でも役に立つらしい。
いってらっしゃいと送り出され、車に乗り込む。
※※※※※※※※※※※※※※
鍾乳洞は、山道を下って麓まで降りた先にある。来た道を下って麓に降りなくても、別に鍾乳洞近くまで繋がる下り道路があるのでそちらを使う。
下り道はカーブが多かったけれど、ほぼ一本道で対向車も少なくスムーズに進めた。
カーナビからポーンと、軽い音が鳴る。
『300M先、目的地です』
「あれ、もう到着?」
「いや、そもそも設定してないんだが……」
「何それコワっ!」
しかし、道はこの直線しかない。
少し気になったけれど、キャンプ場への行き道でもカーナビは逆方向を案内していた。これぐらいの誤作動はよくあるのかもしれない。
そのまま道に沿って進むと、300m程走ったところに橋が架けられていた。
30m程の鉄骨製の赤い橋。橋の入り口には自動販売機と、車が2台ほど停められそうなスペースがある。
正章が橋の中央まで進み、車を止める。
窓から外を眺めると橋の下には渓流が流れていた。渓流の先には滝壺があり、その先には橋よりも高い滝が見えた。
「滝だー」
「……おかしいな。行き道に滝があるなんて聞いてないぞ」
「最初の曲がり道が逆だったとか?」
「んー……少し、調べる」
そう言うと、正章は車をバックさせ橋から降りると、橋の入り口にあるスペースに横付けする。
僕は正章が調べている間に車から降り、橋の入り口にあった自動販売機でコーヒーを1本買ってみる。
気になることがあるのか、難しい顔をしている正章に息抜きに渡す。
何か出来ることはないかと聞いたけど、カーナビ設定するだけだから大丈夫とのことでした。
しばらく時間ができた。
せっかくなので橋の真ん中まで歩き、渓流を見下ろしてみる。
橋の高さは100mぐらいあるだろうか、そう考えると橋よりも上から流れているこの滝は150mぐらいありそうだ。
橋の向こう側には、まだ道が続いている。
すぐ先の道がカーブしていて、奥が何処に続いているかは確認出来ないけれど、このまま進んでみるのも楽しいかもしれない。知った道に合流するかもしれないし。
もしも道が分からなかったら正章にそう提案しよう、なんて呑気なことを考えていると、車の扉が開く音が聞こえた。
振り返ると、車から降りた正章がコーヒーを飲みながらこちらに向かって来ているところだった。
片手を上げ、
「おい、────」
正章が僕の名前を呼ぼうとした時だった。
突然、僕を強い耳鳴りが襲った。
「くっ……!」
空気が震えるようなキーンという高音に苦鳴が漏れる。咄嗟に両手で耳を抑えたが耳鳴りは止まない。押さえた手の平が耳の中に入った音を封じ込めているかのように、頭の中で音が反響しどんどん酷くなっていく。自分の発する声までが内部でこもり煩わしい。耳の奥でガラスを引っ掻かれているかのような苦痛と不快感。
自分の呻き声の間で、カンッという何かが落ちた音を微かに拾う。
意識が向き顔を上げると、正章も両手で耳を抑え蹲り顔を顰めていた。落ちたコーヒーの缶が円を描きながら中身を溢し橋を茶色に染めている。
「……あ、き………っぐ、ぅ………!」
正章に近づこうとした途端、耳鳴りが一層酷くなる。
頭の中で聞こえる自分の声さえ煩くて堪らなかった。
身動きの取れないまま、どれぐらい蹲っていただろうか。
次第に、耳鳴りが引いていく。
「……なん、だったん、だ……?」
耳の奥にまだ違和感があった。意識を飛ばしそうなほど強い耳鳴りを経験したのは始めてだ。
ふらつきながら手摺りを支えに立ち上がると、徐々に滝の音が耳に戻ってくる。その音に混じって、うめき声が聞こえた。
「……ぐっ……ぅ……」
「あきしょー?!」
声の主は正章。正章はまだ耳鳴りが続いているのか、地面に膝をつき頭を押さえている。
食いしばった唇からは苦鳴が漏れ、顔色は土気色で額には大量の汗が滲んでいる。明らかに様子がおかしい。原因は耳鳴りじゃないのかもしれない。
「あきっ──」
そう思い、正章の元に駆け寄ろうと足を踏み出した瞬間、地面を突き上げるような激しい衝撃が走った。
地の底から悪魔が唸るかのような地鳴りと共に、地面が激しく揺れ動く。
「今度は、地震……!?」
立っていられず思わず橋の手摺にしがみ付く。
揺れる視界でどうにか正章の姿を捉える。正章はまだ動けずにいた。
そして、見てしまった。
正章の背後で、橋を横断するほど大きな亀裂が走ったのを──。
気付けば僕は駆けだしていた。
正章にはよく、もっと頭を使えなんて言われたけど、こんな時に冷静になれる奴なんて超人かロボットぐらいだ。
それに、考えたって結論はどのみち変わらない。元が僕の頭なんだから、いくら考えたって無駄なんだ。
激しい揺れは長く続いている。
走る僕の足元でどんどん亀裂が広がっていくのも無視して駆ける。揺れで前に倒れそうになる身体を、地面に手を突き無理矢理起こし、橋の柵に肩をぶつけながら立ち上がる。
橋の鉄骨が軋む嫌な音が周囲に響き渡る。揺れでひび割れた出来たコンクリートの瓦礫や段差に足を取られそうになりながら、それでも足を踏み出す。
もう時間がない。
正章の後ろに走った亀裂が大きく割れ、正章を囲むようにヒビが広がっていく。
僕は正章に手が届く距離まで来ていた。
この揺れの中でよく辿り着けたと思う。人間やれば出来るってことを僕は証明してみせたんじゃなかろうか。
まだ動けずにいる正章の服を両手でガッチリと掴み上げる。
「ぅおおおぉぁあ!」
後はもう勢い任せだ。全身を捻るように振りかぶり、思いっきり亀裂の向こう──車の方へ正章の体を振り投げる。
距離が足りなかったならもう一度……!そう思ったが、自分よりも体格のいい正章を投げ飛ばした反動は大きく、肩から地面に倒れ込んでしまう。
さらに運の悪いことは続いた。
まるで僕が倒れた衝撃が引き金になったかのように、地面のひび割れが大きく広がっていく。
鉄骨が折れるけたたましい音と共に地面に着いた手が亀裂に飲まれ、ガクンと全身が傾いた。
視界がぶれる。
(あ……、落ち──)
身体が浮遊感に包まれ、重い何かが頭にぶつかる衝撃が襲う。
意識が途切れる間際、誰かが僕の名前を呼ぶ声が聞こえた気がした。