12-名前は……
外はとっぷりと日も暮れ。
さぁ夕食だとホールに降りて来た僕は、初対面となる旦那さんとテーブルで向かい合って対面していた。
ムキムキで額に傷のある浅黒い肌の大男を想像していたけど、全然違った。ひとつだけ合っていたのは、ナイスガイってところだけ。
燻んだ金の短髪に、長くキリリとした眉、切れ長の鋭い瞳はグレー。
元傭兵だけあって、均整のとれた無駄のない筋肉質な体に、引き締まった角張った顎──かなりのイケメン、いやイケおじである。
軍服なんて着てたら、映画俳優にでも間違えられてしまいそう。
そんなイケおじ──旦那さんは、元からあった眉間の皺を深め、
「すまん!」
テーブルに額をぶつけんばかりに頭を下げ、謝罪してくる。
「あの、払いますので、気にしてませんから。頭を上げてください」
そう、この謝罪は宿泊料の値上げを打診してのものだ。
安いと思っていた宿代だが、やはりと言うか奥さんが間違えてしまっていたらしい。
400札ならせいぜい馬小屋だと教わっていた手前、驚きよりも納得の方が勝る。
旦那さんが提示した本来の価格は750札。ほぼ倍だ。
交渉としては、今日の分は申告通り400札で、明日以降も泊まるのなら通常通りの値段750札に戻したい、ということだ。
一泊だけなら誤差として流せても、連泊となればそれだけ赤字が増していく。
今回、値段を提示したのが宿側だったこともあってか、旦那さんからは申し訳なさが全面に感じられる。
「頭を上げてください。まだ荷物を部屋に置いただけですし、今日の宿代も正規のお値段で構いませんから」
750札なら、元より探していた宿のレベルと一緒だし、やっと探し出した平均レベルのお宿を出るのは嫌だ。
「だが、それでは…………、ぐぅ……すまない」
「すいません……」
「ごめんなさい……」
旦那さんの背後で申し訳なさそうに立っていた奥さんとレーリレちゃんが、旦那さんに続いて頭を下げる。
「正規の値段で止まってくれるってんなら、すげぇ有り難い。あんたに甘えちまうが……、助かる」
「はい。──改めまして、これからしばらく宜しくね」
宜しくねの部分は落ち込んだ顔をしたレーリンちゃんに向けて。
気にしないでと気持ちを込めて、精一杯の笑顔で言うと、気持ちが伝わったのかレーリンちゃんが表情を輝かせる。
「あい!」
そのやり取りを見ていた奥さんと旦那さんもようやくホッとした笑みを浮かべてくれた。
「……にしても、よく家が宿屋をやってると気づいたな?」
「え?」
「看板無かっただろ」
看板?あったけど、なんで……ハッ──!
「一昨日に、看板の足が折れちまってから仕舞ってたんだが」
「リーのカンバンあったよ?」
「あー……、そうだな。いい看板だ」
娘の疑問に旦那さんが微妙な顔で言いよどむ。
看板は確かにあった──、でも宿屋とは書かれていない。
読めたのは僕の目に翻訳機能が備わってたからだ。普通なら読めない。
『やどや』とひらがなで見えた理由は、レーリンちゃんが作ったものだったからか。
「……あのピンク色の猫から、宿屋のオーラを感じたもので」
「リーの絵、うまかったー!」
「さいこーだよ、あの猫!」
「そうか?まあ別にいいんだが」
どうにか誤魔化せたと安堵していると、旦那さんが椅子を引き、僕の方へ身体を向ける。テーブルに立てかけていた杖を握り、自分の右脚を叩いて見せる。
「俺はこの通り脚をやっていてな、宿もパン屋も嫁さんに任せきりなんだ、何かあったらあいつに聞いてくれ」
「はい、わかりました」
奥さんから聞いてはいたけど、見た感じ利き脚っぽい。足を前に出したり膝の曲げ伸ばしは、ぎこちなくだけど出来ている。でも移動は杖が必須。必然的に片手も塞がってしまうだろうからなかなかに不便そうだ。
それでも、この家族から受ける印象は和やかだ。お互い支え合えているのが伝わってくる。
「俺はデイムス。娘のレーリンと嫁のレイナだ」
「よろしくお願いします」
「します!」
「はい!僕の名前は……」
名前を言おうとして、思考が止まる。
あれ、僕の名前ルーイから聞いたっけ?聞いてなくない?
アヒルさんバージョンのルーイと話してた時に、『ノルン』とか呼ばれてた気もするけど、僕のことだよね?なんの違和感もなく受け入れてた。
僕の名前はノルンで決定なの?
この世界、苗字とか要らないのかな?
疑問がとめどなく湧いてくるけど、一時中断!
「僕の名前はノルンです」
宿と一緒に僕の名前まで決まってしまった。
その後は、家族に混じって美味しい夕飯を食べた。
野菜がたくさん入ったスープに、大きなフランスパンみたいな固めの輪切りのパン、ベーコンエッグとサラダ。
旦那さんはこの大きいパンを3口で食べていた。レーリンちゃんは野菜を嫌がることなく完食し、奥さんはサラダの色が見えなくなるぐらいドレッシングをかけていた。
話の流れで今までは何所にいたんだとか、出身国を聞かれたときは焦ったけれど、田舎の山奥に住んでいたと言ってどうにか誤魔化せた。
ひやひやしたことはあったけど、とても楽しい団らんだった。
ここを見つけられてよかった。
部屋に戻り、備え付けてのベッドに横になる。スプリングのないベッドはマットが固めだったけれど、かなりサイズが大きかった。デイムスさんサイズ。
枕に顔をうずめると、柔らかいお日様の匂いがした。
「…………」
……思い返すと、今日は怒涛の一日だった。
死んだと聞かされ、神さまに会って、友達が出来て、新しい体に、新しい世界──。
ようやく1人で落ち着ける……そう思考が過ぎったところで、僕は限界を迎えたのか、気付けばそのまま眠ってしまっていた。