ギャラクシー・ファンタジー・フォトン・ワールドについて
世界は、電子記号のようなものでできている。
しかし次なる地球はそんなものが通じない世界である。
なぜならば、次元が違うからである。
電子で大体のことが分かった世界ではない。
粒子でわかる世界になったということでもある。
それは簡単に説明すると、似た者同士が結びつく世界であるということでもある。
これは、とてもとても、美しい物語が世界中に散らばっているということでもある。
それが、観測者たちによって、今ある中世の世に広まっている。
それが本ということでもある。
本の作り方はおのおの検索してほしい。それがどんなに木を使っているのか君たちにはわからないだろう。
とにかくたくさんの木を使わなけばならない。それがどんなことを意味しているのか。
記憶を伝承させるために作られているのである。
記憶も、儀式で大体が解るが、しかし、人類を読み解くのが感ということはよくあることである。
そして、簡単にフォトンジャンプ、世界飛びをしているということは、世界はとても簡単なつくりをしていているということでもある。
そしてこんなにも世界ができているということは、誰かが物語のように作ったということでもある。
簡単な話、縁が導いてくれるということでもある。
ギャラクシー・ファンタジー・フォトン・ワールドでもわからないことがある。
それは平安の時代のことである。
ちょうど近世の感じが芽生えてきた世界であるにも関わらず、世界はまた日本のような島国がポツンポツンと作られたというわけでもある。
内陸は、交血を求めていない。
それが、どんなことを意味しているのか、数ある地球生物の中でもまたもや人類は同じ過ちを通ってきたということでもある。
こんな世界の解釈をしているのがイエスである。
「もう何度目だ」
さすがに身柄を青森にしていたところ、またもや平安の世がおかしくなっていることに気が付いた。
血で血を洗う戦争がまたもや日本で行われていた。
「もう無理だ、そうだフォトンジャンプ理論を現状でも使えるようにしよう」
魔術が彼の手によって製作された。
イエスが作って、広めていく作業が子孫たちの生き方になっていた。
そして話を現代に戻す。
ユタを名乗る人物が、タスクの中に、別の人格が芽生えつつあるということに気が付いた。
それがいずれ世界を壊すかもしれないという世界観につながっていった。
彼をどうするべきか、また地球会議になってしまったのであった。
学ばないのはイエスなのか人類なのか……




