97.思惑②
「……なんでそんな顔をするのよ」
ちょっと泣きそうに見えて動揺する。これまでにユウリを泣かせたことはあるけど、こんな風に泣きそうなところは見たことがなかったから。なんていうか、感情が溢れて涙になる、みたいなところ。
ただ、泣きそうに見えていただけで実際には泣いてない。
ユウリは手を握ったり緩めたりを繰り返して、やがてぎゅっと握りしめてからあたしを強く見つめてきた。
「ロゼリア様は、僕にとってあなた自身は不要な存在だと思っているんですね」
悲しんでいたかと思えば、今度は口調には怒りが混ざっていた。
ユウリはいつもどこかおどおどしていて、あたしの加虐心を煽るばかりだったから、こんな風に感情をしっかりと乗せてくることに驚いた。
態度には驚かされているけど、向けられた言葉は別に悩むようなものじゃなかった。
「あんたには酷いことしかしてこなかったわ。あんたの人生ではあたしは加害者だもの、当然でしょ」
「そうだった時もあるというだけです。今はそうじゃないし、今のあなたは僕を尊重してくれるじゃないですか……!」
「──ユウリ」
名前を呼んで一歩近づく。以前なら、あたしがこうやって近づくとユウリは青い顔をして怯えていた。
今は怯むこともなく普通の顔をしてあたしのことをしっかり見ることが出来ている。
あたしがユウリを傷つけなくなって、ユウリにもそれが伝わっているからだわ。あたしが二度とユウリに手を上げないと思っている。それも間違いではない、けれど……。
手を伸ばしてユウリの首に触れた。ぎくり、とユウリの表情が強張ってしまう。
「どうして、あたしがあんたの首を二度と絞めない、って信じられるの? ……あたしが以前のようになったら、一番痛い目を見るのは自分だと思わない? ユウリはもっと自分の身を守ることを考えた方がいいわ」
そう言って手を離す。ユウリは少し青い顔をして、あたしが触れた首筋を撫でていた。
……あたしがしたことを忘れたわけじゃないでしょうに。
ユウリは黙り込んだまま、あたしをじいっと見つめていた。恐怖が蘇って何も言えないみたい。流石にやりすぎたかもしれないわ。罪悪感を感じながらユウリに背を向けた。
「わかったでしょ。あたしはあんたの傍にいない方がいいの。ああ、仮にあたしがどこかに行っても、あんたたちのことは伯父様に頼んでおくから心配しなくていいわよ。──わかったら、キキを呼んできて頂戴」
「……わ、かりません。ロゼリア様……!」
離れようとした手を、ユウリが掴む。少し後ろに引っ張られるような形になってしまったので渋々もう一度振り返った。ユウリの焦った顔がある。
「どうしてそうやって突き放したり優しくしたりするんですか……!?」
「その方がいいと思ってるからよ」
「そんなの、僕は混乱します。ロゼリア様に対してどうして良いかわからなくなります」
「わからないままでいいわ。ほどほどの距離感でいたいのよ」
憎まれてしまいかねない距離感も困るし、近づきすぎても困る。自分のやったことを思い出して辛くなるから。
手を離してと言う代わりに手を揺らしてみる。が、ユウリは離すどころか更に強く握ってきた。今のあたしからするとユウリの方が何を考えてるのかわからないわ。
「ユウリ、あたしもあんたが何を考えているかわからないわ」
「……今はあなたのことを考えています」
「そうじゃなくて……」
そりゃそうかもしれないけど……! 呆れて言うと、ユウリが何故か恨みがましい目でこっちを見てくる。
なんでこんな目で見られるのかもわからなくて、更にこっちが混乱してしまった。はぁ、と溜息をついてから、もう一度手を揺らす。離せってアピールだけど、ユウリが離す気配はない。何なのよ……。
「あんたはどうしたいの?」
「どう、って……」
「あたしはあんたと適切な距離を保ちたいのよ。そうじゃないとまた手を出しそうだからね。けど、今のあんたはあたしと距離を縮めたがっているように見える。──ねぇ、ユウリはどうしたいの?」
「……わ、かりません」
「なら、あたしの意思を尊重して頂戴。その方があんたにとってもいいはずよ」
呆れたままで言うと、ユウリは無言で首を振った。……子供じゃあるまいし、本当に何なの……。
ユウリは何も言わずにあたしを見つめて、そして更に距離を詰めてきた。目の前にユウリの整った顔があって一瞬だけドキッとしてしまう。これは驚きのせい!
じっと見つめられて、視線を逸らすこともできなかったから、必然的に見つめ合うことになる。
ユウリは少し迷っていたようだけど、やがて意を決したみたいに口を開いた。
「他の誰かみたいにあなたへの感情ははっきりさせられません。どうしたいかなんてすぐ答えは出ません。あなたがここ数ヶ月でかき回したからです。
……でも、このまま手が届かないところまで離れて欲しくないと思うんです。
怖かったのも、痛かったのも忘れてません……でも。だからこそ、ロゼリア様は僕の我儘をもう少しくらい聞いてくれてもいいはずです……!」
ユウリはまた泣きそうな顔をしている。離れて欲しくないという言葉通りにあたしの手を掴む手に更に力が入っていて、ちょっと痛いくらいだった。
我儘……。我儘……?
離れて欲しくないって言うのが……?
「……あんた、マゾなの?」
「違います……! そうじゃないです、なんでそうなるんですか……!
僕がどうしたいか決めるまで待っててくれてもいいんじゃないですか、それくらいしてくれてもいいんじゃないですか、ってことです! ちょっとでも罪悪感があるなら!!」
うっかり出てしまった疑念に対し、ユウリは言葉を重ねるごとにヒートアップしていった。
何か言うたびに近づいてくるものだから、その圧に負ける形であたしは数歩下がる。けれど、ユウリがその分近づいてきて追い詰められていくような感覚があった。
ユウリのこの言動に驚きすぎてしまって言葉が出ない。
現実逃避をするみたいにゲームの中のユウリを思い出していた。アリスのことを心配するあまりに声を荒げるシーンがあって、そのシーンのアリスはびっくりしていた。ユウリがこんな風に言うなんて、と。追体験をしている気分になるものの、「そうじゃないでしょ……!」と『前世の私』が今の状況を拒絶してくる。
気がつくと、ユウリはあたしの両手を握りしめてぎりぎりまで近づいていた。
ち、近い……! 何なのよこれは。
ハルヒトともちょっと揉めて、ユウリとも今揉めて? なんかヤバい方向に行ってない? 憎まれてるとか恨まれてるとか嫌われてるって感じじゃないけど……そわそわする。良くない気がする。
何も言えずにいると、ふとメロの言葉を思い出した。
「簡単に謝らないで欲しい」という言葉。ユウリが言いたいのって同じことなんじゃないかしら。そう思ったら少し冷静になれた。
「……わかったわ。あんたがどうしたいのか決まるまでは待ってる」
「はい、お願いします……」
「でも、あたしなりの考えもあるのよ。あんたは納得できないでしょうけど……」
「わかってます。それでもいいです。全部ご自分で決めて、ある日突然いなくなることだけはやめてください。気持ちのやり場がなくなるので……」
ユウリはそれだけ言って俯いてしまった。
これで一旦話が終わると思ってほっとする。しかし、ユウリにとってあたしなんてさっさといなくなった方が良いと思ってたから意外だわ、本当に。
とりあえず手を離して欲しいのよね……。
「ユウリ」
「はい、キキを呼んできます」
「よろしくね。で、その前に手を離してくれる?」
「え」
ユウリは間の抜けた顔を上げて、自分が握っているあたしの手とあたしの顔を見比べる。どうやらあたしの手を握っていることに気付かなかったらしく、赤くなったり青くなったりしながら手を離した。
あたしは小さく息をついて、握られっぱなしだった手を軽く揺らす。
「も、申し訳ございません……」
「いいのよ、気にしてないわ。ジェイルも似たようなことしてたし」
勢い余って(?)手を握ってきたジェイルとその顔を思い出す。あれも何だったのかしら。確実に周りとの距離感がおかしくなってきてるから、適切な距離を保たないと……。
そんなことを考えていると、目の前のユウリが苦手な食べ物でも出された時のような嫌そうな顔をしていた。
「……何よ、その顔」
「ジェイルさんと同じ、ですか?」
「同じとは言ってないでしょ。似たようなことって言ったのよ」
「ロゼリア様、僕はジェイルさんとは違うので……」
「? そりゃそうでしょうよ。わかってるわ、そんなの」
「そうじゃな──いえ、何でもありません。キキを呼んできます……」
ユウリは何だかとてもがっかりした様子で部屋を出て行った。
ジェイルとは結構仲がいいから気にするようなことじゃないと思ってたけど、なんか微妙な反応だったわね。
なんかどっと疲れた……。
あたしはソファに座り込み、そのまま横になった。
 




