96.思惑①
ジト目でハルヒトを見ているとハルヒトが困惑と呆れと混ぜたような表情を見せる。ますます何を思っているかわからなくて眉間にシワが寄っていたことだろう。
ハルヒトは溜息をついてから、ゆっくりと口を開いた。
「そんなに変なことかな。君の恋人になりたいって話」
「そりゃそうでしょ。あたしのこれまでの噂を聞いてて、そんなことを言い出すなんて……正直ちょっとおかしいわよ。──あんたはこれまでの環境が特殊過ぎただけ。もっと落ち着いてから、ゆっくり自分のパートナーを探した方が良いに決まってる」
呆れつつ言う。
距離感を既に間違えてた気がしてちょっと後悔してる。食事とか、もっと別々にしておくべきだったんじゃないの、これ。
『ユキヤとロゼリアのデート』も大概解釈違いだし、『ロゼリアの恋人になりたいと言い出すハルヒト』も相当よ。仲良くしたくないわけじゃないけど、どうせならアリサと仲良くしてて欲しい……。かと言って、「アリサと仲良くしたら?」なんて唐突すぎる……。
そんなに渋い顔をしていたのか、ハルヒトがあたしを見つめて目を細めていた。
「噂とは全然違ってたよ、君は。反転して興味が湧くのはおかしくないんじゃない?」
「どうかしらね。ただ、あたしにその手の話を振られても困るのよ」
「どうして?」
「それどころじゃないから。それはあんたも同じだと思ってるけど?」
「でもロゼリアはデートするんだろ?」
「しつこいわね。必要だからするのよ」
自分自身がイライラしていくのがわかる。あたしは腕組みした腕の人差し指をとんとんと動かしてしまっていた。なんかハルヒトがやたらと『恋人』に拘るのにイライラしちゃう。あんたの選ぶ道はそうじゃないでしょ、という気持ちがあるから。
逆にハルヒトの方はあたしがこうまで拒否する理由がわからないって感じ。
普通嫌でしょ……と思うところだけど、あたしの以前までの行動、つまり男遊びをしていたという過去が足を引っ張ってる。多分。
ジェイルやメロ、ユウリあたりならもっとバッサリ切るんだけど、相手がハルヒトってこともあってあんまり変な態度も取れない。なんだかんだでハルヒトは『客人』だもの、無下には扱えないわ。伯父様に変な報告をされても困るもの。
そんなことを考え、もうここでハルヒトとの会話は打ち切ろうと決めた。
人がいないとは言え廊下の真ん中なのよ。これ以上こんな話をし続けるのはよくないわ。絶対話は平行線だし。
「ハルヒト、」
「──ハルヒトさん、墨谷さんが呼んでます。なんでも服の試着をお願いしたいとか……」
「えぇ? また? やけに服を用意してくれるけど、そんなに必要ないよ」
背後からユウリが現れる。びくっと肩を震わせている間ににこやかにハルヒトに話しかけていた。ちらりと視線を向けるけど、ユウリがこちらを見ることはない。あくまでもハルヒトに用があるって感じだった。
内心ホッとしつつ、少しだけハルヒトから距離を取る。
あたしの動きに気付いたハルヒトは意味ありげに笑っていた。
「申し訳ございません。ガロ様からハルヒトさんの衣装は一通り揃えるようにと言われているらしくて……」
「わかったって。いつもの広間?」
「はい、そうです」
「じゃあ、すぐ行くよ。──ロゼリア、この話はまた今度ね」
「いいからさっさと行きなさいってば」
ハルヒトは残念そうな顔をして背を向け、肩越しに手を振ってきた。一応手を振り返すけど、「今度」なんて言われてもこの話は永遠に平行線よ。
広間に向かうハルヒトを見送る。ひとまず助かったわ。
あたしの斜め後ろにいるユウリを振り返ると、ユウリは珍しく険しい顔をしていた。
「どうしたの?」
「いえ、ちょっと緊張しただけです。……墨谷さんからハルヒトさんを呼んでくるように言われたのは本当なんですが、お二人の様子が、なんていうか、その……」
ユウリは言い辛そうにもごもごと言葉を濁した。
険悪だったとか、ピリピリしていたとか、そんな感じよね。多分。外からどう見えていたのか、というのは考える余裕がなかったわ。……あたしもハルヒトも、もっとそういうのって意識しなきゃいけないはずなのに、お互いにちょっと余裕がないみたい。
一旦自分を落ち着ける意味も込めて、ゆっくりと深呼吸をする。それからユウリを振り返った。
「それは悪かったわね。でも、助かったわ」
「……よかったです」
ユウリが心底ほっとしたように、眉を少し下げて笑った。あら可愛い。あたしの場合、この「可愛い」が別方向に行くと虐めたい衝動に変わるから気を付けないと……。
ユウリに対して以前に比べればきつい態度を取ることはなくなった、と思いたい。あたしが一方的にイライラすることがなくなったからだと思うけど、ユウリが上手くやってくれてるのは気付いてる、流石に。
やっぱりなんだかんだで『良い子』だわ。ユウリは。
しみじみとそう感じていると、ユウリが何か言いたげにあたしを見ていた。首を少し傾げると、ユウリが少しだけ近付いてくる。
「……ロゼリア様」
こそ、とユウリがあたしに耳打ちをした。視線だけを投げるとそのまま話を続ける。
「ハルヒトさんがやたらとロゼリア様の恋人という立場に拘るのは、恐らく後継者問題から逃げたいからだと思います」
「……あぁ、なるほどね」
そっと離れるユウリを見て思わず笑ってしまった。ユウリは少し複雑そうに笑っている。
しっくりきた。
これまで正妻の悪意と敵意を浴びてきたハルヒトは八雲会の後継者の立場に興味がない。何なら煩わしいと思っている。現会長から指名されてからは更に過ごしづらくなって、治めている第八領を思いのままにできる立場は人によっては喉から手が出るほどに欲しい立場だけど、ハルヒトはそんな立場よりももっと安全な場所が欲しいのよね。
『九条ロゼリアの恋人』という立場になれば後継者から逃げられる可能性がぐっと上がる。なんせ九龍会はあたし以外に後継者候補がいないから、要は婿入りしたいんだわ。幸い、八雲会の現会長と正妻の間に一人娘がいる。ただ、まだ小さい上に、現会長はちょっと頭が堅くて女を後継者にするなんて考えてないから、あんまり娘には興味がないみたい。
「ユウリ、あんたよく調べてるわね」
「ありがとうございます。単なる想像ですが」
「いえ、多分当たってるわ。……体よく妹に押し付けたい、って言うと流石に言葉が悪いか……妹に譲りたいのね」
そう言うとユウリが困ったように笑った。
この話題もゲームの中で出てきてた。そう言えば、ハルヒトと妹の関係は悪くないのよね。普通の兄妹って感じだったと思う。妹の方は話題に上がるだけでストーリーにはそんなに絡んでこなかったから、ゲーム内での立ち位置的にはノアが近いかも知れないわ。
ハルヒトが妹に後継者の座を譲りたいのは理解できるし、正直本人には頑張ってもらいたいけど、あたしを巻き込まないで欲しい。あたしはそれどころじゃない。助けてあげたい気持ちはゼロじゃないけど!
「あの、ロゼリア様……」
「何?」
「差し出がましいのは重々承知しているのですが、僕はロゼリア様のパートナーを政略的に決めて欲しくありません」
……。……?
どういう意味?
あたしはゆっくりと首を傾げてユウリをじっと見つめてしまった。
「意味がわからないわ。最悪、伯父様に決めてもらってもいいと思ってるけど?」
「以前はそんなことは仰ってなかったですよね……」
「そりゃ以前はね? 色々あったし、考えだって変わるわよ」
「どうしてですか?」
「秘密よ」
さらっとそれだけを告げて周囲を見回す。いい加減こんなところで立ち話をしているのも嫌になってきて、一旦自室に戻ることにする。キキはユウリに呼んでこさせよう。
Uターンして自室に戻ろうとすると、ユウリがあたしの後をついてくる。ひよこみたいで可愛い。じゃなくて。
「ユウリ、キ」
「ロゼリア様」
「……何よ、本当に。でもちょっと待って」
まだ何か言いたげだったので執務室に入って、ユウリも中に入れてしまう。ユウリは大人しくあたしの後について執務室に入ってきた。あたしがこれ以上廊下で話をしたくないのが伝わったみたい。
扉を閉めてすぐ、あたしはユウリに向かい合った。
ユウリも真っ直ぐこっちを見ている。
「で。何? あたしのパートナーっていうか、結婚やら何やらなんてあんたには関係ないじゃない?」
「そう、かも、しれません……けど、最近のロゼリア様は少し極端です」
「優先順位がはっきりしてるだけよ」
「違うんです。見ていてたまに不安になるんです。南地区のことやハルヒトさんのことに片がついたら、ふっと消えてしまいそうで……」
「そんな風に見えるの?」
思わず口元に笑みが浮かぶ。まさにそんなことも考えていたからね。
無事に生き延びることができたら遠くに旅行に行きたい。何ならそのまま旅行先か、国外で過ごしても良い。とにかくゲームの中で描かれているストーリーを生き延びることが最優先で、他は結構後回しだと思う。
笑いながらの問いに、ユウリは控えめに「はい」と答えた。
そんなユウリを見つめてにこりと笑いかける。
「仮にあたしがどこかに消えたとしても、それこそユウリには関係ないんじゃない? むしろ、あんたにとっては伸び伸びできる環境になるかも知れないわよ」
あたしは、あたし自身がユウリたちにとって有害な存在だと理解してる。
だからゲームのストーリーを生き延びるまではせめて彼らにとって無害な存在でいたかった。もちろん、これ以上憎まれて殺されないために。それで、誰かがアリサことアリスとくっついてくれればそれでいい。
そう思ってるのに……なんでユウリは驚いた後で、そんな傷ついた顔をするのかしらね。
 




