92.秘密の話②
アリサの真っ直ぐな視線を受け止められなかった。
妙に緊張してしまったのと、心の内を読み取られてしまうんじゃないかと思ったから。そう言えば、攻略対象は口を揃えて「君は不思議だ」とか「なんでも話してしまいそうになる」とか言ってたわね。ヒロイン力ってやつだわ。
気がつくと、アリサがあたしのすぐ傍まで来ていた。
気配を消して近づくものだから、まるで瞬間移動でもしてきたみたい。びく、と肩を震わせつつ、あたしのすぐ傍で膝をついてこちらを見上げているアリサを見つめる羽目になった。
ふとアリサが伯父様に紹介された時のことを思い出す。喚くあたしの傍にアリサが来たんだった。
あの時と同じで、神秘的な赤い瞳から逃げられない。
「……っ」
「あの、差し出がましいようでしたら申し訳ないのですが……ロゼリア様こそ、何かお困りなのではないでしょうか……?」
気遣わしげな表情と声。
さっきみたいなわざとらしさは感じなくて、アリサがよほど上手く演技をしているわけでもない限りあたしのことを心配しているのが伝わってきた。
……最初、伯父様に紹介された時はそんな余裕なかったけど、あの時もアリサはあたしのことを心配したのかも知れない。不信感を抱いてもしょうがない態度だったのは間違いないんだけど、そんな気がした。
ただ、アリサの言う「困りごと」は、まさにあたしがデッドエンドを回避するために行動している今の話だから、言うわけにもいかない。
小さく深呼吸をして、にこりと笑ってみせた。
「そうね、色々と困りごとはあるわ。けど、あんたが気にすることじゃないの。……あたし自身の問題だもの」
「……その、わたしはまだ来たばかりでロゼリア様のお力になれないことは重々承知です。でも、もし、許されるなら……お力になりたいです……」
「……ありがとう。今は気持ちだけ受け取っておくわね」
ついうっかり喋りそうになってしまう。
さっき想像してしまったようにどう考えても『言わない』という選択肢しかない。ジェイルたちには理由なんて言わないまま付き合わせてるしね。
力になりたいって話は嬉しいんだけど難しいわ。理由を言わずにただ力を貸してとも言えないもの。
「自分のことは自分で解決できるようにするわ。……あんたはあんたの仕事をして頂戴」
そう言って肩を撫でる。触れた肩が僅かに震えた。
今の仕事って言葉には二重の意味がある。もちろん、あたしが二重の意味を込めていることはアリサには伝わってないだろうけど、多少は刺さったんじゃないかしら。
できれば、アリサには「今の九条ロゼリアは悪人ではない」という情報を持ち帰って欲しいのよね。そのためにも今のあたしが無害(多分)で、以前ほど我儘でも自分勝手でも傍若無人でもないという事実をしっかり見ていって欲しい。でも、屋敷内で不審な行動はやめて欲しい。
あとは……正直、『陰陽』に所属し続けることは考え直して欲しいわ。ゲーム内でも散々悩んでたもの。このままだとアリサがそのことに悩む機会がなくなりそうで、それはそれで悩ましい。
あれもこれも、って欲張るのは良くないのはわかってる。わかってるんだけど──……!
「アリサ」
「は、はい」
「仕事をしてって今言ったばかりだけど、何が何でも続けろってわけじゃないのよ。合わなかったら辞めていいし、もし他にやりたいことがあれば、そっちを目指しても良いと思う。あんたにとっては簡単なことじゃないかもしれないけどね」
アリサはぽかんとした顔であたしを見つめていた。
あくまでも今は椿邸のメイドの仕事という体で話をしてるんだけど、実際は『陰陽』での仕事のことを仄めかしてるのよ。アリサには絶対伝わらないけど! 自己満足よ、こんなの!
「ロゼリア様、どうして──……そんな、ことを、」
スカートの裾をぎゅっと握りしめるアリサ。
まさかあたしがアリサの正体に気付いているなんて発想はない、はず。
「キキからも墨谷からも、あんたはいい子だって聞いてるわ。あたしもそう思う。
どうせなら、生き生きと楽しそうに笑うのが見てみたいって思っちゃったのよ」
言ってから、冷や汗が流れた。
やばい。「楽しそうに笑うアリサを見たい」って、大体の攻略対象が言ってた! あたし、無意識にセリフをパクってた! ま、まぁ、これくらいセーフでしょ。ルート分岐後にもっといいセリフがあったし! 攻略対象がアリサに向かって言うから意味があるんであって、あたしがアリサに言っても無意味よ、無意味。
内心の動揺を悟られないように、あたしはアリサに微笑みかける。多分ちゃんと笑えてる。
「だから、アリサが楽しいって思うことがあれば教えて頂戴」
「は、い……」
アリサはやや挙動不審だった。なんだか動揺してるみたい。
そういうのを表に出すから心配なのよね……そう思っていると、自然と手が伸びて、アリサの頭を撫でてしまっていた。
アリサがびっくりして顔を上げる。
「あ、っと、悪かったわね。つい……」
「い、いえ、驚いただけなので……大丈夫です。……ロゼリア様の手は、お優しいのですね」
「えぇ? そんなこと初めて言われたわ。あんたも子供じゃないものね。今後はやらないから安心して頂戴」
アリサはちょっと残念そうにしながら笑った。
そして、何を思ったのか、あたしの両手を自分の手でぎゅっと包みこんだ。
流石に驚いて瞬きを繰り返してしまう。
「ア、アリサ……?」
「あの、先程仰ってたお困りごとは……きっと大丈夫、だと思います! だ、大丈夫じゃなかったら、わたしがぶっとばしてやりますから!」
多分、あたしは間の抜けた顔をしてアリサを見つめていたことだろう。
やけに熱の籠もった発言に、遅れて笑いがこみ上げてきた。肩が震える。
「……ぷっ。ぶ、ぶっとばす、って……!」
「わたし、実は結構腕っぷしには自信があるんです! だから、その、困ったことがあればわたしのことも頼ってください!」
笑いを堪えてるせいですぐに反応ができなかった。何で急にこんなことを……!
まぁ、腕っぷしに自信があるのは知ってるわよ。そういう風に訓練されてきたものね。それはあたしにとっては不安要素なのよね。でも、アリサの言い方がおかしくって一瞬だけ吹っ飛んじゃったわ。
あたしが笑いを堪えている姿を見てか、アリサが楽しそうに笑っている。
こんなことで楽しんで欲しいわけじゃなかったんだけど……。
そんな気持ちとは裏腹に、アリサはあたしの手を握る手に更に力を込めた。ちょっと痛いくらいだわ。
「ロゼリア様、わたしは──……」
「何?」
「……が、がんばりますっ! お仕事、早く慣れて、もっとお役に立てるようにしますね!」
何か言いかけたアリサは途中でぶんぶんと首を振ってから力を込めて言い、あたしの手を数回揺らしてから離した。
今の、何だったのかしら。
不思議に思うあたしを置いて、アリサはささっと立ち上がる。
「あんまり遅くなると皆さんに悪いので……あの、そろそろ」
「え、ええ。話ができてよかったわ」
「──はい! わたしも、ロゼリア様とお話できてよかったです。ありがとうございました。失礼しますっ」
「ええ、またね」
そう言って頭を下げ、アリサはせかせかと部屋を出ていった。
かなり私情の入った会話をしてしまったわ。けど、これでアリサが仕事の合間にうろつくようなことは減るはず。だってあたしに見つかってるわけだしね。
……アリサ、あたしのことを本当にどう思ったのかしら。
前までと違って悪い人間ではない、と判断してくれると良いのだけど……。
とりあえず、少し様子を見よう。キキにも聞いてみれば状況はわかるわよね。




