09.考えることは色々と
あれから一週間。
アキヲが妙な動きをしているという話はない。
一方でジェイルに命令して南地区の資料をあれこれと取り寄せてもらった。
本来ならこのくらいはあたしの手元にあって然るべきなんだけど、これまで本当にそれらしいことすらやってこなかったから、笑えるくらいに何もないのよ……。あるのは代行になった時に貰ったもの……この辺は情報が古い。
ジェイルはそんな状況に文句も言わず、嫌な顔ひとつせずに資料を用意してくれた。
「お嬢様、こちらが南地区内にある商会の詳細資料です」
「頂戴。今から見るわ」
「はい」
執務机の上にどんどん書類が溜まっていく……。
この世界の文化レベルはデジタル化が進む前の日本って感じ。携帯もパソコンもあるけど、どっちも高級品で一般には普及してない。だから、まだまだ紙が主流って感じ。
ただ、書類の山を見ても不思議なことに嫌悪感も面倒くささも感じなかった。
『前世の私』だったら「うわぁ……」って思うところなんだけど、『今のあたし』はあんまり嫌だとは思わない。
あたし、もといロゼリアは勉強が嫌でも苦でもないから。
ほどほどに頭が良くて、両親が事故死するまでの幼少時は両親に褒められたいがために、そしていずれ九条家を継ぐ人間として、勉強や習い事を頑張っていた。両親を事故で亡くした後も勉強をサボるようなこともせず、授業もきちんと受けていたし成績も上位をキープしていた。
と、言うのも、「勉強ができない」って馬鹿にされるのはプライドが許さなかったのと、元々ロゼリアは勉強は嫌いじゃなくて……両親の事故死でしばらく落ち込んだ後、勉強に没頭することで気を紛らわせていたって理由。
ただ、一年も経たないうちに勉強だけじゃ気が紛れなくなって、イライラしたり叫び出したい衝動に駆られる頻度が多くなっていった。それを発散するために周囲に当たり散らしたり悪い遊びを覚えていって今に至る。
ちなみに、ロゼリア、もといあたしは大学を休学している状態よ。今、21歳。
だからなのか、書類の山を見ても量の多さは苦じゃなかった。
……ここは『前世の私』じゃ考えられないことね。勉強は好きじゃなかったもの。
今見ているのは南地区、アキヲが管理しているとある会社の業績。あたしが代行になってから明らかに業績が伸びている。あたしの接待とか買い物、あたしに対するアレコレで儲けてたんだろうなって感じ。あたしが使う金は桁違いだから、かなりの上客だったはずよ……。
「……ふう」
「休憩されますか?」
「んー、こっちの商会リスト見てからにするわ。……あんたは見た?」
商会リストを手にしながらジェイルに聞いてみる。まあ、見ずに渡すなんて思わないけど。
ジェイルは執務机の前に立ってあたしを見つめる。報告モードだわ。
「はい、目は通させていただきました」
「何か気になることはあった?」
「ここ一年で随分と商会の数が増えているなと。しかも小規模な商会が……何か悪いことに使おうと、いえ、お嬢様とアキヲ様の計画に必要だったのだろうと推測できます。資金隠しとその流れを分かりづらくするため、というのが思いつきました」
「そう。で、そういうことに使われそうな商会って目星付く?」
「……いえ、流石にそこまでは」
そうよねぇ……。リストをまじまじと見つめてみても、どれもこれも普通の商会にしか見えない。どれがダミーでどれが普通の商会なのかなんて、資料だけじゃ見分けがつくわけないわ。
地道に調査をしていけばわかるんでしょうけど……そんな時間があるかどうか、そもそも調査に意味があるのかどうか……。
悩んでいるあたしを見つめたまま、ジェイルが更に口を開く。
「お嬢様、もう一つ別件のご報告です」
「ええ、教えて」
「アキヲ様の身辺を洗え、という指示ですが……正直芳しくありません。アキヲ様自身が秘密主義なのと、今回の件で大分周囲を警戒しているらしく、簡単に情報を得られる状況ではないようです」
「……そう、わかったわ」
絶対なんか悪いこと考えてるはずなんだけど、やっぱり警戒されちゃうわよね。先にそういう諜報員みたいなのを仕込んでから計画中止をすればよかっ──いやいや、そんな悠長なことをしてる余裕なんてなかったわ。
とにかく計画中止の方が先だったんだからしょうがない。
あたしは額を押さえて溜息をつく。ジェイルが何とも言えない顔であたしを見ていた。
真っ白なノートに「商会のこと」「アキヲのこと」と書き込んでから、「商会のこと」の下に「小規模な商会がここ一年で増えてる」「増えた中のダミー商会どうする?」「ダミーの見分けがつかない」「悪いことに使われる恐れがある」とメモのようなことを追加する。
けど、どうすればいいのかは何もいい案が思い浮かばないので隅っこにぐにゃぐにゃとミミズみたいな線を書いてしまった。
ペンを放り出して、無駄に豪華な執務椅子に凭れかかって天井を見上げる。
どうしよう……。
行き詰った雰囲気の中、控えめにコンコンと扉がノックされた。
ジェイルが扉の方に向かっていく。
「ロゼリア様、ユウリです。お茶をお持ちしました……」
「ジェイル、入れてあげて」
「はい」
ユウリがお茶を持って現れた。一息つきたかったから丁度良かったわ。
入ってもいいのかなって感じのおどおどした雰囲気のままあたしのいる執務机に近付いてきた。何かへの配慮なのか書類を見ないようにして、でも気になるらしくてチラ見してた。多少見られても大丈夫でしょ。
そこであたしは机の上が書類でいっぱいになっているのに気付く。
ちょっと困ってるユウリを見て、部屋の真ん中にある応接セットを指さした。
「そっちのテーブルにお願い」
「あ、はい」
ユウリが持っているトレイの上には一人分のティーセットしかない。別にあたし一人で飲んでもいいんだけど、何だか落ち着かないわ。
「ジェイルの分も追加で持ってきてくれる?」
「かしこま」
「お嬢様、自分は結構です」
「付き合いなさい」
「……承知しました」
問答無用で言うと、ジェイルはちょっと面食らいながらも了承した。
商会とアキヲのことをどうするのか一緒に考えて貰わなきゃいけないからね。
「で、商会のことをどうしたらいいのか、考えてみて頂戴」
「自分はあまりそういう方面に詳しくないのでお力になれるかわかりませんが……」
「いいのよ。あたし一人で考えたって限界があるし……ヒントでも何でもあればいいの」
行き詰まったあたしは疲れたように言う。
始まったばかりだというのに前途多難……。何とか芽を潰したいけど、いい案が思いつかない。
ユウリはお茶をテーブルに置いたところで用は済んだはずなのに、すぐ立ち去ろうとしない。何だかもじもじしていた。何か言いたいことがありそうだわ、何なのかしら。
あたしを見てはすぐ視線を逸らし、かと思えばまたこっちを見てくる……。いや、本当になに……?
「ユウリ、どうかした?」
「……、そ、その。……えっと、あの」
「聞いてあげるから言ってみなさい」
「……僕なんかが口を出すことではないのは重々承知なのですが……」
「いいから」
「は、はい。あの、ロゼリア様が気にされているダミー商会、……えぇと、いくつか買い取ればいいのではないかと思いました」
あたしとジェイルは揃ってぽかんとしてしまう。
え、急に何の話?
「商会の見分けについても、買い取る商会をこちらから適当に指定してもいいですし、先方に買取可能なリストを出させてもいいと思います。どちらにせよ何か見えてくるはずですし、ロゼリア様が南地区の管理のための商会ということにしておけば別段不審ではない気がします。それに、新たに設立するより買い取った方が資金的にも時間的にも節約できて、今用意しておくことで後々役に立つこともあるかと……用がなければ畳めばいいですし……」
買い取る? 商会を?
まあ、確かに売買はさほど珍しい行為でもないけれど……。
っていうかユウリ、まさかさっきの書類チラ見でそこまで考えちゃったの?! え、怖……!
あ、いや、待って。
元々ユウリってめちゃくちゃ頭がいいって設定だったわ。本当は学校に通ってちゃんと勉強したいし、何なら大学とかにも通いたいけどロゼリアがそれをさせてくれなくて、って言う……!
ユウリのことも何とかしなきゃって思ってたけど本当に忘れてた。
あたしは椅子から立ち上がって、委縮しているユウリに近づいた。ユウリはびくっと肩を揺らして、まるで小動物のように微かに震えてあたしを見つめてくる。
そしてその肩を問答無用でがしっと掴んだ。ユウリの目が真ん丸になる。
「それ! いい案だわ! ……あんたすごいわね。全然思いつかなかった……ねえ、ユウリ、あんたって勉強がしたいのよね? 学校通う? それとも家庭教師の方がいいかしら」
「えっ、ぃや、あの、僕、は、」
「あ、通信教育って手もあるわね。あんたはあたしの傍にいるよりもちゃんと学んで知識や教養を身に着けた方がいいに決まってるわ。さっきのを一瞬で思いつくんだもの、きっと地頭がいいのよ。ちゃんと育てないと勿体ないし、宝の持ち腐れよ。あたしが言うのも今更だし、あたしが言うなって感じだけど……まだ間に合うわ。ね? どう?」
言いながら、あたしはユウリをがっくんがっくん揺さぶってしまった。
そうそうそう!
アリスが「ユウリはやりたいことないの」って聞いた時、ユウリは「今からでも本当はちゃんと勉強がしたいんです」って答えた。勉強して、色々知識を身に着けて、それから将来のことを本当はちゃんと考えたい、って。でも、ロゼリアの傍にいる限りそれは無理だって寂しそうに笑ってたの。
だからアリスが「わたしがきっとあなたに未来をあげる」って……。
その直後のキスシーン、本当に良かった……!
ゲームのトキメキを思い出した興奮と、ユウリには望んでた通りに勉強させてあげればいいってことに気付いたあたしは二重に興奮していた。
ユウリを揺らしっぱなしでいると、ジェイルがあたしの肩に手を置く。
「お嬢様、その辺で……真瀬の顔色が悪くなっています」
「え、あ、……」
あたしは慌てて手を離した。見れば、確かにユウリの顔色が悪くなっている。気分悪そうに胸元を押さえて、あたしのことを捨てられた子犬みたいにちらちらと見ていた。
可愛い……この、絶妙に加虐心を煽る表情……!
あ。駄目、まずいわ。
あたしはふいっとユウリから顔を背けて、お茶を飲むべく応接椅子に腰かけた。
「……そういうわけで、援助は惜しまないから……何をしたいのか考えておいて頂戴。もう行っていいわよ、ジェイルの分のお茶持ってきて」
素知らぬ顔をしてティーポットからカップにお茶を注ぐ。自分でお茶を淹れてるのを見てユウリが「あ」って顔してたけど、別にこれくらいもういいのよ。
ユウリにこんなことを言うなんて思ってなかったのか、ジェイルが意外そうな顔をこっちに向けている。
「は、はい。では、あの、一旦失礼します……」
そう言ってユウリが一度部屋を出ていく。
ジェイルが何か言おうとして口を開いたところで、ちょっと慌てた様子でドアがノックされた。
「ジェイル様……!」
キキの声だわ。ちょっと焦ってるみたい。
ジェイルが不思議そうにしつつ早足で扉の前まで向かい、「お嬢様、一旦失礼します」と一度断ってから部屋の外へ出て行った。
廊下の方から何か話しているのは聞こえてくるんだけど何の話かはわからない。
……やだ。
南地区でトラブル発生とかアキヲが何かやらかしたとかじゃないわよね?
なべ、うま。