86.味方
ジェイルは何か考え込んだまま、それ以上何も言おうとしない。一体どうしたのかしら? あたし、まずいこと言った? けど、直属の部下だなんて立場は望んでないのよね。あたし自身、部下とか要らない立場になるかもしれないんだし……。
いずれはジェイルも開放してあげたいしね。今は南地区のことがあるから、付き合ってもらってるだけなのよ。
小さく息をついて、深刻そうなジェイルを見つめ返す。
珍しくジェイルはあたしから視線を逸らさずにいた。
「ジェイル、何か伯父様に言われたの?」
「……え?」
直属の部下なんて、伯父様が何か言ったからジェイルが思い詰めてるって可能性があるんじゃないの? 伯父様がジェイルに「ロゼの部下になれ」って言ったら、ジェイルは元気よく「はい!」って言っちゃうんじゃ……そうじゃなくても「どうだ?」なんて言われたら断れないわよ。きっと。
伯父様がそう言ったなら、あたしから断っておかないといけない。
けど、勝手に先走るのもよくないからジェイルの話も聞いておきたい。
「は? え、いや……あの、そういうわけではないのです。自分が、自分の意志で、お嬢様だけの……その、『味方』になりたいと思ったまでで……」
「……え。あ、ああ、そう、なの。伯父様が何か言ったわけじゃないのね?」
「はい、ガロ様のご意見は全く何も反映されておりません」
聞いてよかった。伯父様に変な電話かけちゃうところだった……!
……。……少し前から、ジェイルはかなりあたしに好意的な気がする……。多分気のせいではない。こないだ言われた「力になりたい」って言葉もやっぱり信じてよさそうだし、これまでのあたしの行動が評価されたってことでいいのかしら? もし、このままアリサとくっついてたとしても、あたしを殺すという選択肢は出てこない可能性が──いや、気を抜いちゃダメよ。
何かの拍子に評価が真っ逆さまに落ちて、底辺になる可能性だって常に頭の隅に入れておかなきゃ! 楽観的なのはよくない。
あたしは自分を落ち着ける意味も込めて深呼吸をした。
「あんたがそう言ってくれるのは……えぇと、なんていうか、嬉しいわ」
「恐縮です」
「けど、直属の部下だなんて……そういうのは、もっとしっかり考えるべきよ。あんたは三年くらいあたしの傍にいてくれたけど、これまで良い思いなんてしてこなかったでしょう? 今のあたしを評価してくれるなら尚更、せめて南地区の件に区切りがついてから考えても良いんじゃないかしら」
あたしはごちゃごちゃした考えをまとめ、言葉を選びながら伝えた。
未来で自分の選択肢を後悔して欲しくないし、その原因が「アリサを好きになったから」とかだったら、かなり辛いから今そんなことを判断しないで欲しい。
ジェイルと見つめ合う。表情は変わらなかったけど、色々と考えているのは伝わってきた。
「自分の気持ちは変わらないと思いますが、お嬢様がよく考えろと仰る意味はわかります」
「なら、この話はこれで終わりね。──今のままでもあんたは十分やってくれてるし、あたしも信頼してるのよ」
「ありがとうございます……」
礼を言う割に、納得した雰囲気じゃない。
何!? 何が不満なの!? あたしの直属の部下になったとしても「やっぱやーめた」って簡単には伯父様も許してくれないでしょうし、何よりジェイルの評価にも影響するんだから決断はいくら遅らせても良いはずよ。急ぐような話じゃないし、あたしもそんなこと急に言われても困るし。
ジェイルはあたしのことをじーっと見たまま再度口を開く。
「お嬢様、妙なことを聞きますが……」
「な、なに?」
なんだか普段のジェイルとちょっと違う気がしてやけにドギマギしてしまった。
正直、今のジェイルが何を目的にしているのかがよくわからない。
「お嬢様がご自身だけの部下に、と……俺のことを望んでくださる日は来るんでしょうか?」
「は? いや、それはどうかしらね? 伯父様のこともあるし、あたしは別にあんたに窮屈な思いをさせたいわけじゃないし……あ。それが伯父様からのあんたの良い評価に繋がるんだったら考えておくわ」
「ガロ様は関係ありません」
「え」
「ガロ様は関係ありません」
か、感じ悪い……!
ものすごい馬鹿にした視線でこっちを見て、これみよがしに溜息をつくジェイル。内心イラッとしてしまって睨んでしまった。
ジェイルはあたしの使っている執務机の前ギリギリまで近づいてきて、少し乱暴に机に手をついた。
ずいっとあたしに顔を近付けてくるものだから、驚いて思わず身を引く。けれど、椅子が重いせいで上手く下がれず、少しだけ身動ぎしただけになってしまった。
眼前にはジェイルの端正な顔があり、一層緊張する。
こんな間近でジェイルの顔を見ることなんてなかったから、やけにドキドキした。
「ジェ、ジェイ」
「お嬢様。俺は自分の気持ちだけをお伝えしているのです。……ガロ様は関係ありません」
低く、妙な圧のある声。
顔が近いせいで声がダイレクトに脳に響いた。
「あなたの力になりたい。あなたの言う、『あなただけの味方』になりたい。そのためにどうしたらいいのかを考えています。お嬢様さえ望んでくだされば、今すぐにでも立場を変えます」
イケメンがイケボですごいことを言っている。
ジェイルがそこまであたしのことを評価してくれていたなんてという感動と、いやいや未来はわからないんだから一時の感情に流されちゃダメという気持ちがせめぎ合う。
そしてそれと同時に、
──立場は違うが、俺はお前の味方だ。
というゲーム内でのジェイルのセリフを思い出していた。
椿邸でメイドとして働いているアリサの存在を思い出して一気に冷静になる。せめぎ合っていたものが一気にどこかに追いやられた。
そうだ、アリサがいるんだから、ジェイルの言葉が嬉しくても調子に乗ってはいけない。
「ありがとう、ジェイル。嬉しいわ」
至近距離でジェイルの顔を見つめて、口元に笑みを浮かべる。
すると、ジェイルは不思議そうに目を見開いた。
「お嬢様……?」
「でもやっぱり今はその判断をするタイミングじゃないと思う。──本当の意味で、あんたが『味方』になりたい相手がそのうち現れるかも知れないでしょう?」
「……、それがあなただと、何故信じて頂けないのでしょうか」
「以前のあたしの評価がひっくり返るほどのことをしたとは思えないからよ。今のあたしは、そこまで自分に自信が持てない。あんたに対してもね」
そう、そうなのよ。悪女だった頃のあたしの評価は残ったままなのよ。全てを精算しようと思ったらきっとかなりの年月を要する。たった数ヶ月でどうにかなったなんて思っちゃいけない。メロにも「簡単に謝らないで欲しい」って言われてるもの。それくらいのことをしてきたのよ。
ジェイルは深々と溜息をついてがっくりと頭を下げた。しかし、すぐに顔を上げてあたしを見つめる。
呆れと諦念、そして何か熱の籠もった視線だった。
「……わかりました。お嬢様がそう仰るなら、信じて頂けるまで付き合います」
「別にそこまで付き合わなくてもいいのよ。今のままで本当に十分」
「いいえ、付き合います」
「……あっそ。いい人ができたら、いつでも離」
「ありえません。絶対にお嬢様の傍にいて、お嬢様の味方であり続けます」
「……。……わかったわ」
妙な圧のせいでそれ以外の言葉が発せなかった。
やけに力強くて、確信を持ったセリフの数々に圧倒されてしまった。やっぱりジェイルの中のあたしの評価ってかなり良くなったってことよね。油断はできないけど。
ジェイルが机から手を離して、ゆっくりと離れていく。ようやく距離ができたことに内心ホッとしてしまった。
顔が近いのって結構緊張するのよね。表に出さないようにするのも一苦労よ。
そして、机一つ分の距離を取ると、ジェイルが微笑んだ。
う! 不意打ちやめて……!
「お嬢様、いつでも自分を頼ってください。きっとお力になります」
「え、ええ。……よ、よろしく」
「はい。では、ユキヤに連絡をしてきます。少し時間を置いて折り返すように伝えますね」
どこかスッキリした顔で背を向けるジェイル。
妙にふわふわした気持ちを抱えて、その背中を見送った。
 




