84.オフレコ⑪ ~ジェイルとガロⅠ~
ある日、ジェイルはガロに二人で話す時間を貰った。
ガロはハルヒトを連れてきて以降は基本的に本邸にいる。ただ、これまで出掛けていたツケがあるらしく、執務室で書類に囲まれているか、来客への対応で一日を終えており、あれ以来ロゼリアと話をする時間を持てていない。しばらくは第九領にいるからいつでも時間が取れると高をくくっていたらしかった。
本邸の一室。
畳ばりの小さな部屋。
ゆったりした着物に着替えたガロの前で、ジェイルは背筋を正して正座をしていた。
「どうだ? ロゼの様子は?」
「はい、翌日からはごくごく普通で……ハルヒト様にも、白木にも普通に接しています。あの日のように感情的になる様子は見受けられません」
「……何をあんなに嫌がっていたのか、わかったか?」
「いえ、全く……花嵜も真瀬もわからないと言っていました。お役に立てず、申し訳ございません」
「そうか、わかった」
ジェイルの答えにガロは少し寂しそうに笑った。
わかっていたとでも言いたげな表情だ。力になれなかったことを悔やむ気持ちもあり、ガロに対してもロゼリアに対しても中途半端だと自嘲する。それを表に出すような真似はしなかった。
ガロの手にはお猪口があり、酒が少量注がれている。それをぐいっと呷ってから、傍に置いてある徳利を手にする。
「お注ぎしましょうか」
「いや、好きに飲ませてくれ」
「は、承知しました」
そう言ってガロは手酌でのんびりと飲んでいた。つまみ的なものはなく、ただ酒をちびちびと飲んでいるだけだ。
ふう、と息をついてお猪口を持った手を下ろすと、ジェイルを見つめる。
「ジェイル」
「はい」
「お前の目から見て、ロゼは変わったと思うか?」
「──はい。この数ヵ月、お嬢様は変わりました。以前のような態度は少しも見られません」
「で、その変化っつうのは男絡みなのか?」
ジェイルは面食らってしまった。『湊ユキヤがロゼリアに言い寄っている』という話はユキヤの思惑通りに噂としてあちこちに流れている。アキヲもそれを聞いて機嫌よくしていたと言うし、ガロの耳に届いているのも自然なことだろう。
ガロにはもっと他にロゼリアについて気にするところがあるのではないかと思うが──姪の変化に男が絡んでいるという事実の方が見逃せないらしい。
「そうではないと……いえ、申し訳ございません。自分にはお嬢様の変化の理由については何もわかりません。お嬢様自身も口されませんし、付き合いの長い花嵜たちもわかってないような状況ですので……」
「わかった。しょうがないな、こればっかりは……」
ジェイルの目にはある日突然変わったように見えた。それはユキヤときちんと接触する前の話でもあるので、ユキヤが要因でないのは明白だ。
アキヲの目を欺くためにユキヤがロゼリアに言い寄っている、という形に収まっているだけだと自分に再度言い聞かせる。
公然とロゼリアに近づけるユキヤが羨ましいとは口が裂けても言わないし、その事実にモヤモヤするような立場ではないと考えていた。モヤモヤする気持ちばかりはどうにもならない現実があるけれど。
しばらく二人とも無言だった。
ジェイルの方から時間が欲しいと言ったのだから、ガロの方の話はさっきのことで終わりなのだろう。ガロはロゼリアを猫可愛がりする割に肝心なところに踏み込まない。それがジェイルにとっては歯痒いところではあるものの、ガロにはガロなりの考えがあるのだろうと今はこれ以上話をしようとは思わなかった。
ジェイルは膝の上に置いた拳に軽く力を込める。
「ガロ様、お聞きしたいことがあります」
「おう。なんだ、言ってみろ」
自分がこんなことを聞いても良いのだろうかと迷い、躊躇いがちに続ける。
「……九龍会の、後継のことです」
ジェイルの口から出た言葉に、ガロがぴくりと片眉を動かす。
ハルヒトがやってきた翌日に言ったように、後継者問題はデリケートだ。九龍会は血の繋がった後継者候補というとロゼリアしかいないものの、ロゼリアの評判は散々である。まだガロが現役だったのであまり後継者の話は出てこないのだ。
しかし、いずれは考えなければいけないことである。
「ガロ様は……将来的にはお嬢様を、と……お考えなのでしょうか?」
「……。いいか? お前だから話すんだぞ。絶対に他に言いふらすなよ?」
ガロは大きくため息をついてから念押しをする。
ジェイルは大きく頷いた。自分の今後のためだけに聞きたいのだ。周りに言う気はサラサラなかった。
「そうしてぇって気持ちはある。だが、そんな簡単な話じゃない」
「存じております」
「俺の後をロゼにするんだったら今すぐにでも辞めるって息巻いてる奴もいるからな。……お前も分かってると思うが、ロゼは周りからよく思われていない。いや、『よく思われてない』という表現じゃ足らねぇってことはよくわかってる。……だが、叶うならロゼに譲りてぇんだ。ただの伯父馬鹿だよ、本当に。自分でも呆れてる」
言いながら、ガロは酒を呷った。
現状、ロゼリアに後継者を指名することが難しいのをわかっているからこそ、ガロは後継者の話題を周りに話さないのだろう。周囲から聞かれても「まだまだ現役だ」と言ってはぐらかしている姿を見ている。
外の月を見ながら、ガロが再度ため息をついた。
頭の痛い問題なのだろう。
「……あいつに九龍会の会長を任せたら、私利私欲のために金も権力も使っちまうだろう。だから、もうちっと真っ当になってくれねぇかなって思いながらずっとあいつを見ていたんだ。俺が横から何言っても聞きゃしねぇのはわかってたからな……クレアみてぇにビシッとは叱ってやれねぇんだ、情けねぇよなぁ……。
そのせいで、お前にはもちろん、メロにもユウリにもキキにも窮屈な思いをさせた」
「いえ、自分は別に……」
クレアというのは亡くなったロゼリアの母親だ。母親亡き後、ロゼリアがどう過ごしていたのかはジェイルは情報としてしか知らない。ガロも苦労をしていたと聞いている。
以前のロゼリアにはかなり手を焼いたが、今となってはそんなこともない。
ロゼリアのために何ができるか、というのをずっと考えている始末である。
「話が逸れたな。後継者をロゼに、って考えているかって質問の答えはイエスだ。だが、現実問題難しいは分かってる」
「お答えいただき、ありがとうございます。──それから、もうひとつよろしいでしょうか?」
「おう、この際だ。なんでも言っとけ。酒も入ってるから、まともな答えは期待すんなよ」
けらけらとガロが笑う。酒が入っていると言っても然程酔っているようには見えない。ロゼリアもあの時然程酔っているようには見えなかったので、酒に強い血筋のようだ。
ジェイルは『まともな答え』を求めているわけではない。
ガロの言葉が欲しいだけだ。自分の道標とするために。
「……この間お嬢様が『自分だけの味方が欲しい』と仰ってました」
「ほう。ロゼがそんなことを……」
ガロが目を細める。少し嬉しそうだった。それに反してジェイルは少し気落ちする。
「自分は、それに当て嵌まらないそうです。……以来、お嬢様だけの味方というのは何なのか、ずっと考えています」
「ふうん? それで? 答えは出たのか?」
「……いえ、残念ながら。ですが、以前ガロ様が花嵜たちのことで『お嬢様のことだけ考えていて欲しい』と言っていたのを覚えています。立場的には花嵜たちが近いのでしょう。中身がそれに伴うかどうかはわかりませんが……」
メロやユウリがロゼリアの『味方』だとは思えない。しかし、自分よりも遥かにロゼリアのことを理解しているのだろう。単純な付き合いの長さゆえである。幼少時を共に過ごした四人はジェイルの知らないことを色々知っているに違いない。
それを最近は羨ましく思う。
なんせジェイルは傍若無人なロゼリアしか知らない。数ヶ月前から『変わった』と言われているロゼリアには全く馴染みがないのに、メロたちはどこか懐かしさを覚えているらしいのだから。
最近のロゼリアに興味と関心を強く惹かれる割には、彼女のことを何も知らないのだ。
心の中に焦りがある。
ガロがジェイルを見つめて、ふっと笑った。
「──お前も変わったな。前はもっと機械的なところがあったが、今は人間味を感じる」
そうだろうか? と、瞬きを一つ。
自分は何も変わってない。ただ、ロゼリアの変化に引き摺られたと言うなら、きっと否定はできない。
そして、今どうしたいのか迷っている。




