83.切り替え
「えーっと、まずはイベントについて……」
気持ちの切り替えのために声を出す。
それぞれの名前を間を書いてから、覚えているイベントを書き記していく。椿邸で起こるものをメインに。
書いているうちに「あー、あのイベントすごくよかったなー」とか「あのミニイベントはスチル欲しかったなー」と、思い出に浸ってしまった。
例えば、ハルヒトだったらアリスに余ったスコーンを「あーん」してあげるイベントがあった。これはスチルがなくて「何でないの?!」と憤ったのが懐かしい。ジェイルなら階段で転んで落ちそうになるのを抱き留めるイベントはスチル含めてかなり良かったわね。メロと一緒に買い物に行ってちょっと寄り道してあれこれ見て回るイベントもあったし、ユウリと屋敷内の作業をやることになって手が触れ合ってドキッとなるシーンもあった。ユキヤは他のメンバーと物理的な距離感があるけどアリスがこっそり南地区に行った時に偶然出会ってプチデートしたりとか……色々あったわ。
このタイミングだとまだ好感度は低めの時期だから、偶然出会ったり、ちょっと距離が縮まる感じのイベントが多いのよね。ルート分岐あたりでお互いに恋心を自覚するのよ。……進め方によってはジェイルとユキヤ両方がアリスへの気持ちを自覚して、どっちかのルートに進んじゃうとルート入りしなかった方のセリフや描写が微妙に変わるという……若干の三角関係的な要素もあったわ。ジェイルとユキヤ、メロとユウリでそういう要素があって、ハルヒトだけは特定の相手がいなくて好感度が高い相手が選ばれていたっけ。その辺も全部網羅したかったけど、やり込む前に事故に遭って死んだのよね……。
って、ついつい思考が別の方向に……。
ハルヒトは自室、ジェイルは階段、ユウリは食堂が初期イベントの場所だったわ。メロとユキヤは外だからアリサが出掛ける時に注意しなきゃ。
それだけがイベントじゃないから順番含めて場所を思い出す必要があるわ。
そう思いながら、あたしは各キャラクターのイベントの内容、場所、時期などを思い出しながらノートに書き記していった。
ただ、イベントのことを書き出しながら思ったんだけど──。
よくもまぁロゼリアの屋敷=敵地でこんなに恋愛イベントがあったものよね……。
ゲームのご都合主義らしく、これらのイベントがゲームの中でロゼリアに見つかることはなかった。ひょっとしたら吊り橋効果的なドキドキ感もあったのかしら? ゲームをやってる最中はそういう意識はなかったけど。
そして、もう一つ気がかりなことがある。
あたしはゲームをやっていて、アリスと攻略キャラクターとのルートやイベントを知っている。もちろん実際ゲームをやるのと、こうやって『九条ロゼリア』として生きているあたしの視点は全く違う。
違うけど、どのイベントも良かったし、どのキャラクターのルートも良かった……!
これから先を生きたい気持ちも、デッドエンドを回避したい気持ちもある。
だけど……!
アリスと誰かがくっついて欲しいという気持ちがある……!!!
レドロマのゲームとしての難易度は別にそこまで高くない。好感度上げも上手くやれば全員がルート分岐までに必要なイベントを終えられるくらいの余裕があった。だから、普通にやってればゲームはクリアできる。
普通にやってたらバッドエンドにはならない。一応用意されてるってだけ。
バッドエンド、つまりアリスが何もできずにロゼリアが悪の限りを尽くしてしまうというエンド。ちなみにあたしは情報として知ってるだけでこのエンドに進んだことがない。だって、なんかムカつきそうだったし……。その代わりってわけじゃないけど、各キャラクターのエンディングはグッド、ベスト、トゥルーの三種類あって結構集めがいがあった。ちょっと大変だったけどね。
そんなこんなでアリスをバッドエンドにもしたくなくて……!
何とか誰かといい感じになってくれないかなって気持ちがあった。こんなことを考えていたら、あたしの方がデッドエンドに入っちゃうかも知れないのはわかってるし、すごく危険な考えだということも理解してる。
けど、考えずにはいられないのがファンと言うか何と言うか……。ついつい考えてしまうのが気がかり。
まずは自分の身の安全!
アリスが誰かとくっついて欲しいなんて考えてたらあたしが死ぬ!
それを言い聞かせる意味も込めて、ノートの1ページにでかでかと書いておいた。
……一応、初期イベントは思い出したけど、これがその通りに起きるって保証もないのよね。
なんせ、ゲームの開始時期が違うし、ハルヒトとアリス、もといアリサがセットで出てくるし……とにかくアリサと誰かが二人きりになるタイミングには注意しなきゃ。積極的に邪魔をする気はないけど、動向は気にしておきたい。もちろん、誰かとくっつくなら、あたしを殺す展開にならない限りは祝福するわ。
ああ、不安というか、落ち着かない。この調子で大丈夫なのかしら……。
ペンを置いて、眉間を軽く揉みながらため息をついた。
コンコン。と、扉をノックする音が聞こえる。
あたしはノートを閉じて引き出しの中にしまい、南地区の資料を引っ張り出した。
「どうぞ」
「お嬢様、失礼します。ジェイルです」
区切りの付いたタイミングで良かった。
珍しくコーヒーが乗ったトレイを持って入ってくる。ジェイルが給仕っぽいことをするのは珍しい。そう思って手の上のトレイとジェイルの顔をまじまじと見つめてしまった。
ジェイルはちょっと気まずそうにしながら、あたしの方に近づいてくる。
「……墨谷さんについでに持って行って欲しいと言われたので……どうぞ」
あたしの顔を見ないようにしながら、空いているスペースにコーヒーを置いた。砂糖とミルクも一緒に。今は両方とも多めに入れたい気分ね。
コーヒーを手元に引き寄せつつ、ジェイルを見上げた。
「ありがと」
「いえ、先程から執務室に籠もっていらっしゃると聞いたので……南地区のことですか?」
「それだけじゃなくて、色々よ」
「色々、ですか」
「そうよ、わかるでしょ」
曖昧なことを言いながら砂糖とミルクをコーヒーに入れてスプーンでくるくるとかき回した。結構白くなっちゃったわ。
ジェイルには『色々』という言い方でも通じると思ってる。南地区のことはもちろんだけど、ハルヒトやアリサのことが不安だと伝えているし、ハルヒトがあたしに対して少ししつこいというかやけに懐いているようだから、一応気にしてくれている、はず。
コーヒーを一口飲んでから肩の力を抜いた。
「何か用だった?」
「はい。先程ユキヤから連絡がありまして、お嬢様と直接お話をしたいと……」
「あら、そう? 別にいつでもいいわよ。この後なら予定はないから」
「承知しました。伝えておきます」
よろしくね。と言ってから、もう一度コーヒーを飲んだ。
用はそれだけですぐに立ち去ると思いきや、ジェイルはあたしのことを見つめたまま離れようとしない。不思議に思いながらカップを置いて、ジェイルを見つめる。
「まだ何かある?」
聞いてみると、ちょっと困った顔をした。少し黙り込んでからようやくといった様子で口を開く。
「──お嬢様は以前、ご自分だけの味方が欲しいと仰っていました」
「え? あ、ああ……うん、そうね。言ったわ」
酔っ払ってた時の話よね? あまりその時のことを持ち出されるのも気まずい。
けど、確かに本心だったから違うとは言えない雰囲気だった。
「自分がもしも……お嬢様の直属の部下になりたいと言ったら、お嬢様だけの味方になれるのでしょうか?」
「は? あんた、何言ってんの?」
「もしもの話です」
今のジェイルの立場って、伯父様からあたしのところに派遣されているようなものなのよね。だから、伯父様の命令の方が優先される。メロもユウリも似たような立場ではあるけど、伯父様からはあたしの言うことを優先するようにとは一応言われてるのよね。要はメロやユウリと同じような立場になりたい、と……。
物好きすぎて、思わず笑ってしまった。
ジェイルを見て目を細め、薄笑う。
「そんな馬鹿なこと考えなくてもいいのよ。今のままでも十分だわ。あの時の話は、できれば忘れて頂戴」
今、この状態で『自分だけの味方』なんて無理なのは分かってる。あたしの味方になりたいなんて人間、きっとどこ探してもいないでしょう。
そう思っているのに、ジェイルは深刻そうな表情であたしを見つめていた。




