77.距離感
ハルヒト、アリサの二人が椿邸に来て早一週間。
表向きは何事もなく、アリサはキキについてちゃんと仕事をやっていた。まだまだキキが面倒を見る必要はあるだろうけど、あの様子だとキキが勉強して学校に通い出す日は想像以上に早いかもしれない。
それはそれで良いことなのに、やっぱりアリサの動向が気になる。
そもそもアリサがいつまでいる気なのかというのも気になるのよね。ゲーム通りなら『ロゼリアの悪事を暴いて殺すまで』だし、キキが学校に通い出す前に出ていく可能性もあった。仮にあたしがデッドエンドを回避したら新たに後任のメイドを雇う必要があるわよね。
生き延びられると信じて、そのあたりも少し考えておかなきゃ……。
そして個人的にちょっと鬱陶しくなってるのが──。
「ロゼリア、おはよう! いい天気だね」
「おはよう、ハルヒト。そうね、いい天気ね……」
ハルヒトが、あたしを見つける度に絶対に寄ってくる。
おかしいわね、何だか大型犬っぽい……ゲーム内ではそういう印象はなくて『辛い境遇に置かれているにも関わらず、内心を悟らせずに飄々としているミステリアスな青年』って雰囲気だったのに、一体何がどうしてこんなことになったのか……。
ジェイルはまだ椿邸に来ておらず、ユウリしか傍にいない。メロは厨房でつまみ食いをしつつアリサの周辺を探っている。
「こないだロゼリアは大学を休学してるって話を聞いたけど、休学の理由って何だい?」
「南地区の管理代行にしてもらったからよ。両立は難しそうだと思って休学してるの」
何故か自然と二人で廊下を歩くことになった。ユウリがちょっと気まずそうな顔をしてあたしの斜め後ろにいる。
別に示し合わせたわけじゃないのに朝昼晩と食事を同じタイミングで取るようになっちゃったのよね。別々で良かったのに一日目、二日目とハルヒトから「何時くらいにいつも食べてるの?」と聞かれて答えたらこうなった。
もてなす、という意味ではおかしくないのよ。
けど、やっぱり落ち着かない。
「そっか、復学の予定は?」
「落ち着いたらって感じね。今は色々あって難しいの」
「色々か」
「そうよ、色々」
ハルヒトと話していてわかったのは『色々』とこちらの事情を暈すように話すとそれ以上はあまり突っ込もうとしない。多分、自分の事情にも突っ込まれたくないからでしょう。
確かハルヒトも一応大学に籍はある。けど、ほとんど通えてなくて、幽霊学生状態だったはず。大学は結構自由な時間が多いからその時間で余計なことをされるのが困るから──正妻が大学に行かせるのを拒んでいる。そのためにわざわざ家庭教師を家まで通わせて、一応勉強はさせている状態。
歪なのよね、ハルヒトの家庭事情。
「ユウリもそのうち大学に通うんだっけ?」
「ぅえっ!? あ、は、はい。その予定です。今は受験勉強中です」
不意にハルヒトがユウリを振り返って尋ねる。ユウリは自分に話題が向けられるとは思って見なかったって反応をして、おっかなびっくり答えていた。けど、以前に比べたら結構ハキハキとしてきた気がする……。
「ふーん? 通いたい大学は決まってる?」
「決めきれてなくて……ギリギリまで悩むつもりです」
「そう。ロゼリアと同じ大学も選択肢にあったりするのかな」
ハルヒトの何気なくとも聞こえる問いかけにユウリから驚いた気配が伝わってきた。
あたしは別にどっちでもいい──と思ったけど、できれば別の大学にしてくれた方がいいわ。
高校の時みたいに比べられるのが嫌なのよ。
九条家の居候って立場で周囲に話をしていたものの、実際は主従関係という事実はまことしやかに全体に知れ渡っていた。テスト後に「ロゼリアさんよりも成績いいらしいよ」「ご主人サマの立場ねーじゃん(笑)」ってひそひそされたのが堪えたし何よりムカついたし、あたしの当時の性格(我儘で傲慢で人を人とも思わない)のせいで、陰口が溢れていた。そういう連中は当時の取り巻きを使って色々したけど(これも今は反省してるわ)、やっぱりそういうのがなくなることはなくて……。
結局ユウリを虐めて、勉強の邪魔をするという最悪の手段を取っていた。
そういうことはもうしない、と心に決めたものの……正直自分で自分に自信が持てない。
「そうですね、ロゼリア様と同じ大学に通わせて頂けたら光栄だと思います」
「そっかそっか、通えると良いね。──いいな、羨ましい。ロゼリアと一緒なら楽しそうだし……」
「あ、あははは」
ユウリの乾いた声が虚しい。
絶対高校の頃のことを思い出して「一緒の大学なんて真っ平ごめん」と思ってるに違いない。まぁ、お互いに別々の大学の方がいいに決まってるのよ。本当に。
ただ、ネックなのが……一応あたしが通ってる大学は第九領の中でトップなのよね。学部に左右されるところもあるけど、知名度も格も頭一つ抜けてる。あたしが通っている経営学部はそこそこって感じで、他にも偏差値が高い経営学部があった。通いやすさと大学の知名度で選んだと言っても良い。
結局そうなるとユウリが何を学びたいかによる。学部が違えば高校の時よりはマシかしら……?
って、あたしが悩んでもしょうがないわ。ユウリが決めることだもの。
あんまり口を出さないでおこう。
「……ロゼリア様。あの、僕は一旦ここで失礼します。朝食は先に頂きましたので」
「そう、わかったわ。あとでね」
「はい、では」
食堂の前に着くと、ユウリはまるで逃げるように立ち去ってしまった。
ハルヒトと二人きりになりたくないんだけど、それはユウリも一緒みたい。
うーん、ゲームとは本当に印象が違うわ。思いの外ぐいぐい来るというか、人との関わりを持ちたがるというか……ゲームでは当たり障りなく接してる感じだったもの。ぐいぐい行くのはアリサに対してのみ、って感じで……。
「今日の朝食は何かな」
「何かしらね? そういえば、何かリクエストはしてみた?」
「ううん、まだ。何が出てきても美味しくて驚くばかりで……あーオレってこういうの好きなんだって発見があるくらいなんだ。だから、まだいいかな」
「そうなのね。今までだったら何が好き?」
メイドに席を案内されつつ会話を続ける。
ハルヒトは「何が好き?」と聞かれて神妙な顔をして黙り込んでしまった。あたしと向かい合うように座ってもまだ悩んでる。
「……なんだろう。今なら一昨日のフレンチトーストかな」
朝食はワッフルだった。
水田がワッフルメーカーを持ってきたので、その場で焼いてくれるみたい。「フレンチトースト」と聞いた水田が目を丸くしていた。
「ハルヒト様、今からでもフレンチトーストに変更しましょうか?」
「あ、ごめん。そういう意味じゃないんだ。水田さんが作ってくれるものは何でも美味しいよ。今日のワッフルも楽しみ」
「失礼いたしました。では、腕によりをかけて作らせて頂きますね!」
水田がウキウキと調理を始める。
ハルヒトは素直に「美味しい」って言うから作り甲斐があるみたい。それはそれでいいことだわ。あたしだって最近はちゃんと言ってるつもりだけど、やっぱりマンネリしちゃうだろうし……あたしはちょくちょくリクエストをしてるしね。
「ワッフル、焼き立ては食べたことがないんだよね。ロゼリアは?」
「あたしはこうして水田が焼いてくれるから」
「──そっか、羨ましいな……」
ハルヒトは目を細めて、あたしのことをどこか眩しそうに見つめてきた。
何とも答えられずに、先にメイドが用意してくれたカフェオレを飲む。
立場だけで見るならハルヒトの方が恵まれていてもおかしくないのに複雑な家庭環境ゆえに自由らしい自由もなく、自分の思い通りになることなんてほとんどなかったはず。
あたしは伯父様のおかげでとにかく自由だった。
何をしても何を言っても咎められず、全てが許されていた。逆だったらどうなっていたんだろう。こんなこと考えてもしょうがないのにね。
ハルヒトと当たり障りのない会話をして朝食を取る。
アリサもそうだけど、ハルヒトとの距離感もどうして行ったら良いのかしらね。




