69.翌日③
朝食後、執務室に行って今後のことを悶々と考える。
冷静に考えてみるとゲームのストーリー前提ならアリサはあたしの周辺を探ろうとするはずだわ。ゲームの中ではあたしの悪事の証拠を集めに来てるわけだしね。
ハルヒトは……ゲームとは流れが違いすぎて本当にわからない。まさかアリサみたいにあたしの悪事を暴こうというわけじゃないだろうから、こっちはほっといても問題ないのかもしれない。積極的に関わりすぎると妙な地雷を踏みそうだし、顔だけを見るとあたしが虐めたくなるタイプだし……。
事前に何か対策を打つ、ということができなくて、ちょっとモヤモヤしてしまった。
急いては事を仕損じると言うし……今は『待ち』の時間かしら。待つのは得意じゃないんだけど。
結局「今は何もできない」という答えしか出てこなかった。
何もできずにいて、知らないうちに殺されそうになっているなんて状況だけは避けたい。何もしないなりに周囲のことに注意しなきゃいけないわね。
……アリサとハルヒトの登場が衝撃すぎて、頭から抜けちゃってたけど南地区のこともある。こっちもユキヤに進捗を確認しなきゃ。
忘れないように、そして考えをまとめるためのノートに書き終えてからため息をついた。
書き忘れがないかどうか確認していると、扉が控えめにノックされる。ぱたん、とノートを閉じて扉へと視線を向けた。
「誰?」
「お嬢様、ジェイルです」
──ジェイル!
とても謝れる心境じゃないんだけど、「言い過ぎた」とだけは伝えなきゃ。昨夜「入っていいなんて言ってない」と言ったからか、ジェイルが許可を得ずに入ってくる気配はない。
あたしは執務机の引き出しの中にノートをしまいながら立ち上がった。
ゆっくりと深呼吸をする。
「入っていいわよ」
「……失礼します」
ジェイルにしては控えめに、少し躊躇いがちに扉を開き、執務室の中に入ってきた。
……元気がなさそうというか、すごく気まずそう。あたしも気まずい。
執務机に腰を預けているあたしの傍に来るけど、普段の三倍くらい距離を取っていた。
ジェイルは視線を伏せて話題を切り出すわけでもなく、妙な沈黙があたしたちの間に落ちる。
何か用があって来たんじゃないの?
いや、ジェイルが切り出せないなら先にあたしから──……。
「ジェ」
「お嬢様」
「……何?」
……遮られた。
視線を伏せたままで、まるであたしの声なんて聞こえてなかったみたいだわ。どこか思い詰めたような表情にちょっとだけ胸が痛む。
ジェイルは少しだけ時間を置いてから、ガバっと頭を下げた。
「昨日は、申し訳ございませんでした……! ……なんというか、最近お嬢様が自分のことを頼ってくださるので、お嬢様のことをわかった気になっていました。あの後、花嵜と真瀬にお嬢様も色々な考えをお持ちなのだと言われました」
「メロとユウリが?」
メロが「わかってない」って言いながら追い出したのは記憶にあるけど、その後でもジェイルに何か言ったのね。何を言ったのかわからないけど。
驚いて二人の名前を出したところで、ジェイルがゆっくりと顔を上げる。視線は伏せたままだったけど微かに頷いた。
「はい。付き合いの長い自分たちでさえ今のお嬢様の気持ちはわからないのに、何故おまえがわかった気でいるんだと……今のお嬢様の前で全てをわかったつもりになって行動するのはやめろとも言われました」
あの二人、そんなことまで言ってたの。……なんだか驚かされてばかりね。
誰にもあたしの気持ちがわからないのは事実。
あたしに言う気がないし、そもそも言ったところで信じてもらえない話ばかりだもの。
言えないことがある、わからないことがある、というのをあの二人は理解してくれてるのね。ちょっと感動しちゃった。
「自分は……確かに思い違いをしていました。お嬢様を理解し、支えられるのは自分なのだと。しかし、それは思い上がりです。──昨日、お嬢様が仰ったように自分にはガロ様の意思や決定に逆らうことはできません。ですが、それとは別にお嬢様の護衛任務もサポートするという役割も果たしたいと思っています。
……敵だと言われたのは、ショックでした。お嬢様のお力になりたかったから、ショックを受けたのです。
厚かましいかもしれませんが、自分にチャンスをください。
俺は、誰よりもあなたの力になりたいのです」
そう言ってジェイルはもう一度深々と頭を下げた。
いつもなら見上げなきゃいけないジェイルの顔が見えなくて、逆に首の後ろまで見えてしまいそう。
あたしはゆっくりと深呼吸をして、ジェイルの前に立った。
「ジェイル、顔を上げて頂戴」
「……はい」
ジェイルは恐る恐るといった雰囲気で顔を上げた。あたしのことを見れないらしくて、視線は逸らされたまま。
逆にあたしはジェイルを真っ直ぐに見つめる。
「昨日は……その、頭に血が上っていて、言い過ぎたわ。敵だなんて酷いことを言ってしまって……。
前にも言ったけど、あんたのことは信頼してる。ただ、それよりも不安が大きかったの」
ジェイルがようやくあたしを見た。信頼してる、という言葉に少しだけ目が輝く。
「……不安や不満の理由は言えない。けど、あたしにはあんたがいてくれると助かる……た、頼りにしてるのよ。色々と腑に落ちないでしょうけど、それでもよければ──」
力になって欲しい。と結ぶはずが、それを言う前にジェイルに手を握られていた。
ぎゅう、と両手を包み込むように握られ、ジェイルの嬉しそうな顔が視界いっぱいに広がっている。
見たこともないような表情に面食らってしまった。
「もちろんです。必ずお嬢様の力になって見せます。あなたの不安に寄り添えるよう努力します」
視線が熱い。まるで魅入られたように、視線を逸らすことができなかった。握りしめられた手も熱くて、ジェイルが強く握るものだからちょっと痛いくらい。
な、なんだか無性に照れくさいんだけど……な、何なの、これ。
昨日のジェイルとは違っていて、その言葉がダイレクトにあたしに響いてくる。
本当に信じてもいいのかも、と思わせた。
「……わ、わかったわ。よろしく」
「はい、お任せください」
嬉しそうにジェイルが頷く。笑顔が眩しい……。こんな顔、ゲームでもジェイルルート終盤のスチルくらいでしか見たことない。落ち着かないわ、この状況。
手を離して欲しいと言うのすら照れくさくて、察して欲しいとばかりに手を軽く揺らした。
ジェイルは不思議そうな顔をしてから、自分の手元を見て──……。
慌ててバッと手を離し、あたしから少し距離を取った。
「も、申し訳ございません! お、お嬢様の、手を……」
「いいのよ、別に。そろそろ離して欲しかっただけだから」
ジェイルはどこか混乱した様子で自分の手を見つめていた。何故握ってしまったのかわからないって感じ。ジェイル本人がわからないのに、あたしが理由をわかるはずもないわ。
これでジェイルのことは一旦大丈夫かしら。
……あたしの力になりたいって言葉は嘘じゃないっぽいし、アリサに惚れたとしてもその報告くらいはくれそうだわ。そうしたらちゃんと祝福しよう。
「お嬢様の手は、……柔らかく、細いのですね」
「は? あんた女に耐性がないの? 手すら握ったことがないの?」
「そ、そういうことではなくて──! ……触れるのが、こんなにも──……」
そこまで言ってジェイルは何かに気付いたように口を噤んでしまった。
??? 何よ、一体。
じいっとジェイルを見つめると、ジェイルがあたしの視線に気付いて視線を返してくる。
ばち、と視線が合った瞬間、ジェイルはものすごい勢いで回れ右をしてしまった。
いや、本当に何?
「こ、これまで以上に努めさせて頂きます! これから自分はハルヒト様を病院に迎えにいかなければいけないので一旦失礼いたします。ハルヒト様がいらっしゃるまで、お嬢様はゆっくりなさっていてください。ああユキヤにも自分が連絡をしておきますので! では!」
「え、ええ……わかったわ」
矢継ぎ早に言い、ジェイルはまるで逃げるように執務室を出て行ってしまった。
……顔が赤かったように見えたけど、何だったのかしら。
あ、今更あたしが女なんだって思い出したとか? ゲーム内でも「あれは女の形をした化け物だ」みたいなセリフもあったし、そもそもこれまで女だと思われてなかった可能性があるわ。まぁ、女の子♡って可愛いタイプでもないからしょうがないけど……。
そういう意味で気遣ってもらえるのは悪い気もしないけど、アリサと比べられたりしたら嫌なのよね……。多分負けるし。
性別とか気にしなくていいから、ってそのうち伝えようかしら。
 




