66.オフレコ⑨ ~メロとユウリⅢ~
すう、とロゼリアは机に突っ伏して寝てしまった。
空になったグラスを持ったままだったのでユウリはその指先からグラスをそっと抜き取る。酒がまだ残っているがユウリは下戸なのでどうしようもない。
「寝ちゃった」
そう言ってメロがロゼリアの顔を覗き込んだ。一瞬のうちに寝入ってしまったようで規則正しい寝息が聞こえてくる。メロはコップに残ったお酒を飲みほして、テーブルにコップを置いてから、ロゼリアに再度近付いた。
何をするのかと眺めていると、メロはあろうことかロゼリアの体をゆっくりと抱き抱える。
「ちょ、落とさないでね……!?」
「んなヘマするわけないじゃん。……あ、でもちょっと重い」
「それ本人に言ったら怒るよ……」
「怒るけどもう殴ってこないだろ。前なら殴るどころじゃなかっただろうけど」
軽い口調で言うメロ。それを眺めていると、メロがユウリを見て寝室に続く扉を顎で示した。開けろ、ということなのだろう。勝手に寝室に入ってそれこそ怒られないかと考えたが──何度も入っている寝室である。今更何か言われるとも思わなかったし、今は入らざるを得ない状況なので問題はない、はずだ。
やれやれと溜息をついてから、メロの前に立って歩き、寝室への扉を開けた。
「どうぞ」
「さんきゅ」
大きなベッドまでロゼリアを連れていき、そのままベッドの上に横たえる。ロゼリアは起きる気配もなく、随分とぐっすり眠ってしまったようだ。
メロがそのまま離れようとしたのを見て、ユウリは代わりに近づく。薄い掛け布団をそっとかけてから腕をそっと撫でた。
「寝かせるなら最後までちゃんとやってよ」
「ベッドに運んだだけ偉くね?」
「そうじゃなくて……」
ベッドに運んだだけで終了となるとは思ってなかったので呆れる。けれど、ユウリがちゃんと一人で運べたかというと若干怪しいところもあるので、作業の分担ができたと思っておいた。メロはああ見えて結構体つきはしっかりしているし、ロゼリアを一人くらいは悠々と運べてしまうのだ。ユウリは筋力的なところにはあまり自信はない。
そういう意味ではメロがロゼリアを運んでくれて助かったとも言えるし、季節柄風邪を引くような寒さもないのでユウリの杞憂かもしれない。
小さくため息をついてから、ロゼリアの眠るベッドから一歩離れ、メロを振り返った。
「起こしちゃまずいから出よう」
「……酒残ってたじゃん? あれ、貰っていいと思う?」
「知らないよ、そんなの……」
がっくりと肩を落としつつメロの腕を引っ張ってベッドから更に離れる。メロも寝室に長居する気はないのか、ユウリが腕を掴んで引っ張るまでもなく自分で歩いた。
けれど、寝室の扉を開けたところで、何気なく振り返る。見ればメロも同じように振り返っていた。
ベッドで眠っているロゼリアを遠目に少し離れた場所から眺めてから、どちらともなく寝室を出ていった。
寝室とロゼリアの私室は扉一枚で繋がっていて、私室の奥に執務室がある。最近のロゼリアは執務室にいることが多い。以前だったら考えられないことで、それだけでもロゼリアが『変わった』と感じるのは間違いはない。
けれど、昔からロゼリアと一緒にいる身からすれば、昔を思い出させるような言動が多い。
不意に「すごい、すごいわね!」と瞬間的にテンションが上がったり、それで相手を褒めまくったり、ごくごく個人的な事情から感情を押し殺したり──ユウリたちからすれば、最近のロゼリアはそんな印象だった。
静かに寝室への扉を閉める。
扉に背を預けてため息をつくユウリとは裏腹に、メロは真っ直ぐさっきまでロゼリアがいたテーブルセットに近づいていった。ロゼリアが残した酒を狙っているのだ。
その様子を見てもう一度ため息をついてしまった。
「……あのさ」
「なに?」
「ジェイルさんって……まさか、ロゼリア様のこと……」
ユウリが恐る恐る尋ねてみるとメロはきょとんとした顔で振り返り、すぐに悪戯を仕掛けた後のように楽しそうに笑った。
「おれが見てる限り、多分な」
「変なちょっかいかけてないよね?」
「無自覚なのをフォローしてやってるくらいだけど」
「む、むじかく……そういうの疎そうだなぁと思ってたけど、気付いてすらいないんだ。自分のことなのに」
「まぁ、実際どうだかわかんねーけど」
そう言ってメロはロゼリアが残した酒のボトルに手を伸ばした。自分が使っていたコップを手にし、そこに酒を注ぐ。
怒られても知らないからと言う気にもならず、ユウリはさっきロゼリアに貰ったお菓子を取りにテーブルへと向かった。きのこのような形をしたチョコレート菓子で、他にも別のシリーズがあって好みがちょっと分かれるお菓子だ。ロゼリアにその手のこだわりがないのは知っている。ユウリはこのタイプが好きだったので、ひょっとしたらロゼリアが敢えてこれをくれたのかも、と考えてしまった。
蓋を開けて、一つ取り出して口に放り込む。
「……メロはそれでいいの?」
「はァ? いいのかってどういう意味だよ」
「別に。そのままの意味だよ」
メロは残った酒を少しずつ飲みながら、訝しげな表情をする。
こんなことを言ってみても意味がないとわかっていながら、何となく投げかけずにはいられなかった。酒なんて一滴も飲んでないのにロゼリアに当てられたのかもしれない。
「おまえこそいいの?」
「それこそ意味がわからないな……」
ユウリが言った言葉の意味をわかっていて聞き返しているのかすらもわからない。
お菓子をもう一つ口に入れてから蓋を閉じた。
ロゼリアが食べていたお菓子の箱や袋を集めて一つにまとめる。メロは何もせずに酒を飲みながら眺めているだけだ。
「メロ、お酒のことはちゃんと自分で何とかしてね」
「お嬢が全部飲んだってことにする」
「バレるよ、絶対。ロゼリア様は酔っても記憶をなくすタイプじゃないし、半分くらい残ってたって絶対覚えてる。僕が飲めないことは知ってるからメロが飲んだってバレるよ」
「ああもう、わかったって。うるせェな、小姑かよ……」
そう言ってメロは酒から手を離した。コップに残ったものは流石に飲み干すようだけど。
二人はしばらく無言だった。
メロはそのまま出て行ってもよかったし、ユウリだって片付けが終わったのでそのまま出ても良かった。なのに、何となく残ってしまっている。
「……おれらの淡い恋心をぶち壊したのはお嬢なんだし、今更どこのどいつとどうなろうと関係なくね?」
さっきの質問の続きだ。
孤児院から連れて来られて紹介されたのはとても綺麗な女の子。目を奪われるなというのも無理な話だった。とは言え、それが初恋かどうかもわからないうちに本人に全て壊されている。メロの言う通りだ。
今更ロゼリアが変わったところでそういう変化はないと思っているが──正直、嫌な思いをしているなら取り除くための協力したい、という気持ちがどこから来るのかよくわかってなかった。自分のためという利己的な面も確かにあるけれど、それだけとは言い切れない。
「それはそう、だけど……」
「お嬢のお相手はジェイルかユキヤくんに任せとけばいーって」
「って、は!? ユ、ユキヤさんも……?!」
「ただのふりだけであそこまでしねーだろ。多少は気があると思ってるけど? ユキヤくんは多分前までのお嬢とちゃんと話したことはほとんどないだろうし、金持ちの美人に『なんでもしてあげる』って言われたらクラっとくるんじゃね?」
そうなのかな? と考えたところで、この件はあまり深追いすべきじゃないと思ってしまった。
ゆるゆると首を振ってお菓子のゴミを持ってメロから離れる。
「……。……ごめん、もういいや。なんかちょっと理解が及ばなくなってきた……」
「楽しんじゃえばいいのに」
「君みたいにはなれないってば。──じゃ、もう行くね。メロもほどほどにしなよ」
「おれも行くわ。おれだけ残ってるとあらぬ疑いをかけられそうだし」
「わかってるなら改めなよね」
呆れながらそう言うとメロはただ笑うだけである。明日からどうなるのかな、と一抹の不安に襲われつつ二人揃って部屋を後にした。




