63.酒と本音①
ようやく酔いがいい感じに回ってきた頃にはワインボトルは空になっていた。大きいやつを選んできたのに、2本じゃ足りなかったかもしれない。とは言え、厨房まで再度取りに行くのも面倒だし、何なら階段で足を踏み外しそうだったので、残り1本をちびちびと飲むことにする。
伯父様には「頭を冷やす」なんて言って出てきちゃったけど、頭が冷えるわけもなかった。
部屋の明かりはつけないまま、窓の外から月や星、外灯の光だけが差し込んでいる。
今になって「我慢して受け入れた方が良かったかも」とか「いっそ前世の記憶が蘇ったタイミングで国外に高跳びがベストだったかも」という「かもしれない」という仮定の話がぽんぽんと思い浮かんでしまった。
けど、計画を中止させようと決めたのはあたし。
当時はそれ以外の選択肢が思いつかなかったし、自分自身がひどい人間だったという自覚も芽生えて……変えられるものなら変えていきたいという気持ちが徐々に育っていったのは事実。
前世の記憶が蘇った時、この世界はゲームと同じだと思ったけど、ゲームの中よりももっとずっとリアルで──いや、ゲームとかリアルとかじゃなくて、この世界は現実なんだって感じた。
だからゲームのストーリーやキャラクターがあっても、変えられるんじゃないかって思っちゃったのよ。
あたしの知るゲームの結末以外に何かあるんじゃないか、って。
結局それはあるかどうかもわからなくて、ハルヒトとアリスの登場であたしの心は折れたわけだけど。
はぁ、こうやってダラダラお酒を飲んで酔ってもどうにもならないのに……。
飲まずにはいられない……明日からどうしよう。本当に逃げちゃおうかな……。
ぼんやりしていたせいで控えめなノックの音に気付くのが遅れた。放っておいて欲しかったけど、放っておいてくれないのね。
グラスを手にしたまま、返事をするかどうか悩んでしまった。
ノックの音は止まず、いい加減うるさくなってくる。
「……誰?」
「お嬢様、ジェイルです。入ってもよろしいでしょうか?」
ジェイルの声だった。
入れたくない。どうせ小言を言われるか、説教をされるかのどっちかだもの。
この心境でそんなこと聞きたくないのよ。
けれど、あたしの意に反して扉がゆっくりと開いてしまう。
「失礼します」
「入っていいなんて言ってないわよ」
「申し訳ございません。心配だったもので……」
何の心配なんだか。……少なくともあたしの心配じゃなさそう。
ジェイルの話は聞きたくないと思いながら、飲みかけのお酒をぐいっと呷った。アルコールのおかげでふわふわしてて気持ちがいいものの、自分で「酔ってる」って自覚ができるくらいには理性が残っている。もっと酔いたい。
そう思って、お酒を再度グラスに注ごうとした。
けど、ボトルが持ち上がらない。何かと思えばジェイルがボトルを押さえていた。
「ちょっと、離して」
「飲みすぎです。既に1本空けられてますよね? これ以上はお控えください」
「まだ飲めるわ。結構強いんだから。……離しなさいってば」
押さえられて動かないボトルを力づくで奪い取ろうとするけど、アルコールが回ってるせいなのかいまいち力が入らない。
チッと舌打ちをしながらジェイルを睨む。
「お嬢様、一体どうなさったんですか? ……らしくありません」
「らしくないって何なのよ」
「あんなに頑張っていたのに。何故、ガロ様からの話を拒絶したのですか。最初は快諾されていたと聞いています」
そんなの相手がハルヒトだって知らなかったからだし、新しく来るメイドがアリス、いやアリサだって知らなかったからよ。どちらもこのタイミングでは現れないって思ってたんだもの。
「うるさいわねぇ。嫌なものは嫌なのよ。──あんたにはわかんないわ」
「教えて頂けませんか? 何が嫌なのか」
「嫌よ」
「……お嬢様」
ジェイルが困った顔をする。こっちだって盛大に困ってるけど?!
もう本当に放っておいて欲しい。ていうか、どうせジェイルには何もわからないし、伯父様の意見が絶対みたいな感じであたしの言い分を聞いてくれるなんて思えない。
「お嬢様。自分はお嬢様の味方です」
ふ、と自嘲気味に笑ってしまった。
味方ですって。どの口がそんなことを言うのかしら。
「嘘ばっかり。あんたはあたしの味方なんかじゃないわ。……あんたが、伯父様の意見に歯向かうあたしに味方をするなんて思えない。……今は敵だわ」
そう言うとジェイルは目を見開いた。
酔い任せに酷いことを言っている自覚はあったけど、喋りだしたら止まらない。
酒を注ぐのを諦めてジェイルを見上げる。
「あんたは伯父様の言うことを聞かせるためにあたしのところに来たんでしょ。でも今回の件、あたしは伯父様の言うことを聞きたくない。……伯父様とあたし、あんたはどっちを取るの?」
返答はなかった。
いや、あるんだろうけど、この場では即答ができないというのが正しい。
わかりきった話だわ。
「伯父様よね、考えるまでもないわ」
「お嬢様、それは」
ジェイルが何か言うのを聞く気もなくて、緩く首を振った。
「──ジェイル。これまで、あんたが文句を言わないような動きをしていれば、あんたの言うことを聞いていれば、あたしのやっていることは正しくはないかもしれないけど、間違ってないだろうって思いながらやってきたのよ。そういう意味で信じてたの。
これまでの過ちを取り返したかった。マイナスをゼロにして、できればプラスにしたかった。
今回のことはあたしにとって大きなマイナスなの。けどその理由は絶対言わないし、言えない。言いたくない。
……そんなあたしに、あんたは味方できる? 伯父様に考え直して欲しいって意見できる?」
ジェイルは答えなかった。躊躇いがちに唇が震えたけど、それだけだった。
勝手な言い分なのは十分にわかってる。
理由も言えないのに感情的に「嫌だ」なんて駄々をこねるような真似は子供そのものよ。あたしだって、目の前の誰かがそんなことを言いだしたら「我儘を言わないで」って怒るに決まってる。逆の立場なら絶対聞けないのはわかる。
「無理でしょ? 理由も言わずにただ『嫌』って言ってるだけのあたしの味方なんてできないでしょ?
……ジェイル。今回、あんたに期待なんてしてない。……もういいからほっといて」
ショックを受けた顔が印象的だった。
まるで傷ついたみたいな──……。
手が微かに震えている。ボトルを落とされちゃたまんなかったから、そうっとジェイルの手から酒が残っているボトルを引き寄せた。
「お嬢様……」
「もういいでしょ?」
「ガロ様に意見することは……確かに、できません。ですが、俺はお嬢様の味方でいたいと思っています。ご不安なことはきっと取り除いてみせます」
思わず笑ってしまった。
伯父様に忠実なジェイルの言い分はわかる。理解できる。
けど、あたしの求めているものとは正反対。
理解できるからこそ不安が大きくなる。
「……ジェイル。あたしね、あたしだけの味方が欲しいの。伯父様とあたし、両方の味方であろうとするあんたは……さっきも言ったけど、敵と同じなのよ。伯父様の一言で、あんたはあたしを裏切るかもしれないんだもの」
敵。そう、敵になるかもしれないのよ。
伯父様の一言だけじゃなくて、アリサの存在がトリガーになる可能性だってある。
……もうここでさっさと逃げ出した方が生存率上がる気がしてきた……。逃げ道や逃げ方があるのかって話にもなるんだけど、……ああ逃げたい。逃げ出してしまいたい。
ジェイルが困惑した様子で言い募る。
「俺がお嬢様を裏切るなんて」
「ハルヒトとアリサの存在が不安なの。……この不安は、あんたには取り除けないわ」
守るべき対象と新しいメイドだもの。あたしから遠ざけるのが難しい。ジェイルもそれがわかっているからか、一旦口を閉ざした。
「わかったでしょ。もうほっときなさいよ」
「それでもこんなお嬢様を放ってはおけません。制約があるのは理解していますが、だとしてもお嬢様を裏切るなんてことは絶対にありません」
「口では何とでも言えるのよ」
吐き捨てるとジェイルはまた黙った。
ジェイルが伯父様に忠実、という前提がある以上はどうにもならない。
これまではそれが利点だと思っていたのに、反転して足枷になるとは思わなかったわ。ジェイルに頼りきりだったツケが来たって感じ。
いい加減ほっといてくれないかしら……。
「やーっぱりジェイルはお嬢の機嫌損ねるだけだったかー」
軽い声が聞こえたかと思いきや、メロは断りもなく部屋に入ってきた。ユウリもいる。
なんでこいつらまで伯父様に言われてあたしのところに?
もういい加減にしてよ。




