58.オフレコ⑧ ~メロとユウリⅡ~
「なんでおまえまでおれに手ェ出すんだよ」
廊下を歩きながらメロに文句を言われて、ユウリはこれ見よがしにため息をついた。
どうやら三つ編みを引っ張ったことを言っているらしい。
「君の行儀が悪いからでしょ。……君と仲良しだって思われるこっちの身にもなって欲しいよ」
「しょーがねーじゃん。おれはおまえみたいに行儀よくないし」
「そこで開き直るのが駄目なんだって……」
呆れてため息をつく。
ロゼリアは部屋に戻ってしまったし、ジェイルはユキヤを追いかけていったし、野次馬をして楽しんでいたメイドたちは休憩室かどこかできっと噂話に花を咲かせているだろう。
廊下には誰もおらず、普段より静かなくらいだった。
ちょっと気分転換をしようと思い、廊下の途中にあるバルコニーへと向かう。扉を押し開けて外に出ると、夏特有の空気が流れ込んできた。
ふう、と一息つく。
ユキヤはほぼ初対面の相手だったし、どういう人物かは噂程度にしか知らなかったので自分が思うよりも緊張していたらしい。良い家柄の人間というのは言動の端々から伝わってきたので余計に緊張してしまったのだろう。
バルコニーの手すりに手をついて目を細めた。
その隣でメロが手すりに腰を預けている。
「……部屋に戻らないの?」
「おれの勝手じゃん」
「まぁ、それはそうだけど……」
てっきり部屋に戻るものとばかり思っていた。わざわざユウリと行動を共にしたいわけではなさそうなので、何かしら聞きたいことでもあるのだろうか。
ふと視線を動かすと、離れた場所でジェイルとユキヤが話をしているのが見える。
何を話しているんだろうとぼんやりしているとメロの視線を感じた。顔は動かさずに視線だけを返すとメロが不思議そうにユウリを見つめている。
「ユウリはさー、今の状況に満足してんの?」
きょとんとしてから、少し考えこむ。
満足、という言い方はしっくりこなかったのだ。
「……満足っていうよりほっとしてる。息苦しさがなくなってるからね。以前よりもずっとロゼリア様のことを真っ直ぐ見れるよ」
「そのうち満足しそう?」
「今の状態が続けば……多分ね」
多分としか言えなかった。
本当にこの状態が続くかもわからないのも理由の一つだが、もっと気がかりなのはロゼリアとの関係が微妙なことだ。
薄々気付いていたがロゼリアはユウリの性格を根本的に苦手としているらしい。
それはユウリが『暴力を振るい、自分を虐げたから』という理由でロゼリアを苦手にしていた理由とはまた違う。以前のような傲慢かつ我儘なロゼリアでなければ、話は普通に通じるし他人を普通に褒めたりもするので、苦手には思わない。心の奥底に植え付けられた恐怖は簡単には消えないが、これは慣れるだろうと勝手に思っている。
結局のところ、ロゼリアにとってユウリは『相性の悪い相手』と思われているに違いない。だからこそ虐めたのだろうし、そのことを気にしているのも何となく伝わってきている。以前、チョコをくれたことがあったけれど、あれはロゼリアからの一方的なコンタクトだったから問題なかったのだ。コミュニケーションが発生するとどうにもボロが出てきてしまう。ユウリがロゼリアの神経を逆なでしてしまう。
どうにかできるものならしたい。折角立場も変わったのだから。
しかし、最悪の場合は出て行くしかないということくらいは頭の中にある。
そんなことを考えて小さく息をついたところで「そう言えば」とメロに顔を向けた。
「……そういうメロはさ、ちょっと前までは『突然逃げたら誤魔化しといて』なんてこと言ってたけど、今はそんな気はなさそうだよね?」
「は?」
メロが不思議そうに首を傾げる。
以前、キキも含めて三人で話していた時には「おれがある日突然逃げたらうまく誤魔化して」などと冗談交じりに言っていた。メロはそうやって逃げることもあるかもしれないとは思っていたが、今日の様子を見ているとそんな気など失せているように見えている。
メロは渋い顔をしてふいっと視線を背けてしまう。
「いや、なんでそうなるんだよ……」
「だって、今日『ユキヤさんがロゼリア様の旦那になるんだったら大歓迎』って言ってたじゃない? 逃げる気があるんだったら、未来の話なんてどうでもいいはずなのに……ああいうことを言うってことは、自分がロゼリア様の傍に居続ける未来を想定しているのかなって」
そう言うと何故かメロは不貞腐れたような顔をした。
別にユウリの言葉を肯定したって不利益はないし、軽い調子で「そうだ」と言えばいいのに、そう言わないメロが不思議である。
ユウリは顎に手を当てて少し考えこむ。
「……僕は前とは別の意味でこのままでいいとは感じてるからね。立場も変わったし」
「おまえは変わっただろうけどおれは変わってねーもん」
メロは不貞腐れたままの顔で言う。それを聞いてまたため息をついてしまった。
「ロゼリア様は君の扱いにちょっと困ってるっていうのもあるかも」
「はあ? なんでだよ」
「今日だって盗み聞きしようとしてたでしょ? ……ああいう素行が改善されないなら、変わらない気がする」
「うるせーな」
自覚はあるようなので不機嫌そうだ。メロは高校に通っていた頃も素行がいいとは言えず、マイルドヤンキーのような立ち位置だった。当然交友関係も悪いことに片足を突っ込んでそうなのがチラホラいて、周りが再三注意しても治らなかった。
が、ある時期を境に素行の悪さは鳴りを潜め、悪い連中との付き合いも絶っていった。聞けば「ただ飽きた」というだけの理由らしい。
そういう過去を思えば、周りがどれだけ言ってもメロ自身に何らかの変化がない限りは変わらないだろう。
ひょっとしたらロゼリアもそう思っているのかもしれない。ただの憶測だけど。
「なんか変な感じなんだよなァ」
「? 何が?」
「いや、おれが不自由っぽくなってて、おまえの方がちょっと生き生きしてんのが」
「酷くない?」
「仕返し。おまえはお嬢とコミュニケーション取るの大変そうだから別にいいけど」
何がいいんだろうか。というかメロがロゼリアとユウリのコミュニケーションが課題になっているという事実が知られているとは思わなかった。表には出しているつもりはなかったので。
ちょっと驚いてメロをまじまじと見つめてしまう。視線を受けたメロはおかしそうに笑った。
「アドバイスしてやろっか」
「何の」
「ユウリ、ちょっとオドオドしすぎ。そういうとこがお嬢の神経逆なでしてる。んでもって、お嬢はおまえのが自分より優秀だって思ってるから、自信がないとこ、散々な目に遭ったにも関わらずお嬢を立てようとするとこ、どう言い繕ってもおまえは『いい子』ってとこにムカついてる」
そんなのどうしようもない──。
と思って反論しようとしたが、メロが先を続ける方が早かった。
「で、お嬢は自分のそういうジレンマに気付いてて、今はそういうムカつきを抑え込んでるから、コミュニケーションがうまく行ってない。
前まではムカついたらソッコーで殴ってただろ? それができなくなったから、お嬢はおまえと話してると感情の処理ができないんだよ。殴ったらこれまでと同じになるし、お嬢がそれをしたくないっつーのは伝わってくる。
まァ、お嬢側の都合だよな」
言語化されて口を閉ざした。
ユウリはそこまで考えてなくて、もっと真摯に頑張ればロゼリアは自分を認めてくれるものだと思っていた。
ただ、ユウリが考えていた頑張りは恐らく見当違い。頑張れば頑張るほどにロゼリアのムカつきとやらが増すばかりで悪化していたに違いない。
メロの言うことを信じるのは癪だが、案外合っている気がした。
「……じゃあ、僕はどうすれば……」
「言ったじゃん。オドオドしすぎ、って。おまえ、そのせいで孤児院でも虐められてたんだから、もっと堂々としろよ。たぶん、お嬢を物申すってくらいの態度じゃないとお嬢のムカつきってなくなんねーよ」
物申すなんて考えたことはなかった。相手の機嫌を損ねないことを頭に置いた行動しかしてこなかったからだ。
けれど、恐らくそれがメロの言う『オドオド』なのだろう。
孤児院時代からそうだったし、ロゼリアに虐められたせいでロゼリア限定でそれが極まった気がする。自分のせいじゃないとモヤモヤする気持ちはあるが、決していい特性とは言えない。これを期に治した方が今後の自分のためにもなるはずだ。
「……気をつけてみるよ。なんか、メロにそういうこと言われるのって意外だった」
「貸しイチってことで」
あのねぇ。と肩を落とす。しかし、言っても無駄だと思い、何も言わない。
じんわりと汗をかいてきたことに気付き、揃って部屋に戻るのだった。
 




