51.閑話②
そして翌日、墨谷がユウリを連れて買い物に行った。
買いに行くことにしたのね。墨谷から念のためって感じで「何かご希望は」と聞かれたので「似合うやつを選んであげて」とだけ伝えておいた。実際は外商や店員がいい感じのやつを選んでくれる筈よ。
その点は心配してない。というか、まぁ、あたしの運命を左右するような話じゃないと思うし……。いやむしろユウリの服装選びがあたしの運命を左右するとかになったら大問題というか……。
どうせなら気分転換について行ってもいいかも、と思ったけど、またユウリと変な雰囲気になるのも嫌だったので考え直して、墨谷に任せることにした。
ユウリは何か言いたげにあたしのことを見てたけど……一旦保留。とにかくユウリとのことは保留。
夕方になって二人が戻ってきた。随分長いこと出掛けてたわね。って、一式新調するって言うとこれくらいかかっちゃうわね。選ぶのもそうだし、体型測ったり、直しとかも入るから。
ユウリは一日の外出で疲れてしまったらしく、墨谷だけが報告に来る。
「お嬢様、戻りました」
「お帰り。で、どうだった?」
「きっとお嬢様にもご満足頂けると思います」
「別にあたしは……」
どっちでもいいと言いそうになったところで、墨谷がずいっとあたしに近付いてきた。
小柄なおばあちゃんって感じ。下から見上げられてるのに、何故か不思議な威力っていうか圧みたいなものがある。
「お傍でお仕えするのですから、お嬢様の目に入ってもいい服装にしませんと!」
「え? あ、ああ、そうね……?」
「! ……あ。し、失礼いたしました」
あたしがびっくりしていると墨谷がそそくさと身を引いた。……多分、お母様にやるのと同じノリになっちゃったんだろうな。あたしはお母様似だから。
前までは墨谷のこういう態度が気に入らなくて、すぐに「うるさいわよ!」って怒鳴ってたから、自然と墨谷があたしから離れていったのよね。で、墨谷もあたしにおせっかいするのは良くないって思ったらしくて、全部キキに任せることにした、と。
そんなこと思い出して苦々しい気持ちになりつつ、あたしは墨谷の肩を軽く撫でた。
「気にしないで。墨谷はあたしのことを考えてくれたんでしょう? これまで散々な態度だったのに……ありがとう」
努めて優しく穏やかに、墨谷がびっくりしないようにゆっくりと告げる。墨谷は驚いた顔をあたしに向けてきて、それから安堵したように表情を緩めた。
墨谷の反応を見て安心してから手を離す。
「ユウリはどうだった?」
「あまりこういう機会がないからか、少し疲れてしまったようでした。今日はもう休むように言っています」
「わかったわ。そのまま休ませてあげて頂戴」
あたしは外出も楽しくて好きだし、あれこれ試着するのも好き。けど、ユウリはそういうことしてなかったと思うから疲れるわよね。
そうやって考えると、ユウリの仕事のペース? なんかもちょっと気を配らないといけないわけで……。
ジェイルと同じようにあれこれ頼みすぎるとパンクしちゃいそうよね。勉強のこともあるから注意しなきゃ。
◇ ◇ ◇
数日後、スーツの直しが終わったとかで墨谷が購入してきたスーツをユウリに着せてあたしのところに連れてきた。わざわざ見せに来なくても、と思ったけど、一応確認して欲しいってことよね。
ユウリが着てたのはグレーのスーツだった。変わったデザインでも何でもなかったけど、グレーの色味が優し気でユウリに似合ってる。ジェイルと同じにしなくてよかったかも。
緊張気味のユウリの周りをゆっくりと回り、しげしげと眺める。うん、問題なさそう。
「いいじゃない」
「あ、ありがとうございます」
そう言って、ぽんっと肩を叩いた。普通に普通に……変に意識しないようにユウリに接する。
ユウリは「いいじゃない」と言ったことに対してか、ほっとしているように見えた。
若干スーツに着られているというか着慣れてない感じもあるけど新品だもの、こんなものよね。そのうち馴染んでくるはずよ。
ユウリの確認をしてから墨谷を振り返った。墨谷はにこにこしている。
「墨谷、ありがとう。いい感じだわ」
「とんでもございません。楽しく選ばせていただきました」
「そう。服装には墨谷も気を配ってあげてね」
「かしこまりました」
「ユウリは服装とかで何か困ったことがあれば墨谷に相談して。詳しいから」
「はい、承知しました」
墨谷とユウリ、それぞれに一言ずつ伝えると二人とも素直に頷いた。
あたしが変に気負わずに普通に、というか、以前みたいにヒステリックにならずに冷静に穏やかに話をすれば相手もそのように返してくれる──という、当たり前のことを今更のように噛み締めている。
カッとなりそうな瞬間瞬間はなくもないけど、そういう場面でこそ落ち着けるようにしたい。少し前にユウリと話した時はすごく感情的になりそうだったわ。っていうかなってたわ。
こういう実感を積み重ねておこう、と思ったところでユウリが着ているスーツの裏地に目がいった。
「ん?」
ユウリの前に立ち、じっとスーツを見つめる。
あたしの視線に落ち着かない様子を見せるユウリ。墨谷も不思議そうにしてた。
「ちょっといい?」
一言断ってから、スーツの裾に手を伸ばす。ユウリは「はい」と小さく返事をしつつ大人しくしていた。
ぺら、とスーツの裾を捲ってみると、裏地が赤い。いや、赤ではないけど、ワインレッド? 真っ赤じゃないだけマシだろうけどちょっと派手じゃない? っていうか、これはユウリの趣味じゃなくない?
あたしは裾を持ち上げたまま墨谷を見る。
「墨谷。裏地、派手じゃない?」
聞いてみると、墨谷は穏やかに笑った。
墨谷は何でもなさそうな顔をしてるけど、ユウリがちょっとだけ気まずそうにしてる。
「それくらいの色なら派手ではないし、好まれる方もいらっしゃるとお店の方も仰ってました」
「ふーん。まぁ、伯父様はもっと派手だしいいのかしらね。比較対象が伯父様なのも違う気がするけど……」
「ふふふ」
墨谷が口元に手を当てて意味ありげに笑う。なんだろうと思っていると、ユウリが気恥ずかしそうにしていた。
? 何?
スーツの裾から手を離したところでユウリがおずおずと口を開く。
「……その、ロゼリア様が赤がお好きなので、取り入れたいと思いました」
予想外のセリフにぽかんとしてしまった。
ジェイルに言ったセリフ──じゃないわね。ユウリはあたしが赤が好きなことを知ってるもの。っていうか、この感じだと墨谷が何か入れ知恵したんだわ。ユウリの好きにさせればいいのに。
「……ユウリ、別にわざわざ──」
「あ、いえ。その、どういうものがいいかよくわからなかったので……」
「そう。あんたがそれでいいならいいわ。そのうちもっと好みがはっきりしてくるかもしれないしね」
「はいっ!」
なんでそう元気そうっていうか、嬉しそうなの?
多分、あたしにとってはユウリのことが一番謎だわ……。あたしからの被害が一番大きかった上に色々と嫌な思いもしただろうに、あたしに対して好意的な感じなのが本当に理解できない。
一旦ユウリに関しては保留と決めたから、ユウリのしたいようにさせておくけど……。
「お嬢様、他のスーツもご覧になりますか?」
「え? 着替えるのも大変でしょ? 別にいいわよ。墨谷なら変なのを買わないでしょうし、ユウリも変なのは選ばないでしょ。大体わかったから、ユウリは秘書としての仕事をする時はスーツを着て頂戴。すぐには慣れないかもしれないけど慣れて」
「はい、承知しました」
ユウリは笑顔で頷いた。笑顔は可愛くて、相変わらず加虐心が唆られてしまう。
そんな考えを打ち消すように軽く首を振り、ユウリから視線を逸らす。
「今度ユキヤに紹介するから。一応それが初仕事ってことになるのかしらね。……相手はユキヤだからそう気負う必要はないわ」
「は、はい」
墨谷が大丈夫ですよと言いたげにユウリの背中を撫でていた。
これで一旦大丈夫ね。あとはユキヤとの約束の日を待つばかり……。
ユキヤは一体何を考えてわざわざこっちに来る気になったのかしら。
結局、ジェイルがもう一度理由を聞いたけど言わなくて、椿邸に来ることで話がついたってことだし、当日聞くとしてもやっぱり気になるわ。
いい方向に話が行くことを祈るしかない。




