47.気持ちの変化②
あたしは何も言えないまま、ユウリからケースを受け取る。案外重い。え、何が入ってるの、これ?
預かったケースを執務机の上に置いて蓋を空けた。
「ぅわ」
思わず呻いてしまう。
確かにユウリが言っていた通り、携帯は入っている。多分買ってもらった時の新品に近い状態。分厚い説明書と充電器も。
……他にも、なんていうか……あったなぁって思うようなものが色々。
「え。なんで高校の時の手帳とか入ってるわけ? ……こっちは懐中時計?」
「当時大切にされていたので……本来ならもっと別の場所に保管するところなんですが、……僕が触れる場所は限られていたので」
記憶がすごく曖昧。ユウリが言うんだからあたしが「これ片付けといて」って言ったのよね。多分「捨てて」とは言ってないから、こうして一つにまとめておいたんだわ。勝手に捨てて後であたしが「なんで捨てたのよ、責任取れるの!?」って喚くのが見えてるし。
なんていうか……こうやって考えれば考えるほどにユウリって本当にできる子なのよね。
あたしがその才能の芽を潰してきて……あああ、罪悪感がすごい。今更罪悪感がすごい。今後アリスが救い上げてくれるかもしれないにしても、今現在のあたしの罪悪感がストップ高。
そんな罪悪感を外に出さないようにしれっとした顔で白くて小さめの携帯を取り出し、ユウリに見せる。
「これ、充電が切れちゃってるから充電してから渡すわ」
「承知しました」
「で、こっちが説明書。全部は読む必要ないと思うけど……目を通しておいて」
そう言って分厚い説明書を手渡した。いつも思うけど携帯の説明書ってなんでこんなに分厚いのかしら。全部読めるわけがないじゃない。
ユウリは説明書を受け取り、その場でぱららっと捲った。
「結構色んな機能があるんですね……」
「まぁ、電話をかけたり、受けたり……あと電話帳に登録したりできればいいと思うわよ」
「承知しました。──あ、文字を送ることもできるんですね」
「とは言っても文字数制限があるし、送信と受信にタイムラグがあるからいまいち使いづらいのよ」
「なるほど……」
前世であたしが使っていたようなスマホとは全然違ってメッセージ機能には制限がある。文字数は無制限じゃないし、ジェイルとも試したけど送信してから受け取るまでに酷い時だと一時間以上のタイムラグが発生した。通信技術がまだまだ拙くて、本当にそのあたりが発展途上って感じ。はぁ、スマホが恋しい……。
もし、あたしにその辺の知識があれば「スマホを作るわよ!」って革命が起こせるんじゃない……? まぁ、今はそんな場合じゃないけど。
あたしは近くのコンセントに充電器を差して、それを携帯に繋ぐ。少しすると電源ランプが点いた。よかった、使えそうだわ。
しばらくは机の上に放置することにしてユウリに向き合う。
「じゃ、充電が終わって確認したら渡すわね」
「はい、お待ちしています」
変なデータを入れてないかだけチェックをしたいからすぐ渡すつもりはなかった。ジェイルの時も要らないデータは消してから渡したもの。とは言え、触ってすぐに手放しちゃったから大したデータは入ってない。大丈夫だと思うけど、一応念のためね。
ケースの中身もあとで確認しよう。なんか今となっては捨ててもよさそうなものが多いわ。
ユウリが説明書を抱えたまま、書棚をしげしげと見ている。
前世の記憶が戻ってからというもの南地区についての資料が増加、いや、激増している。主にジェイルがまとめてくれたもので、商会リストとかアキヲ周辺の人物資料とか、商会の収益情報とか、とにかく関わりそうなものが色々。
……以前、あたしとジェイルが話していた時に割り込んできたくらいだもの、興味はあるのよね。多分。
「──ユウリ」
そっと声をかけるとユウリがびくっと肩を震わせる。
慌ててあたしを振り返って、申し訳なさそうな顔をした。
「あ、はい、すみません。じろじろと……」
「ここにある資料、見ていいわよ」
「えっ。あ、いや……、……えぇと、ありがとう、ございます。よろしいのでしょうか?」
さっき拒否ってあたしが怒ったからか、戸惑いつつも一旦は了承した。でもちょっと不安そうだわ。
確かにホイホイ見せたい資料ではない。社外秘的なやつだし……とは言え、今後ユウリに知恵を借りたくなるかもしれないし、ユウリも気になってるし、ユウリがこの情報を悪用するかって言うとそんなことはないだろうし……。
「いいわよ。ジェイルとの引継ぎついでに見ておいて。あと、ただ突っ込んでるだけだから整理してくれると助かるわ」
「わかりました。ジェイルさんにも確認して拝見させて頂きます」
そう言って笑うユウリ。
ちくちくと罪悪感を刺激される。
多分昔からこうだった。ユウリの言動、言ってしまえば存在自体があたしにとってのコンプレックスだった。ユウリみたいに優しい人間になりたかったわけじゃないし、あたしにこういう振る舞いは無理だってわかってる。
言語化がうまくできない。あたしがユウリに対して抱えているコンプレックスは何だか簡単に解消されない気がする。前は勢いだけで「あんたすごいわね!」って言えちゃったけど、ユウリに対して「すごいわね」「流石だわ」って言い続けることができない。別に言う必要はないんでしょうけど……自分のちっぽけなプライドが削ぎ落されるような感じがして無理。
黙り込んだあたしをユウリが見つめている。
視線が合うと、すぐに逸らしてしまった。あたしはユウリを認めているようで認めきれてない。
「……あの、ロゼリア様」
「……なに?」
「僕、孤児院ではいじめられっ子だったんです」
「は?」
急に何……!?
いきなりの話題についていけずに、あたしはぽかんとユウリを見つめてしまった。ユウリは照れくさそうに笑って更に話を続ける。
「以前、孤児院で一緒だった人を見かけました。悪い人たちと一緒にいて……僕もあのまま孤児院にいたら、自分の意志に関わらず、ずるずると悪い方に行っていたのかもしれません。そうでなくても、孤児院出身の人間が『普通の人生』を歩めるのは半分くらいらしいです。
そういう比較もどうかと思いますが、……僕は恵まれていると思います。
だから、ロゼリア様、ありがとうございます」
指先が冷える。微かに震えてしまった。
恵まれてる? ユウリが? ──こんな状況で?
ふざけないで、と怒鳴りたいのを堪えて、ゆっくりと深呼吸をした。
「……お礼を言われるようなこと、してないわ」
「ロゼリア様にとっては何でもないことが、僕にとってはすごく嬉しかったりありがたかったこと、たくさんありますよ。九条家に引き取られて、椿邸に来た時……すごく綺麗な女の子がいて、この人に仕えるんだって言われた時、嬉しかったんです」
「そんなの、」
「勝ったと思ったので」
堪え切れずに声を荒げる瞬間、ユウリがまるで見計らったようにあたしの言葉を遮った。
あたしの知るユウリの言葉としては似つかわしくない発言に目を見開き、にこにこと笑うユウリを凝視してしまう。
ゲームの中でも、ユウリはこんなことは言ってない。
「僕を虐めてきた子たちに自分の環境を見せびらかしたい気分でした。それからの二年は本当に、なんていうか……本当に勝ち組になれたんだと実感しました。孤児院よりもずっと良い衣食住が保証されて、仕えるべき主人は周りに自慢したくなるような綺麗な女の子で……。
これまで色々ありましたけど、今でもそうです。
よほどのことがない限り、この環境を手放したいとは思いません」
言葉を失った。
ユウリがこんなことを考えてたなんて、という驚きもあるけど、九条家の環境が、というよりあたしの傍にいることが『良い』と評価されるのが不思議でしょうがない。
「……あたしに、八つ当たりで殴られたり、遊びで傷付けられたり、ペット扱いされても?」
「はい」
「なんで……」
わけがわからなかった。どう考えても逃げられるものなら逃げたかったと思う。
なのに、ユウリはそうじゃなかったと言う。
その答えを求めるように見つめると、ユウリは困った顔をして口を開いた。
「情けない話ですが……僕、ここから外に出て普通に生きていける自信がないんです。椿邸を辞めていく使用人には、帰る実家があったから辞められたんだと思います。……でも、僕にはもうそういう場所がなくて……悪い方に行くか、野垂れ死ぬかの二択しか見えないんです。そうなるより、ここにいる方が良かったというのが……本音です。
……こんなことは、本来なら直接お伝えすることではないんですけど……ロゼリア様が僕の言動を不思議に思っているようだったので……失礼を承知で告白させて頂きました」
でもアリスがいれば──。
と、言いかけて口を噤んだ。これは言っちゃいけない。あたしだけが知っている情報だもの。
この環境にいることを「勝った」なんて、ゲーム内のユウリは言わなかった。まぁ、この発言はユーザーが見聞きしたらゲンナリする情報だわ……。ゲームでのユウリの主張は「ロゼリアが怖くて出ていけない。自分は弱くて生きる術がないからここでしか生きていけない」くらいのものだったから……。
これまでで一番びっくりした発言よ。
前世の記憶を取り戻してから、ユウリに対しては『いい子』だって思ってたけど……案外したたかな子だったのね。
純粋な『いい子』じゃないとわかってちょっとだけホッとした。
……ん?
でもこれって今の環境よりも良い環境があれば出ていくって宣言されたようなものなんじゃない? で、出ていくだけならいいけど、あたしへの復讐を企まれたら最悪……!
つ、突っこんで聞いてみるべき?




