38.オフレコ⑥ ~メロとユウリ~
メロにとって今日の仕事はただ行って帰ってくるだけのただの外出だった。長時間車に乗っていたので疲れたし、あの場に自分が必要だったのかは甚だ謎で、ジェイドがいれば事足りるのではないかと感じていた。ジェイル自身、やけにやる気でこれまでとは違う一面を見せている。とは言え、ロゼリアに「着いてきなさい」と言われたら嫌だとも言えずに、ただ着いていった。
この調子で時間が過ぎていくならこんなに楽な仕事はない。
以前のように憂さ晴らしに殴られることもなくなり、ロゼリアがあのままなら敢えて現状を変えたいとも思わない。いつか逃げてやる、という気持ちが薄らぎつつあった。
椿邸に入り、自室に戻るところでユウリと出くわした。
ユウリはメロの顔を見るなり苦虫を噛み潰したような顔をする。
「ただいま~」
いつもの調子で挨拶をするが、珍しく返事はなかった。ユウリはメロから顔を背けてそのまま横を素通りしようとする。
なんかユウリの気に障るようなことしたっけ? と呑気に首を傾げたところで、出掛けにユウリがロゼリアに「連れて行ってください」と言い出したのを思い出した。
その時、ユウリのことを笑ったのだった。
それでユウリが拗ねていることに気付き、思わずぷっと吹き出してユウリを振り返った。
「ンだよ、出掛けのこと根に持ってんの?」
「当たり前だよ。なんでああいうことを言うかな」
売り言葉に買い言葉と言った様子で、ユウリが肩越しに振り返ってメロを睨んでくる。基本、人当たりの良いユウリだが、メロに対してはたまにこんな態度を取ってくる。付き合いが長い故だ。
大体の原因がメロにあるのは自覚していた。
「ペットのままでご愁傷サマ~? って一言がそんなにショックだった?」
からかうように言ってみれば、ユウリの表情が険しくなった。
以前、キキを含む三人で話していた時に言われた「案外メロの方がペットだったのかも」というセリフに対する意趣返しのようなものだった。やられたのでやり返した、くらいなのにユウリはかなり気分を害したようだ。
夕刻。人のいない廊下で静かに睨み合う。
とは言っても、メロは睨んでいるつもりはない。ただ面白いと思って眺めているだけだ。
「……実際ペット扱いされてる僕と君じゃ、色々違うってわからない?」
「さァ? おれは必要あるかないのかわかんねーのにあっちこっち連れて行かれて面倒だけど?」
「僕はそっちの方がいい。君は君の仕事を、居場所を……ちゃんと与えられてるってことじゃないか」
意味がわからないとばかりに目を細める。
居場所もクソもないと思っている。ここにいるしかないからいるだけ。ユウリのようにやりたいことがあって、それができるだけの時間や金があるならさっさと出ていきたいと常々思っていた。今は事情が変わってきて、その気持ちが小さくなっているけれど。
メロに不満があるように、ユウリにも不満があるのはわかった。
だが、わざわざロゼリアの傍にいたがる理由がよくわからない。面倒なだけなのに。
もう少し聞いてみようと体ごとユウリの方を向く。ユウリもそれを見て、振り返ってメロを正面から見つめてきた。
「お嬢の傍がいいってこと? あんなに殴られたりしてたのに?」
「違うよ、できることがあるならしたいってだけ。──大体、あの人は今は誰にも手をあげないじゃない」
「そのうちまた元に戻るかもしんねーじゃん」
「そうだね。けど、戻らないかもしれない。あの人が変わったことでジェイルさんの雰囲気も少し変わったし、……僕が自分の立場を変えるなら今だと思ったんだよ」
「……別に変えなくても良くね?」
そう言うとユウリはこれ見よがしに大きなため息をついた。
心底呆れたと言うか、話しても無駄だと言わんばかりの雰囲気を感じ取り、少しだけムッとしてしまう。
ユウリはすっと視線をメロから逸して再度口を開いた。
「ペット扱いされてる僕がどんな気持ちでいるのか、君にはわからないよ」
そりゃわからないけど。と、言いそうになって口を噤んだ。多分、今以上気分を害してしまう。ユウリを怒らせると後々面倒なので今ばかりは空気読んで黙ることにした。
メロは基本空気は読まない。読めていることもあるが、敢えて無視をすることもままある。
確かにユウリの気持ちなどわからない。わかりたいと思ったことすらない。
孤児院時代から数えれば付き合いは長いものの、普通に生きていたらきっと接点すらない相手であろう。たまたま長い付き合いになってしまっただけだ。そう思っているのはユウリもそうだろうし、あるいはキキもそう思っているだろう。
ロゼリアに言われるがまま、あっちこっちに連れ回されるのは面倒だった。
現在の南地区のことに関わってない立場の方がよほど気楽だろうに、ユウリは関わりたいという。
本当によくわからない。
「……てか、勉強させてもらえて学校まで行かせてもらえるんだから、そっちに集中してた方がいいんじゃないの。ユウリだってブランクあるし、ちゃんとやっとかないと大学だって受かんないじゃん」
「それはそれ、これはこれだよ」
やっぱり意味が分からない。
メロは楽ができるなら楽できる方に流れていく性分なので、ある意味で勤勉とも言えるユウリの考えは全くもって理解が出来なかった。わざわざ自分で面倒な方に突っ込んでいくようなこと、メロなら絶対にしない。
訝し気な顔をしてユウリを観察する。
何かしら嘘をついているわけでもないし、妙な下心みたいなものも感じない。
「……わかんねー。おれならそんなことしないし」
「君はそうだろうね」
「大体、ユウリとキキはやりたいことやらせてもらえてずるくね?」
自分は不自由になっているのに、周りは自由を与えられている。
何かしたいことはない? と聞かれて、その希望を聞いてもらえている。その差がメロを面白くない気分にさせるのだ。
メロの言葉にユウリは目を見開く。前にも同じことを言ったからか、ユウリは心底呆れたと言わんばかりに溜息をついた。
「君ねぇ……普通は家の中で窃盗なんてやらかしてたら追い出されてもおかしくないんだよ? なのに無罪放免、その代わり自分の傍にいろって話に収まってる。温情かけてもらってるって自覚はないの?」
「……。……いや、まぁ、そりゃ確かに……普通に考えりゃそうかもしれないけど……鬱憤ばらしに殴られてたこととチャラって」
「だから、チャラになってると思うよ? その代わり、君がもう何もしないように見張る意味で傍に置いてるんでしょ。まぁ、君がそれじゃ割に合わない、もっと傷付いたっていうなら話は別だけど……そうだとしても、君がロゼリア様のものを盗ったりしてなければ僕やキキと同じように何かしてくれてたと思う」
ユウリの呆れたセリフがグサリと刺さる。
単純に窃盗という言葉に驚いた。確かに世間的に見れば窃盗だ。メロの感覚では「ちょっとお小遣いを貰っていただけ」という認識しかなかったので、自分の認識が周りとズレていたことに気付かされる。
ひょっとしたら、結構悪いことだったのでは? と。
メロの表情の変化を見たユウリが小さく息をつく。
そして、自室に戻るためにメロに背を向けた。
「メロはさ、ロゼリア様が今のまま……前みたいにならないんだったら、今と同じ待遇でも構わないんじゃない? でも僕は嫌なんだよね。将来を考えるような自由はないにしても、やっぱり今このタイミングはチャンスだと思うし」
「……チャンス、ねぇ。……ねえ、単純な疑問。おまえ、ここから出たいの?」
「そこまで考えてないよ。元孤児で学歴も社会性もない僕が、外に出てやっていけるとは思えないもの。ただ、いつか自立することを視野に入れて動きたいってだけ」
自立。呟いてみるが、全く持って現実味のない話だった。
──メロ自身、本当に今のままがいいのではと思わせる程度には現実味がない。
「キキもユウリも、色々考えてンだな……」
「君が考えてないだけだよ。もし、ある日突然あの人が事故死でもしたら……椿邸の使用人は減らされるよ。あの人のために連れてこられた僕らは恐らくその対象になるんじゃない?」
「……そりゃそっか」
抜け出したいとか逃げ出したいとか、色々と考えたことはあってもどれもこれも本気ではなかったように思う。ただ、そうやって言っていただけ。
じゃあね、とユウリが完全に背を向ける。
自分とは本当に全然違うと思いながらその背を見送り、自分もまた背を向けて自室に戻るのだった。




