34.下準備②
それから数時間後、ノアがやってきた。
ジェイルからリストのコピーを受け取ってから、あたしの執務室に挨拶に来てくれたのでそれをうきうきと歓待する。ノアと一緒にジェイルとメロも一緒に部屋に入ってきたのが若干気になったけど、まぁ、二人の仕事上は仕方ない、のかも?
以前と違ってちょっと余裕のある表情で、前回のようにお腹を鳴らしたりしませんって顔をしている。この子、いくつなんだろう? 最初は小柄で華奢だからそう見えるのかと思ってたけど、結構若いんじゃない? 15歳くらいにしか見えない。
「ロゼリア様、失礼します。ノアです」
「よく来てくれたわ。毎回お使いみたいなことさせて悪いわね」
「いえ、とんでもないです。これがぼくの仕事なので……」
そう言ってノアは書類の入った封筒をぎゅっと胸に抱きしめる。
かぁぁぁわいいいぃぃ……!
すごく可愛い。とても可愛い。何か美味しいものをあげたい。
けど、手元には何もないし、ノアは昼食を取ってきてるってことだったから無理に何かあげるとお腹が苦しくなっちゃうかもしれない。
あたしは努めて普通の顔をして、溢れ出そうになるニヤニヤを何とか微笑みにとどめた。
そうとは知らないノアはあたしを見て照れた顔をしている。これ、素でやってるのよね……ああ、あの時のノアの申し出を断らなければ今頃……っていやいやいや。駄目、もうやらないって決めたでしょ。
自分の考えを打ち消すように首を振ると、ノアが不思議そうに首を傾げた。
「ロゼリア様……?」
「な、何でもないのよ。そう言えばノアっていくつなの?」
「16です」
あたしの予想と当たらずとも遠からずって感じ。でもやっぱり若いわ。前世と違って色々な基準の年齢(?)が少し下なのよね。成人は18歳だったり(酒もタバコもOK)、免許関連も16歳くらいからOKの場合が多い。多分ゲーム設定のあれこれの都合で色々引き下げたんだと思う……。
……も、もうちょっとだけ眺めていたい。可愛くて癒やされるから。
長くは引き止めちゃいけないと自分に言い聞かせる。そして「ちょっとだけちょっとだけ」と更に自分に言い聞かせながら、ゆっくりと立ち上がってノアに近付いた。
ノアは不思議そうな顔をしている。ジェイルとメロもあたしの行動を不思議そうに見つめている。
あたしはノアの前に立つと、その頭をよしよしと撫でた。
ノアはびっくりして固まってしまい、あたしを凝視している。ジェイルとメロからも驚いた気配が伝ってきた。メロなんか「うわっ」って声出してた。
これくらいなら許されない? 駄目?
「いい子ね。まだ若いのに」
「ぇっ、えっ!? い、いや、」
「ふふ、可愛い。弟がいたらこんな感じだったのかしら?」
ノアが顔を赤くして、挙動不審になっていた。
はー、可愛い。色々考えすぎて疲れてるから癒される。
ひたすらノアの頭を優しく撫でていると、ジェイルもメロもものすごく微妙な顔をしてあたしを見ていた。何よ、あの目。変なことしてるわけじゃないし、ノアを労ってるだけなんだからいいじゃない。
「お嬢、弟ならおれとかユウリがいるじゃないっスか」
「はぁ? 嫌よ、ユウリはともかくあんたみたいに手癖の悪い弟なんて」
あたしは21歳、メロは20歳、ユウリは19歳。確かに年下で弟的な存在と言えばそうだけど、メロが弟なんて嫌だわ。ちなみにキキはメロと同じで20歳。……年下なのよね、三人とも。
固まったノアをひたすら撫で続けているとジェイルがため息をついてからあたしの方に近づいてきて、何をするのかと思ったらあたしを引き寄せるような態勢でノアから引き剥がしてしまった。
「お嬢様、灰田が困っていますのでそれくらいで……」
うっ。確かに困ってるところを見て楽しんでる図になっちゃってるのよね、これ。やり方が違うだけで前までと同じになってる、ってこと?
それは、まずい。
エスカレートする未来が見える。それは非常にまずい。
「急にびっくりしたわよね、ノア……つい」
「い、いえ、だいじょうぶ、です。お気になさらず」
あたしが手を下ろすと、ノアの頬がちょっと赤くなっていた。
可愛い。ユウリも昔はこんな風によく顔を赤くしてたわ。それが可愛くって、こう、エスカレートしてって、という流れもあったのを思い出す。何をどう考えてもよくない傾向だわ。
止めてくれたジェイルに感謝ね。後ろから腰を抱き抱えられてるような恰好になってるのは謎だけど。
それはメロの目にも変に映ったらしく、あたしとジェイルを交互に見つめてから、ジェイルへと視線を向けた。
「……。ジェイル、おまえなんかお嬢との距離近くね?」
「? どういう意味だ」
「別にィ。……ふーん、無意識か」
メロが訝し気な顔をしてジェイルを見つめる。問われたジェイルは特に気にした様子もなかった。
言われてみると確かに近い!
昨日、ジェイルに改めて感謝を伝えたことで距離が近くなった? いや、それでも近すぎじゃない? よほどのことがない限り、ジェイルはあたしに触れてこなかったし!
「ジェイル、離して」
「はい、お嬢様」
本当に他意はないみたいで、ジェイルはあっさり離してくれた。ちょっと安心。
ただメロはなんかジト目でジェイルを見ているし、ノアはあたしから解放されたもののなんか変な顔をしてジェイルを見ていた。
た、確かに近すぎたけど、そこまでの反応……?
二人から妙な視線を向けられているのが妙にむず痒い。とは言え、それを顔に出すのも何だか癪だったのでしれっとした顔でノアに向き合った。
「ノア。一ついい?」
「ぅえっ!? は、はい、なんでしょう?!」
「商会の買い取りについて、ユキヤと話がしたいわ。都合がいい時に、あたし宛に連絡するように言付けて頂戴」
「! は、はい! 承知しました」
ユキヤ絡みの話題だったからか、ノアがぴしっと背筋を伸ばして返事をしてくれた。
……いいな、ユキヤ。こうやって自分を信じてついてきてくれる相手がいるんだもの。
これはユキヤのこれまでの行動や性格に由来するところなのはわかっているし、あたしの無い物ねだりなんだけど……あたしがちゃんとしていたら、誰かとこういう関係を築けていたんだろうなと思うと寂しい。
これから、と自分に言い聞かせても不安しかない。
ノアをあまり拘束してもよくないと思ったので、挨拶はこれくらいにして「ユキヤによろしく」と伝えてそこで解放することにした。
◇ ◇ ◇
そしてその夜。ユキヤからあたし宛に電話があった。
『ロゼリア様、こんばんは』
「こんばんは。ノアは無事にリストを届けてくれた?」
『はい、私の手元に問題なく届いております。ありがとうございました』
普段通りの穏やかな口調での挨拶からはじまり、今日のノアのことについてのお礼が入る。うーん、礼儀正しい。ゲーム攻略中、こういう礼儀正しさも好きだったのよね……ただ、ずうっと礼儀正しいから、アリスとの距離が完全に縮まるまでは本当にもどかしかった。
仲良くなっていく過程が結構わかりやすかったジェイルとは大違い。
いきなりユキヤが迫ってきた感じがあったわね、攻略中……。
いけないいけない。考えが逸れてきたわ。
あたしは携帯を持ち直して、「それで」と先を促すように話しかけた。
『父が持っていたダミー商会ですが、私が見当をつけていたものとほぼ一致しました。ここで答え合わせが出来たのは大きいです。あとはロゼリア様が買い取れる商会がどれくらいなのか、』
「全部いけるわよ」
『そ、そうですか……』
予想よりちょっと数が多いのだけど、小規模な商会ばかりだから一つ一つの金額は大したことはない。あたしの手持ちで十分買えてしまう。手持ちと言っても全部伯父様のくれたお小遣いなんだけどね……。
ん? 全部買うとひょっとして支障があるのかしら。
「あ、全部買うとまずい?」
『い、いえ、そういうわけではなく……ロゼリア様の資金力に驚いてしまっただけです……』
「そうは言っても全部伯父様からのお小遣いよ。──あんたが驚くような力は、あたしにはないわ」
『あの、ロゼリア様……私の立場でこんなことを言うのも憚られるのですが、』
「え、何?」
『ロゼリア様のご協力で助かる人間がいるのですから、そんな風に仰らないでください』
あ、あれ? ひょっとして自分のことを卑下しているように捉えられたのかしら。
卑下だなんて、九条ロゼリアからは程遠い言葉だわ。でも、そうね。できないことばっかりって変に落ち込むことが多いからついつい「全部伯父様の力で、あたし自身には何もない」ってついつい……。
って、こんな態度はこれまでの『九条ロゼリア』からするとありえないのよね。
かと言って、以前のように自信満々ではいられない。その自信に根拠はないもの。
「──そうね。あたしがこんな調子じゃ、協力されるあんたも不安よね」
『そういうわけではないのですが……』
「まぁ、あたしの資金力が役に立つならよかったわ。……全部買い取る、でいいのかしらね?」
『え。はい、リストにない商会を使う予定だと思いますので……恐らく調査も早く済むと思います』
ユキヤって他の商会の情報も持ってるのね。
まぁ、アキヲの傍にいて、側近から情報を引き出していれば持っていて当然なのかも。あたしが突然調べようとしても情報なんて簡単に出て来なかったんだし……なんだっけ、一日の長ってやつかしら?
「わかったわ。アキヲにもそう話をする。で、こないだジェイルが伝えたように買い取りの件は直接アキヲに言いに行くから」
『かしこまりました。その時、私は以前の通りの態度の方がいいですよね』
「ええ、そうね。変にアキヲに気取られても困るしね」
とは言え、あたしがこれまで通りの態度でいられるかどうか……。
ユキヤにこれまで以上の親近感を覚えてるのは確かだし、自分で自分が不安。何にしても自分が一番の不安材料だわ。
小さくため息をついたところでジェイルがそっと近付いてくる。
こそ、と「あとは自分が」と耳打ちしてきた。
「あたしから伝えたいのはこれくらいね。あとの細かい話と日程の確認はジェイルとしてくれる?」
『承知しました。ジェイルには後で改めて連絡いたします。……それでは、ロゼリア様。ありがとうございました。おやすみなさい』
「ええ、おやすみ」
おやすみなさい、だって。推しの言う「おやすみ」の破壊力。不安やら何やらが吹っ飛ぶわ。
ほう、とため息をついてジェイルを振り返った。「あとで掛け直すって言ってたわ」と伝えると、ジェイルが静かに頷く。
今日はよく眠れそう。
 




