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32.UDON

 さて、ジェイルが慌ただしく執務室を出て行ってしまったことで仕事がなくなった。

 仕事と言っても今後の方向性を確認したり、懸念を洗い出すだけだったんだけ。もっとあたしがデキる人間だったらスマートにコトが運んだんでしょうね。

 『ロゼリア』は勉強は嫌いじゃないし、地頭も悪いわけじゃない。

 けど、頭がすごくいいわけでもないし、勉強も大得意というわけじゃなかった。

 つまり、普通の人間ってこと。

 普通の人間にできることは限られていて、例えば伯父様のように誰かから絶対の信頼を集められるわけでも、ユウリのように頭が良くて勉強にも意欲的なわけじゃない。

 ……本当に限界を感じる。

 後継のことは、本当にそのうち伯父様に「無理」か「向いてないと思う」と話をしなきゃいけないことだわ。今は南地区のことをどうにかしなきゃいけないから、そんなこと言ってる場合じゃないんだけどね。


 ジェイルにはあたしの意志は伝わったと思いたいし、落ち着くまでは大丈夫のはず。

 けど、ゲームが始まったらどうなるのかわからない。

 アリスが現れた途端にあたしのことを裏切ってしまったり、ゲームの力によって強引にストーリーが捻じ曲げられたりする可能性もないとは言い切れない。今のところ『ゲームの中にいる』って感覚は全くないのよ……。

 その辺も全く予想がつかないし、わからないのが不安……!

 ゲームがスタートした途端、全部にリセットがかかって『レッド・ロマンス~この恋は血の香りがする~』がはじまっちゃ困るのよ、本当に。これまでのあたしがやってきたことは全部意味がなくなっちゃう。

 そうなったら潔く死を……い、いや、無理。無理よ、死にたくない。

 考えないようにしてるけど、考え出すと本当に不安しかないわ。


 窓際のテーブルで突っ伏してしまう。

 今日は天気が良いわ。日がちょっと熱いくらい……。ここに長時間いると日焼けしちゃいそう。

 これまで日焼けだってしないようにやってきたし、これからも気をつけていきたい。けど、色々と気持ち良いのと丁度良いので身動きが取れない。二度寝って時間じゃないけど、ちょっと寝ちゃおうかしら……。


 そんなことを思ってウトウトしていると扉がノックされる。

 あたしはのろのろと身を起こして「どうぞ」と声を向けた。メイドが静かに入ってきて、頭を軽く下げる。


「お嬢様、昼食のご用意ができました」

「え? ああ、もうそんな時間なのね……すぐ行くわ」

「かしこまりました」


 のんびりと立ち上がって、ぐっと両手を天井に向けて突き上げる。

 ほんといい天気。午後は少し出かけようかしら。

 明後日のことを考えながら部屋を出て、食堂に向かった。


 椿邸の食堂は結構スペースがあって、ちょっとした宴会や食事会ができそうな広さがある。それを今はあたし一人で使っている状況。昔は家族で使っていたものの、当然ながら他に使う人間がいない。

 あたしはいつもの席について昼食を待つ。

 最近、ご飯の時間もすごく楽しみになったのよね。前はそれほどじゃなかったし、何なら出てきた料理にケチつけることもあったけど、本当に最近は美味しく頂ける……。今の味覚がどちらかというと『前世の私』の方に寄っているからだと思う。


 こないだのリクエストの件もあったし、今日はなんだろうと思ってワクワクしながら待っていると水田がやってきた。

 普段の給仕はメイドに任せきりなのに珍しい。しかもその後ろにはこれまた珍しく墨谷もいた。

 あたしの目の前に器やら何やらが置かれて、最後に置かれたのはなんかちょっと高級そうな桶に入ったうどんだった。湯気が立っていて、出来立て感がある。


「うどん……!」

「はい。お嬢様が食べたいと仰っていた中で特に珍しかったものです」


 その様子を墨谷がヒヤヒヤした様子で見守っている。しかも食堂と厨房を繋ぐ出入り口ではメイドや使用人がこっちの様子を伺っていた。

 そんなに集まる……? なんかちょっと食べづらいわ。


「俺の一番美味しいと思う方法で、と言って頂けたので……釜揚げうどんにしてみました。どうぞご賞味下さい。天ぷらもご用意させて頂きました」


 これで更に好きに食べろってことなのね。

 あー、うどんなんて久々だから『前世の私』の貧乏舌が喜んでるわ。もちろんあたしも。

 そして、水田は用意してくれた薬味と天ぷらを説明してくれる。薬味はシンプルにねぎ、すりごま、しょうが、天ぷらは大葉と茄子、海老。

 うどんは水田が自分で打ったらしい。そんなこともできたのね、知らなかったわ。料理に関してはかなり色々作れるらしくて、あたしは改めて感心してしまった。


「わかったわ、ありがとう。……それじゃ、いただき──……って、水田も墨谷もずっと見てる気?」


 説明が終わったら去るかと思いきや、水田も墨谷もどこか緊張した面持ちであたしの食事風景を見つめている。

 今までは配膳が終わったらさっさと、というか、逃げるように厨房に戻ってたのに……。こうやって食べてるところをじっと見られるのは流石に気まずいわ。

 箸を手にして二人を見ると、二人はちょっと困ったように笑う。


「いやぁ……お嬢様がどんな反応なさるのかが気がかりで……」

「私は水田にリクエストしたという話しか聞いておりませんから……本当にこれで良かったのかと……」

「……。……分かったわ、気が済んだら戻って頂戴」


 ちょっと落ち着かないけどしょうがない。

 食べるところを見せて水田と墨谷が納得してくれるならいいわ。これまでのことを考えると不安になるのは当たり前と言えば当たり前だし、あたしがこれまでのような食事を求めてないってことがこれでわかってくれれば……。


 そう思い直すと、あたしは「いただきます」と口にしてから、ひょうたんの形をした壺(?)から出汁を器に注いだ。まずはそのまま頂かせてもらおうじゃないの。

 口元が緩む。だってもう既に出汁からふんわりいい香りなんだもの。

 貧乏人の食べ物でしょって嫌ってきたのは一体何だったのかしら。

 うどんを箸で掬い上げて、桶の端っこでお湯を落として……出汁を入れた器に入れる。あんまり出汁につけすぎないようにしながら、うどんをそうっと口に運んだ。とは言え、音を立てるのはどうしても抵抗があったので、音を立てないように静かにゆっくりと啜る。


「!!!」


 自分の表情が明るくなるのがわかった。

 出汁はちょっと濃い目で、それでいて甘め。甘いのはあたしの好みに合わせてくれたのと、そのうち薄くなるからちょっと濃い目なのよね。多分。うどんもお湯の中に入ってるのにコシはしっかりしてて、ふにゃふにゃしてない。

 つまり、すごく美味しい……!

 ウキウキしながら二口目。はー、やっぱり美味しい。

 たかが『うどん』、されど『うどん』。

 水田に言えばこんなに美味しくしてもらえたのに、どうしてこれまでそういう発想がなかったのか……。


「……お嬢様、お味は……えぇと、いかがでしょうか……?」

「えっ、あ、うん! すごく美味しいわ!」

「ああっ、お食事中に失礼しました! 引き続きどうぞお楽しみ下さい」


 水田は堪えきれないと言った風にあたしに味の感想を求めきて、あたしが「美味しい」と言うとすごーく嬉しそうな顔をしてびしっと頭を下げた。そこまでする必要ない気がするわ。

 対して墨谷は「信じられない」と言わんばかりの顔をして、口元を両手で押さえていた。何も言わずにただただあたしを凝視ししている。……そんな反応する?


 天ぷらもサクサクで美味しいし、薬味を入れると味変が出来て全然飽きない……。

 素朴というか、シンプルで素材の味(?)がバッチリ堪能できる食事に感動してしまって、あたしは噛みしめるようにしてうどんを食べきった。

 多分今までで一番満足感のある食事だわ。

 食べ終わるのが勿体ないような心地になりながら手を合わせる。


「ごちそうさまでした」

「お粗末様でした!」

「水田。本当にすごく美味しかったわ。ありがとう。これからもよろしくね。残りのリクエストも期待してるから」

「はい、お任せ下さい!!」


 結局、二人ともずっとあたしの食事を見ていたわ……。美味しかったからあんまり気にならなかったのが幸いね。

 墨谷は何も言わないまま、あたしのことを見つめてる。目が合うとすっと視線逸してしまった。遠くからあたしのことをこそこそと見つめていたメイドや使用人たちも「信じられない」って顔をしている。

 人を珍獣みたいに……。まぁいいけど。

 お腹もいっぱいになったので、もう一度水田に礼を言って食堂を後にした。


 とは言え、「ロゼリアがうどんを食べた。そして美味しいと言った」という話はまぁまぁインパクトがあったらしい。

 これまであたしの変化を目の当たりにしつつも、いまいち信じきれなかった人間にとっては、「ロゼリアの変化」を決定づける事件(?)だったみたいで、メイドや使用人があたしのことを極端に警戒するようなことはなくなった。

 うどん一つで? って不思議には思うものの、悪いことじゃないからよしとした。

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