31.感謝
「──わかった。それじゃ」
ピ。と電子音がして、電話を切ったことがわかった。
あたしは計画書の気になるところに印をつけていたところだったので、一旦ペンを置いてジェイルを見上げる。
「終わった?」
「はい」
「ユキヤ、他に何か言ってた?」
「特には」
「そう、じゃそっち座って」
そう言ってあたしは窓際にあるテーブルセットを指さした。
しかし、ジェイルは静かに首を振る。
「いえ、自分はこのままで」
あんたのでかい図体が目の前にあると威圧感があって嫌なのよ。
とも言えずに、とりあえず無言でジェイルをじーーーっと見つめた。いいから座れ、という意味を込めて。
ジェイルはものすごく微妙な顔をして、それからあたしの視線に耐えられなくなったと言わんばかりに椅子の方へ移動した。
それを見て頷き、計画書や書類を持ち上げて立ち上がった。ジェイルが座っているテーブルセットの方に向かい、書類なんかをテーブルの上にどさっと置く。
「お嬢様?」
「残りはこっちで仕事をするわ。と言ってももう話をすることもなさそうだけど」
言いながら、ジェイルが座っているのとは反対側の椅子に腰をおろした。
結果的にジェイルは向かい合うような形になる。そう言えば、こんな風に同じくらいの目線できちんと向かい合ったことってなかったかもしれない。こないだお菓子を食べた時もジェイルは立ったままだったし。
馴れ馴れしいメロと違って、ジェイルは距離感を崩さないのよね。仕事人間って感じ。
それはそれで困らないからいいのよ。ただ、あたしは仕事人間じゃないし、ずっとそういう感じは無理。適度に気を抜きたいと言うか、リラックスした状態で望みたい。
も、もちろん、真面目に真剣に取り組むわ。
とんとん、と書類を机の上で整えていると、ジェイルがあたしのことを見つめていた。
なんだろうと思って顔をあげると、視線がかち合う。
瞬間、ジェイルがギュンッと結構な勢いで首を真横に曲げ、何故か窓の方を向いた。
「……首、痛くなかった?」
「ご心配には及びません」
「なんか、あんた最近たまにおかしくない……?」
「気の所為です」
「ならいいけど……」
本当かしら。と、疑問に思うけど、あたしがあーだこーだしつこく聞ける関係でもないしね。
……まぁ、仲良くなりたい気持ちがないわけでもない。
と言うのも、あたしには友達とか、そういう存在が本当にいない。
ジェイルと友達になれるかどうかはさておいて、ちょっとくらい気を許せる相手が欲しい……。
今は、南地区のことがあるし、何よりも伯父様の命令があるからジェイルもあたしの言うことを聞いてくれてるだけなのよね。本当に薄い関係だと思う。……「最初はクソだと思ったけど、終わってみれば普通だったな」くらいの感覚は手に入れたいと言うか、多少は信頼を得たいというのがやっぱりあるのよ。
どこまで挽回できるんだろう。
計画書を手渡すと、ジェイルはちょっとだけこっちに顔を戻しながら受け取った。
ちょっと動かしづらそうなのが気になって眉間に皺を寄せてしまう。
「やっぱり首痛めたんじゃない? わけわかんない動きするから」
「違います。自分のことはどうぞお気になさらず」
「いや気になるわよ。腫れたりしてない?」
少しだけ前のめりになって手を伸ばすと、ジェイルがその分だけ身を引いた。
中途半端な状態で手が止まってしまったので、あたしはジェイルをジト目で見つめる。が、ジェイルはあたしと目を合わせようとしなかった。
「ちょっと」
「本当に大丈夫です。自分のことなど気にせずに、」
「気になるわよ。あんたに突然なんかあったらあたしはどうしたらいいわけ? あんたのこと頼りにしてるんだから……ユキヤには平和でいて欲しいって言ったけど、あんたも同じよ。元気でいてくれなきゃ困るの」
「えっ」
手を引っ込めつつため息交じりに言うと、ジェイルは心底驚いた顔をしていた。
前世の記憶が戻ってから、ずーーーっとジェイルを連れ回してあれこれ指示したり、色々聞いたりしてるんだけど、ジェイルには「頼りにされてる」って認識はなかったの? ただ正規の仕事をこなしている状況だっただけ?
……頼りにしてるのは、伯父様の意向をきちんと理解してるジェイルだからって理由があるのはもちろんの話。
あたしは居住まいを正して、真っ直ぐにジェイルを見つめる。
ジェイルは居心地の悪そうな顔をして、あたしのことを見つめ返してきた。
「もう一度言うわ。ジェイルのこと、頼りにしてる。……勝手な言い分だけど、これまで散々好き勝手してきた分を何とか取り返していきたいの」
「お嬢様……」
引き続き驚いた顔をするジェイル。
計画中止からずるずるとここまで来ちゃったし、ジェイルに対してこういうことを言ってなかったわね。何となくわかってくれてる気がしてたわ。
でも、こういうことはちゃんと口にしなきゃ駄目ね。
「あんたはあたしの尻ぬぐいなんて気が進まないだろうけど、伯父様の顔にこれ以上泥も塗りたくないから……協力して欲しいの」
「──これまで、お嬢様が何故このような行動を突然起こされるのかがわからないところが多かったのですが、……今ようやく腑に落ちた気がします。お嬢様のサポートは俺、いや、自分の仕事でもありますから、協力はさせて頂きます。協力、というのもおかしな言い方ですが……」
そう言ってジェイルは口元を緩ませた。それを見てほっとする。
ようやくちゃんと自分の意志を伝えられた、かしら?
「前、アキヲに計画の中止を言い渡した日から今日まで、ジェイルの行動に不満はないわ。これまであたしは散々な人間だったにも関わらず、指示を聞いてくれて、色々こなしてくれてるのは……えぇと、なんて、いうか……」
ちゃんと言葉にした方がいいって自覚したばかりでしょ。何日和ってるのよ。
『今のあたし』が言い慣れないのが何だって言うのよ。『前世の私』は本当に気軽に口にしていたのに。
言い淀むあたしにジェイルの視線が突き刺さる。真っ直ぐに伝えるのがどうにも気恥ずかしくて視線を落としてしまった。
これまであんまり口にしてきてない言葉だから、ジェイルもあたしが何を言うのか想像がつかないんだわ。
すう、はあ。とゆっくりと息を吸って吐いて、もう一度正面からジェイルを見つめた。
「感謝してるの。……ありがとう」
まさかあたしの口から真っ直ぐに感謝の言葉が出てくるなんて思ってなかったのか、ジェイルは呆気に取られていた。
しかし、数秒経ったところで、ジェイルは急にガタッと椅子を蹴倒す勢いで立ち上がる。今度はこっちがびっくりしていると、ジェイルはどこか慌てた様子で自分の分の書類を掻き集めて、くるりとあたしに背を向ける。
「お嬢様に敢えて感謝を伝えて頂けるような働きはしてないと思います。申し訳ございませんが、部下との打ち合わせがあるので一旦失礼します。……今後とも精進します」
そう言って慌ただしく執務室を出ていってしまった。
あたしはそれを見送ることしかできない。
ただただぽかんと、傍から見ると間抜けな顔をしていたに違いない。誰も見てないのが幸いね。
びっくりさせすぎちゃったみたいだわ。
これまで言えなかった、というか、伝えるという発想すらもなかった感謝の言葉。今後はもっと自然に、『前世の私』のように言えるようにしていこう。「助かる、ありがとうー!」とか、よく言ってたのに、『今のあたし』は全然ダメダメだわ。
それはそれとして、ジェイルの耳が赤かったように見えたのは気の所為? いや、気の所為よね。
はー、『らしくない』ことをした自覚はある。まぁそうは言ってもやっぱり伝えることは伝えなきゃ、よね……。
相手を驚かせるにしろ、これが当たり前になるようにしていかなきゃ……。