03.これからのこと②
午後。
呼んでおいたジェイルが来るらしい。こんなに早く来るなんて思ってなかったわ。
雨宮ジェイル。
ガロに忠誠を誓う堅物で、ガロの命令でロゼリアの側近をやってる。我儘放題のロゼリアを良く思ってなくて、たびたびロゼリアに意見して衝突……もとい、ロゼリアの反感を買っている。ロゼリアが手を出すこともしばしば……じゃなくて、かなりの頻度でビンタをお見舞いしていた(「あたしの言うことが聞けないっていうの!」って言って頬をバチーンってな具合)。
だから、ロゼリアもジェイルのことは良く思ってないのよね。自分の思い通りにならないから。
今は大丈夫。何を言われても手は出さないわ……。
ジェイルは相変わらずの仏頂面で部屋に入ってきた。
身長が高いし、がっしりしてるから目の前にいると威圧感がすごい。
「ジェイル」
「はい、お嬢様」
「南地区の視察に行きたいわ。予定を調整してくれる?」
そう言うとジェイルは目を丸くした。とは言っても表情はほとんど変わらないけど。
これまでのロゼリアは管理を任されている南地区に『個人的な用事』でふらっと行くだけだった。比較的穏やかというか大きな問題もなく安定した地区だから、言うほど管理も必要ないっていうか……そういう場所だから伯父様もあたしに任せたのよね……。
だからって何もしなくていいわけじゃないし、ロゼリアが杜撰な管理をするから穴場だと思われて闇取引の場にされたりするわけよ。
「どのような──……いえ、承知しました。すぐ調整します」
「ええ、お願いね。できるだけ早めに」
「はい、承知しました」
「あと悪いんだけど、南地区の地図と商会のリスト持ってこさせて」
「……。承知しました。すぐ用意させます」
ジェイルはひたすら不思議そうだった。
まあ、普段なら絶対に言わない「悪いんだけど」なんて言い出したら驚くし、急に仕事熱心っぽくなれば不思議に思うわよね。
でも、このあたりをちゃんとしとかないとあたしはデッドエンド一直線なのよ。
ゲームはほぼ攻略済みだから、その情報のおかげで押さえるべきポイントはわかってる……!
この時期には既に南地区は穴場だと思われてて、違法なブツの取引が行われてる。妙な輩が出入りしてたり、不自然に小規模の商会が増えてるはずだわ。ダミー会社みたいなのが。
そういうのを潰して、怪しげな取引は摘発して、監視を強くして、浄化していくしかないのよね。多分。
「お嬢様……」
「何? もう下がってもいいわよ。あ、視察にはあんたも同行して」
「は、承知しました。……では、失礼します」
ジェイドは仏頂面に驚きをトッピングしたような顔のまま、一礼して部屋を出ていった。
これまであたしは南地区に行く時、絶対にジェイルは連れて行かなかった。
理由はただ鬱陶しかったから。
あたしの行動にいちいち意見して、二言目には「ガロ様は~」だもん。嫌になっちゃうわ。そういう気持ちは思い出せるし、今だってないわけじゃない。
まあ、けど。
ジェイルを連れて行くことにはいくつか意味がある。
一つ目、あたしをジェイルに監視させて、「前とは違う」「変わった」と知らせること。
二つ目、ジェイルに文句をつけられないような対応をすれば、伯父様の意にある程度沿えること。
三つ目、……これは微妙だけど、あたしが多少真面目なったら、ジェイルとその部下たちを起点にあたしの評判が良くなるかも知れないこと。
全部があたしの思惑通りになるなんて思わないけど……!
外にアピールしないと意味ないのよ……!
「……はぁ。不安すぎる……」
額を押さえてため息をついてしまった。
何もしないままだとゲームが始まって、死んでしまう。
ゲームを楽しくやってた身としては、アリスにはぜひ攻略対象の誰かと恋に落ちて欲しいけど……それがイコールあたしの死に繋がるんだもん、やってられないわ。ああ、うまく両立できないかしら。
でも『二兎追う者は一兎も得ず』ってことわざもあるから、とにかくあたしはどうにかこうにか死の運命から逃れたい。
悶々と考えていたら、扉が控えめにノックされた。誰かしら。
「誰?」
「あの、ロゼリア様……ユ、ユウリです」
「入っていいわよ」
そう言えば部屋から追い出したままだったわ。
入っていいと告げると扉がゆっくりと開いて、子犬のように怯えたユウリが顔を出した。
「どうしたの?」
「あ、あの、……お茶やお菓子がいるか聞いてくるように、と……」
言われて時計を見る。もう三時か。おやつの時間ね。
気を張ってるのと、色々考えてるからか、確かにちょっと小腹が空いてる。
「そうね。適当に何か持ってきて頂戴。なんでもいいわ」
「……なんでも、ですか……? えぇと、あ、あの、ロゼリア様、」
「──わかったわよ。えぇと、そうね……ドーナツとコーヒー」
「かしこまりました!」
「適当」「なんでもいい」という言葉にユウリがすごく困った顔するものだから、なんとか今食べたいものをひねり出した。どうしても、って感じじゃなくて、甘いものなら何でも良かったのに。
でも、これまでのあたしの「なんでもいい」は言葉通りの「なんでもいい」じゃなかった。
「なんであたしの欲しいものがわからないのよ」「こんなものであたしが満足すると思ってるの」って、まぁ、とにかく理不尽の塊だった。
今のも、前までだったら「あたしが何でもいいったら何でもいいのよ!」ってユウリを追い出すところだったわ。けど、ユウリはオーダーを受けるメイドや料理長の心配をして食い下がったのよね。自分が「うるさい、しつこい!」ってぶたれる心配もあったのに……いい子……!
って考えると、前までのあたしって本当に短気だし、我儘だし、横柄だし、理不尽だし……。
良いところがない。顔しか良いところがない。顔だって美人だけどきつい顔立ちだから万人受けはしない。
本当に恨まれてもしょうがない。
いつまで今の状態が維持できるのか、不安でしかないわ。
ちなみに。
その後でキキが持ってきたドーナツは前世のあたしが想像していたドーナツじゃなかった。
ドーナツが二つにスライスされて、間に生クリームとフルーツが挟まってるのよ。実質ケーキだわ。フォークとナイフもあるし。
いや、わかってたんだけどね。片手で手軽に食べたかったの、本当は。
しょうがないわ、こればっかりは。
ドーナツを食べ終えて食器を片付けさせたタイミングでジェイルが地図と商会リストを持ってきた。
あたしはそれを受け取り、早速執務机の上に広げる。ジェイルはすぐに部屋を出ていくかと思いきや、何故かあたしに付いてきた。
「お嬢様」
「うん?」
「南地区への視察の件です」
「もう連絡してくれたの? 早いじゃない」
「はい。三日後にぜひ、ということでした」
あたしは机に広げた地図とリストとから顔を上げ、目を見開いてしまった。
向こうにも準備があるからてっきり早くても一週間後とかだと思ってたわ。
ああ、そうか。
あたしが南地区の現代表──湊アキヲに進めさせている計画の進捗確認だと思われたんだわ。手をもみもみしながら「順調ですよ」と言ってくるアキヲの顔が思い浮かぶ。
闇取引に使える場所を増やそうとか、違法な賭場をこっそり増やそうとか、地下オークションなんかも開催しようとか、そのための人員を確保しようとか、そういうやばい計画をあたしとアキヲは秘密裏に進めていた。ひっそりと増える闇取引は見て見ぬふりをして、そういう奴らからは上納金みたいなものを結構受け取っている。
その計画が大詰めを迎えるのが9月、つまりゲームスタートの少し前。
あたしとアキヲは伯父様や周囲に対してはその計画を完璧に隠していた。
けれど、主人公・アリスが所属する組織『陰陽』には計画が漏れている。いつからマークされていたのかは定かじゃないんだけどね……。
まず、この計画を中止させるのがあたしのやるべきこと。
「……あんた、自分が同行するって伝えた?」
「いえ、伝えていません」
「当日まであんたが同行するってことは伝えないで」
「? 承知しました」
よかった。ジェイルを連れて行くことが牽制になるから、先に知られてたら警戒されてた可能性がある。
こればっかりはあたしがこれまで必ず一人で出向いてたのが功を奏したのかもね。アキヲもあたしが一人で行くって思ったに違いない。ジェイル自身、余計なことは言わない性分だし。
「ジェイル、あんたの部隊から何人か同行させて欲しいわ。人選は任せるから」
「承知しました」
「あとメロも連れてくから」
「……。……承知しました」
あ、今絶対「嫌だなー」って思ったわね。
仏頂面で表情はほとんど変わらないのに案外素直っていうか、結構視線が雄弁だからわかりやすい。
ジェイル、あたしの言うことを何でも聞いて一切諌めないメロのことをよく思ってないのよね。
逆にユウリに対しては同情的で、色々フォローをしている。
攻略対象同士の人間関係もちょっと面白いのよ。
ジェイルが部屋から出ていき、あたしはようやく地図をしっかり見ることができた。
「う、地図が細かい……!」
ゲームの時は、なんていうのかしら……もっとざっくりした地図だったのよ。三つくらいに色分けされてて、行き先に丸が付いてるってレベルのやつ。それをただカーソルで選択するだけだったんだもの。
南地区がこんなに細かいなんて……!
道路とか脇道とか、詳しい地域の名前とか!
……こうやって見ると、前世の記憶が蘇ってここがゲームの世界なんだって認識しても、実際はちゃんとした『世界』なんだなあって実感した。
この道路や、小道や、街の中に、人がいて、生きている。
そして、あたしもここで『九条ロゼリア』として生きてきた。
ゲームの中の『ロゼリア』は他の人間を虫としか思ってない極悪非道だったけど、今のあたしはそうじゃない。前世のことを思い出したあたしは、それなりに幸せだったこともあって、他人を虫だなんて思えない。……鬱憤とか面白くない気持ちは、確かにあるんだけどね。
前世の記憶と、死にたくない気持ちが、それらを落ち着かせている。
今からでも、まっとうに、マシに、なれるはず……!
「……確か、アキヲとかの本拠地がここで……ここから南東の地域に、取引用の倉庫をいくつか作って、って話だったわよね。ダミーもあちこちに作って……賭場、賭場は……本拠地からそう遠くない繁華街の地下に作るって話で……」
ゲームの地図が簡単すぎたから、なんとなくの場所しかわからない。
計画のことも、アキヲがメインで進めてて、あたしは好きに口を出して金を出したり貰ったりするだけって感じだから詳しく覚えてない。いや、あたし専用のホストクラブを作れって言ったことだけは覚えてる。今となっては要らないし、そんなものを作ってどうすんのよって気持ちしかないんだけど……いや、嘘。気にならないといえば嘘になっちゃう……!
紙かデータで計画書は──もらってない!
面倒とか証拠に残るからとかって理由で受け取ってないんだわ。
ザル! あまりにザル! 自分で自分にがっかりする!
今更「やっぱり頂戴」なんて言ったらアキヲに警戒されるかしら。いや、よく考えたら改ざんしたものを寄越してきそうだわ。なんとか原本を入手できないものかしらね。
絶対あたしの知らないヤバい案件もあるはずなのよ……!
今はいい案が思いつかないから保留。
「一旦こんなものかしら……」
色々とメモをした地図を見て息をつく。
次は商会のリストなんだけど……そう言えばゲーム内で細かい商会の名前なんて出てこなかったのよね。それこそ『小規模なダミー商会が増えている』くらいの情報しかないわ。
名前もおかしなところは見当たらないし……。
発足した年月日の情報が必要かも。それでも詳しく判別はできないから、最近できた商会を洗っていくしかないわね、これは。
「商会の確認は後回しね。……あとは、何かあるかしら……」
今のうちにできること──。
ハルヒトの調査でもしてみる?
いや、やぶ蛇になりそうだし、万が一八雲会に見つかったら厄介だわ。
アリスが所属している組織『陰陽』の調査?
いやいや、これはめちゃくちゃ危ないわ。
そもそも、ゲーム内でも『陰陽』のことは詳しく説明されていない。
ただ、主人公であるアリスが所属している非公式組織な組織ってだけ。アリス自身も『陰陽』の末端構成員、っていうか暗殺者でしかなく、組織の全容は全く把握してない。
だからこそ『陰陽』という組織に疑問を抱くんだけどね。
ゲーム内での『陰陽』は、ロゼリアみたいな行き過ぎた悪人、組織や団体を武力で裁くとしている。将来的に国や周囲にとって害悪であろうという存在を排除する組織って感じ。諜報や暗殺を主にやってて、たまに単純な慈善活動もするらしい。
その判断基準はよくわからないけど、まあ、ロゼリアっていうか前までのあたしが該当するのはわかるのよ……多分、前までのあたしだったら違法な薬が街に溢れようが、それで治安が悪化しようが、貧富の差が拡大して餓死者が出ようが、なんとも思わなかっただろうから……。
今は違うしそんなの無理だし、これまで以上の悪事を働く気なんてないんだけど!
アリスは攻略対象と接するうちに、本当にこんなこと(要は暗殺)を続けて良いのかってジレンマを抱える。
組織にそう教育されたとは言え、やっぱりアリスも普通の女の子。『殺し』にどうしても抵抗感があった。けど、攻略対象、つまり好きな相手を救うためには殺すしかないって思うわけで……。
『俺の問題なのに、君の手を汚してしまって……本当にごめん』
そう言って涙を零すハルヒト、いいのと笑うアリス。
返り血のついたアリスを抱きしめるハルヒト。
『……わたし、血まみれだよ? ハルも汚れちゃうよ』
『いいんだ、君となら……もっと汚れたい』
更にアリスをぎゅっと抱きしめて、ハルヒトはアリスに顔を近づけ──。
あー、ドキドキしてきた。そこで暗転したのよね。
何があったのかわからないわ、想像にお任せします的な感じだったもの。ケロッと翌朝になってて本当に変な声が出た。
でも、そうなった場合……あたし、殺されてるのよね。
ああもうドキドキしてる場合じゃない!
そうならないようにしなきゃいけないのよ!
はあ、でもアリスの恋愛模様が間近で見れないのは本当に勿体ない。ゲームのときめきをもう一度、なんて言ってるとあたしは本当に殺されちゃうわ。大体、今はアリス視点じゃないんだから、アリスの恋愛模様なんて見ようがなかった……。万が一見れる手段があったとしての単なる覗き魔じゃない、それ。
はー、やめやめ。
頭も使って疲れたし、今日はここまでにしておきましょう。