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悪女の悪あがき ~九条ロゼリアはデッドエンドを回避したい~  作者: 杏仁堂ふーこ
本編後の分岐ifルート

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【ifルート】メロ編

「結婚なんて一生しないで!」

「おれが一番お嬢のこと好きだし──」


 というセリフがあたしの中ですごく引っ掛かっている。

 好きだとか言いつつ結婚する気はないんだ……という何とも言えない微妙な感じ。

 そりゃ恋愛と結婚は別物って考え方あるし? あたしも立場上そういう風になるのも止む無しと考えている節は、ある。

 ただ、結婚のモデルケース(?)が、お母様とお父様であり、伯父様とエリーゼさんだった。二組ともお互いに好きで結婚して、普段から仲が良くて、あたしの知る限り大きな喧嘩は見たことがない。

 だからどうせ結婚するなら相手のことは好きになるに越したことはないし、欲を言えば好きになった相手と結婚したい。それがあたしの立場で許されるかどうかはさておき。


 けど、メロは……生い立ちが生い立ちなのよね。

 浮気相手の子で、本妻に虐待されたという過去がある。ある意味ハルヒトと似た境遇。結局それが原因で孤児院に預けられて、伯父様がメロを拾ってきたという経緯でうちにいる。

 そういう過去を思えばメロが結婚に対してマイナスな印象を持っているのはしょうがない。

 好きだけど結婚しないで、と発言の意図は想像できた。

 あたしは男遊びが激しかったからメロが信用できないのも、まぁわかる。

 好きで結婚したのに浮気されたらショックだし、身近にそういうのがあったから結婚が何の証明にもならないんだろう。

 結婚に夢も希望も持ってないのはよくわかる。けど、じゃああたしが結婚せずにいられるかっていうと……微妙なのよね。周りの圧がすごそうで……。

 あとメロが結婚相手としてどうかって考えたら、もう全ッ然良いとは思えない。不安しかない。

 お互いのためにも結婚なんて絶対しない方がいい、はず。


 けど、メロがあたしのことをよくわかっているのは確かだと思う。

 頼りたいとか甘えたいとか、そんな気持ちはほとんどないけど、傍にいたらきっと気分的に楽だろうなと思うことはよくあった。結婚なんてしなくたって傍にいることはできるから拘る必要はない。

 あたしの周囲が慌ただしくなって、多分望む望まないに関わらず更に変化をしていく。

 その変化にメロを巻き込みたくない気持ちがある。あいつ、面倒事とか嫌いだしね。


 ……でも、今更メロにどんな顔して何を言えって言うのよ。



◇ ◇ ◇



 パーティーが終わり、年が明け──一週間ほど経った頃からロゼリアが忙しくなってきた。

 というのも、ガロがあちこちに連れ歩くようになったからだ。年明けということもあり、落ち着いたタイミングで年始の挨拶と称して他領に出向いて挨拶がてらロゼリアを現会長や次期会長候補などに紹介している。

 最初こそ「大変だなぁ」と感じていたものの、段々とロゼリアとの距離を感じてイライラしてしまった。

 ついこの間までは同じ屋敷で寝起きしていたのにガロの命令により本邸に引っ越すことになり、ロゼリアは父母の思い出もあるからと椿邸に残っているのだ。住み込みで働いているのはキキとアリスのみ。

 ふらっとロゼリアの部屋に行くということができなくなってしまった。この間もメロがただ顔が見たくなって椿邸に行った時、キキが「何か用?」と不思議そうに聞いてきたのだ。「用がなきゃ入っちゃダメなのかよ」と言えば「ダメってことはないけど……」と歯切れの悪い返事があった。

 何故ガロがメロとユウリの二人を椿邸から追い出したのか、という理由を考えれば愚問だ。

 わかってはいても、面白くないのも事実。

 その日は引き下がったが、ロゼリアに会う口実を常に考えなければいけなくなった。


「最近お嬢と全然会えないんだけど」

「今月いっぱい忙しいからね、しょうがないね」


 ユウリの部屋に入って愚痴るが、ユウリは振り向きもせずに机に噛り付いている。カリカリとペンを走らせる音が聞こえており、ここのところずっと勉強付けだった。受験日が近いこともあり、一日のほとんどを勉強に費やしているらしい。公認なので周りからはかなり応援されている。


「挨拶回りには連れてって貰えねーし」

「君は礼儀がなってなくて何するかわからないからね、しょうがないね」


 ほぼさっきと同じトーンで返されてムッとする。適当に返しているのが丸わかりである。

 ユウリの言う「礼儀がなってない」というのは確かだ。とは言え、そういう勉強は現在強制的にさせられており、ロゼリアの傍にいるために最低限の礼儀や立ち振舞いを弁えてないといけないのはよく理解している。面倒くさくてたまらないが、ここで堪えておかないと後々まずいことになるのは察していた。

 ユウリは礼儀作法はちゃんとしているし、基本的に余計なことはしないし、更には勉強をするようになっているので今後もロゼリアの秘書として動くのは間違いない。ジェイルは元々必要な礼儀作法や立ち居振る舞いは習得しているので、現在の挨拶回りにロゼリアの側近として連れ歩かれているのだ。ガロの指名もあるけれど。

 このままだとメロだけ何も無い状態になってしまう。

 それだけは避けねばいけなかった。


「あ」


 屋敷の空気が変わった、ような気がした。玄関の方から騒がしさを感じる。

 メロはぱっと振り返りつつ立ち上がった。


「え? 何?」

「多分お嬢が帰ってきたから迎えに行ってくる」

「まだ時間じゃ──」


 今日は第七領の七星会しちせいかいに行っている。比較的距離が近いのと先方が忙しいのとでそう時間はかからないと聞いていた。夜になる前には戻るという話だったのに随分と早い。まだ夕方だ。

 メロはそのままユウリの部屋を出て走り出し、迎えのために玄関まで向かう。

 残されたユウリはぽかんとしながら開けっ放しの扉を見つめ、「……子供? いや、犬?」と呟くが聞こえないうふりをした。多分ユウリも後を追いかけてくるだろうと考えながら。


「お嬢~、おかえりなさーい!」


 本邸の広々とした玄関でロゼリアを出迎える。

 ガロと一緒に帰ってきた彼女はメロの顔を驚いた顔をして見つめていた。


「……出てくるのが早いわね」

「だってお嬢が帰ってきた気配がしたんで」

「なんでそんなのわかるのよ。予定より早いのに」

「なんとなくっスよ」


 ガロがコートをメイドに預けつつ二人のやり取りを見て苦笑している。ロゼリアもだがガロの表情にも若干の疲れが見えていた。それに気付いたところで軽く首を傾げる。ガロとロゼリアの顔を交互に見つめた。


「お嬢も会長も疲れてるっスか?」

「……まぁ、ちょっとな。──部屋に茶ァ運んでくれ。ロゼ、少し休憩したら反省会な」

「ええ、わかってるわ」


 何かあったのだろうか。間の悪い登場だったのかもと少しだけ反省した。

 ロゼリアがマフラーとコートを脱ぐのを見て、さっと差し出してみる。すると、ロゼリアは当たり前のような顔をしてマフラーとコートをメロに手渡した。傍に本邸のメイドが控えていたが、ロゼリアとメロのやり取りを見るとすっと身を引いてしまう。

 以前なら、ロゼリアに「持って」とでも言われない限りはこんなこと絶対にしなかったが、今では率先してやろうとするのだから心境の変化というものはわからない。

 ガロは自室に、ロゼリアは本邸にいる時の専用部屋へと向かう。メロは当たり前の顔をしてロゼリアの後を追いかけた。

 廊下を歩いていくと、途中でロゼリアがメロを振り返る。


「あんた、今日は何してたの?」

「午前中はベンキョーしてたっスよ。午後は訓練」

「真面目にやった?」

「多分今が一番真面目っスよ、おれ」


 そう答えると、ロゼリアは「なにそれ」とおかしそうに笑う。

 年明けから他会への挨拶のためにぎっちりスケジュール管理されているロゼリア同様にメロも日々のスケジュールが決められていた。要は九龍会で正式に働くための教育を施されているのだ。これまではロゼリアのお付きということでその手の勉強も訓練もなあなあにされてきたが、今後はそうもいかない。ガロの秘書である式見に「やらなければクビ」と眼鏡をクイっとされながら言われ、「勉強が死ぬほど嫌いだから嫌」とは言えなかった。

 淡々と「ジェイルと同じように常にロゼリア様の傍にいたいなら最低限必要なことです」と言う式見には殺意も湧いたが、文句を言える立場でもなかった。というか、文句を言おうものならあっさりとクビを言い渡されるのも想像できた。


「勉強嫌いのあんたがねぇ……」

「じゃなきゃお嬢の傍にいられなくなっちゃうし」


 ドアノブにかけたロゼリアの手がぴくっと反応する。しかし、すぐに何事もなかったかのようにドアノブをひねり、部屋の中へと入っていった。

 ロゼリアを追いかけながら目を細め、今のはどういう反応だったんだろうと不思議に思う。

 部屋に入るなりソファに腰を下ろしてそのまま横になってしまうロゼリアを見て少なからず驚いた。


「……お嬢、なんか……相当疲れてる?」

「疲れてるわよ。普段使わない神経使ってんだから」


 ロゼリアは盛大に溜息をついた。ガロも疲れているようだったし、何か失敗でもあったのだろうか。

 コート掛けにマフラーとコートをかけてから、ソファに寝転がるロゼリアに近付いて行った。ソファの傍にしゃがみ込み、じっと彼女を見つめる。


「なんかあったんスか?」

「……別に」

「別にって感じじゃないんスけど……」


 ロゼリアは黙り込んでしまった。愚痴でも何でも言ってくれればいいのにと思う。

 最近のロゼリアはメロやユウリにそういった話をしないようになっていた。愚痴を聞かせまいと思っているのか、守秘義務的なもので言わないようにしているのかはわからない。


「疲れてるならもう休んだ方がよくないっスか?」

「伯父様との反省会があるからそうもいかないわよ」

「……サボっちゃえばいいのに」

「そんなことできるわけないでしょ、あんたじゃあるまいし」


 ロゼリアがムッとしてメロを睨んだ。言葉にも棘があって、言っちゃいけないことを口にしてしまったのだとわかる。

 が、以前のロゼリアが面倒なことや嫌なことは梃子でもやらなかったのに、今はそうしない理由がよくわからなかった。

 嫌なら嫌、面倒なら面倒、それでいいじゃないかという気持ちがメロにはある。これまでメロもなんだかんだで嫌なことや面倒なことはやらなかったからだ。そういう意味ではロゼリアと同類だと思っていたのに──最近、そういう意味でも距離を感じる。

 睨まれている状態に耐えられず、メロの方からふいっと視線を逸らしてしまった。

 タイミングを図ったようにコンコンとノックの音がする。


「ロゼリア様、お茶をお持ちしました」


 ユウリの声だ。本来ならメイドが持ってくるところだが、途中でユウリが変わったのだろう。


「入って頂戴」


 ロゼリアは上半身を起こし、メロから視線を背けてしまった。

 「失礼します」と言いながら入ってくるユウリが二人の間にある空気を察したらしく、ちょっと困った顔をしている。しかし、そのことにはすぐ触れずにロゼリアの前にお茶を置いていった。


「……ユウリ。メロを連れて行ってくれる? ちょっと一人で静かにしていたいから」

「かしこまりました。──メロ、行くよ」

「……。……わかったっスよ」


 本当なら時間の許す限りロゼリアの傍にいたい。けれど、ロゼリアが望んでないならいるべきではないし、いられない。

 釈然としない気持ちのまま部屋を出ていく。

 部屋を出たところで、ユウリが呆れた表情をメロに向けてきた。その表情を目の当たりにすると居心地が悪くなる。叱られている子供のような気分になりながら、ゆっくりと歩き出すユウリの後を渋々と追いかけた。


「何か余計なこと言ったんでしょ」


 メロを振り返るユウリをの顔を見る。言った後で駄目なことだとは気付いただけで、言っちゃいけないこと知って言ったわけじゃない。

 歯車が噛み合わないことと、ロゼリアとの微妙な距離感が気持ち悪くてもどかしい。

 黙ったままでいるとユウリがこれみよがしに溜息を吐いた。


「今、ロゼリア様は微妙な時期だから余計なことを言わないようにね」

「余計なことって言ったってさ……」

「上手く言えないけど、今のご挨拶回りはロゼリア様も納得してやってることなんだよ。あの人の気持ちに水を指すようなことを言わない方がいいよ、ってだけ。どれだけ大変なのかはわからないから、当たり障りのないことしか言えないよ。僕達は」


 納得してる?

 メロの目にはとてもじゃないがそうは見えなかった。

 ガロの決定に渋々従っているようにしか見えなかったのでもどかしい。なんだかんだで我儘に奔放に振る舞っているロゼリアの方が好ましいと思うからだ。今のロゼリアは窮屈に見えてしまい、嫌ならやめればいいのに、という気持ちになってしまう。

 歩みがゆっくりと止まる。


「……お嬢、すげー窮屈そうなのに」

「そうだね。確かに今は窮屈に感じていると思うよ」


 ユウリも足を止めてメロを振り返った。

 そんな事情はわかっていると言いたげなユウリの表情に少し苛つく。


「ガロ様が椿邸でロゼリア様に言ったこと、覚えてる?」

「え、色々あるじゃん。男遊びするなとか、評価のこととか、努力のこととか……」

「うん。そう、それ全部。ガロ様はとにかくロゼリア様の評価を上げて維持したいし、パイプ作りをして身辺を整えたいんだよね。これまでの悪評に負けないように。で、ロゼリア様もガロ様の意図を理解しているし、必要だと思っているから今の窮屈さと大変さと受け入れてるんだよ」


 椿邸での会話を思い出しながら、ユウリの言葉を咀嚼する。言っていることは流石に理解できるが、今そんなに躍起にならなければ行けないことのなのだろうか。ロゼリアもだが、ガロもかなりスケジュールを詰めているように見える。

 メロはそのあたりの事情なんてさっぱりわからないし興味もない。きっと何らかの考えがあるのだろうと納得するしかなかった。

 何も言わないメロを見てから、ユウリが歩き出す。


「とにかく、今の僕達ができるのは……ロゼリア様にとってノイズにならないようにすることかな。せめて今の挨拶回りが終われば、もう少し余裕も出てくるだろうからね」

「……お嬢のために、今は何もできねーってこと?」

「今はね。邪魔をしないことくらいだよ、できることって」

「わかんねー……」

「君はそうだろうね」


 今馬鹿にされたなとカチンと来ても、事情に疎いメロでは反論ができなかった。

 だからと言ってユウリの言うことを丸呑みにするつもりもない。「今は何もできない」なんて、思いたくなかった。何かできるはずだと思いたいだけなのかもしれないけれど。

 小さくため息をつき、気分を入れ替える。あまり考えすぎてもしょうがない。

 ユウリの横に並ぶように歩調を速めた。


「今日は二人とも疲れてたみたいだけど、なんか聞いた?」

「あー……ジェイルさんにちょっと聞いただけだけど……先方の機嫌が悪かったらしくて、ガロ様もロゼリア様も大変だった、ってことくらいかな……」

「……。……それ、お嬢も会長も悪くねーじゃん」


 そう言うとユウリが深い溜め息を吐いた。


「相手が相手だったからね……」

「え、誰?」

「七星会の会長だよ。他会への影響力が強い方だから、失敗したくなかったところだと思う」

「しちせーかい、しちせーかい……。……あ、会長がババァのところだ」

「場所が場所ならすごい問題発言だよ、それ……」


 ユウリが再度呆れて溜息を吐いた。別に本人がいる場所であるとか、第七領で口にしたわけではない。

 メロは会や領の話題にはとことん興味がない。七星会の会長のことを知っていたのは有名だからに過ぎず、他会長の性別や年齢すら全く覚えてない。ジェイルとユウリはそのあたりの情報は頭に入っているらしい。二人はそれを「当たり前」と言うが、メロには必要な知識とは思えなかった。九龍会や第九領から出ていくつもりはないし、知らなくても生きていける。

 けれど、そうじゃない世界があるのも知っている。

 今まで考えたこともなかったが、ロゼリアはそれらとは無縁になれないのだ。

 感覚的に理解はしていてもいまいち納得できてなかった。


「……お嬢、面倒な世界に生きてるよな」

「こればっかりはしょうがないね」


 九条ガロの姪で、後継者候補に指名されたんだから。

 ユウリのその言葉が重く響いた。

 自分には関係ないはずなのにやけに重く、それでいてこれまとは違って現実味を帯びている。



◇ ◇ ◇



 翌日は休みとなっていた。勉強に訓練に、ついでに雑用のような仕事で普段はあっという間に時間がすぎる。ロゼリアの生活が変わったように、メロの生活もがらりと変わってしまっていた。

 ロゼリアは少なくとも一月中は挨拶回りで忙しい上に、それ以外の時間は全て勉強の時間となっている。メロとはほとんどすれ違いの生活だ。これまでなら何気なく、椿邸のロゼリアの執務室か自室に行けば会えたものを──今では気軽に会いにいくことができなくなっていた。

 面白くなくてユウリに愚痴っても「仕方ないでしょ」と呆れられるばかりだった。


 とは言え、ロゼリアのスケジュール位は把握できている。今日は完全に休みのはずだ。

 なんとなく期待をして庭に出れば、メロの期待通りにロゼリアがいた。嬉しくなって近付いてみると、椿を眺めているようだった。


「お嬢」

「……メロ? 何してるの?」

「え? お嬢がいそうな気がしたんで来ただけっスよ?」


 当たり前だという顔をしてケロッと言い放つと、ロゼリアが微妙な顔をする。

 ジェイルやユウリと違い、メロはロゼリアへの好意を一切隠さない。流石に誰かがいる前では隠すが、ロゼリア本人に隠して意味があるとは思えないからだ。気持ちは伝えなければ意味がないと思っている。


「あたしがいなかったら?」

「戻るだけっスね。──ところでお嬢、寒くない? ちょっと薄着に見えるけど」

「気分転換に出てきただけよ。すぐ戻るわ」

「すぐ戻っちゃうんスか……」


 少しくらい一緒にいられるかと思ったが、そこは期待外れだった。しょげ方がわかりやすかったのだろうか、ロゼリアが口元に手を当てておかしそうに笑う。


「あんた、犬みたいね」

「え、嘘。昔は猫っぽいって言わなかったっスか?」

「昔はね。気紛れですぐどっか行っちゃうし、擦れたところがあったからそう見えてたけど……最近、本当に犬みたいに見えてきたわ」

「なんでっスか?」

「……耳と尻尾がついてそうなのよ」


 それだけ反応がわかりやすいということだろうか。以前の自分がどうだったかなんて最早あまり覚えてない。気に入らないことが多かったから従うことに意味を見出せなかっただけで、今はそうじゃない。やりたいこと、やらなきゃいけないことがはっきりしているからこそ、従順に見えるのだろう。多分。

 ただ、犬でいいのは確かだった。

 考えてみれば、前までユウリがペット扱いだったのが今となっては羨ましい。

 一番傍で可愛がって貰えるということなのだから。


「番犬になるって言ったじゃないっスか。なんならペットだと思ってくれていーし」

「そういうのはやめるって言ったでしょ」


 む。と、ロゼリアが口を尖らせる。結構本気なのだが、ロゼリアは茶化されたと思ったらしい。


「変な意味じゃなくって……ただ傍にいさせて欲しいってだけなんスけど」


 今度はロゼリアが溜息を吐いた。

 そして、ジト目でメロを見つめてくる。


「……そういうこと言うのやめなさいよ」

「えー? 正直に言ってるだけっスよ」

「誰がどこで聞いているかわかんないでしょ。誤解されるような言動は控えて頂戴」

「お嬢の前でしか言わないっスよ。そもそも誤解じゃないし、おれがお嬢のこと好きなのは」


 あっけらかんと言い放てば、ロゼリアは額を押さえて俯いてしまった。頭が痛いと言わんばかりだ。

 ロゼリアが困るのも理解しているつもりだが──こうして言っておかないと、そのうち『なかったこと』にされるような気がして嫌だったのだ。「保留」だと言い放ったのはロゼリア本人で、ずっと保留のまま気が付いたらロゼリアが恋人を作っている、なんてことになって欲しくない。


「……てゆーかさ……言っとかないと、お嬢忘れちゃいそうだし」


 ぽつりと呟く。ロゼリアは額から手を下ろして、気まずそうにメロを見た。


「べ、別に……忘れたりとかは──」

「ジェイルとかユウリみたいに普通の顔してお嬢の傍にいるのは無理っスよ。半年も経ったらマジで忘れて、会長が連れてきた婚約者といい感じになってそうだもん。……おれが知らない間に勝手に結婚話とか進んでたら耐えられない」


 言ってて気分が沈んできた。割と有り得ない話じゃないからだ。

 赤、白、ピンクの椿が綺麗に咲いている。それを何となく眺めながら夏には向日葵を勝手に植えたし、ロゼリアに付き合って庭の散歩もした。日傘を差して。

 次の夏にはそんな時間すら取れなくなるかもしれないと思ったら、無性に悲しくなってくる。

 寒いからか、庭にはほとんど人はいない。近付いてくる気配もない。


「結婚ねぇ……」

「……して欲しくないっス」

「あんたがそう言ってもね……」


 どこか遠い目をするロゼリア。その表情からは何も読み取れず、何を考えているのかわからない。

 けれど、これまで漠然と感じていたことに対して疑念が湧いた。


(……あれ? ひょっとしてお嬢って結婚したい人? これまで特定相手と長く続いたとこ見たことないし、結婚願望なんてないと思ってたけど……あれ?)


 てっきりロゼリアは結婚したくないものだと思っていた。というのもこれまでの言動からしても結婚自体が面倒くさいと言わんばかりだったし、結婚せずに済むならそうしたいんじゃないかと思わせる態度が多かったからだ。結婚せずに不特定多数と遊んでいる方がいいのではないかと。

 しかし、今の雰囲気からはそう読み取れなかった。

 もしかしたら、外からの圧力で「結婚はまだか」とせっつかれるくらいならさっさと結婚したいと思っているのではないか。


「あの、お嬢って……結婚、したい、の?」


 恐る恐る聞いてみると、ロゼリアはメロを見ることなく口を開いた。


「したくないと思ったことはないわ」

「相手はおれでもいい?」

「は? なんでそうなるの?」


 微妙な言い回しだと思いながら聞いてみると、ロゼリアはすごく変な顔をしていた。何言ってんだこいつ、くらいの表情だ。多少ショックだったが、あまりこういうことを話す機会もないし、次はいつになるかわからないので今しか言うタイミングがない。

 メロは基本失言を恐れないので、言いたい時に言いたいことを言ってしまう。


「おれがお嬢に結婚しないでって言ったのは、誰のものにもなって欲しくないからっスよ」


 そう言うと、ロゼリアは目を見開いた。さっきの変な顔とは大違いで、ちょっと幼さを感じる驚き顔。

 以前とは違い、彼女に対して「可愛い」と思うことが増えた。

 今もそう。

 不意に見せる無防備な表情や態度が可愛い。

 できるなら、それらを全部独占したい。

 もし、全部独占できる手段が結婚なら──結婚したいと思う。


「あの時点でおれが選んで貰えるとか思ってなかったから……だから、結婚しないで欲しくて、何でもいいから傍にいたかったんスよ。椿邸から追い出されて寂しかったしね」


 そう言うとロゼリアは何だかとても難しそうな顔をした。

 ちょっとくらい自分のことを考えて貰えているのだろうか。だったら嬉しいなと気楽に捉える。

 ふと、椿邸の方から視線を感じた。

 何かと思って気にしてみれば、キキがこっちを睨んでいた。ガロに言われたからか、キキの見る目はメロに対して特に厳しい。ユウリには何も言わないのに、メロにばかり小言を言う。

 あまり長居をしているとまた小言を食らってしまうので、そろそろ切り上げた方が良さそうだ。

 ロゼリアが難しい顔をしたままメロを見て、躊躇いがちに口を開いた。


「あんたはどうなの?」

「どう、って何が?」

「結婚。したいと思うの? ……親のこととか、嫌じゃないの」

「え? 親?」


 いきなりなんのことだと目を丸くしてしまった。そういった背景があるのは確かだが、それはそれ、これはこれである。


「親は、別に。ほら、会長と奥さんも、お嬢のお父さんもお母さんも仲良かったじゃん。おれのとこがヤバかっただけなんだなってわかってるし」


 あっけらかんと答えるとロゼリアはちょっと驚いていた。どうやら、メロが「結婚しないで」と言ったのは親がああだったことも理由も一つだと思われているらしい。

 そういう風に思っていた時期もあるけれど、仲良し夫婦のサンプルがあったのでそういった気持ちは薄れてしまった。


「結婚は、相手がお嬢ならしたいっスよ。──おれがプロポーズしたら、受けてくれる?」

「嫌よ」


 わかっていたことだがバッサリと斬られてしまった。しおしおと萎れる。

 とは言え、これくらいは掠り傷である。痛くもない。

 なのに、ロゼリアがメロから顔を背け、痛みを堪えるような表情をした。以前だったらこんな顔はしなかっただろうに、一体何がそうさせるのだろうか。こんな軽いやり取りであってもフラれたのはメロなのに、まるで自分が傷ついたみたいな顔をする。

 流石にふざけ過ぎたかと焦り、彼女に向かって手を伸ばした。

 しかし、その手はロゼリアによって払いのけられる。ぱしっと軽い音が響いた。


「……あんたって、絶対あたしと結婚する意味わかってないわよね」

「へ? 意味って──」

「結婚ってままごとじゃないのよ。『結婚して幸せに暮らしました。めでたしめでたし』じゃ終わらないわ」


 酷く苛立った声に焦る。動揺する。

 何がそんなにロゼリアの気に障ったのかわからない。

 もう一度手を伸ばすが、ロゼリアはメロの手をもう一度振り払った。


「結婚? あんたとだけは絶対に有り得ないわ」


 吐き捨てるように言うと、ロゼリアは見るのも嫌だと言わんばかりにメロに背を向け、乱暴な足取りで椿邸へと戻っていってしまった。

 後ろ姿を呆然と見つめ、ほとんど崩れ落ちるようにしゃがみ込んだ。

 はーーー。と、大きく息を吐き出し、痛む胸を押さえる。


「……めっちゃ痛ぇ……」


 あんな風にはっきり拒絶されるとは思わなかった。

 手酷く拒絶されることはないと高をくくっていたので余計に痛く感じる。

 多分メロが悪いのだろう。何か、言ってはいけないことを言ってしまったのだろう。

 けれど、メロにはそれがわからない。

 立ち上がる気力もなく、怒ったキキが呼びに来るまでそのままでいた。



◇ ◇ ◇



 軽い。軽すぎる。

 やっぱりメロだけは有り得ない。

 仮にあいつと結婚しても、その先のビジョンが全く見えない。あたしが九条家の人間じゃなかったら、多分こんなことで悩んでない。ノリで付き合って、ノリで結婚して──それもどうかと思うけど、ありだと思う。だって、自分たちのことだけ考えていれば良いんだもの。


 だけど、あたしはそれが許される立場じゃない。

 死ぬほど面倒なことに、『九龍会』『九条ガロ』、そして『九条ロゼリア』の名前は良くも悪くも有名すぎる。名前だけじゃなくて顔も売れている。しかも世間的に『偉い』とされる人間ほど、あたしのことを知っている。

 そんな人間と結婚する意味を、生き辛さを、メロは理解してない。

 そして、あたしは逆に『九条家の人間』である恩恵をきっと捨てられない。あの時、メロに「逃げる?」と聞かれたけど、あたしはその選択ができない。あたしの言う「逃げる」は九条家の恩恵を受けたまま、もしくはそれを盾にして悠々自適に暮らすこと。

 次期会長候補として体裁を保つために卒なくこなす覚悟はあっても、何もかもを捨てる覚悟も勇気もない。


 ……我ながら勝手すぎるわ。

 結局、あたしがメロに望んでるのはあたしの人生に付き合うことだもの。

 こんなこと、言えるわけがない。言ったって嫌な顔をされるし、いつものノリで「いいっスよ」って言ったとしてもそのうち絶対に嫌になっちゃう。あたしだって嫌になることがあるんだから、あいつに耐えられるはずがない。

 メロが言うように、ペットみたいに可愛がるのが一番いいのかもしれないわ。

 傍に置いて、普段は留守番させて、気が向いた時に構って……ストレスないわよね、多分。その方が。


 でも。

 でも、そんなの──虚しすぎる。



◇ ◇ ◇



 三日後の夜、キキに引き摺られて本邸のユウリの部屋に押し込まれて何故か正座をさせられた。

 目の前には怒ったキキと呆れ顔のユウリがいる。ユウリは勉強中だったらしく、やや不本意そうな顔をして椅子に座ったままメロを振り返るような恰好になっている。

 二人から見下ろされる状態になっているために居心地の悪さを感じた。これまではロゼリア被害者の会の同士であり、仲間意識があったというのに今は疎外感がある。

 めっちゃ傷心なんだけど。と、言える雰囲気ではなく、ただただ黙りこくった。


「で? 何を言ったのよ、ロゼリア様に! こないだの、あんたと庭で話した日からずっと様子がおかしいの! あなたが何か言ったんでしょ?!」

「……メロ以外に失言する人間っていないからね、今は」


 「前ならハルヒト様がいたけど」とユウリが苦笑いを浮かべる。

 ロゼリアとの会話は個人的なことで、二人には関係があるとは思えない。こうして二人に詰られるような恰好になっているのは不本意で、不貞腐れてしまった。ふいっと顔を背ける。


「……関係ねーじゃん。おまえらには」

「そうね、あなたと何を話そうが関係ないわ。個人的なことに立ち入る気はない。……けど、それでロゼリア様が調子を崩すなら別よ。私の仕事の中にロゼリア様の身の回りのお世話やケアも含まれてるんだから」


 ぐうの音も出ない。

 ただ、自分の発言がそれほどに地雷を踏んだのかとまた凹んだ。


「結局、何を言われたの? 何を言ったの?」


 ユウリが手に持ったペンをくるくると回しながら聞いてくる。余裕ぶった態度が妙に苛ついてしまうのと、その顔には「どうせ馬鹿なこと言ったんでしょ」とありありと書いてあって非常に腹立たしかった。

 全てを話すのは流石に抵抗がある。

 けれど、何故ロゼリアがあんなに怒ったのかは知りたい。


「……お嬢に、おれはお嬢と結婚する意味をわかってないって言われた」


 言い終わってから、急激に恥ずかしくなってきた。「やっぱなし」と立ち上がって立ち去ろうかと思ったが、二人が何も言わなかったので不思議に思って二人を見る。

 すると、ユウリもキキも眉間に深い皺を刻んで額を押さえていた。

 ぽかんとしていると、二人は揃って溜息を吐く。

 そして、キキが深呼吸をしてから口を開いた。


「ロゼリア様にそうまで言わせるところが下馬評最下位の理由よ」

「今それ関係ないだろ?!」

「大ありよ馬鹿!!」


 声を荒げるキキをユウリが「まぁまぁ」と宥める。キキは怒り、ユウリは呆れという雰囲気だった。そんなにまずいことだったのかと、自問自答する。

 キキがゆっくりと息を吐きだし、自分自身を落ち着けてからまた話し出す。


「……はっきり言うわ。メロ、あなたはロゼリア様の足を引っ張ると思われてるのよ。正直、私もそう思ってる」


 瞬きをする。そんなこと少ししか考えたことがなかった。少なくとも真面目に考えたことはない。

 黙ったままでいるとキキが続ける。


「メロ、ロゼリア様の結婚に必要なものってなんだと思う?」

「……愛?」

「死んで」

「ま、まぁまぁキキ……愛っていうのもあながち間違いじゃないっていうか、僕達が考えてる愛よりもメロの言ってる愛が埃みたいに軽いだけで……」

「どっちも酷くね?」


 散々な言われようである。だが、段々と二人が言いたいことはわかってきた。

 キキがバトンタッチと言わんばかりにユウリを見る。ユウリはちょっと肩を竦めてから、ペンを机の上に転がして、椅子に座ったままメロをじっと見つめる。


「ライバルにこんな助言したくないけどね。……君ってさ、他会どころか九龍会にすら興味ないよね。すぐ関係ないって言っちゃう。ロゼリア様とは切っても切れないものなのに」

「……それは、そう、だけど」


 キキと違って感情的な言葉ではない分、やけに突き刺さる。表情や口調は、小さな子供に言い聞かせるようなものだった。


「君はさっきの質問に対して愛って答えたけど……興味はなくてもロゼリア様に関係があるからって理由で愛せる? 愛は言い過ぎだけど、関係ないって言わずに興味を持って関われる? 関わりがなくても、知ろうと努力したりちゃんと勉強できる?」


 関係ないとか面倒だとか、そういう言葉が飛び出しそうになるのを何とか押し留めた。

 ただロゼリアのことが好きなだけなのに、そんな面倒なことが付いて回るなんて考えるだけでうんざりしてしまう。けれど、ここで「できない」なんて言っちゃいけないことだけはわかった。


「……わかんねーよ、そんなの」

「ロゼリア様の隣に立ちたいなら、こういうことをやらなきゃいけないんだよね。──正直、結婚を考える相手としてはロゼリア様って相当面倒臭いと思うよ。九龍会がついて回るからね。それは本人がすごく理解してる。

ユキヤさんって九龍会や九条家の煩わしさを理解した上で、あの場でプロポーズしたんだよ。ロゼリア様の力になりたい、って。流石にあの人がそういう背景を一切無視してあんなことを言い出すなんて思えないから……」


 メロはあの時「抜け駆けだ」と強く感じた。正直勢いで言ってしまったところがあり、ユキヤほどちゃんと考えていたわけではない。

 じゃあハルヒトはどうなんだと口をついて出そうになったところで、ユウリに先回りされてしまう。


「ハルヒトさんも面倒くさい事情は理解してるよ。君よりもずっとね。

ユキヤさんは長期戦覚悟だったろうし、ハルヒトさんもすぐにどうこうなれるとは思ってない。……僕とジェイルさんは──あの二人ほど思い切れなかったからなぁ……好きなだけじゃやっていけないし……僕は自分に何もかも足らないのは、痛いくらい理解してるし……」


 ──ままごとじゃないのよ。

 というロゼリアのセリフが脳裏に木霊する。 

 受験のために勉強をしているユウリ自身が「何もかも足らない」というのであれば、自分はどうなのだろう。言われたことはやっているが、それ以外は別にやってない。


「話が逸れたけど、実際ロゼリア様は今自分に起きている面倒くさいアレコレを、ガロ様が好きだからって理由と責任感でこなしてる」

「……そうね、夜遅くまで調べ物や勉強されてる。無理をしないで欲しいけど、二言目にはガロ様に恥をかかせられないって言うから……せめて邪魔にならないようにして、いつでも一息つけるように準備するくらいしかできないわ」

「で、ガロ様はロゼリア様ならできるって信頼してる。……二人の関係はちょっと特殊かもしれないけど、ロゼリア様の結婚相手ともなれば同等かそれ以上の関係や信頼、それに見合う努力が必要になってくるんだよ」


 君はどう?

 言葉にこそしなかったものの、静かに問いかけてくるユウリとキキ。


「簡単に言っちゃえば君が言うところの愛だね」


 簡単に言いすぎだろとツッコみたかったが、さっきメロが口にした『愛』とは違いすぎて何も言えなかった。

 あの時ロゼリアが怒った意味をようやく理解する。

 ロゼリアは十歳の子供に「結婚しよ」と言われているような気分だったのではないか。現実には成人済みの男がそれを言うのだから、さぞ頭が痛かっただろう。いっそ本当に自分が十歳の子供であれば、微笑ましいと笑われて終わりだったはずだ。

 二人は幼馴染だからとメロに根気よく説明をしてくれたが、これが知らない人間だったら何も取り合わなかったに違いない。


「メロ、わかった?」

「……いちおう」

「急に連れてきて悪かったわ。もう遅いし、今日はこれで解散ね」


 キキの言葉を聞いてから時計を見ると、既に夜十時を回っていた。

 咄嗟に思ったのは(お嬢に謝らなきゃ)で、十時くらいならまだ早いと勝手に判断をして慌てて立ち上がろうとしたところで──キキに足を踏まれてしまった。

 メロにしては長時間正座をしていたので完全に痺れており、そこを踏まれたらひとたまりもない。呆気なくバランスを崩して床に転がる。


「んぎゃっ?! ちょ、……キキ! なにすんだよ!?」


 明らかにキキは狙って足を踏んだ。痺れていることも、ロゼリアの元に行こうとしたこともわかっていたかのように。


「今日はもうロゼリア様はお休みになってるわ。明日は朝から出掛けられるもの」

「……何も言ってねーじゃん」

「あなたの考えなんてお見通しよ。何もしないうちに弁解だけするなんてかっこ悪い真似はやめて」

「かっこ悪いってさ……」

「どうせ『明日から頑張る』とか言いに行くつもりだったんでしょ? あなたのうっすい言葉を誰が信じるのよ」


 散々な言いようである。しかし、間違ってないので反論のしようもなかった。

 キキの言う事も一理あるので今行くのはやめる。どうせ足が痺れていてまともに立てやしない。その場で足の痺れをやり過ごしつつ、少しばかり恨めしげにユウリを見つめる。視線に気付いたユウリは「何?」と首を傾げた。


「……下馬評……なんでおまえはおれより上なんだよ……」

「秘書って立場を貰ったし、並行して勉強もしてるし……周囲からは君より努力ができる人間って思って貰えたんじゃない?」


 確かにユウリは努力ができる人間だ。それは学生時代の成績や今現在の行動で証明されている。対してメロにとって努力なんて無縁の言葉だった。勉強なんて真面目にやったことがない。何かに打ち込んだことも、年単位で続けていることもない。

 今更になって自分には何もないと気付かされるとは思わなかった。

 妙な沈黙が落ちる。

 メロが何も言えずにいると、ユウリが小さくため息をついた。


「君はまず、まともに努力できる人間だってわかって貰わないとね」


 まともな努力──とは何だろうか。努力なんて言葉とは無縁でここまで来てしまったので、一体何をしたらいいのかさっぱりわからない。

 ユウリを見つめたまま再度口を開く。


「ユウリ」

「何?」

「……勉強教えてくんね?」

「え、嫌だけど?」

「なんでだよ!!」


 さらっと拒否されて、がっくりと項垂れた。今の流れなら「しょうがないなぁ」と勉強を見てくれるところじゃないのか。


「僕は受験の追い込み中だから君のことに構ってる時間なんてない。終わってからなら見てあげてもいいけど……来月の半ばまでそんな時間取れないよ。──それに、君が知りたいのって普通の勉強じゃなくて、とりあえずロゼリア様の関わりのあるところでしょ? 他会のこととか、そういうの。それならもっと適任がいると思うよ」

「適任? 誰?」

「そりゃジェイルさんとか」


 めちゃくちゃ渋い顔をしてしまった。

 メロにとってこの世で一番頼りたくない人間がジェイルである。性格的に合わないし、教えて欲しいなどと頼もうものなら盛大に溜息を吐かれることが簡単に予想できるからだ。その時の表情すらも簡単に想像できてしまう。

 しかし、背に腹は代えられない。

 必要ならばジェイルにも頭を下げなければいけない。


「ジェイルさんはロゼリア様にずっと付き添っているからそんな暇ないと思うわよ」

「あいつばっかり……!!!!」


 そう、ジェイルは挨拶回りにずっとついて回っている。ガロの指名なのでどうしようもないのだが、やはり面白くないのは事実だ。ジェイルがそれだけ有用だと思われているのも気に食わないし、今になってジェイルとの差を見せつけられているように感じるのも面白くない。

 もちろん、それはユウリが言うところの努力の差なのはわかっていた。

 何も考えずにただ日々暮らしていたメロと、自ら進んで九龍会に所属して実績を出してきたジェイルと比べるべくもない。

 無駄にダメージを受けているとキキが小さく溜息をついた。


「アリスにお願いしてみたら? あの子、そういう情報かなり詳しいわよ」

「ああ、確かに。裏事情的なことまで知ってるよね。……結構言えないこともあるみたいだし……」

「……アリスかー」


 アリスの顔を思い浮かべて微妙な気持ちになった。嫌いではないのだが思うところがあるし、如何せんアリスの方がメロを毛嫌いしている。


「選り好みしてる場合じゃないでしょ。……一週間くらいロゼリア様はまともに戻らないそうだし、その間にちょっとでも何かしておいたら? 謝るにしてもそれからじゃない?」


 間違ってはいないのだが、完全にメロが余計なことを言ってロゼリアを怒らせたのだと思われている。プロポーズ一歩手前くらいのことをしてしまったとは思ってなさそうだ。

 二人はメロのための思って色々と話をしてくれたのだと思っていた。それも恐らく間違いではない。

 けれど、恐らくそれよりもロゼリアのことを思ってのことだったのだろう。

 これ以上メロがロゼリアに対して余計なことを言って怒らせたり、そのせいで様子がおかしくなったりするのは、二人にとって決していいことではない。


(……なんか、おれってほんとガキだったんだな。周りのこと、全然見えてなかった……)


 勘の良さだけで生きてきてしまった。

 何かを望まないのであればそれで良かったのだろう。ただ、何かを手に入れるためには相応の努力が必要なのだ。メロの欲しいものは二人に言わせればとても面倒なところにあるようなので、相応以上の努力が必要になってくる。

 これまでにない不安と焦燥感を覚えた。

 メロにとってこの感覚は新鮮で、それでいて軽い恐怖だった。

 覚悟を決めて腹を括るしかない。

 そんなことを思った夜だった。


 そして翌日。

 夕方になってようやく開放されたところで椿邸を訪れた。これまでなら何も考えずにロゼリアの部屋に向かっていたのに今ではそうもいかない。キキの言っていた通り、ロゼリアは朝から出掛けており、しばらく戻らないと聞いている。

 裏に回って洗濯物を取り込んでいるアリスを見つけると、すーっと近付いていく。

 ほんのちょっと近付いただけなのにアリスはメロの存在に気付いた。気配に敏感らしい。


「……なんですか?」

「ちょっと頼み事があってさ」

「頼み事?」


 アリスが不思議そうに、というより不審そうにメロをジロジロと見てくる。失礼なやつだなと思うもののメロも似たようなことを良くするのでアリスのことはとやかく言えなかった。

 言い辛いなぁと思いながら、アリスの正面に立ってじっと見つめる。


「おまえ、他の会の事情とか情報に詳しいって聞いたんだけど……」


 ぴくりと眉が跳ねる。警戒されるのがわかった。

 自分にしては控えめな切り出し方だったので完全に不審がられている。


「別に変なこと聞くわけじゃねーって」

「なんか、話し方が怪しいんですよっ! 今までそんなの興味も示さなかったし!」

「そ、れは、そうだけど……だから、そういうのを教えてくれねーかなーって……」

「はあっ?!」


 アリスは目を丸くして素っ頓狂な声を上げた。短く浅い付き合いしかないアリスにこんな反応をされるほど、メロがこんなことを言うのは予想外だったということだ。メロ自身、まさかこんなことを誰かに頼む日が来ようとは思わなかった。

 ジェイルよりマシと心の中で繰り返し言い聞かせ、恥ずかしさを我慢してアリスを見つめる。


「っど、どういう風の吹き回しですか……?」

「どうもこうも……そういうの、知らないのはまずいって思ったんだよ……! だから、おまえが詳しいって聞いて……」


 唖然とするアリスを目の当たりにして妙な緊張感に襲われる。

 アリスは手にした洗濯物を落とさないように籠に入れ、まるで新種の生き物でも見るような目でメロを見つめた。


「……何か理由、ありますよね? 何のために知りたいんですか?」

「何のためって──……そりゃ、お嬢に関係あることだからに決まってんだろ」

「ほほう。ロゼリアさまのためなんですね?」


 探るような視線が鬱陶しくて、思わず顔を背けてしまった。が、アリスはにやーっと笑ってメロの顔を追いかけるように覗き込んでくる。苛立ちを抑えつけながらアリスを睨むものの、アリスは楽しそうにするばかりでメロの睨みなどどこ吹く風だ。

 楽しそうにしながらメロから離れ、腰に手を当てて胸を張るアリス。


「メロくん。人にものを頼む時ってどうするか知ってますか?」


 とうとう繕うこともなく「くん呼び」になってしまった。アリスの方が年下だが、メロもユキヤやハルヒトを「くんづけ」で呼んでいるので文句を言える立場ではない。

 アリスは完全にメロのことを楽しんでいる。これまでの意趣返しだろうか。

 ジェイルに頼むのは嫌な上にそもそも今はいないので、まともに頼れる人間はアリスしかいない。

 昨日に引き続き、再度腹を括る。

 一度軽く深呼吸をしてから、その場でアリスに頭を下げた。


「……お願いします」


 言われた通りにしたのに、アリスがドン引きしている空気が伝わってくる。おまえがやれって言ったんだろうが、と文句を言いたい気持ちをぐっと堪えて、何か反応があるまでそのまま頭を下げ続けた。

 やがて、アリスがわざとらしくコホンと咳払いをする。


「わかりました。わたしが知ってること、教えてあげます。ビシバシ行きますからねっ!」

「……さんきゅ」


 顔を上げてほっとし、得意げな顔をしているアリスを見つめる。

 メロを真っ直ぐ見つめ返し、アリスは不意に真面目な顔になった。


「教える前に、二つ言っておきたいことがあります」

「え、何?」

「まず一つ。わたしが教えてあげるのはメロくんのためじゃなくてロゼリアさまのためです。メロくんのせいでロゼリアさまがストレスを感じたり、大事なシーンで恥をかいたりするのは許せないからです」

「……わかってるよ」


 恥をかかせられない──。ロゼリアがこんなことを言っていたらしい。メロにはこれまで無縁の話だったが、案外あちこちに転がっているようだった。それに今なら「許せない」と言うアリスの気持ちも理解できる。

 アリスは真面目な顔のまま続けた。


「二つ。──わたしに教えて貰った、ってロゼリアさまに絶対アピールしてください! メロくんはわたしにちゃんと感謝してください! 今回だってわたしは絶対役に立ったはずなのに留守番で……! ジェイルさんばっかり……!!」


 がくっとバランスを崩しそうになった。一つ目との温度差がすごい。しかも、アリスはメロと同じように「ジェイルばっかり」と思っている。とても悔しそうな様子にちょっとだけ親近感を覚えた。

 ロゼリアへのアピールと、アリス本人への感謝はそれぞれ別じゃないか? と思ったが、言わないでおく。


 そして、その日から白雪アリス先生による『各領を治めている会についての講座』が開始された。

 場所は椿邸の厨房で、時には墨谷や水田が話に入ってくることもあった。

 案外アリスは教え方が上手い上に、この話題についてはかなり知識が豊富だった。さらさらと家系図や相関図を書き出すし、各領と会の特徴や現在の会長について分かりやすく説明してくれる。メロがこれまで興味も関心もなかったことばかりだったからか、全ての情報が新鮮で、実は少し楽しかった。

 聞けば聞くほどにロゼリアを取り巻く面倒くささが見えてくる。

 どうしてこれらを「関係ない」などと言い切っていたのだろうか。少なくとも傍にいたいなら、必要な知識だったのに──と。これまでの無関心さ恥じたのだった。



◇ ◇ ◇



 ロゼリアが戻った翌日に、キキに頼んでロゼリアと繋いで貰った。もちろん「こないだのことを謝りたいから」という名目である。

 自室に行くように言われて入ってみると、今日は完全なオフらしくラフな格好だった。化粧はしているが薄めだし、ゆったりしたワンピースの上に暖かそうなショールを羽織っている。

 相手がメロだからか構えることなく、ソファにゆったりと腰かけて──膝の上で本を開いていた。

 ソファの傍に佇み、その様子をじっと見つめる。


「……お嬢、疲れてる?」

「気疲れはしてるけど、比較的余裕のあるスケジュールだったから別に。いいところに泊まらせて貰ったしね」


 前と同じことを聞いても返ってくる答えは違っていた。前とは行き先も相手も違うのだから当然と言えば当然だ。


「今回行ってきたのって、双鷲会そうしゅうかいだっけ?」

「……え? ええ、よく知ってたわね」

「双子ちゃんがいるところっスよね。二人には会えたんスか?」


 純粋な興味から聞いてみるとロゼリアは驚いて顔を上げる。

 まさかそんなことを聞かれるなんて思わなかった、と言わんばかりだ。本を読みながら話半分に聞こうとしていたのがわかるので、ようやく自分に視線が向いたことにほっとする。

 戸惑いながら口を開くロゼリア。


「……い、一応。でも、ほんの少しだけよ。自己紹介するくらいの時間しか貰えなくて、二人ともすぐに引っ込んじゃったわ」

「やっぱ大切にされてる感じなんスか?」

「そうね、大切にされていたわ。お陰であたしには全く興味がないみたいで、そういう意味では気が楽だったのよね」

「じゃあ、こないだよりはマシだったんだ?」

「そうだけど──……っていうか、急にどうしたの? あんた、こんなこと興味がなかったじゃない」


 ロゼリアがまじまじとメロを見る。熱でもあるのかと言いたげた。

 この反応を引き出せたなら、面倒さを感じつつアリスに色々と教えて貰った時間は無駄ではなかったのだ。

 全くの余談になるが、双鷲会は双子でなければ正式な会長と認めないという独自のルールがあるらしく、かなり特殊な立ち位置である。長らく双子ができず、十年前にようやく待望の双子が生まれたそうな。挨拶に行くにあたり、噂の双子に会えるかどうかが鍵であると聞いていた。

 ロゼリアの不審そうな視線を受けながら静かに頭を下げる。頭を下げるメロに更に驚いたようだった。


「お嬢。……この前のこともだけど、これまで……その、ごめんなさい」


 困惑した空気が伝わってきたので顔を上げ、ロゼリアの顔を見つめる。何を謝っているのかわからないと言わんばかりの視線と表情だった。


「おれが本当に何もわかってなかったのが、ようやくわかった。……お嬢がこないだみたいに怒るのも無理ないっていうか、おれの話すこと全部頭痛かったんじゃないっスか?」

「あ、れは……あたしも、言い過ぎたわよ──」

「ダメ。お嬢は謝らないで。そうやってお嬢の方がおれに合わせてくれる必要なんかないんで」


 自分も悪かったと言おうとするのを制止して首を振る。ロゼリアが自分も悪かったなんて言い出したらメロの立場がなくなってしまう。メロは自分に甘いという自覚があるので、ロゼリアにまで甘くされたら今後もきっと変われない。

 ロゼリアは何か言いたげな顔をしつつ黙り込み、メロのことを静かに見つめた。


「おれね、お嬢のことを結構わかってるって思ってた。機嫌とか気分とか、好きなものも嫌いなものは全部。……でも、なんていうか、おれがわかってたのって……ほんと、お嬢のこと”だけ”で、お嬢の周りとか見てる先とか気にしているものとか、そういうのは全然わかってなかったし、正直興味もなかった。関係ないって思ってた。

最近、ようやくそれじゃダメだってわかって──……」

「勉強したの? 双鷲会のことを」

「──うん。双鷲会のことだけじゃないっスよ。他の会のことも色々……まぁ、それでもお嬢に比べたら全然だけどね」


 アリスに教わり始めて思ったが、メロが知ったことなんて情報の海のほんの一掬いだけだ。勉強した、なんて堂々と言えるようなものではない。それこそロゼリアのやっている勉強とは比べ物にならないことを痛感した。

 それでも、ユウリが言っていたように努力ができる人間だということは示さなければならない。

 関係ない、興味ないなどと言わずに、ロゼリアが必要とするものは自分にも必要だと考えられるように。

 今すぐには無理でも、ここから。

 その場にしゃがみ込み、ロゼリアのすぐ横に跪く。そっと手を伸ばして、ロゼリアの手を取った。

 ロゼリアの動揺が伝わってくる。


「すぐには無理だけど、お嬢の傍にいても恥ずかしくない人間になるし、ちゃんとお嬢を守れるようにがんばる。面倒だから難しいからって投げ出したりしない、どうでもいいとか関係ないって言わない。お嬢と同じ目線で悩んで、考えられるようになる。

お嬢が今大変なのはわかってるから……自分のことだけ考えてて。おれのことなんか、全然気にしなくていいっス。おれ、お嬢の力になりたいんであって足を引っ張りたいわけじゃないから」


 言い終わったところで自分がひどく緊張していたことに気付いた。これでまたあの時みたいに拒絶されたら、前よりも絶対痛いんだろうなと思ったからだ。

 けれど、メロの緊張や不安とは裏腹にロゼリアは表情を変えないまま、メロが触れているのとは反対の手を伸ばしてきた。その手の行方を追っていくとメロの頭の上に乗っかる。ゆっくりと頭を撫でられてしまい、一体何がしたいのかと混乱した。


「……考えて、実行に移したのね」

「えっと、うん。そうじゃなきゃ、謝っても全然意味ないから」


 わしゃわしゃと頭を撫でられて、その手の気持ちよさを感じて目を細める。

 少しの間、二人とも無言だった。

 その沈黙を破ったのはメロで、ロゼリアの手を頭に乗せたまま再度口を開く。


「お嬢に告白するの、全然早かった。もっとちゃんとしてから、もっかい告白させて。前のは……なかったことにして。ペットでいいとか、そういうのも全部なしで……」


 前の告白も結婚という話も、仕切り直しをしたかったのだ。

 自分には何もかもが足りない。責任を果たそうと努力しているロゼリアことを好きだと伝えることすら恥ずかしい。言いたいことを言えて、ロゼリアに聞いて貰えて、どこかスッキリした。

 触れている手と、頭に乗っかる手を自分から離して、ゆっくりと立ち上がる。

 一歩遠ざかって、「それじゃ」と部屋を出ていこうとしたところで──ロゼリアがメロの手を掴んだ。まるで引き止めるように。

 驚いて振り返ると、ロゼリアは「しまった」という顔をしていた。一瞬遅れて自分がメロの手を掴んでいることに気付いたようで、慌ててその手を離す。

 目を見開いてロゼリアを見つめると、ものすごく気まずそうな顔をしていた。

 ──そして、僅かに頬が赤い。


「……。……お嬢、……ひょっとして今、もっかい好きですって言ったら……前とは違う答えがあったり、する?」


 恐る恐る聞いてみるが答えはない。

 さっきメロの手を掴んでしまった右手を左手で握りしめ、悔しそうな顔をしているだけだ。

 どこかぼうっとした頭のまま再度近付いて行った。ソファに手をついて、ずいっとロゼリアに顔を近付ける。ロゼリアが咄嗟に身を引き、膝の上に乗っていた本がばさっと床に落ちた。

 メロはロゼリアのことをわかっている方だと言う自負がある。

 けれど、こんな風に顔を赤くして、戸惑っているロゼリアは見たことがなかった。


「素直に言ってくれるなんて思ってないから──……嫌なら引っ叩いて」


 そう言ってゆっくりと顔を近付ける。ロゼリアが身を固くして手に力を入れるのがわかったが、その手が振り上げられることはない。

 唇が触れ合うかどうかのところで、ぐいっと体が押しのけられた。

 そんな上手い話なんてないか、と思ったところでロゼリアが顔を背けて拗ねたように口を尖らせる。


「……今更あんたと大真面目にキスなんかできないわ」


 表情が、態度が、「嫌じゃない」と言っている。

 都合の良い妄想かもしれない。ただ、二人の間にある空気が甘くなっているのは確かだった。こんな雰囲気のまま立ち去るなんて無理に決まっている。

 それまでの不安や緊張感が別の感情に置き換わり、表情がへにゃりと緩んでしまった。


「えー? なにそれ。別にキスくらい真面目な顔しなくたってできるじゃん」


 ね。と笑いかけてから、不意打ちのようにロゼリアの唇を奪った。とん、と触れるだけのキスをしてから、ロゼリアが怒らないうちにさっと離れる。

 「何するのよ」と怒るかと思って身構えていたが、予想に反してロゼリアの怒声は聞こえなかった。

 驚いた顔をしてメロを見つめている。その視線にドキッとして、急激に恥ずかしさが込み上げてきた。

 じわじわと頬が熱を持つ。今更照れたりするのかよと自嘲しつつ、たった一回のキスだけで満足することは無理だった。ふらふらと引き寄せられるようにもう一度顔を近づけていくと、ロゼリアが若干の躊躇いの後にそっと目を閉じる。

 無防備にも見えるロゼリアとの距離を詰め、もう一度唇を重ね合わせた。さっきよりも長く。

 離れようとしたところで、多分本人にそんなつもりはなかっただろうが、メロの服を引っ張るような動きをするものだからブレーキが効かなくなってしまった。更に深く追い求めると、ロゼリアが驚いたように咄嗟に胸を押す。

 が、この場で逃がしたくなくてきつく抱きしめると、仕方ないわねと言いたげな態度でメロに身を預けた。その態度に一層煽られてしまい、しつこくキスをしてしまった。

 キスに没頭して、しばらくし──不意に我に返って離れるとロゼリアが顔を赤くしてメロを睨んでいた。


「っ……メロ、あんたねぇ、」

「だ、だって、お嬢が嫌がらないし……途中からもっとって感じになるから──う゛ッ?!」


 無意識にロゼリアの腰を撫でた瞬間、腹に鈍痛が走った。ロゼリアに腹を殴られたのだ。

 引っ叩いていいとは言ったが、殴られるとは思わなかった。殴られたところを押さえながらロゼリアを見つめる。当のロゼリアはものすごく気まずそうな顔をしてメロから視線を逸らしていた。顔は赤く、目は少しだけ潤んでいる。

 その様子すら可愛いと思ってしまう。浮かれてるなぁと自分で自分を笑いそうになった。

 ロゼリアの隣に座り直し、拗ねたような横顔をじっと見つめる。


「……これからお嬢と二人きりの時は、好きって言って抱きしめてキスしていい?」


 内心の浮かれ具合と緩みきった表情を隠すこともなく聞いてみる。

 たっぷり三十秒は返事がなかったが、やがてロゼリアは無言のまま静かに頷いた。


「ありがと、お嬢。──気が向いたら、お嬢がおれのことどう思ってるのか教えてね」


 にこにこと笑いながら言ってロゼリアの頬にちゅっとキスをする。予想外の行動だったらしく、ロゼリアは頬を押さえてメロを凝視した。

 赤い顔がメロにとっての答えである。もちろん言葉で貰えたら嬉しいけどロゼリアの性格上すぐには難しいのは理解していた。

 それに、メロ自身その言葉を貰うのはまだ早いと感じている。

 もうちょっとちゃんとしてから──と思いながら、ロゼリアの赤い顔を飽きずに眺めるのだった。



◇ ◇ ◇



 やってしまった──。


 メロがこんな短期間で変わるなんて思いもしなかった。真剣に変わろうとして、それを訴えてくる様子にグラッときてしまった。いや、元々グラグラしてたし、結婚の話を出された時には半分くらい失恋したような気分になってたけど!

 なんかちょっと悔しい。

 悔しくて、自分の気持ちを言葉にして伝えることができなかった。

 しかもメロはそういうあたしの性格や心情を理解してその言葉を強要しなかった。

 言うタイミングを完全に逃して、言えなかったのも悔しい。

 メロにこんなに悔しい思いをさせられるとは思わなかったわ。


 でも、嬉しかったのよ。

 自分で考えて変わろうとしてくれたのが、理由は他でもないあたしのためだって言うのが。

 メロが傍にいてくれたら、あたしは今以上に頑張れるかも、って思っちゃったの。


 それはそれとして、メロにちゃんと気持ちを伝えなきゃ。気が向いたらでいいなんて言ってるメロに甘えっぱなしではいられないわ。

 そう自分に言い聞かせて、次二人きりになった時に背中越しに「好きよ」と伝えた。

 こっちが恥ずかしくなるくらいに喜んで抱きついてくるものだから色々と思い悩んでいたのが馬鹿馬鹿しくなってしまう。こうやってこの先もメロに救われていくんだろうと思ったら気が抜けた。

 どんな辛いことも頑張れそう、って思えた。


(了)

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メロのifルートすごく見たかったので嬉しいです。 完結しても個別ルートを書いてくださり、ありがとうございます。 メロがロゼリアのために考えて行動するところには感動してしまい涙が出ました。 ロゼリアに…
はぁ~あああ!尊い…!メロかわ! 帰ってきたのすぐ感知できるのすご笑 もっと、こう、本格的に鍛えてボディガード的な存在になってからを想像してたけど、メロがそれまで待てができるわけなかったか笑 これはこ…
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