【ifルート】ユキヤ編
推しというのは生きる活力であり、存在してくれるだけでいいもの。
認知されたいとか、近付きたいとか、あまつさえ恋仲になりたいなんて考えちゃいけない。
少なくともユキヤはあたしにとってそういう存在で、他の人間以上に近付くのを躊躇う相手だった。でも最初から認知はされていたし、近付いてきたのはユキヤの方だし……すごく微妙な感じ。
推し(ユキヤ)には幸せになってほしい。できればアリスと。
という気持ちはずっとあった。
だからできる限り力になったつもりで、多分やり切れたと思っている。ユキヤとの関係はこれっきりだとも思っていた。
なのに、まさか告白されるとは……。
前世では片思い程度の恋愛しかしなかった。今のあたしに対して言い寄る人間は星の数ほどいたけどどれもこれも真剣なものではなかった。結婚を匂わせていても結局は九龍会と九条の名前が欲しいだけだし、愛を囁かれてもやっぱり金やあたしの庇護が欲しいだけというのが透けて見えていた。適当に付き合ったこともあるけど、長続きせずに終わる関係ばかり。
前世からこれまでの人生の中で、一番最初に真剣かつ結婚まで視野に入れた告白をしてきたのが推しだなんて……。
その事実がじわじわとあたしの中で広がっていき、一ヵ月ほど経ったところで無視できないレベルにまで大きくなっていた。
年明けからしばらくは忙しかったからよかった。ユキヤのことを深刻に考えずに済んだ。
正式に後継者候補として指名されたので、伯父様に連れられて第一領から第八領までご挨拶回りをしなければならなかった。伯父様から現会長と次期会長(候補)に「うちの後継者候補のロゼリアだ。気にかけてやって欲しい」と紹介され、「九条ロゼリアです。どうぞよろしくお願いいたします」と頭を下げて、食事をしたり領内を回ったり……何なら酒席を設けられて泊まってくることもあった。
一部の会では本当に生きた心地がしなくて、「こいつが? 本当に? 後継?」と以前の噂を知っている相手からかなり変な目で見られていた。ただの雑談に見せかけて、あれこれ聞かれたり試すような話を振られることもあった。その対策のためにマナー全般の見直しから他会の情報や知識の詰め込みを行わなければいけなくて、年明け以降は式見にスケジュールを完全に管理されていた。礼儀作法の時間と勉強の時間がみっちり。
あんなに規則正しい生活をしたのが久々だったわ、本当に……。
本来ならユウリの仕事だったろうけど受験勉強のラストスパート期間だったし、式見から「とにかく君は勉強なさい。ロゼリア様のことは私に任せて」と締め出されていた。
ふとした時に「ユキヤ、今何してるのかしら」と考えることはあっても、すぐに現実に引き戻されたし、考える暇もなかったりで……とにかく、ユキヤのことは頭の隅にはあっても深く考えることはなかった。
そして、ご挨拶回りから解放された一月下旬。
これまで考えることがなかったせいで、ユキヤのことを考えるようになってしまった。忙しさにかまけて深く考えることがなかったせいでまるで雪崩のように様々な考えが押し寄せている。
ただ、「推しに告白されてしまったんだけど!?」という気持ちが強い。
ユキヤ推しの『前世の私』としては本当に「No」一択。推しと恋仲になるなんてとんでもないし、そもそもゲームの中でユキヤを苦しめる原因となったロゼリアとくっつくなんて解釈違いもいいところ。絶対に、絶対、に有り得ない。
……でも、それは『前世の私』の思考回路。
じゃあ──『あたし』は?
そう自問自答すると急に頭が痛くなる。
ここにきて『今のあたし』と『前世の私』が対立している。『前世の私』はあくまで過去の話で、『今のあたし』と対立なんて有り得なかったのに、二つの感情があたしの中に同居している気持ち悪さがある。
今のあたしは紛うことなく九条ロゼリア。この世界はゲームの世界でも何でもなく、様々な人間が生きている現実。
だから、確かにユキヤが推しであっても、『今のあたし』にとっても推しなのか。推しじゃなかったら一体何なのか。でも確かに推しだし──どうにかなりたいなんて、そんなことは悩むまでもないでしょ? でも、どうしてもすっきりしない。葛藤がある。
そうやって考えれば考えるほどに頭痛は酷くなり、まともに考えられなかった。
◇ ◇ ◇
一月の終わり。
ユキヤはジェイルに「ロゼリア様にお会いしたい」と申し入れをしていた。一月の間はガロとともに他会へ挨拶周りをしているという話は聞いていたので、それが終わったという話を聞いての申し入れだった。
指定された日程で予定を調整し、その日時に再び椿邸を訪れる。
「……結局、ハルヒトさんのところの行くのか?」
「それを今日報告するつもりだったんですよ。俺からは是非にとお願いをして、先日返事がありましたので」
敷地内、椿邸に向かう道すがらジェイルが問いかけてきた。
十二月二十四日に開催されたロゼリアの快気祝いを兼ねたパーティーの中でハルヒトに「しばらくうちに来てくれない?」という誘いのことだ。ミチハルがハルヒトの側近を探しているという話が発端である。ハルヒトには「ミチハル様が問題ないのでしたらぜひ」と答えていた。
ようやくミチハルの判断が下り、正式にユキヤに回答があったのでその報告も兼ねてロゼリアに会いたいと連絡を入れたのだ。流石に何も言わずに第九領を離れてしまうのは不義理だと思っての判断だった。
今この場でジェイルに答える気はないが、恐らく感触としては伝わっているだろう。
「意外だった」
「何がですか?」
「お嬢様の傍にいたがると思っていたからな」
君とは違うんですよ。という言葉が喉元まででかかったが、何とか飲み込んだ。
少し笑ってジェイルを見る。
「今の俺が近づける距離はたかが知れてます。周囲が騒がしく落ち着かないのと……彼女のパートナーに相応しい人間になるための選択をしたいと思っただけです」
「……パートナーか。強かだな、お前は」
「単純に、明確な目的や目標が欲しいという気持ちもあります。……何もないと腐ってしまいそうで」
感心した言葉に水を差すように言えば、案の定ジェイルが目を見開いた。
「君だからこんなことを言うんですよ」
秘密ですよと案に告げる。ジェイルはそれ以上何も言わなかった。
ある種の燃え尽き症候群のようなものだ。
いつからか父親に反発を抱き、彼が間違っていると強く思うようになった。金や権力こ固執した実父をどうにかしたいという気持ちをずっと持ち続け──そして、ロゼリアの力を借りてようやく果たした。
年単位で持ち続けた気持ちが昇華されたのは良かったが、実父を断罪した事実はやはり堪えた。
果たした先のことは明確に考えてなかったので心にぽっかり穴が空いたのだ。
ロゼリアに好意を抱いているのは紛れもない事実だが、空虚な自分を誤魔化す気持ちがなかったとは言えない。
そんなユキヤの意図に気づいたのか、ジェイルは小さくため息をついた。
「……好きにしろ。お嬢様に迷惑をかけないならな」
「ええ、もちろんです」
そう言っている間に椿邸に辿り着いた。以前は見られなかった椿が邸宅の周りを飾っており、それはそれは見事な椿だった。この屋敷が『椿邸』と呼ばれるのも納得の光景である。
自分のことでロゼリアに迷惑や負担をかけるつもりはさらさらない。
あくまでもさっきの話はユキヤ自身の問題だ。
これまで通り花束も持参で、椿邸の扉をくぐる。
以前とは少しばかり雰囲気が違っており、邸内はどこか華やかだった。どうやら絶え間なく祝いの花などが届いているようであちこちに玄関には所狭しと花が並んでいる。
胡蝶蘭などがずらりと並んでいるので、自分が持参した花束などは霞んでしまいそうだった。とは言え、この祝いの花々もずっと届き続けるわけではあるまい。
「……そう言えば、灰田は?」
「今日は留守番です。来たがってましたけどね」
慣れた様子で階段を上がり、応接室へと向かう。
今日はユキヤ一人だった。当初ノアも連れて来る予定だったのだが、鶴田が手伝って欲しいことがあるとかでノアを回収していったのだ。こればかりはしょうがない。アキヲの後始末も粗方片付いたものの、問題は色々と残っているのだ。内海も鶴田も、そしてノアも気にする必要はないと言ってくれるものの、妙な誤解を受ける真似は避けたい。周りの目はユキヤに同情的で、想像より厳しい意見は少なかった。もちろん、ないわけではない。
ということで、今のユキヤは時間があるのだ。暇とはではいかないが、かなり自由がきく立場だった。
応接室の前に立つと、ジェイルがその扉をノックする。
「お嬢様。ユキヤを連れてきました」
「ええ、入って頂戴」
「失礼します」
「──失礼します」
ジェイルが開けてくれた扉をくぐり、応接室に入る。
見慣れたはずの応接室はどこか懐かしい。
ソファに腰掛けていたロゼリアがゆっくりと腰を上げて立ち上がる。一ヶ月ほど会ってなかっただけなのに、随分長い間会ってなかったように感じる。たかだか一ヶ月で変わるはずがないのに、記憶の中のロゼリアよりも数段鮮やかに思えた。
赤い髪に青い目。背中までのロングヘアは相変わらず艷やかで、その髪に何度触れたいと思ったことか。
意志の強い瞳がユキヤを捉える。その視線にどきりとしながらも内心を悟られないようにいつも通りに笑う。
「お久しぶりです。ロゼリア様」
「久しぶりね。──元気にしていた?」
「おかげさまで。俺以外は忙しい状況なのが歯痒いですね。ロゼリア様こそ、お疲れではないですか? あちこちに挨拶回りをされていたと聞きました」
「一息つけたところよ。……先月は本当にきつかったわ」
やや遠い目をして自嘲気味に零すロゼリアを見つめながら花束を渡す。先月の他領への挨拶回りのことは知っているが、ロゼリアがこんな風に零すほどだったとは思わなかった。
今日持ってきたのは赤いガーベラがメインになっている小さめの花束だ。大きな花束だと小分けにされてあちこちに飾られることになるので、ロゼリアの私室に収まるように小さめのものを用意するようになった。実際、ロゼリアはユキヤが持ってきた花は私室に飾ってくれているようだったし。
室内にはメロ、ユウリ、アリスがいて、ユキヤを見つめている。
(まぁ、今の状態だと簡単に二人きりにはしてくれませんよね)
ロゼリアを取り巻く環境はがらりと変わっている。以前よりもずっとガードが固くなっているのだ。諸々の事情があってメロとユウリは住み込みではなくなったものの椿邸に常に控えているのは変わらないし、以前デパートのトイレで襲われかけたこともあって女性の護衛も増やしているらしい。
この状況でどうやって二人きりの時間を作って貰おうか──。
そんなことを頭の片隅で考えている。
ロゼリアが一度受け取った花束はユウリに渡り、ユウリは花束を持って一度部屋を出ていってしまった。
ソファに向かい合って座っている間にキキがお茶とお菓子を運んでくる。
「今日、ノアは一緒じゃないのね」
「ええ、本当なら連れてきたかったんですが……俺があまり動けない分、ノアが動くことが多くて」
「ノアも大変ね。……あ、別にあんたが大変じゃないとか言いたいわけじゃないのよ?」
「ふふ。大丈夫です、わかっています」
ユキヤはユキヤで大変だろうし。と、言わんばかりの言葉に小さく笑う。
お茶を用意し終わったキキはいつの間にか部屋からいなくなっていた。
出されたお茶を一口飲んでから、今日話したかったことの一つ目を話そうと口を開いた。
「今日はお時間をいただきありがとうございました。一つ報告がありまして……」
「報告?」
「はい。正式にハルヒトさんのところに行くことが決まりました。ジェイルや花嵜さん、あるいは真瀬さんのような立場になるかと思います。この機会に恵まれたのはロゼリア様のお陰ですから……お礼とご挨拶をしたかったんです」
そう言うとロゼリアが目を見開いた。
傍で聞いているメロとアリスも目を丸くしている。タイミングよくユウリも戻ってきて「わ」と小さく声を上げていた。ジェイルはわかっていたと言わんばかりの表情だ。
「そ、そう。よかったわね。──あんたなら問題なくこなせるでしょ」
「ありがとうございます」
「えー? じゃあ、ユキヤくんって八雲会に行っちゃうんスか? 寂しくなるね」
「ちょ、メロ」
「寂しいと思って貰えて嬉しいですよ」
いつも通りメロが口を挟んできてユウリがそれを咎める。懐かしくすら感じてしまい、口元に笑みが浮かんだ。
恋敵と呼んで差し支えない相手が離れていくのだから喜んでも良さそうなものなのにそんな感情は微塵も感じない。一定の信頼関係のようなものを築けたようで嬉しかった。
が、「よかったわね」と言うロゼリアの表情がどこか浮かない。
何か問題でもあっただろうか。
南地区で起きたアキヲの不祥事は年内にほぼ片付いていて、ユキヤも知る限りの情報をガロや陰陽に渡した。ユキヤ自身は形式的に厳重注意をされたものの実質はお咎め無しで、特に行動に制限はかかってないはずだが──まさか何かあったのだろうか。八雲会行きを決めた後でそれがひっくり返るのは避けたい事態だ。
「……ロゼリア様?」
「えっ?! あ、いや、何でもないわ。ど、どれくらい八雲会にいるつもりなの?」
「その辺りの条件はまだこれからで……ハルヒトさんからは一年はいて欲しいと言われてますね。短期間では意味がないので、一年という話には納得しています。ハルヒトさんの身辺次第ですが、二、三年くらいでも良いかと──」
「……ふーん、そう」
声のトーンが冷たくなった、のは気の所為ではない。
内心冷や汗が吹き出す。機嫌を損ねるような話題だっただろうか? 聞かれたことに答えただけだが、ロゼリアはどこか不機嫌そうに眉根を寄せてお茶を飲んでいた。
一体どこに不機嫌になるポイントがあったのかわからずに少々混乱する。
見れば、ジェイルもメロもユウリも、そしてアリスもロゼリアを不思議そうに見つめていた。
「ロゼリア様は……俺が八雲会に行くのは、えぇと、お気に召さないのでしょうか?」
「……そうじゃないわ。前も言ったけど、悪い話じゃないでしょ。あんたの能力が高く買われてるんだし」
不機嫌と言うより、拗ねている?
単純に人材流出が気に入らないのだろうか。とは言え、現状九龍会の中ではユキヤは使いづらいと思う。そういう状況も踏まえての判断なのだが、ロゼリアが何を気に入らないのかさっぱりわからない。
「想像よりも長い期間を考えているみたいだったから驚いただけよ」
「──その間にロゼリア様が俺のことを必要としてくださるなら喜んで戻りますよ」
「ふーん?」
興味なさそうな顔をする割には、さっきよりも機嫌がよくなった──ように感じる。
パーティーでの怒涛の告白ラッシュに対して「保留!」「全員論外!」と言い放ったのはロゼリア本人で、自分たちの中からすぐに誰かを選ぶなんて未来は到底思い描けなかった。恐らく、あの場にいた人間全員がそう思っていただろう。今後他会の人間を巻き込んでロゼリアのパートナー争奪戦が激化するにしても、一年くらいは大きな動きはないはずだ。そもそもガロがそういう話は認めないだろうから。だから、ハルヒトの言う一年に了承したのだ。
しかし、以前よりもずっとロゼリアの考えがよくわからなくて、少しだけ目を細める。
二年なり三年、自分が第九領を離れることを寂しがってくれているのならいいなという楽観的な気持ちを抱いた後、自分に都合のいいことが起こるはずがないと冷ややかになった。
「いい機会なんでしょうし、頑張ってね」
「はい、ありがとうございます」
話したかったことの一つ目は終わりだ。
二つ目はできればロゼリアとだけ話をさせて欲しい。が、それが許されるとは思わなかった。
とは言え、ダメ元だとしても言う価値はある。
「……ロゼリア様」
「何?」
「……。……、その」
「? ……ああ、この場で言いづらいなら席を外させるわ」
周囲の視線を気にしていたことが伝わったのか、あっさりと言い放つロゼリアにジェイルたちが目を丸くする。
思いの外、ロゼリアがユキヤの気持ちを汲んでくれたことに驚きを隠せない。すぐに答えられずにいるとソファの後ろにいたメロが背もたれを両手で掴んでロゼリアの顔を覗き込んだ。
「ちょ、二人きりってこと?!」
「二人きりって……大袈裟ね。そんなに時間は取らないわよ」
「お嬢様、誤解を招くような行動は──」
「話をするだけよ。元々会う約束してたんだから誤解も何もないし、そんなこと言い出したらあんたたちとだって二人きりになれないわ」
う。と、全員が呻いた。まぁ、メロにしろジェイルにしろ、ロゼリアと誰かを二人きりにさせたくないのはわかる。その相手が男なら尚更だ。ユキヤだってロゼリアと誰かが二人きりになるようなシーンは見たくない。それをわかっていて、他の人間を追い出すように仕向ける自分は大概だと自重しつつ、表面上は涼しい顔をした。
物わかりが良かったのはやはりユウリ。二人の肩を軽く叩いて、応接室の外を示していた。メロとジェイルは顔を見合わせてから溜息をつき、渋々と応接室を出ていく。アリスは「終わったら呼んでください」と言い残して、最後に扉を閉めて廊下に出ていった。
二人きりの応接室。
いつだったかも、こうして二人きりの時間を貰ったと思い出す。
「ありがとうございます」
「いいのよ、気にしないで。──内容によっては、誰かいると落ち着かないのは確かだしね」
「ですが、ガロ様が……」
ガロがどこまでロゼリアの行動に制限をかけているのかは傍からではわからない。気に掛けるに越したことはないはずだ。
「伯父様が厳しかったのは最初だけよ。挨拶回りが終わるまでの間は変な行動は控えて欲しかっただけみたい。
……もちろん今後だって誤解を招くような行動は辞めろって言われてるけど、知り合いとちょっと込み入った話をするくらいなら問題ないわ。制限し出したらキリがないし、息が詰まるもの。……ユキヤには色々と迷惑かけちゃったしね」
そんなことありませんよと笑いつつ地味に凹んだ。
所詮「知り合い」程度でしかなく、二人きりになっても問題のない相手なのだと。
「──で。話って何だったの?」
ロゼリアがユキヤを不思議そうに見つめる。
これまでロゼリアはユキヤの不安な気持ちを聞いてくれて、取り巻く現状に気持ち寄せて、色々と便宜を図ってくれた。その延長線でこうして二人で話す時間を作ってくれたのがわかる。
だからこそユキヤは罪悪感を覚えた。だが、どうしても以前して貰った『約束』を置いて、離れることができそうにない。
「……浅ましいと感じてしまって、非常に言いづらいのですが……なかったことにはどうしてもできなくて……」
「あ、浅ましい? あんたが?! そんな言葉とは無縁でしょ?」
「はは……。自分のことばかりだと呆れても全く構わないので、聞いていただけますか?」
「え、ええ……」
我ながら予防線を張り過ぎなのはわかっている。しかし、これくらいしないと続きを話せなかった。
ロゼリアはわけがわからないという顔をしつつユキヤをじっと見つめている。何かあったのかと心配と不安を感じている表情だった。
これから話すことはごくごく個人的なことなんです、と心の中で謝罪してからゆっくりと口を開いた。
「リベンジの約束、覚えていらっしゃいますか?」
「りべんじ……あ!」
以前、ユキヤがロゼリアの買い物に付き合い、それが不発に終わった。その後で「もう一度行く時に同行させて欲しい」と伝えて、了解を得ている。
この調子だと忘れていたようだが、先月は忙しかったと行っていたので恐らく買い物には行ってないのだろう。
「……本当に本気だったのね」
「ええ、もちろんです。それを楽しみにここまでやってきたので……」
「た、たのしみ……」
ロゼリアが何とも言えない顔で反芻する。
これまでの彼女の言動を考えれば決して無下にはしないと思う。だが、ガロのこともあるし、周囲の目もあるので渋られるのは仕方がなかった。
実際、本邸で世話になっている時にガロから釘を刺された。「好きになるのは勝手だが簡単に許すと思うな」と。あの時のガロの威圧感は凄まじく、声の震えを抑えて笑顔を保ち「承知しました」と答えるのが精一杯だった。喉元を過ぎて熱さを忘れているが、思い出すと肝が冷える。
困った顔をして額を押さえているロゼリアを見て、自然に笑みが浮かんだ。
悩んでくれているだけで十分じゃないか、と。
「ですが、あの時は俺が無理やり約束していただいたようなものなので……なかったことにしてくださって構いませんよ」
「えっ」
額から手を離し、ロゼリアがばっと顔を上げる。驚きに満ちた表情が年齢よりも幼く見えて、余計に笑みが深まった。
「二月中にはハルヒトさんのところに行く予定なんです。もし、もう一度買い物に同行させていただくとしたら今しかないと思いまして……今を逃すと、ロゼリア様自身もお忙しくなるでしょうし、俺も次はいつ戻って来れるかわかりません。そうやって、あの時の約束が自然となかったことになるのが嫌だったんです。
あなたのことを諦めるつもりは毛頭ありませんし、次戻る時にはあなたに頼られるくらいの人間になりたいと思っています。
それはそれとして……今こうしてお願いをするのは、単に区切りが欲しい、という俺のごく個人的な我儘ですから」
自己本位すぎて呆れただろうか。
そんな裏腹とは逆に、ロゼリアはぽかんとした顔でユキヤを見つめている。
そして何を思ったのかロゼリアが突然立ち上がり、ユキヤに背を向けて窓際へと向かった。落ち着きがなく、そわそわしているように見える。
「……ちょっと考えさせて」
「え。あ、はい。どうぞ」
悩んでいると言うよりは迷っているという様子だった。
腕組みをして、窓の外を見つめている。その表情はユキヤからは見えない。かと言って立ち上がって傍に行くというのもなんだか違う気がした。
今のロゼリアには考えることが様々あることは想像に難くない。
ガロのこと、周囲への影響のこと、何よりもロゼリアの今後のこと。
約束を反故にするのは気が引けるが、簡単に決められないというのも理解できる。
申し訳ないことをしたと思いつつロゼリアの後ろを姿を眺めた。
あれ? と思う。
見間違いでなければロゼリアの耳が少し赤い。
応接室の中は寒いということもないし、逆に暑いということもない。
ならば何故? 湧き上がる妙な期待を抑えつけて、じっとロゼリアの赤い耳を見つめた。
驚いた顔や気まずそうな顔、嬉しそうな顔、楽しそうな顔──たかだか半年の間にロゼリアの表情は様々見てきたものの、照れたり赤くなったりという表情は見た覚えがない。
これまでユキヤと話をしているだけで顔を赤くする女性は何人も会ってきた。遠巻きに何故かはしゃいでいる女性も見たことがある。そう言ったことに意識を向けることはあまりなかったが、ぼんやりと女性からの視線を集める造形をしているという自覚はあった。噂ではアキヲも若い頃はモテていたらしい。
しかし、ロゼリアはそういう目でユキヤのことを見ない。見たことがない。
気を使われている自覚はあったが、他の女性から感じるような視線や感情は一切向けられた覚えなどなかった。交わされた契約が終わって、パーティーの場で好意を伝え──そして一ヶ月経った今、何かしら変化があったのではと期待してしまう。
一挙手一投足を深読みしてしまう。
好きだからこそ、自分の都合のいいようにならないかと期待してしまうのだ。
「……わかったわ」
ユキヤに背を向けたままロゼリアが答える。
何がわかったのかすぐに理解できず、瞬きをするだけになってしまった。
「約束を反故にするのはスッキリしないし、先月は買い物に行けてないし……付き合って頂戴、買い物」
そう言ってからロゼリアが振り返った。「決めた」と言わんばかりに表情で、どこか晴れやかに見える。
微かに頬が赤く見えるは気の所為だと自分に言い聞かせた。
それよりも何よりも、あの時の約束が果たされるのが嬉しくて、一気に気が抜けてしまった。
無意識に立ち上がってしまい、ロゼリアの方にふらふらと引き寄せられる。
「……よかった。ありがとうございます」
「わかってると思うけど、二人きりは無理よ。流石に伯父様にも言い訳ができないもの」
「大丈夫です。あの時、あなたの買い物に全く付き合えなかったのが心残りでしたので……」
窓際のロゼリアの横に立てば、彼女が呆れたようにユキヤを見た。
「──そんなこと言うのはあんただけよ」
「ふふ、光栄です」
本心である。浮かれているせいで緩んだ表情を晒しているだろう。
バチッと目が合った瞬間、ロゼリアがふいっと顔を背けてしまった。先程と同じようにユキヤと背を向けて、座っていたソファを超えて、応接室の扉の方に向かっていく。
ユキヤを避けるような態度を目の当たりにして、一瞬前の浮かれ気分が消え去った。
話はこれでいいだろうとばかりに廊下へと追い出したメンバーを呼び戻している。
その様子をぼんやり見つめながら、やはり期待しすぎたと自嘲した。
ただ、ロゼリアは約束を無碍にできないだけ──だから期待はするなと自分に言い聞かせた。
◇ ◇ ◇
こいつ、あたしのことが好きだって言っておきながら最低一年は戻らないって何!? 挙げ句望まれれば二、三年いるとか、舐めてんの!?
と、無性に苛ついてしまい、苛立ちとムカつきがモロに言葉に乗ってしまった。
自分でも驚くくらい不機嫌そうな「ふーん、そう」が飛び出てしまって、内心すごく焦った。現にユキヤはもちろん、周りもめちゃくちゃ不審がってるし……!
で、でも、パーティーの時は半年って言ってたから、まさかそれがそんなに伸びるなんて──……。
ふと我に返って「何が気に入らないの?」と、自問自答する。
第九領に居づらいユキヤが居場所があるならいいじゃない。しかも頼られてる、高く買われてるなんてすごいことだわ。八雲会はかなりごたごたしているけど、そこで自分が有用だって示せればユキヤの経歴に箔が付くし、高い実績になるに違いない。
応援する気持ちは嘘じゃない。けど、長く離れるのが気に入らない。
他のみんなを追い払って、ユキヤに気を使うふりをしながらひたすら悶々としていた。
買い物に同行したいって約束(?)が本気だったとは思わなかったけど、嬉しかったのも事実。
そして、
「あなたを諦めるつもりは毛頭ありませんし──」
という言葉に、悶々とする気持ちが全部吹き飛んだ。
ユキヤは様々な事情を理解している方だと思う。自分の立ち位置やあたしの状況、九龍会や八雲会だけじゃなく他会の状況も。だからこそ八雲会に行くという決断をしたのだろう。そしてその前に『ごく個人的な我儘』を伝えにやってきた。
冷静に見えて、感情を捨てきれないところが──……。
いやいや、何を考えているのよ。決断するのは早い。
あたしは身勝手な独占欲や所有欲でメロとユウリを縛り付けてきた実績がある。
この気持ちがそうじゃないとは言い切れないし、ユキヤのことや自分がどう思っているのかを考え出すとどうしても頭痛がする。
『前世の私』がハンマーで『ロゼリア』を叩いているみたい。そんなの絶対に許さない、って言われてるみたいだった。気持ちはわかる。けど、前世と今はイコールでは結ばれていない。特に感情面では真逆になってしまっている。
買い物に行きたかったのも本当。約束を反故にしたくなかったのも本当。
けど、それ以上に自分の感情が何なのかはっきりさせたかった。だから、買い物に行くことにした。
そこで自分の気持ちを見極めようと、そう思ったのだ。
あたしの身勝手さでユキヤを縛っちゃけない。これでどうにか結論を出したい。
◇ ◇ ◇
買い物当日。ジェイルとアリスがついてくることになった。
メロが相当噛みついていたらしいが、ジェイルが「そういうところだ」と言って黙らせたらしい。ユウリはメロの見張りで、渋々ながらに了承したと言っていた。表立ってついてくるのはジェイルとアリス、見えないところに九龍会の構成員がつくとのことだ。
車は九龍会のものを使用し、運転はジェイルになった。助手席にユキヤ、後部座席にロゼリアとアリスが乗り込み、予定通りに出発する。
「買い物くらい好きにさせて欲しいわ、本当に」
ロゼリアが眉間を寄せ、つまらなさそうに言う。
運転席にいるジェイルがちらりとルームミラー越しにロゼリアを見た。
「駄目だと言われているわけではないですよ、お嬢様」
「そうだけど。突然思い立って行ける気がしないのよ、この調子だと。あるでしょ、あれが欲しいって不意に思うことが」
「外商を呼べばよろしいかと」
「自分で好きに見て買いたいのよ」
「まぁ、それは暫く難しそうですね」
ジェイルの言葉にロゼリアはやっぱりつまらなさそうな顔をした。
以前のロゼリアは相当自由にしていたと聞いているが、今はかなりスケジュールがきっちりしている上に、勝手にあちこち行ける環境ではないらしい。後継者候補として名指しされたために第九領内の有力者が続々と挨拶に来ていることに加え、今後のための勉強であるとか視察であるとかの予定が組まれているのだ。「あ、今日買い物行きたい」と思っても、既にスケジュールが詰まっていて行けるスキマ時間がないらしい。
雲の上の人になってしまったなぁと感慨深く思う。
「ジェイルたちを同行させれば行けるんでしょう?」
「行けるけど……ジェイルじゃ張り合いがないのよね。メロもユウリもあたしの買い物に興味ないし。それなら一人で見て回りたいのよ」
ジェイル、メロ、ユウリの三人はロゼリアの買い物に付き合わされるのがうんざりだったと聞いている。
以前と今では絶対に違うと思うが、敢えて言及を避けた。
「わたしは興味ありますよ! 今日はこうしてご一緒できて嬉しいですっ」
「俺も興味があります。今日はありがとうございます」
「あんたたちだけよ。あたしの買い物に前向きに付き合ってくれるのは……」
「えへへ」
アリスがロゼリアの横で嬉しそうに笑っている。運転席のジェイルは苦虫を噛み潰したような表情をしていて、それが非常におかしかった。違うと言っても以前までの認識はなかなか覆られないだろうから。
今後、ロゼリアが「買い物に行きたい」と言えば、必ずアリスがついて行くことになるだろう。単純にアリスが同行を嫌がらないのと、同性であるため試着室やトイレの様子を見に行けるからだ。要は護衛として必要とされている上に、恐らくはロゼリアの買い物を一緒に楽しめる。それ以外の人間は今後のアピール次第だろうなと勝手に考えていた。
「……お嬢様、俺だって興味がないわけでは、」
「無理しなくていいわ」
素気ない言葉にジェイルは撃沈した。アリスがくすくすと笑っている。少々可哀想になってしまい、目を眇めるジェイルを横目で見やった。
「ジェイル」
「なんだ」
「頑張ってくださいね」
「お前はそんなことを言っている場合じゃないだろう。俺のことはいいから自分のことを考えろ」
「? はい、ありがとうございます」
励ましたつもりなのに何故かジェイルが呆れる。後部座席ではアリスも同じような反応をしている。
ロゼリアは、というと、ユキヤ同様に「何の話?」と言いたげな表情をしていた。
わけがわからないと思っていると、車は以前と同じデパートに到着した。
車を降りたところで、ジェイルがユキヤを見る。
「ユキヤ、お嬢様の方のドアを開けてくれ」
「え? あ、はい」
「外商が来ているから先に話をしてくる」
ロゼリアをエスコートしてから行けばいいのではと思っている間にジェイルは車を離れてしまった。アリスはやけにのんびり車を降りていたので、短い距離を小走りになってロゼリアのいる後部座席まで向かう。
ドアを開けて、中にいるロゼリアを覗き込んだ。そして手を差し出す。
「ロゼリア様、どうぞ」
「ええ、ありがとう」
ロゼリアは差し出した手を見てほんの僅かに躊躇ったが、すぐにいつも通りの態度で手を重ねた。
その手を強く握りしめたい衝動を抑え、ロゼリアが車を降りきったところでそっと手を離す。本当ならずっと触れていたかったが、人目のあるところでそんな真似はできない。ガロの耳に入ったらどんな反応を見せるのか、考えただけで恐ろしいくらいだ。
外商と話を終えたジェイルが戻ってきてロゼリアに報告していた。今日は前回と違い、ずっと付き添うらしい。とは言え、邪魔にならないところに控えているという話だ。
ロゼリアは「わかったわ」と頷き、ユキヤを振り返った。
「じゃあ行きましょ」
「──はい」
行こう。と促した相手がジェイルでもアリスでもなくユキヤだったという事実に心が沸き立つ。
深い意味はないと自分に言い聞かせてロゼリアの後を追った。
ロゼリアは目に見えて楽しそうで「早く来なさい」と三人を急かす。全部回って買いたいものを買うと宣言して、足早にショップへと入っていった。
店員はロゼリアの存在を認知しているからか、にこやかかつ丁寧に迎え入れる。新作やおすすめなどを一通り説明を受けたところでロゼリアは試着室へ向かった。
当然、三人はその間待つことになる。
「ロゼリアさま、既にすごく楽しそうですね……」
「まぁ、久々だからな」
「見ているとこちらまで楽しくなってきますね」
そう言ってジェイルとアリスを見ると、二人とも何か言いたそうな目でユキヤを見つめる。何かおかしなことを言っただろうかと不思議に思ったところで、シャッと試着室のカーテンが開いた。
スカート丈長めのワンピースを着たロゼリアが楽しそうにその姿を見せびらかす。
「どう?」
「とてもお似合いですよ。落ち着いた雰囲気で素敵だと思います」
「よかった! じゃあ次ね!」
間髪入れずにユキヤが答え、その答えに満足したらしいロゼリアがカーテンをシャッと閉めた。
ジェイルとアリスはコメントしなくてよかったのだろうかと不思議に思って二人を見るが、二人ともしれっとした顔をしている。なんだか今日はジェイルの様子がおかしいような気がした。
聞いてみようかと迷っている間に、また試着室からロゼリアが姿を現した。
「これは?」
「いいですね、特に色がよくお似合いです」
「あんた、こういう色好き?」
「そうですね。ロゼリア様の赤毛が映えるので綺麗に見えるので余計に」
自分の好みなどを伝えてもいいのだろうかと不安に思いながら答える。
季節的なものもあるだろうが落ち着いた色合いのものが多くあるようだ。ロゼリアはまだ今月着る服を探している。今試着しているネイビーのワンピースは単体で見ればシックな雰囲気であるものの、ロゼリアが着ると途端に華やかになるのだから不思議だった。
「ふーん? そう」
そう言ってロゼリアは再度試着室に戻っていってしまった。
照れたように見えたのは気の所為だろう。これまでジェイルたちはまともにコメントをしなかったという話なのでユキヤに新鮮味を感じているだけに違いない。
そうやって自分に言い聞かせないと浮かれてしまいそうだった。
そんな感じでこの店では試着したものを全て買って次へと進んでいく。
その後も店員にいくつかオススメされ、気になったものを試着し、それをユキヤたちに見せびらかして反応を見て買う買わないと決める──ということが延々と繰り返された。
今月着るものと、春物の新作とを色々と買っていく。
延々と試着を繰り返すロゼリアのバイタリティに関心する反面、それを特等席で見られることに楽しみを見出していた。次から次へと色んなものを試着していくので何だかファッションショーを見ている気分なのだ。確かにこれが興味のない相手だったら苦痛だったかもしれないが、好意を寄せている相手なので全く気にならない。むしろ、彼女が楽しそうにしているのを見るのが楽しい。これまでこういった楽しみを持ったことがなかったので新鮮だった。
いくつか店を回った後で、ロゼリアが不意に足を止める。
「ユキヤ、あんたは見たいものとかない? ジェイルとアリスも」
「いえいえ、俺の目的なあなたの買い物への同行なので大丈夫です。お気遣いありがとうございます」
「自分もです」
「わたしも大丈夫です」
「……あ、そう」
自分が見たいものなど考えてこなかったのはジェイルもアリスも一緒だろう。少なくとも二人は仕事のつもりで同行している。ユキヤはどちらかというとプライベートで、二人ほど周囲に気を配ったりはしてない。完全にロゼリアしか見てない。
三人が同じ反応をしたので、ロゼリアは少しばかり申し訳無さそうな顔をした。
「あんたたちがどんなものを買うのか興味あるわ」
そう言ってロゼリアが笑う。視線は確かにユキヤに向けられていたので動揺してしまった。
次の店に向かいながらロゼリアの横に並ぶ。
「ユキヤは工芸茶をどこで買ってるの?」
「知り合いが専門店をやっているので……そこで買ってます。新作が入ると教えてくれるのです」
「へえ。工芸茶ってあれでしょ、花が咲くお茶」
「ええ、そうです。お湯を注いで、花が開くのを眺める時間が好きなんです」
「いいわね、見てみたいわ。お勧めがあれば教えて頂戴」
「はい、ぜひ。──ジェイルは……おや?」
ジェイルとアリスに話を振ろうと振り返るが、何故か二人はかなり距離を取っていた。一緒になって振り返ったロゼリアは不意義そうな顔をしている。
あくまでロゼリアの買い物に三人が同行しているという体なのであまり離れて貰っては困る。それにこんな風に話をしているとどうしても意識しまってドギマギするので二人には近くにいて欲しいし、適度に話に入って貰いたい。
「……ジェイルもアリスもどうしたのかしら」
「え、ええ……どうしたんでしょう、ね……」
足を止めたところで、ジェイルとアリスが小走りに駆け寄ってくる。思わずジェイルをジト目で見つめてしまうが、当のジェイルは知らんぷりしていた。ジェイルのこんな態度も珍しいので面食らってしまう。
アリスが申し訳無さそうな顔をして頬を掻く。
「すみません、外商の方とちょっと話をしてて……」
「そう。あんまり離れないでね」
「はい、気をつけますっ」
無邪気に答えるアリス。何だかわざとらしさを感じるが気の所為だろう。
そうして次の店に向かい、またロゼリアが試着をして──という流れになった。
合間合間に何故かジェイルとアリスが席を外し、不意にユキヤが残されるというタイミングが幾度となく発生した。流石のユキヤもおかしさに気付いてジェイルに一言言おうとするが、ジェイルは珍しくのらりくらりと躱してしまう。
これが最後だからと気を使っているのであればやめて欲しかった。
期待して浮かれる自分が馬鹿みたいだからだ。
途中で休憩を挟みつつ、最後の店を見終わった頃にはすっかり夕方だった。季節柄、外も暗い。
思う存分買い物をしたロゼリアは満足気で、その顔を見れただけでも良かったと思う。やはり一日中付き合うとなるとかなり体力を消費してしまったが、それでも楽しい時間だった。
帰る前に、ロゼリアとアリスがお手洗いに向かう。それを見送りつつ、ジェイルを睨んだ。今日一日の不審な行動に対して何か言おうと思ったのだ。
「ジェイル。君は今日一体何を考えて──」
「ユキヤ、最後に三十分だけ二人きりの時間を作ってやる」
「……はい?」
「そこでちゃんと話をしておけ」
二人きりの時間って──。そもそも話とは何を──。
文句の一つでも言ってやろうと思って声をかけたのに丸っ切り無視をされ、一方的に決定事項として告げられて混乱してしまった。
ジェイルの無表情はいつものことだが、それでも感情は読めなくはない。今は怒っているような、呆れているような、そんな様子である。
「……何を言っているんですか?」
「お前、気付いてないのか?」
ジェイルがユキヤを見つめて小さくため息をついた。そしてふいっと視線を背けてしまう。
「悔しいが、今日のお嬢様はお前しか見てなかった」
「?! い、いや、それは俺に気を使っているだけでは……」
「だとしても、普通であれば俺や白雪をおまけ扱いする人じゃない。……今日のお嬢様は、思い出したように俺や白雪を見るだけで、視線のほとんどをお前に向けていた。だから、話をしておけと言っている」
「だから」と言われても話が繋がらないのではないか。
何と答えていいかわからずに、ジェイルを凝視してしまった。
「……ただの気の所為ならいい。だが、お前は長期間お嬢様の傍を離れるだろう。向こうの都合もあるだろうから簡単に行き来はできない。その間、お嬢様の気持ちが落ち着かないのは困るし……何よりお前が他に気をやらないとも限らない」
「あの、それは流石に失礼では……俺に対して」
まさかジェイルが自分を疑うとは思わなかった。離れている間に他の相手に鞍替えするなんて発言は流石に聞き捨てならない。
ユキヤの控えめな文句に対して、ジェイルはしれっとした顔をしていた。前まではユキヤのことをかなり心配してくれていたが今ではそうじゃないのだろう。
「ユキヤ。俺の第一優先はお嬢様だ。公私ともにな」
「言い切りますね」
「当然だ。だからこそ、お嬢様にとって俺なりに最善だと思う手段を取る」
ジェイルの顔がまともに見れない。自分だってロゼリアのことが好きなくせに、その気持ちを押し殺して行動しているのだ。しかし、逆の立場だったら同じことをしただろうと思っていて、その決断も容易ではないことも簡単に想像がついて──なんとも言えない気分になった。
話をしている間にロゼリアとアリスが戻って来る。
そのまま駐車場に向かった。
ロゼリアが後部座席に乗り込んだところで、ジェイルとアリスが声を上げる。
「ロゼリアさま! わたし、帰り用に飲み物を買ってきますね」
「帰る前に、外商に一言言っておくのを忘れたので行ってきます」
「え?」
「ユキヤと一緒に待っていてください」
「わ、わかった……けど、ええ?」
流石にロゼリアも困惑しているようだ。事前に聞かされていたとしてもやや無理のある流れだ。どうやらアリスも共犯らしく、申し訳ない気分になった。
ユキヤはゆっくりと深呼吸をして、ロゼリアが乗っているのとは反対側のドアをそっと開ける。
「……あの二人、どうしたのかしら」
「どうしたんでしょうね……。──ロゼリア様、お隣よろしいでしょうか?」
「え。……ええ、いいわよ」
驚くロゼリアを眺めつつ、行きはアリスが座っていた後部座席に乗り込んだ。
話と言っても何を言えば──と悩んでしまう。
別に、ユキヤは今すぐに答えを貰いたいわけではなかったのだから。
だが。
だが、もしも。
もしも、ジェイルの言うことが本当で、ロゼリアがユキヤのことを好きだとしたら──離れている時間が酷く勿体なく感じる。
「ロゼリア様、今日はありがとうございました。とても楽しかったです」
「本当に? ついてくるだけで退屈だったんじゃない?」
「まさか。こういった楽しみを持ったことがなかったので新鮮でしたよ」
ならよかったけど。と、ロゼリアは小さな声で呟いた。
薄暗い中でもロゼリアの表情ははっきりと見える。
どこか憂いを帯びた表情で、吸い寄せられてしまいそうだ。
「……。……ロゼリア様、俺はあなたのことが好きです」
「へっ?! ぇ、あ……そ、それは、知ってる、けど……!?」
ロゼリアの声が裏返る。
急に話を蒸し返されたこと、二人きりにされたことで動揺しているのが見て取れる。欠片も意識してない相手ならきっとこんな反応は見せないだろうから、ジェイルの言う通りユキヤに意識が向いているのは間違いがない、と思う。思いたい。
車内はゆったりした作りで、二人で座っていてもまだまだ余裕がある。窮屈さはほとんどなくて足も十分に伸ばせるのに、微妙に離れたロゼリアとの距離だけが恨めしい。
静かにロゼリアを見つめた。
話を切り出しておいて、一体どう繋げようと悩んでしまう。そもそもユキヤは答えを急いでないのだ。ジェイルが言い出したことで──と色々と理由をこじつけようとしたところで小さく首を振った。
こんな時間、次はいつになるかわからない。
答えすら貰えない可能性があるならば、今しかない。
「こうして二人きりになって少しくらいはドキドキしていただけるのかと、期待もします。……どうでしょう? 少しは意識して貰えているのでしょうか?」
「……あんた、伯父様のことを気にする割に大胆な真似するじゃない」
にこりと笑って見せる。ジェイルの判断でこうなっているのだが、そこは黙っておくしかない。
「今まで以上にお会いできなくなるので最後にどうしてもと思ってしまいました」
「……最後に」
「ええ、身勝手な話だというのは承知しています。……ロゼリア、様、は──」
そこで言葉が途切れてしまった。
ロゼリアが額を押さえて俯いている。痛みを堪えるような表情をしていたので慌ててしまう。気付かなかっただけで体調が悪いのだろうか。
額を押さえたまま、ロゼリアが横目でユキヤを見る。いや、睨む。
「あんた、まさかそのまま第八領に……八雲会に居着くつもり?」
「えっ。いえ、そんなつもりは──」
「じゃあ、なんで最後だなんて言うのよ。好きだとか言いながらそのままフェードアウトする気なのかと思ったわ」
予想外の返しに言葉を失ってしまった。どうやらユキヤの言葉自体をあまり信用してないらしい。いや、信用してないと言うよりは、言葉一つ一つを大袈裟に取り上げてしまうという──つまり、それはユキヤを意識していることに他ならないだろう。
けれど、決定的な言葉を貰えてない。
ロゼリアの気持ちが全くわからないままなら答えを急ごうなどとは思わなかったが、この状況で長期に離れてしまうのは困る。
「戻ってきますよ、必ず。ロゼリア様のところに」
向けられる視線は相変わらず疑惑に満ちている。何故こうも信用して貰えないのかが不思議だった。
困ったように笑えば、ロゼリアの視線が一層険しくなる。
「……離れている間に、あなたが俺以外の恋人を作っていたら──きっと悲しくて姿を見せることはできないでしょうけど」
「そんなの有り得ないわ……!」
ロゼリアが顔を上げて怒りを滲ませて言う。
顔が赤い。怒りのせいで赤いのか、はたまた別の理由なのかは判別がつかなかった。
ロゼリアがはっと何かに気づき、自分の口を塞いでユキヤと距離を取ろうとする。咄嗟に手を伸ばして、ロゼリアの手首を掴んでいた。驚いた顔をするロゼリアをよそに手を引きながらそっと腰を抱いて更に引き寄せる。
「ちょ、っと……!」
「有り得ないと仰る理由を教えて下さい」
赤い顔のまま、唇をわなわなと震わせている。
こういう強引なやり方は好きではないが時間に余裕があるわけではないのだ。
「あなたが俺のことを何とも思ってないなら、恋人くらい好きに作ると言われてもおかしくないと思います。なのにどうして、有り得ないと仰るのですか? ……逆に、俺があちらで誰か他の──」
「──ユキヤ」
地を這うような低い声が届いた。喉が凍りつく。
ロゼリアの顔は赤いままだったが、さっきのような雰囲気ではない。どう考えても怒っている。流石に失言だったと思っても後の祭りである。
ユキヤの手を振り払ったかと思いきや、今度はその手でユキヤの胸ぐらを掴んできた。ぐい、と引き寄せられて面食らってしまった。
「あんた、今あたしのことが好きだって言ったその口で? 諦める気がないとか言ったくせに? 他の女の話題を出そうとしたの……?」
その威圧感には鬼気迫るものがあった。ガロほどではないにしろ近いものがある。実際背筋が寒くなり、これは血筋なのかもと思わせた。
だが、それはそれとしてユキヤは嬉しいと感じていた。
ただの例え話なのに、それにすら嫉妬をするという事実が。
胸ぐらを掴んでいる手をそっと撫でながら顔を近づける。もう少し近付いたら唇が触れてしまいそうだった。
「あなたが本心を教えてくれないからですよ」
「っ……」
「何か言えない事情でもあるのでしょうか。俺に原因があって、直せるものなら直します。そうでなくてもあなたの口から理由を聞きたいです。今日の期待を持ち続けていいのかどうか、教えて欲しいです」
動揺と困惑が直に伝わってくる。離れようとする彼女を押しとどめ、じっと見つめ続けた。
瞬間的に感情が爆発する割にはすぐに冷静になれるようだ。以前は癇癪持ちで一度感情が爆発すると手が付けられないとか、とにかく我儘で傲慢だとか、扱いづらいという噂しか聞いていなかったが、やはり以前の噂と目の前にいる彼女は全く違う。片鱗はあっても、今は自身でかなりコントロールできているように見えた。
やがて、彼女は諦めたようにため息をつき、ユキヤから逃げるように顔を背けた。胸倉を掴んでいた手も離してしまい、気まずそうに手を下ろしてしまう。
「……解釈違いなのよ」
「え?」
何を言われているのかさっぱりわからず、瞬きをしてロゼリアを凝視する。
解釈違い。解釈が違うとは、どういう意味なのか。
ロゼリアもユキヤがその意味を理解できないとわかっているらしく、やや自虐気味の表情を見せた。
「湊ユキヤが九条ロゼリアを好きになるっていう今のこの状況が受け入れられないの。あたしの中にいるあんたと、現実のあんたが違いすぎる……あんたはもっと可愛い子を好きになるべきなのに……」
──可愛い子を好きになる、”べき”?
ユキヤの脳内は「?」でいっぱいになってしまった。わけがわからず呆然とする。
「……現実の俺に不満がある、ということでしょうか?」
「違う、不満なんかないわ。ないから困ってるのよ、頭痛がするくらいにね。……あんたはいいの。悪いところなんて何もない。あたしが勝手に悩んでるだけで、あんたに原因も不満も何もない。……あんたがあたしのことを好きなのも、あたしがあんたのことを好きになってしまったのことも、どっちも受け入れがたいってだけ」
一瞬頭が真っ白になって、「好きならいいじゃないですか」と問い詰めてしまいたい気持ちをぐっと堪える。
理由は不明だが、好き同士なら問題ないと割り切れないからロゼリアが苦悩しているのだ。ユキヤには全く理解できないけれど。
とにかく無理やり飲み込むならロゼリア自身の問題であってユキヤが何かをしたというわけではないらしい。
しかし、それで納得できるかというと全く納得できない。むしろ逆で、「あんたのことを好きになってしまった」というセリフを聞いてからでは、とてもこの場で「はいわかりました」と結論を先延ばしにすることができなくなってしまった。
少し考える。
考えをまとめながら、ゆっくりと口を開いた。
「……パーティーの時、俺を皮切りに周囲があなたに告白したでしょう?」
ロゼリアが不審げにユキヤを見る。今更何故その話を蒸し返すのかと言わんばかりだ。
失礼だと知りながら困ったように笑う。
「……なんというか、その場で全員愛人として採用すると言われても驚かなかっただろうと思います」
「はぁっ?! あ、あんた、あたしを何だと思ってるのよッ!!」
今のロゼリアを見ていれば、将来的にそういうことが発生するにしろ不誠実なすることをするとは思えない。会長が愛人を持つなど珍しくもないし、何なら妻や夫を何人も持っている人間だっている。
が、少なくとも現時点ではロゼリアにその気がないのは伝わってきていた。
それを承知でこんな話題を出している。
「まさに同じことを、ロゼリア様にも感じています。──あなたは俺を何だと思っているのだろう、と」
「なに、って……それは……」
「あなたのことが好きなんです。他の誰でもなく、あなたの言う『可愛い子』が目の前にいたとしても俺はあなたがいい」
ロゼリアが息を呑んだ。じわりと頬が赤くなるのを目の当たりにする。
「あなたにとって何がどう解釈違いなのかはわかりません。ですが、あなたも俺を好きだという自覚があるのに、俺のことを突き放すあなたの方が、俺にとっては解釈違いです。らしくない、と言った方がいいでしょうか。
感情を抑え込み、欲しいものを欲しいと言わないロゼリア様は全然らしくなくて……俺はそれが寂しく感じます」
黙ってユキヤのセリフを聞いていたロゼリアが目を大きく見開いた。
さっきの自虐的な表情も、思い悩む様子もどこかに消えてしまったよう。何かに気付いた、と言った様子だった。
そして、意識を切り替えるようにゆっくり息を吸い込み、吐き出してからくすぐったそうに微笑んだ。
ゆっくりと手が伸びてきてユキヤの肩に両手がそっと添えられる。
熱を帯びた瞳から目を逸らせず、心臓の音が聞こえてしまうんじゃないかというほどにドキドキしてしまった。
「ユキヤの言う通りだわ。こんなの、あたしらしくないわね」
「……ええ。心配になるほどでした」
ユキヤの中にいるロゼリアらしい表情と声を聞けてホッとする。
ロゼリアはどこかスッキリとした様子で、ユキヤをじっと見つめた。
「好きよ、ユキヤ。浮気は許さないし、あたし以外の女と二人きりになるのも禁止よ。絶対にね」
頬が熱を持つのがわかる。胸がいっぱいになって、何も言えなくなってしまった。
ゆっくりとロゼリアの体に手を回して、そっと抱き寄せる。
吸い寄せられるように顔を近づけて、唇があと少しで触れそうになるというところで動きを止めた。ロゼリアが目を細めたまま不思議そうにユキヤを見つめている。
「……キスを、させていただいても?」
「今更何言ってんのよ」
呆れ半分、おかしさ半分と言った風に笑うロゼリア。このタイミングでそれを言うのかと言わんばかりだ。
「伯父様以外の男に勝手をされるのは大嫌いだけど、ユキヤは別よ。あたしが本当に困ることはしないだろうし、ちゃんとTPOも考えてくれるでしょ?」
「あまり信用されるすぎるのもプレッシャーですが善処します。あと、ロゼリア様……」
「何よ」
「……できればガロ様の話題であっても二人きりの時は……控えていただけると……」
キスをするならさっさとしろという圧を感じたが、どうしても言っておきたかった。
心が狭いと笑うだろうか。不安に反してロゼリアは驚いたような顔をしてから、想像よりもずっと柔らかく笑った。
「あんたも嫉妬なんてするのね」
「しますよ。──別の男の話をする唇なんて塞いでしまいたいと思う程度には」
言い終わらないうちにロゼリアの体を抱き寄せ、宣言通りに唇を塞いでしまった。ぶつかるようなキスにロゼリアは面食らったようだが、すぐさま目を閉じてユキヤの背に手を回して、ぎゅうっと抱きついてくる。
頭の中はロゼリアのことでいっぱいになってしまい、加減も考えずにきつく抱き締める。
角度を変えて何度も口付けていくうちにずるずると押し倒してしまった。ジェイルのことや時間のこと、それらが頭の中からすっかり抜け落ちている。ロゼリアも嫌がるどころか、抱きつく手を緩めないので余計に箍が外れてしまった。
深く唇を重ね合わせ、呼吸も忘れたように没頭する。
互いに息苦しくなったところでようやく離れることができ、押し倒したロゼリアの顔を見下ろした。
顔は真っ赤で、少しだけ目を潤ませて、呼吸を乱している。
何もかもが吹っ飛びそうになった瞬間。
コンコン。
控えめに窓ガラスが叩かれた。
「!!」
ビクッと肩を震わせ、慌ててロゼリアの手を引いて起こした。
ロゼリアは若干気まずそうだ。ユキヤもほとんど我を忘れていたのでこの状況で他の人間の顔を見ないといけないのは非常に気まずい。
しかし、そうも言ってられずに深呼吸をしてから後部座席のドアを開けて外に出た。
「……ジェイル」
ジェイルが眉間に皺を寄せ、腕組みをして立っていた。その横にはアリスの姿もある。
何とも言えずに居た堪れなくて、まともに顔が見れない。
「もう帰るぞ」
「……はい。あの、お待たせしました」
「時間オーバーですよ!」
「す、すみません……」
アリスが腰に手を当てて唇を尖らせた。
二人はそれだけ言うと、ジェイルは運転席へ、アリスはさっきまでユキヤが乗っていた後部座席に向かう。
「後ろでイチャイチャされたら多分すごくムカついて何するかわからないので、ユキヤさんは帰りも前に乗ってくださいね」
「……は、い」
にこーっと笑みを浮かべるアリスを見て、そっと視線を逸らした。無言で助手席に乗り込む。
結果がどうだったか、二人にはわかっているらしい。
全てが勘違いで、ユキヤがフラれた方が二人にとっては良かったのではないかと思うが、そんな素振りは見せなかった。とは言え、ジェイルもアリスも、決してユキヤの味方ではない。あくまでもロゼリアの味方なので、ユキヤがロゼリアを悲しませようものならとんでもない目に遭うだろう。
落ち着いて考えるととんでもないことをしてしまったと感じる反面、一切の後悔はなかった。
これで安心して第八領に行ける──と考えたところで、横からジェイルの鋭い視線を感じた。
「……ユキヤ、ニヤニヤするな」
「えっ」
「お嬢様、出発します」
「ええ、よろしく」
ニヤニヤしていたつもりは全くなかったがジェイルの目にはそう見えていたのだろう。気まずい心境になり、口元を隠しながら窓の外へと視線を向ける。
外はすっかり暗くなっている。
前回出かけた時は全く違う心境だった。あの時はロゼリアが体調不良と聞いてかなり心配をしつつの帰路だったのに対して、今回はとてもすっきりした気分になっている。当たり前と言えば当たり前だ。
ジェイルの顔を見ることもできず、かと言ってこの状況でロゼリアとも話しづらい。
当のロゼリアは隣に座っているアリスと素知らぬ顔をして話し込んでいる。今日の買い物の成果などを離しているようだ。
少しでもロゼリアの顔を見たくて、サイドミラー越しにじーっと見つめる。楽しそうな様子は見ていて飽きない。また今日のような時間を持ちたい、できれば二人きりで。
そんなことを考えながら目を細めるのだった。
◇ ◇ ◇
ユキヤに言われて気付いた。
確かに、恋愛でうだうだ悩む『九条ロゼリア』は最低最悪の解釈違いだわ。
これまで悩んでいた自分を思い出して、心底ゾッとしてしまった。何を乙女チックに悩んでいたのかしら。本当に鳥肌もんよ。
……まぁ、それだけユキヤのことを考えてたってことなんだけど。
好きなものは好き、欲しいものは欲しいってはっきり主張する方があたしらしいわよね。
ユキヤは何も変わってない。『前世の私』が好きなユキヤのままだった。
変わってしまったのはむしろあたしの方で、「じゃあ今の九条ロゼリア(あたし)はどうなのよ!」と、自分自身に問いかけたところで頭痛が収まった。
ひょっとして、頭痛の原因ってユキヤどうのこうのっていうよりも、あたしが普段と違うことで思い悩んでいたから……?
解釈違いの度合いで冷静に考えてみると『乙女チックなロゼリア』は最高に気持ちが悪い。有り得ない。そんな風になるくらいなら、はっきりしろと言いたくなる。
罪悪感がないわけじゃないけど、何事に対してもあたしらしく行動して決断した方がすっきりする。ゲームとか前世とかは何の言い訳にもならない。
もうこれはゲーム関係なくあたし自身の人生なんだわ。
すっきりした気持ちで、正面の助手席に座っているユキヤの後ろ姿を見る。
外を眺める姿がサイドミラーに映っているのに気付いた。
ミラー越しのユキヤを見つめながらぼんやりと考える。しばらくは周りに言うつもりはないし、伯父様にも秘密にしないといけない。……今、ここにいるジェイルとアリスは気付いてるだろうけど。
じっと視線を送ってみると、あたしの視線に気付いたユキヤがはにかんだ。
暫くはこの関係は秘密のまま。
そう考えながらユキヤに微笑み返し、さっきのキスを思い出して頬が熱を帯びそうになるのを必死に押し留めるのだった。
(了)




