287.エピローグ③
「あなたの傍にいる間に、あなたに惹かれ、恋をしてしまいました。
今後、もしあなたがパートナーを必要とする時──俺のことも思い出して、候補に入れていただけないでしょうか。必ず、あなたに見合う人間になって戻ってきます」
会場内はざわざわと賑やかなのに、あたしとユキヤの周りだけ不自然なくらいにシーンとしていた。
ユキヤのセリフを聞いていただろう人間の視線があたしとユキヤに集中している。
あたしは全身氷漬けになってしまったみたいに身動きどころか瞬き一つできない。けれど、どこか冷静な頭の奥底で「相手に一切の誤解を許さない告白すごい」と考えていた。
「……ふふ。初めて九条印を使った相手が俺だと言ってくださった時に感じた気持ちをどうしてももう一度味わいたくなってしまいました。あなたにとって初めてのプロポーズだと嬉しいのですが……流石に恥ずかしいですね」
そう言ってはにかむユキヤ。あたしは何の反応もできない。
「ユキヤ、お前──ッッ!!!」
「うわああああああん!!」
ユキヤの後方にいたジェイルがずかずかと近付いてきた──と思ったら、不意に横から出現したメロがユキヤに向かって突進してぶつかった。ユキヤはちょっとよろめいたくらいでさほどダメージはなさそう。
メロは泣きそうな顔をしている。なんでよ。
「ユキヤくんは絶対にそういうことしないと思ってたのに! 信じらんねー! 抜け駆けずりー!!」
「ぬ、抜け駆けのつもりは……」
「どう考えても抜け駆けじゃん!!」
「抜け駆けだな」
「紛うことなく抜け駆けです」
「酷いよ、ユキヤ……君のこと、信じてたのに……」
メロにバシバシと叩かれながら、次々と「抜け駆けだ」と非難されるユキヤ。その光景はちょっと異様で、呆然と見つめるしかできなかった。
静かだった周辺も異変を察知して、ざわざわし始める。
「──お嬢ッ!!!」
事態についていけずにいると、いつの間にかメロが目の前にいた。あたしの両手をガシッと握りしめて体を近づけてくる。
「結婚なんて一生しないで!」
「はあ?」
「おれが一番お嬢のこと好きだし、何でも言うこと聞くから……結婚しないでおれとずっと一緒にい──ってぇ?!」
バコン! とすごい音がしたと思ったらメロの体がその場に沈む。何かと思えばキキがトレイでメロの頭をぶっ叩いたらしい。めちゃくちゃ痛そうな音だったわ。メロは頭を押さえてその場に蹲っている。
蹲るメロをキキがすごい形相で見下ろしている。え、怖。
「下馬評最下位のくせに図々しいのよ!」
「下馬評ってなんだよ?!」
「……え、本当に下馬評って何……?」
下馬評という単語はハルヒトの興味を唆るものであったらしい。メロを見下ろすキキ、そして若干状況に引き気味のアリスへと視線を向けた。
……。あれ? あたし今メロにもすごいこと言われなかった?
ま、待って。ちょっと処理しきれない。なんでこんなことになってるの!?
ハルヒトはキキに下馬評のことを聞こうとしていたけど、メロの頭にぐりぐりとトレイを押し付けていてそれどころではない。振り返って、すぐ傍にいたアリスに目をつけた。
「アリス、下馬評って何?」
「え゛っ!? ……い、いや……ロ、ロゼリアさまのお相手は誰がいいか……に、人気投票、みたいな……?」
「へえええええ。ねえ、オレってどうだった?」
言ってもいいのか悩んで、しどろもどろになるアリス。ハルヒトが真剣かつどこか裏のありそうな笑みを浮かべているせいでうっかり答えてしまったという雰囲気だった。
あたしはあたしで事態をどうにかしなきゃいけないのはわかってるんだけど、人間パニックになると逆に何していいかわからなくなるものなのね。さっきからどう事態を収めて良いのかまごつくばかり。
アリスはそれ以上は流石に言うまいとして、ぎゅっと口を閉ざしていた。
「ハルヒト様は良い方でしたよ。少なくともメロよりは全然!」
キキ!?
どうやらアルコールが回っている上にメロを怒る気持ちが大きいようで歯止めが効いてない。アリスも「えっ?!」と声を上げて驚いていた。
「良い方、って……ずばり聞くね。順位は?」
「ジェイルさん、ユキヤさん、ハルヒトさん、ユウリ、メロの順番でした」
「はああっ?! おれってユウリよりも下だったの?!」
「良い方って五人中三番目? ど真ん中? キキ、それは良いとは言えなくない?」
キキのぶっちゃけ話にメロは大げさに驚くし、ハルヒトはすごく微妙な様子。確かに三番目じゃね……って、そうじゃなくて。
このまま収集がつかなくなるような事態だけは避けたい。
どうにかしなきゃ──!!
「ちょっとあんたたち、静かに──」
「ロゼリア」
声掛けも虚しく、何故かハルヒトに遮られた挙げ句、ガシッと肩を掴まれていた。
王子様のような端正な顔がじっとあたしを見つめている。何もない時だったらドキッとしてたかもしれないんだけど、今はそれどころじゃない。とにかく場を鎮めたい。
力任せにハルヒトの手を振り払う。
「ちょっとハルヒト! 何なの?!」
「ロゼリアが結婚するならオレだよね?」
「はああ?! あんたまで何言い出すの!? 頭おかしいの?!」
「うわ、流石ロゼリア。酷いね。──君が好きだよ、って言ってるのに」
「順番がおかしいでしょうが!!」
なんで結婚が先に来るのよ! 思わず声を荒げてしまった。
好きだよ、ってセリフをどうして後回しに──……って、あれ? ハルヒトのセリフを脳内でもう一度再生したところでまたもや硬直してしまった。
いや、本当に何言ってるの!?
っていうか何が起こってるの!?
「あ、あんたまで、何、を……」
「だってユキヤが抜け駆けするから。この場で言っておかなきゃ、って……」
「なんでそうなるのよッ……!」
意味が、意味がわからない……。こっちの事情お構いなしにどうしてこんなことを……。
アルコールが入っているせいで頭が上手く回らない。
とりあえず落ち着かなきゃ、と思っていると横から水の入ったグラスを差し出される。ユウリだった。
「ロゼリア様、どうぞ」
「……ありがと」
軽く深呼吸をしてから水を飲む。傍にいるユウリはどこかソワソワしていた。
見れば、ユキヤとメロ、ハルヒトは何だか揉めていた。揉めてたっていうか、メロが一方的にユキヤとハルヒトに噛みついて、ユキヤが宥めてハルヒトは知らんぷりって感じ。でももう知らないわ。聞かなかったことにして有耶無耶にしたい──けど、それは流石に不誠実だし、このせいで変な噂が立つのは絶対に嫌だし……! また男遊びしてるなんて目で見られたら溜まらないわ。そういうのはしないって決めてるのに!
悶々としていると、ジェイルがすぐ傍に来る。
「お、お嬢様、大丈夫、ですか……?」
「……大丈夫に見える? ……全く。何なんのよ、あいつら。いきなり……!」
心配してくれているジェイルに思わず毒を吐いてしまった。
伯父様に突然『次期会長候補』だなんて言われたと思ったら、今度はユキヤ、メロ、ハルヒトが急にあんなことを言い出して……楽しくぱーっと飲んで、気持ちよく帰りたかったのにそんな状況じゃなくなってる。何だか追い詰められているというか、逃げ場がなくなっているというか……。
今日で堅苦しいことともおさらばと思ってたのに、ちょっと不安になってきたわ。
「花嵜は論外ですが、ユキヤは他領に行くと言ってますし……」
「はい、ハルヒトさんはご自身の事情もあるようですし……」
何かと思えば、ジェイルもユウリもユキヤとハルヒトのプロポーズ? 告白? を擁護しているようだった。
やけに二人の肩を持つのね、こいつら。メロは論外らしいけど、ジェイルは最初ユキヤに何か言おうとしてなかった?
何か引っかかってしまって二人をジト目で見つめてしまう。
「俺は変わらずにお嬢様の傍にいて、お役に立ちます」
「……僕もです」
……。なーんか嘘っぽい。それっぽいセリフではあるけど、何か変な感じがする。
「それって卑怯じゃないですか?!」
突然アリスがぬっと出てきた。あれ、さっきは気にならなかったけど、ちょっと酔ってる? ハルヒトから開放されて気が抜けた?
っていうか卑怯って何?
あたしの知らないことをアリスが知っているらしいので、ちょっと話を聞いてみたくなった。
アリスはあたしの正面に立ち、ジェイルとユウリからあたしを遠ざけようとする。
「ジェイルさんもユウリくんもロゼリアさまのことが好きなくせに、仕事に託つけて傍にいるって……卑怯だし、なんかやらしいですよ!!」
ブッ!!!
あたしは口に含んでいた水を吹き出してしまった。
や、やらしい……? それに、ジェイルもユウリもあたしのことが好き?!
ジェイルも、っていうか……攻略対象が、全員?
え、怖……?
いやいやいやいや、普通に怖い。
この立場は本来アリスのもののはずなのに! どうしてあたしがこんな風にプロポーズだか告白ラッシュを受けているのよ!?
混乱を通り過ぎ、逆に冷静になり、そして状況に引いてしまった。
「……あ、あんたたち、正気……?」
アリスが前にいるので盾代わりにしながらジェイルとユウリの顔を交互に見つめた。
ユウリの気持ちには薄々気付いていて、本人もうっかり口を滑らせかけていて、あたしはそれを聞かなかったことにしたけど……!
やがて、ジェイルが観念したように口を開く。
「墓場まで持っていくつもりでしたが……はい。俺は、あなたが好きです」
あ、墓場まで持っていくつもりだったんだ。言っちゃってるけど。
ちらりとユウリを見ると、びくっと肩を震わせてから顔を赤くして俯いた。
「……はい。あの、ロゼリア様のこと……す、好きです。だから、役に立ちたくて……できれば、ずっとお傍にいたいんです」
二人の言葉を聞いた直後にタイミングで後悔した。しまった、言わせるんじゃなかった。アリスを静かにさせておくべきだった。
何も言えずにいるとアリスが「ほらね!」と言わんばかりに笑顔で振り返る。
「ね! ロゼリアさま、ジェイルさんもユウリくんもちょっとずるくないですか?! 絶対に好きって気持ちを隠してあわよくば、って狙ってたんですよ!」
「おまえだって他人のこと言えねーだろー!!!」
「わたしはいいんだもん! 純粋にロゼリアさまのことが好きで傍にいたいだけだもん! やらしー気持ちは一切ないもん!!」
「嘘つけ!!!!」
あたしが何も言えずにいるとユキヤたちとの話を放棄したメロがずかずかと近付いてくる。そしてアリスに人差し指を突きつけた。アリスは怯むことなくメロの指先を睨みつけ、自分には正当性があるのだと主張する。
ま、まぁ、アリスには単純に懐かれてるって感じがするからまだいい。多分。
頭が痛くなってきた。とてもじゃないけど消化しきれない。もう帰りたい。
こめかみを押さえていると、そっとノアが近付いてきた。リルも一緒にいる。
ノアは上目遣いにあたしを見て、意を決したように口を開く。
「……あの、ロゼリア様」
「ノア? え、どうかした……?」
「……ユキヤ様を選んでいただくと、ぼくもついてきます」
──!!!!!!!!
そ、そうか。ユキヤをパートナーに選ぶと漏れなくノアも一緒に……。
ぐらりとあたしの理性が揺れた。
「ロ、ロゼリアさんっ、待ってください! お兄ちゃんを選ぶとあたしがついてきます! どうかお義姉様と呼ばせてください!」
リルが? あたしのことを? お義姉様、って……!?
そ、それはそれで非常に魅力的。そういう兄弟とか姉妹とか欲しかったし!
「ってそんなことで決めるわけないでしょ!!」
「……あ、やっぱり」
「だめですか……残念です……」
ノアとリルは揃ってシュンとした。う、胸が痛む。
けど、こんなに簡単に決めて良い問題じゃないのよ!
そうこうしている間にユキヤもハルヒトもあたしの傍に来ていて──図らずも囲まれるような形になってしまった。
全員が漏れなく何かを待ち望むような視線を向けている。
つまり──告白の返事!
さっきまでアルコールが回っている感じがあったのに、今ではすっかり酔いが冷めてしまった。
「お嬢、誰を──」
「ああもう!! 保留! 全部保留よ!! 答えなんかないわ!」
そう言って右手を体の横に振りかざし、周囲をまんべんなく睨みつけた。
え。という間の抜けた声が聞こえる。けど、そんなのは知ったことではない。
大体こんな場で一気に畳み掛けるようにプロポーズだの告白だのをする方がどうかしてるのよ! 本当に!
「あたしからまともに返事が貰いたいなら、まず伯父様に認められて頂戴! 話はそれからよ!! 今は全員論外!
というわけだからもう帰るわ。──キキ、アリス、行くわよ」
言うだけ言って踵を返し、早足でその場を後にした。
キキもアリスも「はい」と返事をしてあたしの後を追ってくる。
……本当に何がどうしてこうなったの……?
あたしはただデッドエンドを回避できればそれで良かったのに、それとは全く別物の問題が発生してしまった。
確かにみんな魅力的だしかっこいいし、ユキヤに至っては推しだけど! あたしが彼らと恋愛する気なんてサラサラないのよ。
あーあ、もう帰って早く寝よう。さっさと忘れよう。
──本来なら、今日あたしは死んでいた。
無事にデッドエンドを乗り越え、明日からはゲームにはない新しい日々が始まる。
今日のことは本当に想定外だったし、そういう意味では不安は大きい。
けど。
それでも。
デッドエンドを回避したという事実は変わらない。
これからのことは明日からゆっくり考えよう。ようやく、心からそう思えたことに安堵するのだった。
余談。
「保留」という言い回しのせいで逆に期待を持たせてしまったと気付いたのは少し経ってからのことだった。
~了~
これにて完結です!お読み下さりありがとうございました。
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