283.聞いてない!①
あたしは呆然とその場に立ち尽くした。辛うじてグラスは落としてない。ちょっと手が震えてるけど。
その後、伯父様は乾杯の挨拶と言うには長い話をしていたけど、あたしの耳には何一つ入ってこなかった。
気が付くと既に乾杯は終わり、会場内はさっきの話に対するざわめき、それを全く意に介さない楽しげな声に溢れていた。
か、会長、候補……?
あたしが!?!??!?!
何がどうしてそうなるの!? 伯父様、頭がおかしくなったの!?
ようやくさっきの伯父様の宣言がじわじわと効いてきて体が冷えていくようだった。さっきまであんなに浮かれていたのにまるで冷水を思いっきりかけられた気分だわ。めちゃくちゃいい気分だったのに。ここで飲むシャンパンは絶対に美味しいはずだったのに……!
今やあたしの手にあるシャンパンはただの液体に成り果てていた。
勝利の美酒が、ただの液体に……。
「──ま、……お嬢様ッ!!」
ジェイルの声に我に返る。
え。あれ? どうしてジェイルがここに?
辺りを見回すと、ジェイルだけじゃなくてメロにユウリ、ユキヤ、ノア、ハルヒト、リル……それにキキにアリスまでいた。もう他の客はみんな飲んだり食べたりしているのに、みんなはわざわざここまでやってきたらしい。
現実を処理しきれずにぼーっとしていると、メロがいつものようにずいっと近付いてきた。
「お嬢、おめでとー! 次期会長だって、次期会長! すげーっスよ、おれもすっげー嬉しい! これからおれもめっちゃがんばるね!」
「ロゼリア様、おめでとうございます。突然のことだったのでとても驚きましたが……自分のことのように誇らしいです」
メロはその場で跳ねんばかりに喜んでいる。ユウリはちょっと頬を赤くしていて、これまた喜んでいるのが伝わってくる。
二人とも我が事のように喜びを感じている上に、誇らしいという気持ちがあるらしい。
あたしが現実に追いつけてないせいで全く理解できない。ああそう、という生返事しか返せなかった。
「本当におめでとうございます、ロゼリア様。今日のパーティーはあの宣言もあってのことだったんですね」
「驚きました。でも、すごいです。おめでとうございます!」
「ガロさんは話があったからこそオレのことも呼んでくれたのかもね。──すごいよ、ロゼリア。おめでとう」
「ロゼリアさんおめでとうございます! あたし、こんな場に立ち会えて本当に感激しています!」
ユキヤとノア、ハルヒトは比較的落ち着いている。リルはかなり興奮してるみたいだけど。
お祝いの言葉を向けられても全く実感が沸かない。
だって、あたしはこんなの全く想像してなかったし、ましてや望んでもいなかった。今日が終わったら残りは余生と思って誰かの恨みを買わないようにひっそり生きていくつもりだったのに……どうしてこうなった……?
生返事しかできずにいると、ジェイル、キキ、アリスの三人がすごく心配そうな顔をしてあたしを見つめているのに気付いた。
そうだ……この三人は、あたしが後継者に興味ないしなる気もないって知ってるんだった……。
「……お嬢様」
ジェイルは呼びかけるだけで、何を言ったらいいかわからないという様子。キキもアリスも同様だった。
メロたちもようやくあたしの様子がおかしいことに気付いたらしく不思議そうな顔をする。
が、あたしはそんなことを気に掛ける余裕なんてない。
「……伯父様は?」
「あ、先ほど控室の方に──」
「これ持ってて」
「え?」
傍にいたユウリに美味しく一気飲みするはずだったシャンパンを渡す。ユウリは慌てながら受け取った。
その場にいる全員にくるっと背を向ける。
お祝いは純粋な気持ちで言ってくれてるのはわかるけど、今まともに口を開いたら罵詈雑言が飛び出しそう……!
そう思い、早足で伯父様の控室へと向かった。
「ちょ、お嬢?!」
戸惑いの声を無視してズカズカと大股歩きで、ホールを後にした。
◇ ◇ ◇
バンッ! と、控室の扉をノックもせずに開け放った。
広めの控室の中央、大きめのソファで伯父様が寛いでいる。何故かビールを飲んでいた。ソファの後ろでは式見が何とも言えずに複雑そうな顔をして額をしきりにハンカチで拭っている。
「おう、ロゼ。ようやく来たか」
「伯父様ッ! どういうつもりよ!!」
普段だったら伯父様に対してこんな物言いはしない。んだけど、事前に話を聞かされてなかったせいですごく苛立っているし、伯父様に対する怒りもあって、とても冷静には話ができなかった。
けれど、伯父様はあたしが来ることは予想できていたらしく余裕綽々の様子。
意味ありげに笑いながら正面のソファを指差す。
「まぁ座れ。──お前らも中に入っていいぞ」
感情的になっているあたしと、余裕たっぷりの伯父様。どう考えてもあたしの分が悪い。
って、「お前ら」?
振り返ると、ノアとリル以外があたしの後を追ってきていた。
「関係ないでしょ、彼らは」
「いやいや。お前を心配して追ってきたんだろ? さっきの話の補足程度だから聞かれても構いやしねぇよ。いいから座れって」
完全に伯父様のペース……。ここで声を荒げても窘められるだけだし、落ち着く意味も込めて伯父様の正面にあるソファに腰掛けた。
ジェイルたちは部屋の中に入り、全員が入ったところで式見が扉を閉めていた。
落ち着け落ち着けと自分に言い聞かせつつ伯父様を睨む。これが睨まずにいられるか……!
「……で、伯父様。どういうつもり? あんな話、あたしは聞いてないわ」
「言ってねぇからな。事前に話をしてもお前は拒否しただろ?」
「わかってて今日あんなことを言ったの? 会場の反応見たでしょ? 半数はいい顔してないはずよ」
「半数程度なら俺が黙らせてやるって」
こともなげに言う伯父様。黙らせる、って……。そんなことしても納得しないでしょうが。
随分な言い方にぎゅっと握りこぶしを作った。感情のやり場がない。
あんなことを勝手に決められて「はい、わかりました」なんて納得できない。こっちにはこっちのプランってものがあるのよ。これまであたしに甘かった伯父様があんな手段を取るとは思わなくて、理解が追いつかない上に感情の処理がうまくできなかった。
「ロゼ。別にいいだろ、次の会長になっても。別に明日からなれって話じゃねぇんだ。俺はまだまだ続けるつもりだから十年は先の話だよ」
「……嫌よ。あたしは伯父様みたいに上手くでき──」
「お前だって知ってるだろ? 俺は三男で、もともと会長になる予定はなかった。兄貴たちが立て続けに死んじまって会長の座が転がり込んできた。欲しくもなかったし、その気もなかったのによ。──万が一の時、お前が俺みてぇに困らないように、俺はお前を強くしたいだけだ」
……う。伯父様が会長になった経緯は知ってるから、その話を持ち出されると弱い。
それに比べたらあんな方法であっても事前に言われた方が良いに決まってる。でも、だとしても、納得できるわけがない。これまでの言動を思えば、よく思わない人間がいるし、あたし自身向いてるとは全く思えない。
「それに、あくまでも『候補』だ。何がなんでも会長にしたいわけじゃねぇ。なってくれたら嬉しいがな。
どっちにしてもロゼと九龍会は切っても切れねぇんだ。他との顔つなぎもしといた方がいいし、いざとなったら頼れる相手を作る必要もある。会長にならねぇんだったら尚更な。
……いいか? ロゼ、よく考えろ。別の奴が次期会長になった時、お前はどうあっても邪魔な存在だぞ」
最後の一言にドキッとした。
思わずソファの背後に意識を向けてしまった。身近に「邪魔」とされた本人がいる。
ハルヒトは、実の娘を次期会長にと望むミリヤに嫌がらせを受けてきた。つまり、あたしもそうなるかもしれない、ということ。
伯父様は強い視線であたしを射抜いてくる。
逃げればいいじゃない、と気軽に言える雰囲気ではなかった。




