282.予想外の宣言
「伯父様、お待たせ」
「ロゼ。挨拶は頭に入ってるのか?」
「やぁね。バッチリよ!」
伯父様がニヤリと笑う。緊張をほぐそうとして軽い雰囲気で言ってくれてるのがわかった。
どうやら伯父様は挨拶の最終確認をしているらしい。普段通り、秘書の式見が傍に控えてるけど……何だかちょっとソワソワしている気がする。いつもはもっと落ち着いているのにどうかしたのかしら。
フォロー要員としてユウリくらい連れて来ても良かったかな。今更呼ぶのも面倒だし、挨拶も頭に入ってるからいいか。
「緊張してるか?」
「まぁ、ちょっとだけ? こういう場で挨拶することってなかったもの」
「慣れりゃどうってことないからな」
「慣れるほど挨拶する気はないわよ」
あたしの言葉に伯父様は意味ありげに笑うだけだった。
はー、それはそれとして少し光沢のあるブラウンスーツがキザっぽくてかっこいい。伯父様って結構どんな格好も似合っちゃうのよね。姪として本当に鼻が高いわ。
そんな伯父様のために、今後は邪魔をしたり評判を下げないように大人しくしているからね。
煌びやかなパーティー会場。
ゲーム通りだったら、あたしはこの場にいなかった。
アキヲと共に南地区のあの場所で、オークション会場にいたのよね。パーティーをやっているから逆に目が向かないだろう、ってことで。
けれど、今あたしはここにいる。
それだけでとても晴れやかな気分だった。
やがて、「お集まりの皆様──」という司会の声が会場に響き渡る。
ざわついていた会場内は少し静かになり、その場にいる全員の視線が前へと向いた。正面右手に衝立があって、あたしたちは衝立の裏で待機している。真ん中には台が置いてあって、挨拶の時にはそこに立つことになっている。
立食形式のパーティーで、食事の準備はほぼ出来ている様子。ホテルスタッフが乾杯に備えて飲み物を用意しているのが見えた。
「それでは開会に先立ちまして、ガロ様よりご挨拶を賜りたいと思います。ガロ様、お願いします」
司会がそう言うと伯父様はスーツをちょっと直してからマイクを受け取って台の上に立った。一段高いところに立たないと後ろの方では誰がどこで喋っているのかが全くわからないのよね……。司会はそこまで目立つ必要ないから、衝立の横にいればいいんだけど。
伯父様はぐるりと会場内を見回してから、マイクを口元に近づけた。
「みんな、今日は急な開催にも関わらず集まってくれてありがとう。諸事情で開催が危ぶまれたが、例年通り開催することができた。これもみんなの日頃の行いが良かったからだろう。本当に感謝している。可愛い姪の快気祝いも兼ねてるが──まぁ、いつも通りだ。食事代も酒代もウチ持ちだから存分に食って飲んでくれ」
伯父様は慣れた様子で挨拶なのか世間話なのかを話し始めた。
全く緊張している様子はなくて感心しちゃったわ。本人は「慣れ」って言ってたし、毎年こうやって挨拶してたらそりゃ慣れるわよね。それに伯父様が挨拶をする場っていうのはここだけじゃなくて、もっと堅苦しい場もあるに違いない。そう考えればこの集まりはぶっちゃけ内輪の集まりだから気楽なんだろうな。
あたしもちょっと緊張している。
けど、やっぱりデッドエンドを回避できたという嬉しさが勝る。
噛んだり失敗したって死ぬわけじゃないもの。気楽なものだわ。
呑気にしている間に伯父様がこっちに視線を向けた。と、もう出番なのね。
「──さて、ここで俺の可愛い姪、ロゼリアから一言挨拶をさせてくれ」
伯父様の合図に従って、あたしは会場正面の真ん中に向かっていく。
う、思いの外視線がすごい……! やけに眩しいし、あたしの一挙手一投足に注目が集まっているのがひしひしと伝わってきた。
い、いや、意外に失敗できない雰囲気、かも? 増してきた緊張を抑えるように小さく深呼吸をする。
伯父様がマイクをあたしに差し出しながら楽しそうに笑うのが見えた。
もう、人ごとだと思って……!!!
でも、伯父様の笑顔を見たらちょっと落ち着いたわ。マイクを受け取り、伯父様の代わりに台の上に立つ。視線が気になるけどあまり見ないようにした。
す、と息を吸い込んでから覚えてきた挨拶を口にした。
「皆様。本日は九龍会主催のパーティーにお越し下さり、誠にありがとうございます。ご紹介に預かりました──とは言え、既に皆様ご存知でしょう。九条ロゼリアです。何が、とは申し上げませんが……わたくしに関しては、皆様にはこれまで大変なご不安を抱かせ、ご迷惑をおかけいたしました。この場を借りてお詫び申し上げます。大変申し訳ございませんでした」
そこまで言ってから頭を下げる。
少しだけ会場内がざわついた。まぁそりゃあたしがこんな場で謝るなんて思わなかったでしょうからね。
顔を上げ、一呼吸置いてから続きを口にした。
「そしてまた、何が、とは申し上げませんが……とある話を見聞きされているかと思います。それにより、わたくしが負傷したことも……。それらは事実であり、負傷により一時期ふせっておりました。その際にはお見舞いの品をありがとうございます。全て大切に拝見させていただきました。見ての通り、全快しております。これも皆様のおかげです。重ね重ねありがとうございました」
「何が」を繰り返すことでちょっと笑いが誘えるかと思ったけど駄目だったわ。
そんなことよりも、九条ロゼリアが大真面目に挨拶をしている、という事実の方がみんなの関心を引いているらしい。不自然なくらいに会場内は静かで、ほとんどの人間の意識があたしに向いているのがわかった。
注目されるのは好きな性分だけど、こんな緊張感のある注目はいらない……。監視されてる雰囲気だもの。
「体に傷は残りましたが、今回のことは名誉の負傷だと思っています。この傷を戒めとし、これまでのようなご不安を抱かせぬように襟を正す所存です。……まぁ、襟のついた服は好きじゃありませんけど」
そこでちょっとだけ笑いが起こった。本当にちょっとだけ。伝染してクスクスくらいの笑いは漏れたけど、想定したより少なかった。
ユウリの言う通り、終始真面目にした方が良い(=これまでがこれまでだから小粋なトークとかしても響かない)というアドバイスをもっと真面目に聞いておくんだったわ。
「私事ばかりになりましたが、以上を持ちましてご挨拶とさせていただきます。皆様、本日はごゆるりと楽しみくださいませ」
そう言って一礼をし、台を降りた。
場がちょっとだけざわざわしている。あたしが真面目に挨拶をしたことやその中でこれまでのことを謝罪したというのはかなりのインパクトがあったらしい。新聞の一面であたしのことが報道されて評価が上がった。そして、今日この場でも「本当に変わったっぽいな」という印象は抱いてもらえたと思う。
多分、ここまでが伯父様のできることだろうな。後は、今後は以前みたいな所業をしないようにあたし自身、律していくしかない。
マイクを伯父様に返すと、伯父様は台の上に戻った。あたしもその場から退いて、司会の隣あたりに移動した。
ホテルスタッフがあたしに乾杯用のグラスを持ってきたので、それを受け取る。
琥珀色のシャンパンを見て、思わずニヤけた。
「では、そろそろ乾杯と行きたいが……その前に一つ、ここにいる皆に報告しておきたいことがある。その間にグラスを持ってない奴ァそのへんの誰かから受け取ってくれ」
もう、伯父様ったら。
乾杯用のグラスなんてもうみんなの手に渡ってるに決まってるじゃない。
もう本当に伯父様の報告よりも何よりもさっさと乾杯して手元の一杯を一気飲みしたい気持ちだけになっていた。だって絶対美味しいもの。
「今、ロゼリアの言葉にもあったように──ロゼリアはこれまでのことを反省し、見事に自ら功績を打ち立てた。自分が傷つくのも厭わずに、だ」
そんなに褒めても何も出ないわ。
いいからさっさと乾杯して! お酒飲みたい!
気が急いてしょうがなくて、あたしはグラスを少し掲げた。
ライトを受けて煌めくシャンパンが美しい。早く胃に流し込みたい。
「自分が血ぃ流してるのに他人を心配するなんざ早々できることじゃねぇ。俺はそれを評価してるし、ロゼリアの今後には大いに期待したい。
本人はさっきの通り反省もしているし、これまでと違うと思ったやつもいるだろう。だとしても、ロゼを信用できない人間がいるのは重々承知している。だが、それは俺がちゃんとしてなかったせいだ。これまでなぁなぁにしてきた俺の責任なのは間違いない。
その上で、だ」
半年間、大変だったわ。はじめは周りから変な目で見られるし、明らかに不審がられた。
それでもやっぱり殺されたくなくて、短気な自分とかヒステリックな自分をできる限り抑えて我慢してここまでやってきた。
本日を持って完全なるデッドエンド回避。
この煌めく会場とシャンパンが何よりの証拠!
──これぞ、正真正銘の勝利の美酒……!
「俺は九条ロゼリアを、九龍会の次期会長『候補』とし、責任を持って育てていくことをここに宣言する!」
ざわざわざわざわざわっっ!!
会場内がどよめき、パニックの一歩手前みたいな雰囲気になった。
──え?
あたしはグラスを掲げたまま固まった。
……え? 伯父様があたしを、……何?
次期会長、候補……?
えっ?




