278.約束の終わり②
ユキヤは驚いた表情のままあたしを見つめ返していた。
やがて、何かに気付いたように口を少し動かして何か言おうとする。けれど、それが言葉になることはないまま再度口を閉ざして、視線を伏せてしまった。
何かを躊躇うような間を置いた後、ユキヤがゆっくりと深呼吸をしてから、あたしを見つめ直す。
「──ええ、過分なご協力を頂いてしまいました。心より感謝申し上げます」
すっきりしているのに、どこか寂しそうな笑み。
ユキヤの気持ちがわかるとはとても言えない。実の父親があんなことになってしまって平気なわけがない。ノアみたいに普段から傍にいる人間はユキヤの人となりを知ってるからいいけど、ユキヤのことをよく知らない人間からしたら『犯罪者の息子』というレッテルを貼ってもおかしくはない。まだ全然そのあたりの情報収集ができてないものの、ユキヤを取り巻く環境は厳しそう。
ユキヤの身辺が落ち着くまでこの話はやめようかとも思った。
けど、じゃあそれっていつまで? と疑問が湧く。今後のことは一旦区切りをつけてから別で話をした方がいいと思った。
「じゃあ、あの契約の内容を果たしたってことでいいかしら?」
「……はい。大丈夫です」
少し歯切れが悪い。あたしが知らないだけで何か問題がある? だとしたらここで終わらせるのは早計かもしれないわ。
「ユキヤ。何か問題があるの? 南地区のために引き続きあたしの協力が必要なら言って頂戴」
「そ、そういうわけではありません……! あの後、ガロ様のご助力もあって不穏分子は一層され、内海さんが代理として業務をしております。ようやく落ち着いてきたところではありますが……正直、俺の出る幕はないんです。……今後九龍会が地区に関わるのは本当に通常業務の範疇かと……」
つまり、特別な協力は必要ないということ。
じゃあ何で歯切れが悪いのかしら? 思わずジト目でユキヤを凝視してしまった。
ユキヤは視線に耐えかねたらしく、気まずそうな顔をして視線を逸らす。
「……いえ、その……。これは俺の感傷みたいなものなんですが……これでロゼリア様との繋がりが切れると思うと、どうしても……」
「切れる? どうして?」
確かユキヤは落ち着くまで他領に身を寄せるとか何とか言ってた。今はまだここにいるけど。
仮に他領に移動したとしても別にそれが一生の別れでもはない。ま、まぁ、個人的にはあんまりユキヤをはじめとする攻略キャラクターのみんなとは距離を置きたいと思っているけど……。
純粋な疑問を投げかけると、ユキヤが気まずそうなまま続けた。
「……俺があなたと繋がりを持てたのは、他でもない南地区代表の湊アキヲの息子だったからです。この立場がなければ、あなたに近付くことも、こうして話すこともなかったでしょう。ましてや九条印を使って、協力をいただけるなんて夢にも思いませんでした……。
ですが、今の俺にはもう何もありません。きっとこれっきりになります。……そう考えたら、本当に身に余る光栄だったな、とおも」
ユキヤが全て言い終わる前に、その頬を抓って引っ張った。
数秒前、何だかめちゃくちゃ腹が立ってしまって気が付いたら腕を持ち上げていた。が、その手で何をするつもりだったのかに気付き、内心すごく焦ってからしれっとした顔でさも「最初からそうするつもりでした」と言わんばかりの顔で頬に手を伸ばしていた。危なかった。平手打ちをするところだった。
とは言え、いきなり頬を抓られたユキヤは目を白黒させている。
「……あんた、あたしが初めて九条印を使った相手が親の七光りしかない、箸にも棒にもかからないつまんない男だった、って言いたいわけ?」
思ったよりも低く、相手を責める声が出てきてしまった。
あたしがあの時どんな覚悟で忘れかけてた九条印を持ち出したか。
背水の陣っていうくらいの覚悟だったのに。
ユキヤがすごく自分を卑下するものだから不愉快になってしまった。そりゃ『湊』って姓に力はなくなるかもしれないけど、南地区のために身を尽くしてきたのはユキヤ本人じゃない。
不愉快さを隠さずに睨みつけると、ユキヤが慌てるのが分かった。
「そ、そういうわけ、れは……いっ?!」
しどろもどろになるユキヤの頬を更に強く抓る。流石に平然とはしてられなかったようでユキヤの顔が綺麗に歪んだ。
ギリギリと力を込めてしばらく抓ってから手を離した。
抓られた箇所は赤くなっていて、ユキヤは頬を押さえて何とも言えない顔をして笑う。
「……痛かったです」
「痛くしたもの」
ふん。と鼻を鳴らせば、ユキヤは苦々しく笑った。
自分が積極的に関わった相手が自分のことを卑下するのって思ったよりずっと不愉快なのね。
しかも推しよ? 推しがこんなこと言い出すのを誰が許せるって言うのよ。あたしはゲームの中のアリスみたいに「そんなことない」って言ってあげられるようなお優しい人間でもないしね。
腕組みをしてユキヤを睨みつける。気持ち的にはものすごく見下ろしてる。
「いい? ユキヤ」
「は、はい」
「あたしはね、何の価値もないつまんない男に協力した覚えはないのよ。胸を張って、あたしが協力してよかったって思える相手でいて頂戴」
我ながら高慢なセリフだと思ったけど、これくらい言わないと気が済まなかった。
ユキヤはぽかんとしている。この顔も今日何度目かしら。
「南地区は落ち着いたそうだし、あたしは目を覚ましたし──あんたは次のことを考え出してもいいはずでしょ?
あたしが九条印を使う価値のある男だったし、”あの湊ユキヤ”が協力を請うほどだったって思わせるくらいになって欲しいわ。あたしは伯父様と違って九条印を使った契約を安売りするつもりなんてないから、今回が最初で最後になるかもしれないしね。
とにかく、あたしをガッカリさせないで。そして、あんた自身がガッカリする自分にならないで」
そう言って人差し指でユキヤの胸を強めに突いた。大した衝撃じゃなかったはずだけどちょっとだけユキヤがよろめく。
一気に言いたいことを言い過ぎて引いちゃった? いや、でも今じゃないと言えなかった。だから良しとしよう。
ユキヤは呆けた顔であたしのことを見つめている。
今日のユキヤは驚くか呆けるかのどっちかね。ああ、あとちょっと感情的になるか。
「わかった?」
「──ロゼリア様」
「? 何よ」
ユキヤが何故か思い詰めた表情で距離を詰めてきた。何かと思っていると、不意にさっきユキヤに触れた手を掴まれる。
外にいたせいかユキヤの手は冷たい。手が温かい印象があったけど流石に冬だしね。
どうやら何か言いたいことがあるらしく、すごく真に迫った表情だった。内心ちょっと驚きつつもユキヤが何を言うのか待つ。
「ロゼリア様、俺は──」
ピピー!
背後から景気のいいホイッスルの音が聞こえてきたかと思えば、その音ともにアリスが近づいてくる。
しかも気付けばユキヤの顔が眼前にあった。え、何この距離!
「ユキヤさん、アウト! アウトです!」
「白雪、流石にうるさいぞ。やめないか。……だが、今のは目に余る」
いつから持っていたのか、アリスがホイッスルを咥えて傍まできていた。当然ジェイルもいる。二人ともムッとしていた。
二人の存在に気付いたユキヤがハッとして手を離し、あたしから距離を取る。ふっとあたしたちから顔を背けた。僅かに頬を赤くして、何とも言えない表情を浮かべていた。
そして、そんなユキヤをジェイルとアリスがジト目で見つめている。
視線に耐えきれなかったユキヤが顔を押さえた。
「……すみません。他意はないんです。周りが見えなくなってしまっただけで……」
「今の行動のどこに他意がないと思える?」
「一人だけで盛り上がるの、どうかと思います」
「すみません、本当にすみません……」
ジェイルとアリスからの集中砲火を受け、ユキヤはもうやめてくれと言わんばかりに顔を押さえていた。
……。まぁ、何もなかったということにしておこう。




