277.約束の終わり①
ユキヤのいる客間はユウリたちがいるところとはほぼ反対側なのよね。屋敷のど真ん中に位置している広間を迂回して移動しないといけない。
本邸の中を移動するだけでも一苦労だわ。それに比べて椿邸はシンプルな作りよね。一般の一軒家とは段違いに立派だけど、こっちの本邸に比べたら全然普通だと思う。
アリスを連れてほぼ反対側に回る。
この廊下を渡れば客室が──というところで、廊下に面した庭にユキヤとジェイルの姿を見つけた。
「ロゼリアさま、こちらから出られるみたいです」
廊下から中庭に出られる場所を探そうとしたところで、先にアリスが見つけてくれていた。流石目ざとい。
礼を言いつつ廊下から中庭に降りていく。
鯉の泳ぐ池の前で、二人は何やら話をしているようだった。……タイミングが悪かったかしら。
「ユキヤ」
「えっ!?」
「お、お嬢様!? 何かございましたか? 白雪まで一緒に……」
あたしの登場はユキヤにとってもジェイルにとっても予想外だったらしい。ものすごく驚いていた。しかもどうやらユキヤは鯉に餌をやっていたらしく、その餌を池に全部落としていて池の鯉が一斉に餌に群がっていた。すごい勢いだわ……。
鯉がちょっと気になったけど、敢えて気にせずに近づいていく。
「ユキヤに話があったのよ」
「……俺に、ですか?」
「ええ。退院以来、ちゃんと話ができてなかったでしょ」
ユキヤはびっくりしていた。
目を覚ましてからもお見舞いには来てくれていたけど、誰かと一緒だったり短時間だったりしてまともに話してないのよ。伝聞で教えてもらう近況の情報の方が多かったくらい。
今はマシになってるとは言え、ものすごいやつれ方をしてたしね。
ジェイルは何か言いたげだったけれど軽くため息をついてユキヤから一歩離れた。
「お嬢様のご指名だ。きちんと話をしろ。
……お嬢様、自分と白雪は少し離れています。……何かあればお声がけください」
「ええ、ありがとう」
そう言ってジェイルは言葉通り離れていく。半ば無理やりアリスを引っ張っていくものだからアリスに「ジェイルさん~」と抵抗されている。
二人は声は聞こえるだろうけど大声でなければ話の内容までは聞こえないくらいのところまで離れていった。離れていてもわかるけどアリスはちょっと不満そうだわ。
二人きりだと伯父様に見つかった時に気まずい。聞かれて困るような話をするつもりはないにしろ聞かれないならその方がいい。だから、ジェイルの気遣いはありがたかった。
ユキヤの隣に並ぶとユキヤはすごく居心地の悪そうな表情をした。
多分、あたしが撃たれた時のことを気に病んでいるんだと思う。病室で謝罪されてるんだけどね。
「……あの、ロゼリア様」
「何?」
「お話の前に、あの日のことをもう一度謝罪させてください。本当に申し訳ございませんでした」
そう言ってユキヤは深々と頭を下げる。
あたし自身、不思議とあの日のユキヤを恨む気持ちはこれっぽっちもなかった。だって悪いのはアキヲで、元を辿っていけばあたしが悪かった。因果応報だと思う。
けれど、ユキヤは改めて謝らなければ気が済まないだろうという想像もしていた。
「……父のことはもちろんですが、感情を制御できずにあなたを危険に晒してしまったことは事実です。こんな謝罪一つで許されるとは思っていません」
「気にしないで。と、言いたいところだけど……あんたの性格じゃ無理そうね。とりあえず、顔を上げてくれる?」
あたしの言葉にユキヤが顔を上げる。けれど、あたしの顔を見ようとはしない。右手で左腕を掴み、苦しげな表情をしている。
……あたしはデッドエンドを回避できたって達成感とかであんまり気にしてないんだけど、ユキヤとの温度差がすごい。撃たれた上に一ヶ月間昏睡状態だったことがかなり堪えているよう。
「あたしはあんたがアキヲを撃たなくてホッとしてる。あの時あんたが引き金を引いていたら、気にしないでなんて口が裂けても言えなかったでしょうね。誰かを殺して終わりにするなんて選択肢を、あんたが選ばなくてよかったって心の底から思ってる。
……ありがとう、ユキヤ。あたしの言葉を聞いてくれて」
「──!! 礼なんて……!!!」
ユキヤはカッとなって声を荒げた。苦さと悔しさを滲ませた表情がこちらを向いている。
穏やかな表情のユキヤしか見てこなかったからこういう表情も新鮮。本人はきっとこんな風に感情的になることは不本意なんでしょうけど。
とは言え、ユキヤに釣られてあたしまで感情的になったら話ができなくなってしまう。あたしが静かにユキヤを見つめると、ユキヤの膨らんだ感情が徐々に萎んでいくのが見て取れた。
「お見苦しいところをお見せしてしまい、重ね重ね申し訳ございません……」
「……感情をすごく押し殺すみたいだったから、ちょっと心配なのよね」
「え」
「感情を露わにするのが苦手なのかもしれないけど、もう少し小出しにしていった方がいいんじゃない?」
ゲームでも紳士的なところが多くて、ルートに入っても「全然変わってなくない?」って思うことがちらほらあった。その分後半がものすごかったけどね!
でも今はゲームと違ってアリスと接点がほとんどない状態だから、自分自身の感情を見せられる相手がいないのよ。ジェイルに対してはぼちぼち見せてるっぽいけど、肝心なところは押し殺してしまうというか……。この調子じゃ今後が心配なのよね。
やっぱり推しには幸せになって欲しい!
父親という柵から開放されたんだから、もう少し自由になってもいいでしょ!
今からだってアリスと接点を持って良い雰囲気になることだって可能なはずだしね。
ユキヤはあたしの言葉にぽかんとした顔をしていたけど、やがて困ったように笑う。
「癖になっているところがあるので……難しいですね」
「いきなりじゃなくていいのよ。少しずつでいいから、もっとあんたのしたいように生きてもいいんじゃない? 感情面はともかくとして、南地区のことには一区切りついたわけだしね」
「……したいように、ですか」
困った顔のまま繰り返すユキヤ。前にしたいこととか聞いたわ、そう言えば。
「前に言ってた工芸茶を飲みながらゆっくり読書するって目標はどうなったの?」
「……。……忘れてました」
ユキヤは目を見開き、呆けた様子で呟いた。本当に忘れてたっていうのが伝わってくる表情と声。
でしょうね! と言いたくなったけど我慢。この一ヶ月それどころじゃなかっただろうし、そもそもゆっくりできる時間があったとは思えないもの。
「じゃあ、まずはそこからね」
「そうですね……。……一度、頭を空にして考えてみます」
「ええ、いいと思うわ。色々あったもの、……すぐに整理はできないかもしれないけど」
アキヲのことや南地区のこと。これまで実質一人で抱え込んできてるから、燃え尽き症候群みたいにならなきゃいいけど大丈夫かしら。
ひょっとしたら伯父様はそういうことを見越して本邸に住むように指示したとか? 南地区に居続けるのは大変だろうって配慮もあるし、今回の計画の根幹に関わっていた相手から色々と話を聞きたいという背景はもちろんとして──。とは言え、このへんは伯父様に直接聞かないとわからないわね。答えてくれるかどうかもわからないし。
さて、それはそれとして、最後に確認しなきゃいけないことがあるわ。
あたしは小さく深呼吸をしてからユキヤに向き合う。不思議そうな顔をするユキヤを見上げた。
「湊ユキヤ。──あたしは、あんたの役に立てたかしら?」
ざぁ。と風が吹く。もう冬だから風はかなり冷たかった。
枯れ葉が足元を何枚か横切っていき、ユキヤとあの話をした時は夏だったのを思い出す。
「契約というか約束の通り、協力は惜しまなかったつもりだけど……あたしの『協力』は、あんたの期待に沿うものだった……?」
ユキヤは目を丸くしてあたしを凝視している。質問自体が予想外だったと言わんばかりの表情だった。




