269.ひとときの休憩①
自室に入ると、ユウリが言っていたように退院祝いらしい花がいくつか置かれていた。
北地区、西地区、東地区の代表からの花。そして、他領の会長もしくはその関係者からの花。流石に全ての会から来てるわけじゃないけど、今回関係があったミチハルさんとか、伯父様が普段から仲良くしている会の人ね……。
部屋は普段通り綺麗にされている。埃一つ、窓にも汚れ一つない。
あたしはそのままベッドに腰かけて息をつき、横になった。
ベッドもいつも通りふかふかだわ……。天蓋付きのベッドが懐かしい。病院の天井は白くて無機質だったからね。
自分の部屋ーって感じがして落ち着く。
病院には一ヶ月と数日いたわけだけど、実際に寝起きをしたのは三日? 四日? だから馴染んだとか自分の部屋のように感じることはなかった。
しばらくのんびりしてろと言われたけど、ユウリが見繕ってくれた快気祝いの品を決めないといけないのよね。あとは何かあったかな……パーティーの準備は伯父様が進めてくれるのかしら。パーティーまで少し時間があるし、別に今日一日くらいはゆっくりしていてもいいわよね。
移動の疲れや、さっきのプチ退院祝いみたいなものもあって、ちょっと眠気を感じる。
病院で散々眠ったのに、やっぱり自分の部屋だと違うわよね、落ち着き具合が。
とは言え、さっきキキにお茶と甘いものを頼んだからせめてそれらを口にしてから──。
なんて思ってたら、扉がノックされた。キキね。
「入っていいわよ」
答えながら起き上がった。
キキが「失礼します」と言いながら扉を開けて入ってくる。
何故かユウリも一緒に入ってきた。何かと思えばキキはお茶と空っぽのケーキスタンド、ユウリはケーキを持っていたから役割分担をしていたらしい。っていうかなんでケーキスタンドが空っぽなのよ。
「一度に運べそうになかったのでユウリに手伝ってもらってます」
「ロゼリア様、失礼します」
「いいけど……一度に運べそうにないってどういうこと? そんなにたくさんは食べられないわ」
「それが──……」
キキが困った顔をしながらテーブルにお茶とケーキスタンドを運んだ。ユウリも困った顔をして甘いものが入っているっぽい大きめのトレイを運ぶ。上にはフードカバーが被せられていた。
不審に思いながらテーブルにつくと、ユウリはフードカバーを外した。
「……なに、これ」
「水田さんが張り切っちゃったんです……。昨日からずっと色々作ってました……」
トレイの上には手のひらサイズのケーキが行儀よく並んでいた。
ショートケーキにチョコケーキ、様々なタルトにパイ──どれもこれも美味しそうなのは間違いないけど、数が多すぎる……!
「こんなに食べられないわ」
「食べたいものだけ選んでください。スタンドに置きますので」
流石にこれを全部食べることは想定してないらしい。つまり好きなものをケーキスタンドに移動させて食べる、ってことね。ケーキ自体のサイズが小さいとは言え、食べれても三つくらいだわ。
ユウリはケーキを掴むための細めのトングを持って待っている。キキはお茶をゆっくり入れてくれていた。
「──じゃあ、このガトーショコラと……」
「ガトーショコラですね」
「こっちの苺タルトと、あとはチーズケーキ」
「かしこまりました」
あたしが指定したものをユウリが順に移動させていく。倍以上残ってるけどいいのかしら……。まぁ無理をして食べる気にもならないし、多分使用人たちで分けるのよね。きっと。
そう思っているとお茶を入れ終わったキキが一歩下がった。
「では、私は失礼します」
「ええ、わかったわ」
キキが出ていくのを見てユウリに視線を移す。が、ユウリは出ていく気配を見せなかった。ケーキを移動させ終え、残ったケーキが乗っているトレイにフードカバーをかけ直しても、その場に佇んでいる。
何か用事でもあるのかしら。首を傾げてユウリを見つめる。
「ユウリ?」
何か言いたいことでもあるのかと思って声を掛ける。
すると、ユウリは何か言いたげに唇を震わせた。でも、それだけだった。
唇は動かしても声は出ず、ひたすら不思議に思っている間に──ユウリの目からほろりと涙が流れていった。
病院で散々泣いてたのにまた!?
「っす、すみませ……!」
ユウリが慌てて涙を拭っていた。内心ハラハラしながらそれを見守っているとお茶とケーキのことが頭から抜けてしまう。
「……すみません。あの、お茶が冷めてしまうので……お気になさらず」
「そうは言ってもね……。どういう涙なの、それ」
半ば呆れながらカップに手を伸ばした。紅茶の香りが鼻腔をくすぐる。
ユウリはどこかばつが悪そうな顔をして、あたしからすっと視線を背けてしまった。病院にいた時はメロの泣き方が盛大だったせいで印象が薄れがちだったけど、ユウリの泣き方って儚げで可愛いのよね。
「ロゼリア様が……普通に生きて、動いて話してらっしゃるのを間近で見て……安心したから流れた涙、です」
律儀な回答にぷっと笑ってしまった。ユウリはばつが悪そうなままだ。
周りを見ていても思ったけど、やっぱり一ヶ月というのは長かったみたい。あたしには全然その実感がなくて、みんながどうしてあんなにも騒ぐのかがあんまり理解できてなかった。
でも、動いて話すだけでも涙が出るなんて相当よね。
悪いことしちゃったわ、本当に。
「心配かけて悪かったわね」
「そんな──……!!」
ユウリは慌ててぶんぶんと首を振った。
怪我を追ったのも、一ヶ月もの間眠ってしまったのも多分あたしのせいじゃないはず。それでも、やっぱり「心配をかけた」という点については謝っておいた方がいいと思ったのよね。伯父様もあんなに心配してたし。
黙り込んだユウリは右手で左腕をぎゅっと掴み、俯いてしまった。
「……僕は、あの日何もできませんでした」
「え?」
「ただ見てるだけで、何の力もない矮小な人間で……そんな自分が、すごく悔しかったんです」
そ、そんな風に思ってたんだ? やっぱり悪いことしちゃったわね。
あの日、別にユウリに何かの役割を望んだわけじゃなかった。明確に役割があったのはあたしとハルヒト、そしてユキヤだけ。撃たれたのは本当にイレギュラーで誰も予想なんかしてなかったのよ。だから、バートはともかくとして、ユウリたちが気に病むことじゃない。
強いて言えば、あたしのこれまでの行いが招いたこと。
だから、ユウリがこんな風に自分を卑下するのは望んでなかった。
あたしは小さくため息をついて、ケーキを食べるべくフォークと小皿を手にする。苺がぎっしり乗ったタルトを小皿に移し、苺を一つフォークに刺した。
「ユウリ」
「……はい」
「口開けて」
「え?」
フォークに刺した苺をユウリの口元に持っていくと、ユウリは面白いくらいに動揺した。
「ロ、ロゼリア様!? それはロゼリア様の分なのでご自分で──」
「いいから」
問答無用で口に苺を押し付けるとユウリは拒否しきれずに苺を口の中に迎え入れた。顔を赤くして、口元を押さえるユウリ。
それを見てから、あたしは自分の分を口に運んだ。無言で咀嚼をしてから、あたしはフォークを一度置く。
「あたしはあんたのことを何の力もないなんて思ってないわ。あの日のアレは不幸な事故よ。
……それに、折角退院したんだもの、景気のいい話が聞きたいのよね。あんた、勉強はちゃんとやってるの?」
聞いてみるとユウリが目を見開いた。
「や、やってます」
「合格できそう?」
「……模試では合格圏内でした」
「そう。不合格だなんて報告は聞きたくないわよ?」
「──はい」
ユウリは柔らかく、それでいて意志のある声で頷いた。うん、大丈夫そう。
それを見て満足してから手招きをした。ユウリは不思議そうにしながらあたしの傍に来る。
ちょっと手を伸ばしてその頭に触れ、よしよしと撫でた。
「それじゃ、頑張って頂戴」
ユウリは少しの間大人しく撫でられていたけど、不意にあたしの手首を掴んだ。
やば、ちょっと子供扱いしすぎた?
手を引こうとするけれど思いの外、力が強い。そんなに気に障ったのかとユウリを見ると、熱い視線があたしを捉えていて不覚にもドキッとしてしまった。




