268.『白雪アリス』
「よ、よかったあああ! あ、た、退院おめでとうございますっ! こうしてお元気になられて、ほ、ほんと、……ほ、んとう゛、に゛ッ……」
あたしに抱きついてぐすんぐすんと鼻を鳴らしていたかと思いきや、そのまま号泣してしまうアリス。
……この子、本当に……。
周囲はアリスの登場を全く予想してなかったようですごく驚いている。しかも突然抱きついてきたものだから余計に。
あたしはアリスがこうして椿邸に来てくれたことである程度察しているし、ちょっとした満足感の方が大きかった。
アリスはしばらく泣いていて、それが落ち着いたところであたしをそっと見上げる。
「ロゼリア、さま……あの、本当に、本当に……あ、ありがとう、ございました……! こうしてまた、ロゼリアさまにお会いできて、……うれしい、ですっ……!」
「その様子だとあたしの要求はちゃんと通ったみたいね?」
「はいっ! これからもよろしくお願いしますっ……!」
アリスは晴れやかな笑顔を浮かべて頷いた。
伯父様を通して『陰陽』に要求したのは、「アリスが気に入ったから寄越せ」というものだった。寄越せって言い方はちょっと乱暴だけど、まぁ概ね間違ってない。
想定外だったとは言え、あたしが撃たれたことに対してきっちりとケジメをつけさせたいと伯父様は言っていた。そういう場合、普通なら金銭を要求したり土地や何かの権利を欲したり、もしくは情報なんかを欲するものだと思うんだけど、そのあたりは伯父様に任せてしまったのよね。
アリスは『陰陽』から可能なら逃げたいみたいだったし、何よりあたし自身アリスのことが心配だった。
さっきみたいに泣き出すところを見ても『私情を殺して仕事に徹する』なんて無理だろうし、これまでのことを考えてもスパイや暗殺者まがいの仕事は向いてないのは明白。
本人も「メイドを続けられたら」って言ってたし、丁度いいと思っちゃったのよね。
もちろん、あたしはアリスのことが気に入ったし!
だから伯父様には「これから後任を見つけるのも面倒だし、何よりアリスが気に入っちゃったから引き抜いて。他は好きにして」って交渉をお願いしたのよね。何をどう交渉したのかは流石にわからないけど、そんなに難しくはなかったんじゃないかしら。アリスは末端構成員で、情報漏洩のリスクはあれど行き先が九龍会ならそこまで心配する必要はなかったはず。
とにかく、そんなわけでアリスは『陰陽』から抜けさせることができた。
これはゲームでもできなかったことだから謎の達成感があるわ……。
「ええ、よろしくね」
そう言ってアリスの頭を軽く撫でた。アリスは嬉しそうにする。
「──白木、いつまでお嬢様に抱きついているつもりだ」
「そーっスよ! いい加減離れろ」
ジェイルとメロの文句を聞いて初めて伯父様以外の周囲を置いてけぼりにしていることに気付いた。
そうだった。解散の流れだったのにアリスが乱入してきたからついつい気を取られちゃったわ。
あたしが言うより先にアリスはあたしから離れ、ジェイルとメロに向き合う。
「白木じゃないです。白雪です」
驚いて目を見開く。
でも、そうか。『陰陽』を抜けたから偽名を使う必要はなくなったんだわ。
けれど、ジェイルとメロはそんなこと知らないから「は?」って反応をしている。ホールに残っている他のメンバーも何を言っているのかわからないという顔をしていた。
アリスは残っていた涙をさっと拭き、あたしを振り返って一礼をする。それから、再度ジェイルたちに向かい合った。
「先日は突然退職をしてしまい、大変なご迷惑をおかけしました。
この度、……改めてロゼリアさま付きのメイドとして正式に雇用していただくことになりました。お力添えをいただいたロゼリアさま、ガロさまには感謝の念に絶えません。この御恩に報いるため、誠心誠意務めさせていただきます。
白木アリサ改め、白雪アリスと申します。……どうぞ、よろしくお願いいたします!」
言い終わると、アリスは深々と頭を下げた。
周囲が動揺しているのが伝わってくる。まぁ、それはしょうがないのよね。本当に。どういう感じで辞めていったかわからないけれど、次の仕事があるってことですぐに辞めるという話だったし……しかも名前も変わっているし……動揺するのは無理もない。この辺は追々説明していこう。
とりあえず、みんなにアリスを受け入れてもらわないといけないわ。
そう思い、あたしはアリスの横に立って、その肩を軽く抱き寄せた。
「そういうわけだから、みんなもこれまで通り接してあげて頂戴。──アリス、よろしくね」
「は、はいっ……」
あたしのお墨付きであることを知らせておかないと、と思っての行動だったけど、アリスは顔を真っ赤にしていた。
え? 何? どうしたの?
どうして顔を赤くしているのかわからずに思っていると、メロがずかずかと近づいてきてあたしとアリスをばっと引き離してしまった。何こいつ。
「もーいいでしょ!? なんで抱きつくの許すんスか!? 肩まで抱いちゃってさぁ! そいつぜってー下心あるよ!」
「……あんた何言ってんの?」
「んもー! お嬢こそ何言ってんの!? アリサじゃなかった、アリスに許すんだったらおれにも抱きついたり抱きしめさせてくれたっていいじゃん!」
……いや、こいつ本当に何言ってんの? メロとアリスじゃ色々違いすぎるでしょ?
なんであたしがメロに抱きついたり、抱きしめさせたりすると思うわけ? 怖。
メロの発言に引いてしまって何も言えずにいると、あたしの横を伯父様が横切っていきメロの前に立った。そして手を伸ばして、メロの頭を片手で鷲掴みにする。
「──いいわけねぇだろ?」
伯父様は笑顔だったけど、その笑顔にはものすごく凄みがある。声も低くてドスが聞いてて、並の人間だったら何も言えずに縮こまるしかなくなるほどの威圧感があった。
あれだわ。相手を脅す時の笑みだわ。……ダークな伯父様も素敵……!
「……ヒェッ……!」
案の定、メロは伯父様の圧に耐えられずに情けない声を出していた。
メロが伯父様に対して怯えているのを確認し、伯父様はぱっと手を離してしまう。手を離した瞬間には相手を萎縮させるような威圧感は消え、笑顔も普段通りのものに戻っていた。……切り替えがすごい。
少し離れた場所でユキヤとハルヒトが青ざめ、不自然に視線を逸らしている。
──そうか、あの二人はあたしが目覚めた時にうっかり抱きついているから……伯父様にバレるのを恐れているわけね。あの二人に変な下心とか他意があったとは思えないし、別に伯父様に告げ口をする気にはならない。っていうか、言われないと思い出さないかもしれないもの。
と、とりあえず、ごちゃっとしたけど、これでもう解散でいいわよね?
「──キキ」
「えっ。あ、はい!」
「アリスのこと、頼める? あとお茶と甘いもの持ってきて」
「はい、かしこまりました!」
キキに尋ねると、笑顔で頷いてくれた。アリスは「お願いします」と言いながら、キキの方に向かっていく。心なしかキキもアリスも嬉しそうだった。……あたしが知らないところで結構仲良くなってたっぽいわ。良いことね。
あたしはそろそろ部屋に戻ってのんびりしたい……。
伯父様を振り返ると、伯父様は伯父様で式見に「そろそろ……」って声をかけられていた。
「じゃあ、伯父様。またね」
「おう。しばらくゆっくりしてるんだぞ」
「ええ、そうさせてもらうわ」
そう言ってから伯父様の腕を引いて頬にキスを一つ。伯父様は当然って顔をしてそれを受けていた。
……周囲の視線がものすごくうるさかったけど、流石にさっきみたいに文句は飛んでこない。これで文句を言う人間がいたら見てみたいもんだわ。
伯父様は椿邸を出て、本邸に戻っていく。
あたしは言われた通りにゆっくりしたくて自室へと向かった。




