267.退院②
伯父様は椿邸まであたしを送り届けてくれた。折角だから中まで送っていくということだったからその言葉に全力で甘える。
病院の中でそうしていたように、車を降りてからも伯父様はあたしに腕を貸してくれた。至福……!
正直、目を覚ましてからというもの、あたしの頭の中は伯父様で埋まっていた。
なんでかって言うと、あんなに息を切らして駆けつけてくれたし、その時にこれまでのことを話したおかげで絆が深まったっていうか? 以前から伯父様のことは大好きだったけど、今となっては大好きという言葉だけでは足りなくなっている。前世の記憶を思い出してからのあれこれもあるし、夢の影響とかの反動もかなりあると思うわ。
だから、無条件に甘やかしてくれる伯父様と一緒にいられる時間が果てしなく尊い。
椿邸の玄関前まで来ると、一度足を止めてしまった。
たかだか一ヶ月間だったのにやけに懐かしい。……夢でお母様たちと一緒に食堂にいたこともあって、何だか感慨深いわ。
「ロゼ?」
「ううん、何でもないわ」
ゆるく首を振って笑う。伯父様が入ろうとしたタイミングを見て、式見が玄関扉を開けてくれた。
扉がゆっくりと開き、そこには見慣れた風景が──。
「退院おめでとうございます!」
──広がってなかった。
玄関の両サイドにずらりと人が並び、一斉に拍手をしている。
ジェイル、メロ、ユウリ、ユキヤ、ノア、ハルヒト……キキや墨谷を含む使用人たち全員もここに集まっているようだった。
え、何!? 何なの?!
突然のことに驚き、辺りをきょろきょろと見回してしまった。伯父様に引っ張られるようにして中に入ると、見慣れたはずの玄関ホールはいつもと様子が違っていた。所狭しと退院祝いらしき花が並べられている。
「ロゼリア、退院おめでとう」
中ほどに進んだところであたしの前に現れたのはハルヒトだった。
大きな花束を持っている。赤とピンクと白の花で綺麗にアレンジされた豪華な花束。
「え? 何?」
「何、って退院祝いだよ。花は嫌いじゃないよね?」
「ま、まぁ……」
そう言って花束を半ば押し付けられてしまい、大きな花束を受け取った。抱えるくらいに大きいんだけど!
あたしが目を白黒させていると横で伯父様がおかしそうにくすくすと笑っていた。どうやら伯父様は椿邸でみんなが待ち構えていることは知っていたらしい。っていうか、それで迎えが伯父様一人だったのね?!
ハルヒトが一歩下がったところで、ジェイルたちがわーっとあたしを取り囲み始めた。
「お嬢様、本当に退院おめでとうございます。お元気そうで何よりです」
「お嬢、お嬢! ほんとよかったっスね! もー、聞いてよ。花束を渡す役はみんなやりたいって言い出すからじゃんけん大会開いてさー、嘘みたいにハルくんが勝つんだもん。あれ、絶対イカサマっスよ」
「メロ、うるさいよ。ロゼリア様、退院おめでとうございます。お戻りになるのをずっと待っていました」
一気に喋られてしまって、話があっちこっちに飛ぶ。けれど、ユキヤとノア、キキは近くにはいても一歩下がったところであたしを見ていた。
これまでこんな経験がなかったせいで内心すっごく焦っている。曖昧に笑いながら「ありがとう」を繰り返しているものの、純粋にあたしの退院を喜ぶ声と視線がひたすらくすぐったかった。
……本当に、こんなのなかったのよね。
以前まではあたし自身の性格のせいもあって遠巻きにされることが多かったから本当に落ち着かなくてソワソワしちゃう。
「ね、ねぇ、ユウリ」
「はい!」
「あの花は……?」
ちょっと色々と耐えられなくてユウリを呼んで話題を逸らした。ユウリはすごく元気に返事をしてから、玄関ホール内に飾られた花々を見やる。
「ロゼリア様への退院祝いです」
「もう!? 多くない!?」
「朝から本当に色んなところから贈られてきて……リストアップでき次第、ご報告します。お部屋にもいくつか運んでありますよ」
「部屋にも……?!」
そんなに届いているとは……。
伯父様の話では「そのうち届く」ってことだったのに……。ということは昨日のうちに退院の話が出回ってたんだ。驚くべき情報網だわ。普通は退院して少し落ち着いたタイミングで贈るものだと思うけど……伯父様へのアピール合戦かな。そうじゃなきゃこんなに届かないでしょ。
そう言えばユウリが快気祝い用の品を見繕ってくれてるって話だっけ。そっちも早めに確認しなきゃね。
驚きつつも返礼のことを考えていると、伯父様があたしの肩をポンポンと叩いた。
「お前もかなり名前が売れたからな」
「何よそれ。こんなに集まるのは伯父様のネームバリューのおかげでしょ?」
「……本当にそう思うのか?」
伯父様がニヤリと笑う。そして、傍にいたジェイルに目配せをした。
ジェイルは静かに頷き、懐から折りたたまれた紙を取り出す。なんだろうと思って見つめると、それはどうやら新聞の一部のようだった。ジェイルは綺麗に折りたたまれた新聞を広げていき、それをあたしに差し出す。何枚かに重なった新聞を受け取って目の前で一枚ずつ広げた。
どうやら数日前の朝刊みたいだけど……は?!
──九条ロゼリア、汚名返上 湊アキヲ罷免の裏側
──不正を暴いた九条家 負傷しても守った信念
──お手柄・ロゼリア様 これまでの行いは全て演技だった?
開いた口が塞がらないとはまさにこのこと。
一体何があったのか、新聞で一斉にあたしのことが報じられたらしい。どの新聞にも「先月に緊急罷免された湊アキヲの不正を暴き、追い詰めたのは他ならぬ九条ロゼリアである。彼女は傷を負ったが見事に自分の役目を果たした。これまでの傍若無人な振る舞いは油断させるための演技だったのではないか」という論調で書かれている。
つまり、……あたしの名誉が、回復している……!
って、こんな風に一斉にやられてたら流石に怪しくない? 情報操作を疑われない?
「お嬢、めっちゃすごくないっスか? 一面っスよ、一面!」
「あんた新聞なんて読まないでしょ」
「おれは嬉しくてたくさん買ったっスよ、新聞。お嬢のところしか読んでないけど」
「折角買ったんだから他のところも読みなさいよ」
「えへへ」
新聞とは一生縁のなさそうなメロがうきうきと言い、あたしの手元を覗き込んできた。大体新聞はたくさん買うようなものじゃないでしょうが。
「他領でも話題になっているみたいですよ」
「は!?」
「私の知人が他領に何人かいるのですが色々聞かれました。ああ、もちろん詳細は言えないと濁していますが」
「そ、そう。ありがと。……あんた、顔広いのね」
ユキヤがにこやかに教えてくれる。でも、た、他領って……。そこまでするもの!?
い、いや、バートもそんなことを言ってたし……ある意味既定路線なのかも。あたしがずっと眠っていたせいで、むしろこうした情報操作が遅くなったまでありそうだわ。
はぁ、でもこれでこんなに退院の品が届くのがわかったわ。この報道のせいもあるのね……。
新聞を適当に折りたたんでジェイルに返す。
「と、とりあえずわかったわ……」
「俺も鼻が高いぞ。あいつらへのいい土産話もできたしな」
「もう、伯父様ったら気楽なんだから……!」
伯父様はそりゃ他会の会長への話の種ができていいでしょうよ! あたしはここまでの話は想像してなかったから驚くばかりだわ。
単純な退院のお祝い、近況報告、そして新聞のこと──。
話題が案外尽きなくて、退院したばかりだというのについつい立ち話をしてしまった。
三十分くらい話し込んでしまったところで、伯父様が「そろそろ休ませてやってくれ」と周囲に告げる。なんだかんだで疲れただろうっていう配慮ね。当然、伯父様の言葉に逆らえる人間なんていなくて、部屋に行こうという雰囲気になった。使用人たちも墨谷に先導されて「そろそろ」って感じで仕事に戻っていく。
人が少なくなった玄関ホール。
突然、バターン! と大きな音を立てて、玄関扉が開け放たれた。
小柄な人影が扉の向こうからホール内に入ってきて、そこに残っていた人間の視線を集める。
彼女はぜいぜいと息を切らし、目に涙をいっぱいためて、あたしの姿を視界に収めた。
「ロ、ロゼリアさまっ!!!」
──白雪アリス。
アリスは脇目もふらずに一直線に向かってきて、あろうことかあたしに飛びついてくる。咄嗟のことでどうにもできず、あたしは彼女の体を受け止めるしかなかった。
でも、アリスがこうしてここにいるってことは、伯父様はあたしの要求を伝えてくれたのね。
そう思って伯父様を見ると、珍しく悪い笑みを浮かべていた。




