263.覚醒
はっ。と、目を覚ます。
ぼやけた視線の先に白い天井が見えて、案の定病院らしかった。
あたしは何度か瞬きをしながら、ゆっくりと手を持ち上げる。
長い指先。小さな子供の手でも、高校生の手でもない。間違いなくあたしの手だった。
視界がはっきりして意識もしっかりしたところでゆっくりと起き上がる。
が、ビキビキビキッと全身が悲鳴を上げた。
「いッ……たぁっ……!?」
あまりの痛みに声が出た。
体はまるで石のように固く、すごく動かしづらい。油を差さなくなったブリキみたいで肩とかの可動域がすごく狭く感じる。あたしは特に痛みを感じた左肩を押さえながら、ゆっくりと部屋の中を見回した。
やけに広い一人部屋で、VIP部屋って感じ。窓から差し込む光は明るくて、どうやらお昼頃っぽい。一晩よく寝てたみたい。
そうだ、とりあえずナースコールで人を──……。
ガシャンッ。
ナースコールを探してベッドの周りを見回そうとしたところで、入口で何かが割れる音がする。
驚いて顔を向けると、そこには目をまんまるにしたユキヤが立っていた。足元には割れた花瓶と活けられていたであろう花が散乱している。
「ユキヤ? 花瓶が」
「ロゼリア様!!!」
あたしの心配をよそにユキヤが足元なんか気にせずに焦った様子で駆け寄ってくる。
次の瞬間にはユキヤに抱きしめられていた。
「え?」
「ロゼリア様、よかった……! ……本当に、よかった……!!」
「え? え?」
何が起きたかわからずにひたすら混乱した。「よかった」と言うユキヤの抱きしめる力が徐々に強いことも混乱の要因。何がなんだかわからないままでいると、ユキヤが泣いているのに気付いた。
何で!? なんで泣いてるの?!
抱きしめられているせいでユキヤの顔は見えないけど、手は震えているし呼吸も不規則だしで、逆にこっちが心配になる。
「ちょ、ちょっとユキヤ。どうしたのよ」
「本当に……目を、覚まさないんじゃ、ないかと……」
更にぎゅうっと抱きしめられて言葉を失ってしまった。放して欲しいとかなんで泣いてるのかとか、聞ける雰囲気じゃない。ユキヤの雰囲気がそれくらいに真剣かつ痛ましくて口を挟みづらかった。
しばらくそうしていると、ユキヤが我に返ったらしい。
ばっと顔を上げて、あたしから慌てて手を離した。涙の跡がある上に、顔が赤かった。
……何だかすごくやつれてる。
「っも、申し訳ございません! 俺は、一体何を──……!!」
「ユキヤ~、売店にメロンパンしかなくてさー……」
今度はハルヒトがやってきた。手にはセリフ通りメロンパンを持っていたけど、あたしを見た瞬間に持っていたメロンパンを二つとも取り落としていた。そして、さっきのユキヤ同様にあたしを抱きしめ──いや、抱きついてきた。
なんで連続でこんな目に遭うの?! 本当に何!? 何が起きてるの!?
「ロゼリア、ロゼリアッ……よかった、本当によかった……! もう二度と声が聞けないかと思った……こんなことなら事情とか無視して伝えたいことを伝えるべきだったって……ずっと──」
???
なんか、まるであたしが死の淵を彷徨ったみたいな……。
あたしの認識だと撃たれて、寝て、起きた、くらいのものだから、二人がこんなにもあたしの目覚めを喜ぶなんて想像してなかった。夢の中でも、確かにあのまま夢の中でずっと暮らしたいって思っちゃったけど、それは駄目って思い直したし……。死の淵を彷徨った認識なんて全然ない。
「ハルヒトさん、看護師さんを呼びますね……」
「……うん。ごめん。興奮しちゃって……」
「いえ、……」
ハルヒトがぐすんと鼻を鳴らす。見れば、ハルヒトの目は真っ赤だった。涙を隠すことなく、零れ落ちる涙を指先で拭っている。
ユキヤは部屋に備え付けられている電話で電話をしていた。「ロゼリア様がお目覚めになりました」と告げている。通話内容までは聞こえないけど、受話器の向こうで慌ててたのが伝わってきて電話もすぐに終わってしまった。
二人は心底安心したという顔をしてあたしを見つめている。その視線がものすごくくすぐったくて落ち着かない。
「ロゼリア様、痛いところはありませんか?」
「ちょっと動かしづらいけど、別にないわ」
「気持ち悪かったりしない? どこかおかしいところはない?」
「……ないわ」
二人の質問に答えつつ、あることを思い出した。
そう言えば、あたしはアキヲに撃たれたんだった。確か右の横っ腹を──……二人が見てる前だったけど気になって撃たれた箇所に服の上から触れてみた。けれど、感触としてはガーゼが貼ってあるくらいで別に痛みもない。
「手術は終わってるよ、ロゼリア。傷の経過は良好で、回復も早かったって」
「え? あ、ああ、そうなの。っていうか、早かった……?」
二人の反応と言い、傷と言い、今のハルヒトの言い方と言い……違和感を覚えて眉を寄せた。
ユキヤとハルヒトは顔を見合わせると、ユキヤが言いづらそうに口を開く。
「……ロゼリア様。本日は十二月十日……あなたが撃たれて意識を失ってから……ほぼ一ヶ月経ってます」
──は?
ユキヤが嘘を言っている様子はない。っていうか、嘘を吐く必要なんてない。
二人の目元は赤いままでこれが演技とは思えない。
い、一ヶ月……? あの日から……?
唇が震える。何か聞きたいはずなのに何も思い浮かばなかった。
だ、だって、一ヶ月!? ただ寝て、良い夢を見てただけじゃない! それで一ヶ月も!?
そして、混乱している間に医者と看護師が複数名部屋に押しかけてきた。
あれよあれよという間に目とか喉とか見られて、聴診器を当てる段階でユキヤとハルヒトは部屋から追い出されて、看護師の一人が入口付近に散らばった花瓶とメロンパンを片付けていた。
医者も看護師もめちゃくちゃホッとした顔をしている。
その場で色々と問診を受けた。どこも痛くないし変なところもない、よく寝てスッキリした感じと答えると、何とも言えない顔をしていた。
病院に運び込まれてから一ヶ月経っているというのは本当らしい。
幸いにも撃たれた箇所の傷は酷くなくて、内臓を傷つけてもいなかった。手術も問題なく終わっていて、あたしが眠っている間に傷も塞がっているからあとは予後観察のみらしい。ただ、歩行とかに問題がないかどうかは実際に歩いて判断するしかないから、そこらへんの確認が終わってないってことだった。
今簡単に確認はしたけど明日以降きちんとした検査をさせて欲しいと言われた。とは言え、一ヶ月間昏睡状態で目を覚ましたから、このまま安静にして欲しいと言い残して、医者は部屋を出ていった。
医者と看護師入れ替わりに追い出されていたユキヤとハルヒトが戻って来る。
「ロゼリア様、皆さんすぐ来られますので……」
「皆さん……?」
「ジェイルたちですよ。……本当に、ずっと心配していましたので……」
そうか、一ヶ月も眠ったままならそりゃ心配させるわよね。一ヶ月も眠ってた実感なんてないけど。
窓の外には広く高い空が広がっている。言われてみればちょっと冬っぽい空だった。とは言え、窓から見る空の色だけでは季節の移り変わりの実感は薄かった。
ユキヤが「すぐ」と言っていた通り、三十分もしないうちに病室が賑やかになる。
ジェイル、メロ、ユウリ、キキ──そして墨谷や水田、椿邸で働いている使用人たちがこぞって押しかけたのだ。
「お、お嬢様……お目覚めになられて、よかったです……」
「お嬢ッ、ほんとうにもうだめかと思ってたんスよ!? よ、よかった、まじでよかったぁ……う、っく」
「……ロ、ゼリア、様ッ……!」
ほとんどの人間が泣いているか、目を潤ませている状態だった。
あたし自身に実感がないせいもあったけど、口々に「よかった」と言ってあたしの名前を呼ぶのを見たら段々と感極まってくる。貰い泣きをしそうになってしまって、込み上げてきた涙をぐっと抑え込んだ。
……人前で泣くなんて、絶対できないのよ、あたし。泣き顔なんて絶対に見られたくないと思ってるんだから。
看護師の一人が「病院内ではお静かにお願いします。一度病室から出てください!」と言っていたけどなかなか静かにならない。流石に申し訳ない気分になってきて静かにしなさいと言おうとする。
が、廊下の方が妙な騒がしさの後に静かになっていく。遅れて誰かがやってきたらしい。
「ロゼッ!!!!!」
人をかき分け、髪とスーツを乱した伯父様が部屋に入ってくる。
その姿を見た瞬間に鼻の奥がツンと痛くなった。




