260.オフレコ㉞ ~その後Ⅱ~
一週間後。
病院に運び込まれたロゼリアはすぐに手術を受けることになった。アキヲの持っていた小銃の弾が腹に残っていたからだ。幸いにも手術は何の問題もなく完了。臓器を大きく傷付けることもなく、出血も酷くもなく、命に別状はないという診断を受けた。
明日にでも目を覚ますでしょう──。
という医者の言葉に安心して、それを信じていた。
だが、ロゼリアは一週間経っても目を覚まさない。
「なんで目ぇ覚まさないんだよッ!」
ロゼリアの見舞いを終え、椿邸に帰り着いた直後にメロが痺れを切らして玄関扉に思いっきり拳を打ち付けた。
玄関扉は重厚でちょっとしたことではビクともしない。当然、メロが拳を打ち付けたからと言って何の変化もない。むしろメロの手の方が痛そうだった。それを横で見たジェイル、ユウリ、キキは沈鬱な表情で黙りこくる。
墨谷がいつもの通り「どうでしたか」と聞きに来るものの、メロの様子を目にして閉口してしまった。一緒になって聞きに来たメイド数名も暗い表情で俯いている。
「医者はさぁ、命に別状ないって言ったじゃん! 翌日には目ぇ覚ますっつってたじゃん! 何なんだよッ!!!」
そう叫んで、メロが再度扉に拳を打ち付ける。
医者の言っていたことは真実だっただろう。手術も無事に成功したし、容態は安定していた。翌日に目を覚まさなかったのも、ロゼリアは計画当日まで計画のことを詰めていて忙しかったから眠りが深いだけ──と納得できた。しかし、撃たれて三日目ともなれば周囲が慌ただしくなった。医者が検査をして「問題なし」という診断を再度下した後に、様々な専門医がやってきてロゼリアの容態を見ては「問題なし」という診断を下していく。
ただ眠っているだけ、だそうだ。
その事実はただただジェイルたちを焦らせ、ガロを苛立たせた。
ガロは翌日の午前中にはロゼリアを見舞いに来ている。
その時は本当にただ眠っているだけにしか見えず、ガロは心底安堵していた。一緒に来ていた秘書の式見の顔色が悪かったので、かなり無理をしたスケジュールであったのだろう。
ガロが来てすぐにロゼリアの病室は人払いされた。ガロがそうしろと言ったのではなく、一緒に来た秘書の式見が判断したのだ。
病室で何があったのかはわからないが、出てきたガロの目元が赤かったことからロゼリアの負傷が相当堪えたに違いなかった。
──ガロがロゼリアを溺愛しているのは有名すぎる話である。
それは事故で亡くなった妹・クレアの忘れ形見であると共に、妻であるエリーゼがロゼリアを我が子のように可愛がっていたからだ。そして、ガロと血が繋がっている唯一の存在である。
そういった背景があり、ガロはロゼリアを大切にしていた。
万が一のことがあったらガロがどうなるのか──きっと誰も考えたくないに違いない。
「……医者が原因不明だって言うなら、僕らにできることはないよ」
「他領の医者にも声を掛けると言っていただろう。……待って、祈るしかない」
やたらと吠えるメロを目の当たりにすると逆に冷静になる。こんな風に喚いてもどうにもならないのにとやけに他人事のような感想を抱いてしまった。
しかし、そんなユウリの心境が態度に出ていたのか、メロがユウリの胸ぐらを掴んで揺らした。
「んだよ、そうやってスカして──……!」
「スカしてなんかない。本当のことだよ。僕達は医者でも何でもないんだから……目覚める、って信じるしかないよ」
「ヤブ医者じゃねーって保証なんかねーじゃん!」
「あのね、ガロ様の目があるんだよ? ヤブ医者がロゼリア様に近づけるはずがない」
ぎりぎりとメロが首元を締め上げてくる。苦しさを感じながら、メロを睨み返した。メロは苛立ちと怒りをそのまま周囲に撒き散らしていて非常に癪に障る。こんな時に静かにしていろなんて無理な話かもしれないが、できることがないのは覆しようのない事実だ。
メロが舌打ちをして、ユウリを離す。どん、と胸を押されて足元がふらついた。
「……んで、そんなに冷静でいられるんだよ……オカシイだろ……お嬢が心配じゃないのかよ……!」
それまで比較的冷静でいられたのに、「心配じゃないのか」という言葉にカチンと来てしまった。奥歯をギリッと噛み締め、メロを睨みつける。
「心配に決まってるだろ?! 君みたいに喚いて周囲に当たり散らしてロゼリア様が目を覚ますならとっくの昔に暴れてるよ! けど、そんなの無駄だってわかりきってるじゃないか……!」
感情が高ぶって涙が出そうになる。けれど、泣いたって仕方がない。泣いてスッキリもしたくなかった。ぐっと涙を堪えてふいっとメロから顔を背けた。メロはメロで悔しそうにしている。
「……二人ともいい加減にして。ジェイルさんの言う通り、私達には祈って待つことしかできないわ」
「そうだ。それに……お嬢様がお目覚めになられた時、身体的にも精神的にも健康でいなければ心配させるだろう」
「……。それはさ、ユキヤくんに言いなよ」
キキは目を真っ赤にして、ジェイルは精神的に疲弊した様子で言う。翌日には目を覚ますだろうと告げられながら一週間が経っており、ロゼリアを心配する人間たちはそれぞれ身体的、もしくは精神的に疲れが見えていた。
中でも顕著なのがユキヤだ。
ロゼリアが撃たれてからというもののまともに食事を摂っていないようだった。毎日見舞いに来て、ロゼリアの眠るベッドの脇に思い詰めたような顔をして佇んでいる。どちらが病人なのかわからないほどだった。
ベッドに横たわるロゼリアの呼吸は規則正しく、顔色も健康そのものだった。どこからどう見ても眠っているようにしか見えない。
だからこそ余計に不安なのだ。
いっそ原因があってくれた方がいいのに原因不明で眠ったまま。医者が言うには「健康そのもの」だそうだ。打つ手がなく、医者たちは原因究明に追われている。
「……ハルくんだけ置いて来ちゃってよかったわけ?」
「戻りたくないというのだから仕方がないだろう。……また後で迎えに行く」
ハルヒトはハルヒトでかなり気に病んでいるようだった。ハルヒトには何の原因もないのに、撃たれた後にロゼリアに付き添わなかったことを悔いているらしい。面会時間ギリギリまでいたいということだったので、好きなようにさせている。
ユウリは段々と落ち着かない気分になってきてしまい、自室に戻るために歩き出した。
「……僕、部屋に戻るね」
それだけを言い残し、玄関から離れた。
誰かと一緒にいることで気が紛れることもあれば、逆に一緒になって不安に落ちてしまいそうなこともある。さっきは後者だった。ロゼリアはきっと大丈夫だと思いたい気持ちが大変だが、どこかで「このまま目を覚まさずに、そのまま……」と思ってしまう自分がいる。
ぶんぶんと首を振ってその考えを頭の中から追い出す。
自室に戻ると机に向かい、やりかけだった問題集を乱暴に開く。
勉強に没頭している間は少しだけ前向きになれる。だって、一発で合格したらロゼリアが褒めてくれると言ったのだ。ロゼリアが目を覚ますと信じて取り組んでいくしかない。ロゼリアが目覚めた時、万が一にでも無様な結果を見せることはできないからだ。
(……ああ、そうか。あの時のロゼリア様も……こんな気持ちだったんですね……)
ロゼリアが両親を亡くした後、勉強に没頭した時期があった。脇目も振らず、一心に机に齧りついていたのだ。
遊ぶ気にもならずに、ただただ現実から逃げたかったのだと、今更ながらに理解した。
当時のユウリはそんなロゼリアに上手く寄り添えなかった。メロも、キキも。
そんなロゼリアが自分にこんな想いをさせるなんて──とどこか責めるような考えにをしてしまい、自己嫌悪に陥るのだった。




