243.オフレコ㉛ ~ジェイルとアリスⅠ~
ロゼリア、キキの二人とドレスを選んだ後、アリスは一旦椿邸を離れていた。
キキはまだ仕事があるそうなのでドレスに合わせた靴と上着のことは明日以降ということになっている。明日はロゼリアとジェイルたちが計画書について確認をするので、その前までにジェイルと話しておかなければいけないという意識はちゃんとあった。
アリスの中にあるジェイル像は『堅物なロゼリアの側近』である。
背が高く、体格もがっしりしているため威圧感があった。常にロゼリアの傍にいて仏頂面で周りを警戒している。アリスが椿邸に来てからというもの、当たり前のような顔をしてロゼリアに堂々と意見をしていた。ロゼリアがそれを認めているようなので周囲がそれに対して何かを言うことはないし、アリスだってそこは弁えているつもりである。
ロゼリアから一定の信頼を得ているのはやはり羨ましい。
事前に調べたところ、三年ほど前からガロの命令でロゼリアの傍にいるらしい。三年前から今のようにロゼリアの側近として傍にいたわけではなく、以前はロゼリアの我儘に振り回されていて、相当うんざりしていたと言う。
今ではそんな様子はなく、すっかりロゼリアに気を許している──どころか、かなり好意を抱いているようだ。
ちょっと観察していればすぐわかることで、周囲にも気付いている人間はいるだろう。とは言え、それはジェイルに限ったことではなく、メロやユウリ、ユキヤ、ハルヒトにも言えることだった。メイドたちの間では誰がロゼリアを射止めるのか、はたまたロゼリアは誰が好きなのかというのが話題に上がることもしばしばある。
アリスもその手の会話に参加するものの、ロゼリアにその気がないのは明白である。というか、単純に優先順位の問題のように見えていた。今は南地区のことが最優先でその他のことにリソースを割く余裕がないのだろう。
ジェイルがそのことにも気付いているようなのが、また癪である。
アリスに関係がないことだとしても。
「雨宮? ああ、道場で訓練してますよ」
「わかりました。ありがとうございますっ!」
ジェイルが本邸にいると聞いたので、裏口から人を捕まえてどこにいるかを聞くことに成功した。
道場と聞いたので、敷地内の隅にある道場に向かうことにする。
九龍会に所属するにあたって武道の心得がある方が優遇される。これまでロゼリアの近くにいて荒事に巻き込まれるなんてことはなかったが(デパートでのことは一旦ノーカウントとする)、護衛任務につくこともあるので当然何かしら武道が出来た方がいいに決まっている。そういう意味ではメロとユウリはやや能力的に劣るところがあるのは否めない。
道場につくと、竹刀のぶつかり合う音がした。
そう言えばジェイルは剣道をやっていたという情報もあった。柔道などもやっていたらしい。
ひょこ、と道場の中を覗き込むと、防具などに身を包んだ人影が見えた。面のせいで顔が見えず、一体誰と誰なのかはさっぱりだ。しかし、身長的に片方が百九十近くありそうなのでそちらがジェイルなのだろう。
道着に身を包んだ二人は無言で睨み合い、じりじりと距離を詰め──背の低い方が踏み込んで相手の小手を狙う。が、背の高い方がその太刀筋をいなして逆に打ち込み返した。
一本、とアリスは心の中で呟く。
二人は竹刀を下ろし、距離を取ってから礼をした。
「……白木、何の用だ」
案の定、背の高い方がジェイルだった。こちらに顔を向けながら面を外す。背の低い方はジェイルの部下で「あー、また負けたー」と言いながら面を外してその場から離れていった。
精悍な顔は相変わらずで、額には汗が滲んでいた。大半の人間が彼を美形だと評するだろう。好みの問題はあるが。
「失礼します」
一礼をしてから靴を脱ぎ、静かに道場に上がる。
アリスは実践に繋がる護身術や殺人術しか習ってなくて、道場などに上がる機会はなかったが神聖な場所だという認識はあった。
ジェイルが脇に置いてあるタオルを手に取り汗を拭きつつアリスの方を見る。
「ジェイルさんにお話があってきました」
「……そうか。訓練中だが、少しくらいならいいだろう」
そう言ってジェイルがちらりと部下の方を見る。部下はその視線に頷いて「ちょっと水取ってきますー」と言いながら道場を出ていってしまった。気を使わせてしまったようで申し訳ない気がしたが、彼がいては話ができないので心の中でお礼を言って見送る。
静かになった道場。
九龍会の人間がここで訓練をしているのだという。定められた訓練と自主練は半々くらいらしい。ガロがここで訓練をしていることもあるそうな。
「すみません、訓練の最中に……」
「色々言いたいことはあるがいい。計画のことだろう?」
「はい。ジェイルさんはわたしに不満があるんじゃないかと思いまして……ご説明させていただきたくて参りました」
不満という単語にジェイルの眉がピクリと動く。どうやら図星らしい。
ジェイルが近付いてきたので必然的に見上げる形になった。ジェイルと話していると首が痛くなる。三十センチ以上差があるのだからこればかりはしょうがない。
首にかけたタオルで汗を拭き、ジェイルが小さくため息をついた。
「わかってるなら話は早いな。──まず、単刀直入に言うが、俺はお前を信用してない」
「わかってます」
「だから、お嬢様とお前を二人にすることに抵抗がある。
だが、デパートでのことは感謝するし、お前にお嬢様を守るだけの能力があるのは認める。……危険な目に遭ったお嬢様を助けたのは他でもないお前だからな……そのことを俺に話して貰えなかったということには色々思うことがあるが、お嬢様の意向ならば納得せざるを得ない。済んだことでもあるしな」
ジェイルは仏頂面のまま淡々と話すが、言葉の端々からは不満が伝わってくる。自分がジェイルの立場でも、相手のことは信用できないだろうと思う。
そもそも『陰陽』という組織そのものが胡散臭いのだ。所属しているアリス自身も組織が何をしているのか、目的などの全容を把握していない。下っ端には必要以上のことは知らされていないのだ。駒でしかない。
静かに見つめ合い、いや、睨み合う。
どうすれば納得してもらえるのだろうとずっと考えていた。これ、という答えは見つかってない。
「わたしは、ロゼリアさまに何かするつもりはありません。元々キキさんの後任兼護衛として派遣されてきたわけですし……」
「口ではなんとでも言える。……お前たちの存在が謎すぎるんだ。信頼を預けるには不安すぎる。──お嬢様と二人きりになりたい理由は何だ? 何か理由があるから、ああいう組み合わせなんだろう?」
うっ。と、口ごもる。
やはり上辺だけの問答ではどうにもならなさそうだ。
真意はロゼリアだけに伝えておきたかったが、ジェイルには嘘偽りなく話す方が良いのだろう。嘘をついて、後でボロが出てしまうと取り返しが付かない。
すー、はー。と、深呼吸をしてから、ジェイルを真っ直ぐ見る。
「……ロゼリアさまに、ご挨拶する時間が欲しかったんです」
いざ他の人間に言ってみると相当恥ずかしい。本人に言うのだってかなり恥ずかしかった。
目の前ではジェイルがぽかんとしていた。
「……挨拶……?」
「は、はい。ロゼリアさまにはもうお伝えてして、ご理解はいただいています……その時間が最後になるかもしれないので……」
「最後……」
ジェイルがアリスの言葉を反芻する。その様子がちょっと間抜けで、何だかおかしかった。




