24.変化
はー、気分がいいわ。
ユウリにチョコあげただけなのに、この満足感……!
善行というにはあまりにみみっちすぎて誇れるものじゃないし、これまでの自分の行いを振り返ると褒められたことでもないんだけど、あたしの気分的にね。
他にもあたし専用のお菓子やお酒を常備させてて、それも「勝手に食べたら殺す」みたいに脅して誰にも食べさせないのよね。あたしに見つかると面倒くさいことになるから賞味期限が切れてしまうとそのまま捨てられていた、はず。要は完全に独占してた。
……なんかそうやって独占してるのが、急にバカバカしく思えてきちゃったわ。
思い立ったが吉日。
と、言うわけじゃないけど、今日やることを明日に回したあたしは自室を出て、普段絶対に立ち寄ったりしない厨房へと向かった。
当たり前の話として……あたしは料理ができない。
できないっていうか、自分で料理をするという発想がない。全くない。だから厨房なんて本当に近付かない。用がないから。
流石に自分の家の中だし、どこにあるかくらいは把握してるけど──……。
「水田、いる?」
「えっ!? あ、は、はい!」
厨房を覗き込むと、包丁の手入れをしている水田がいた。
水田リョウ。椿邸の料理人。ロゼリアの食事全般と椿邸の使用人たちのまかないも作っている。ガッシリしたマッチョでちょっと色黒。その手の人には好まれそうなマッチョイケメンなんだけど、あたしの好みとは全くマッチしてない。
これまでのあたし、というかロゼリアから水田への認識は本当に食事を用意する人間でしかない。いい意味でも悪い意味でも興味がない存在だった。メニューに多少の文句を言うことはあっても、伯父様から「水田を解雇したら多分次は用意が難しい」と言われたのと、基本的に水田の用意する食事を気に入っているので、一応これまで大きなトラブルはなかった。多少文句は言ってたけど。
とは言え、水田だってあたしの噂は聞いてるし、ユウリやキキ、その他のメイドがどんな目に遭っていたか知っている。絶対逆らっちゃだめですよ、と他の使用人たちから耳打ちされていたに違いない。
だから、当然あたしのことを警戒している。
水田は包丁を置いて、慌てた様子であたしの前までやってきた。
「お、お嬢様。どうかなさいましたか?」
「ちょっとお願いがあるの」
「お、おねがい……?」
厨房なんて本当に初めて来た。……思わず、きょろきょろと中を見回してしまう。今度ちょっと見学させてもらおうかな。『前世の私』も自宅のキッチンしか知らないから、倍以上の広さがある厨房なんて初めてだもの。
それはそれとして、本題を忘れちゃいけない。
「ええ。あたし専用のお菓子とかお酒あるでしょ?」
「はい、抜かりなく常備していますよ。何かお持ちしましょうか?」
「ううん、そうじゃないの。……一つずつ残して、あとはみんなで分けてくれる?」
うん? と、水田が不思議そうに首を傾げる。
「すぐ用意しなさい」「なんでこれだけしかないのよ」「あたしに黙ってネコババしてないでしょうね?」みたいな文句しか言わなかった口から「みんなで分けて」なんて言葉が飛び出したら驚くわよね。毎回のことなのに地味に凹むわ。
「……みんなで、分ける???」
「そうよ。あたしはそんなに要らないし、これまでみたいに捨てるのも悪いから……みんなで分けて食べるなり持ち帰るなりして欲しいの」
「えぇ、と……。……う、承りました。在庫の管理は墨谷さんと行っているので、墨谷さんと一度確認いたします……」
墨谷さん、というのは、椿邸のメイド長である墨谷ナホのこと。
お母様がいた頃からずっと椿邸の管理をしている人。もう随分と長い。ただ、あたしのことをかなり苦手にしていて、あたしには滅多に会おうとしない。メイド長がそれでいいのかって感じなんだけど、あたしのことは全部キキに任せてしまっている。押し付けているとも言う。
あたしはあたしで近くにいるのはキキの方が都合が良かったから、墨谷に対してとやかくはあんまり言ってない。あくまで「あんまり」だけど。
「よろしく。……それともう一つ」
「は、はい」
「……あの、こないだ、焼きそばを作ってくれたじゃない? 海鮮焼きそば。一口サイズにしてくれて、具材をひとつひとつ盛り付けた……」
「ああ! お嬢様からのリクエストのものですね。ご、ご不満、でしたか……?」
「ううん、そんなことないわ。美味しかったわ、とても。流石水田よね」
そう、前世の記憶を思い出したその日の夜──。
あたしは『焼きそば』をリクエストしていた。事故で死んだ日に食べれなかったのを思い出したあたしはどうしても焼きそばが食べたかった。あの日のメニューは中華焼きそばだったけど、別にこだわりはなかったので、焼きそばをリクエストした。
が、出てきたのはあたしの期待していた焼きそばじゃなかった。
焼きそばの麺が一口サイズに巻かれていて、その上にエビやイカがちょこんと乗っている──何とも上品な『焼きそば?』だった。
美味しかったわ、本当に。
でもあたしの期待してた『焼きそば』じゃないのよ!
これまであたしが「食事も綺麗なものじゃなきゃいやよ!」「全部一口サイズにしなさい!」って言ってきたから、水田はそのリクエストに答えてくれただけなのに。……いや、きっとすごく考えてリクエストに応えてくれたんだと思う。
でも違うの。
「……こう、普通の焼きそばが食べたいの」
「ふ、ふつう……?」
「お皿にどーんって乗ってる感じの……一口サイズのじゃなくて……」
せ、説明が、難しい!
ふむ、と水田がその場で考え込み、「失礼します」と言って棚からお皿を一枚取り出した。そして、それをあたしの前に見せて、片手で山を描くようにジェスチャーをする。
「こういう感じ、ですか?」
「そう! こういう感じ!」
伝わったのが嬉しくて、あたしも水田に倣って片手で皿の上に山を描いた。
妙な動きを二人で繰り返し、ちょっと見つめ合って笑ってしまった。
「承知しました。一口サイズではなくなりますが、よろしいのでしょうか?」
「いいの。普通のが食べたいの。──ああ、一つって言っておいて悪いんだけど、他のも色々と食べたいものがあって……」
いざ、厨房に来て水田に会ったら、色々と食べたいものが思い浮かんできてしまった。
水田は「食べたいものがある」というあたしの言葉に驚いてから、すぐにニカッと背後に真夏の太陽が見えそうな笑みを浮かべた。
「どうぞ、お嬢様。直接リクエストを頂くことはありませんし、ぜひ」
「えっと、お好み焼きとナポリタンとハンバーグと」
「あ、ちょ、ちょっとお待ち下さい! お嬢様! メモします!」
水田が皿を近くに置き、バタバタとしながら筆記用具を持ってきた。
しまった、一気に色々言い過ぎちゃったわ。こんな風に水田に直接食べたいものをリクエストするなんてことなかったから(いつもはキキ経由)、なんかテンション上がっちゃったみたい。
水田は準備ができると「お願いします」と、あたしを促す。
「お好み焼きと、ナポリタンと、ハンバーグと、ロールキャベツと、うどん」
「うどん!?」
「そう、うどん。餃子や春巻きも食べたいわね。それからあんかけチャーハン」
「は、はぁ……」
水田は不思議そうな顔をしながらリクエストをメモっていた。
一旦これくらいにしておこう。これ以上言うとあたしも何をリクエストしたのか忘れそうだわ。
「こんなところかしら。あのね、今言ったものを、水田が一番美味しいと思う食べ方で食べたいわ」
「俺が……?」
「ええ。今までみたいに一口サイズにしなくていいし、あたしが言ってた綺麗とか上品とか、気にしなくていいから……」
そうは言っても、と言いたげな水田。
ユキヤの時と同じであたしの口約束が軽すぎて信用されないパターンだわ。かと言ってこんなことに九条印は持ち出せない。誰か証人を、この場に……。
と思ったら、良いところにキキが戻ってきた。
「キキ、ちょっとこっちに来て」
「うぇっ!? お、お嬢さ、ま?! な、なんで厨房に」
「驚きすぎでしょ。──ちょっとこっち来て、水田にリクエストするのを聞いてて」
「は、はい……?」
キキはわけがわからないという顔のままあたしの隣に立ち、あたしと水田の顔とを見比べた。
あたしはさっき言ったことを繰り返す。
「あたしが食べたいのは、お好み焼き、ナポリタン、ハンバーグ、ロールキャベツ、うどん」
「うどん?!」
「うどん」
いや、なんでキキもうどんに反応するの……? うどん、美味しいでしょ……?
あたしは確かにこれまでうどんなんて滅多に食べてこなかったけど、庶民感覚ではうどんは普通に美味しい食べ物よ。
「餃子、春巻き、あんかけチャーハン。これらを水田の一番美味しいと思う食べ方や味付けで食べたいわ。今まであたしが言ってきた一口サイズとか綺麗とか上品っていうのはもう気にしなくて良いわ。……キキ、聞いてた?」
水田は既にメモっているから、キキに問いかけてみる。キキはひたすら不思議そうな顔をしてこくりと頷く。
「は、はい、確かに聞きました……」
「水田のメモも合ってる?」
「えぇ、と……はい、合ってます。大丈夫です。お嬢様の言葉を一言一句控えてます」
二人の言質も取れたしこれで大丈夫ね。
楽しみだわ。これまで本当にお上品な食事しか口にしてこなかったから、前世の記憶が蘇ったことで庶民感覚を獲得した(?)あたしの味覚がごくごく普通の食事を求めてる。
デッドエンド回避にばかり気を取られていたけど、あたしのプライドの高さとか高級志向とか守銭奴さとかも直していきたいわ。
「お嬢様、一つよろしいでしょうか?」
「何?」
「これらを連続でお出しすると、栄養やカロリー面で問題が……あと麺類が連続してしまって……」
「三食のうち一食でいいわよ? 何なら数日置きでもいいし、出す順番も水田の良いようにしてくれていいし……その方が日々の楽しみが増えるわ」
流石に朝にお好み焼き、昼にナポリタン、夜にハンバーグだなんて考えてないけど?!
……う。でもこれまでのあたしならあり得る話だったのよね。本当に信用がない。
そんなことを考えていると、水田がぽかんとしていた。
「日々の、楽しみ……?」
「? ええ、水田の作る料理は美味しいもの。ね、キキ?」
「は、はい。とても美味しいです」
キキがこくこくと頷く。あたしが「ね?」と水田に笑いかけると、水田は何故かゴツい手で顔を覆い隠した。
何!? 驚いて何も言えなくなっていると、水田が肩を震わせながら呻く。
「お嬢様に俺の料理を楽しんでいただけていたなんて……! 俺は、俺は……!」
「えっ、え!?」
「任せて下さい、お嬢様! サイコーに旨いお好み焼きやナポリタンをお届けします! ええ、必ず!」
ゴツいマッチョにずいっと近付かれて、あたしは思わず身を引いてしまった。
キキが「水田さん、水田さん落ち着いて……!」と宥めている。……水田、なんか熱い? 涙もろい? タイプだったのね。あとちょろい。全然知らなかったわ。ただのマッチョコックという認識しかなかった。
「お嬢様、水田さんは私が……」というキキの言葉に促されて、あたしは一旦厨房を出ていった。
そうだ、墨谷にもチョコとかの話をしておかなきゃ。




