209.ジェラシー①
翌日。昼前にはユキヤが来ると言っていたので、朝から来客のための準備が静かに進んでいた。
ジェイルは用事を済ませてから、十一時頃に来るらしい。ハルヒトにも一応伝えておいたら「オレも聞きたい」と言っていたので少し悩んだけど了承しておいた。正直、ハルヒトには関係のない話じゃないかと思ったんだけど敢えて外してもらうのも感じが悪い気がしたから。バートとの話も聞いてたし……。
って、そう言えば、バートにはどう回答すれば良いわけ?
バートから電話でもあるの?
今更過ぎることに気付き、ガタッと音を立てて立ち上がってしまった。
「ロ、ロゼリア様?」
「ユウリ」
「は、はい!」
執務室にはあたしとユウリ二人きり。
資料を眺めている最中にそんなことに気付いた。ユウリは花瓶を取り替えている最中だったので、手には新しく持ってきた花瓶がある。
「アリサを呼んできてくれない?」
「え──。ぁ、いえ、かしこまりました。すぐに呼んできます」
ユウリは驚いた顔をしたけど、すぐに花瓶を抱えたまま部屋を出ていった。
バートの連絡先なんて知らないからアリスに聞くしかない。あー、顔を合わせた時にちゃんと聞いておくんだった。あの時の話の内容や回答に気を取られてたせいで、「どうやって伝えるのか」が全く頭になかったわ。バートから連絡は来るだろうけど事前に聞かなかったのはまずい。
程なくして、ユウリがアリスを連れてやってきた。
……しまった。ユウリは花瓶を取り替える前に来たから花瓶を持ったままだわ。せめて入れ替えをさせてから生かせるんだった。
「ロゼリアさま、お呼びでしょうか?」
「ええ、悪いわね」
アリスが手にハタキを持ったままやってきた。どうやら掃除中だったらしい。
あたしは席を立ってアリスに近付いていく。アリスは慌ててこちらに寄ってきた。ユウリは扉の前に立ったまま、あたしとアリスの動向を見守っている。
「……ユウリ、ちょっと席を外してくれる?」
「え? ……わ、かりました」
流石にバートの話はユウリの前ではできなかったので退席をお願いするとユウリはちょっと不満そうな顔をして渋々出ていった。しかも花瓶を持ったまま。花瓶くらい変えてから、と声を掛ける前に出て行ったので、仕方ないとため息をつく。廊下で待たせちゃうわよね、あれ。
アリスがあたしを不思議そうに見つめている。
「何でしょうか?」
「確認よ。──明日がバートの言っていた三日後だと思うんだけど、どうやって伝えればいいの?」
「あっ!」
何よ、その反応。アリスは手に持ったハタキをぎゅうっと両手で握りしめ、何とも言えない顔をする。
申し訳無さそうに眉を下げたかと思ったら、視線を右下に向けて気まずそうに口を開いた。
「……お伝えするのを、忘れて、ました……」
何? 重要なことを伝え忘れるのが流行ってるの?
思わずジト目になってしまった。アリスは更に申し訳無さそうな顔をして、ぎゅっと縮こまる。
……以前なら「ふざけんじゃないわよ」って怒鳴ってビンタの一つでもお見舞いしてたから、ジト目くらいで済むのは我ながら進歩だと思う。無論普通の人は怒鳴ったり手を出したりしないというのは重々承知。あくまで以前のあたしと比べたら、ってだけ。こうやってちょくちょく過去の自分と比較して「進歩してる」「改善できる」と自分で自分を認めることは大事だと思ってる。……誰も褒めてくれないから自分で褒めるしかない。そうしないとメンタルの様子がおかしくなる。
ふーーー。と、息を吐き出した。精神統一の一種よ。
「今あたしが聞いたから良しとするわ。……それで、どうやって伝えればいいの?」
「はい、ありがとうございます。──明日、もう一度せん、羽鎌田がこちらに来ますので……」
また「先生」って言いそうになってる。この子、ちょっと気が抜けてない? 大丈夫?
接する機会が増えるにつれてアリスが心配になってくる。……ゲームでは迷いがあるくらいで能力的には問題がないという評価だったけど、こうして色々と話してみると本当に隙が多い。この子がこの先スパイや暗殺者としてやっていけるとは思えない……。
という心配を頭の片隅に追いやりながら腕組みをした。
「へぇ、また来るのね」
「直接お答えを聞きたいということでした」
「当たり前と言えば当たり前だわ。時間は?」
「ロゼリア様のご都合の良い時間で調整可能です」
一瞬暇なのかと思ったけど、そういうことじゃないわね。あたしの答えを聞くために時間を空けてるんだわ。
今日のユキヤの返答次第では考える時間が欲しいところ……夕方かしら。
「時間はいつまでに伝えればいいのかしら?」
「できれば今日いただけると……。あの、本当に申し訳ございません、こんな風にお願いすることになって……」
本当にね。と、言いたくなるのをぐっと堪えた。どうしても嫌味っぽくなる。
一呼吸おいてから口を開く。
「わかったわ。あとでまた伝えるから」
「かしこまりました。──よろしくお願い致します」
そう言ってアリスは深々と頭を下げた。つむじを見て、こっそりとため息をつく。アリスに対して色々思うところがあるんだけど、どうしても毒気を抜かれちゃうのよね。これもヒロイン補正の一種かしら? 羨ましい特性よね。あたしにもそういうのが欲しかった……あったとしても悪役補正だろうけど!
顔を上げたアリスを見て小さく笑う。アリスは不思議そうな顔をしていた。
「急に呼んで悪かったわ。仕事に戻って頂戴。あ、多分ユウリが廊下で待ってるから呼んであげて。新しい花瓶を取り替える前に出ちゃってるし……」
「はい。あ、ロゼリア様、もう一つ」
「何?」
アリスがギリギリまで近付いてきて、こそこそと耳打ちしてきた。
「あのっ。盗聴器の件です」
「ああ、どうなったの?」
「外してもいいということでしたので、順番に外していきます。全て外せたらご報告します」
「わかったわ。よろしくね」
「はいっ!」
アリスは頷いて部屋を出ていく。扉の外には予想通りユウリが花瓶を持ったまま待機していた。
ユウリに声をかけるアリス──「ユウリさん、わたしが花瓶を取り替えてきますよ」「え? 僕が頼まれたんだし、君は掃除の途中でしょ。別にいいよ」」「えっと、はい。わかりました……」というやり取りをして、アリスは持ち場に戻り、ユウリが変わりに部屋に入ってきた。
……なんか、ユウリの口調が素っ気ないというか、ちょっと冷たい感じなのが気になったわ。他のメイドや使用人たちにも礼儀正しいから意外。
花瓶を取り替えるユウリをじーーーーっと見つめる。
ユウリは落ち着かない様子であたしを見てきた。
「……あ、あの、ロゼリア様。あんまり見られていると、その、ちょっと……」
「『ちょっと』、何よ?」
「落ち着かない、です」
見れば、ユウリがちょっと顔を赤らめていた。
……今の流れで顔を赤くする要素あった?
不思議に思いながら執務机に腰を預けた。視線をユウリに向けたままでいると、まだ落ち着かない感じだった。
「視線が鬱陶しいってこと?」
「そ、そうじゃなくて──……いえ、何でもありません」
何か言いたげな割に何も言わない。ユウリは古い花瓶の代わりに新しい花瓶を置いて、古い花瓶を抱える。
「まぁいいわ。ところで、あんたってアリサのことどう思ってるの?」
「えっ!? アリサのこと、ですか? そ、それは、どういう意味で……?」
な、なんでちょっとどもるの……!?
え、これってまさか脈あり? 見つめ合うとお喋りできなくなっちゃう感じだから素っ気ない風に見えてただけ?
一気に好奇心と期待値が上がる。ユウリルート、可愛かったのよね。初々しい感じがあって。
高まる興奮が外に出ないように抑えながら、何をどう風に聞こうかと頭をフル回転させた。
「どう、って……どう受け取ってもらっても構わないけど……」
素直な反応が見たいという気持ちで、極力何でもない風を装って聞いてみた。
ユウリは少し照れくさそうに──するわけでもなく、何だか苦虫を噛み潰したような顔をしていた。なんでよ。