208.『お嬢様の味方』②
我に返ったところで手をばっと引き抜く。ジェイルは少し驚いた顔をしていたけど、しれっとした顔であたしの手を掴んでいた手を下した。動揺を悟られているようで面白くない。
やっぱり他人に主導権取られるのって好きじゃないわ。何でも自分優位に進めたいという気持ちがある。
「……全く。午前中はあんなに狼狽えてたのに何なのよ」
手の甲へのキスくらいなんでもないって顔をしてジェイルを見た。
ジェイルはどこか余裕そうな顔をしていて、本当に以前あたしの手を触って赤くなっていたのが嘘みたい。一体どういう心境の変化があったのかしら。
「初耳だったので驚いただけです。落ち着いて考えれば、答えは一つでしたので」
「あっそ」
散歩が中断になっていたのでジェイルに背を向けて歩き出した。ジェイルは大人しくあたしの後ろをついてくる。
色々と聞きたいことがあるのに上手く言葉にならない。
どうしてそこまであたしの味方であることに拘るのか。てっきり九龍会の後継者のことがあるから味方に拘るのかと思っていた。けど、前にその話題が出た時は「ガロ様は関係ありません」って繰り返していたし……いまいちジェイルの真意がわからない。正直、あたしの味方でいてもこの先良いことはないと思うんだけどな。あたし自身、次期会長になる気がないから余計に。
伯父様と対立してまであたしの味方になるメリット──全く思い浮かばない。
これまで伯父様の忠実な堅物だと思ってたから混乱してる。伯父様に呼び戻されても、戻らないっぽいし……。
こればっかりは本人に聞かないとわからないのよね。
ため息をついて、ジェイルを振り返ることなく口を開いた。
「ねぇ、ジェイル」
「何でしょうか」
「あんたがあたしの味方でいるメリットって何かあるの?」
顔を見て聞く勇気がなくて背を向けたまま質問を投げかける。またさっきみたいな呆れた表情や視線を向けられたら手が出そうなのよ。
直ぐに返事はなくて、何故か「ふっ」と笑うような気配が伝わってきた。さっきみたいな呆れたような雰囲気ではない。
流石に気になって肩越しに振り返ってしまう。
「何笑ってんのよ」
「……っ、いえ。何でもありません」
ジェイルは口元を押さえて肩を震わせ、あたしの視線に気付くとしれっとした顔に戻る。
こいつ、肩を揺らして笑うことあるんだ……。わかりやすく笑うところなんて見たことがないのよね。ゲームの中でも笑顔のスチルはあんまりなくて、笑顔のスチルは軒並み評判良かった。クールな堅物の笑顔のレア感はわかるし、あたしも好きだった。
とは言え、あたしが笑われてるみたいで気分が良くなかったので、再度歩き出す。
ジェイルが早足になって追いかけてきて、それまで後ろを歩いていたのに、横に並んできた。
「お嬢様、人間誰しもわかりやすいメリットばかりを追い求めるわけではありませんよ」
「……知ってるわよ」
「案外周りの変化に疎いのですね。──まぁ、それに救われているところもありますが」
「何の話?」
「ただの独り言です」
周りの変化に疎い? それに救われてる? 何のことだかさっぱりわからない。
大体、独り言を堂々と横で言うのもどうかと思うわ。さっきのはどう考えても独り言ではなかった。愚痴っぽさもあったし、何だかあたしを責めるような口調でもあったもの。
以前のことを振り返れば責められる覚えはあるし、最近だとジェイルの反対意見を封殺したり……前世の記憶を思い出してからもちょくちょくジェイルとは意見が合わなかったわね。その前は壊滅的だったから、まだマシにはなってるけど。
「……お嬢様に変化があったように、俺にも変化がありました。以前は確かにガロ様の下に戻りたいと思っていましたが、今は気持ちが変わっています。
あなたの傍で、あなたの味方であり続けたいと思っています。
……この気持ちが簡単に変わるとは思いません。ですが、お嬢様の『今』判断をすべきではないというご意見も理解しています。『今』は、俺の気持ちをわかっていただけるように努めるのみです」
前に「せめて南地区の件が落ち着いてから判断しても良いんじゃない?」とあたしは言った。それを覚えているからこその発言。
な、なんか思った以上に意志が堅いみたいでびっくりしている。
っていうか、アリスとは全然いい雰囲気にならないし、何ならちょっと対立してたし、アリス関連は全部あたしの思惑とは違う方向に進んでいるからちょっと悔しいわ。メロはアリスから嫌われてるっぽいし、ユウリは同じ屋敷にいるのに接点らしい接点を持とうとしないし、ハルヒトは『以前ちょっと世話になった子』くらいの認識で止まっちゃってるし、ユキヤはそもそも一度しか顔を合わせてないしそれ以降会う機会もないから一番駄目。
ちらりとジェイルの顔を見上げると、視線に気付いたのかこちらを見下ろして微笑んできた。
ふ、不意打ち! 思わず、さっと顔を背けてしまった。
気持ちを落ち着けるために庭を見る。
庭の外側をぐるりと囲むように配置されている木々の葉が少しだけ色づいていた。
銀杏や紅葉があって──今後、実が落ちるから匂いが心配。
すっかり秋だわ。前世の記憶が戻ったのは夏で、ここまで何だかあっという間だった。
「お嬢様」
呼ばれて我に返る。うっかり景色に集中してしまっていた。
木々に目を向けたまま意識だけをジェイルに向ける。
「何?」
「一つだけ……俺はお嬢様の意見に反対してばかりですが、嫌がらせをしているわけではありません」
「わかってるわよ、それくらい」
今度はこっちが笑いそうになってしまった。本当にそれくらいわかってるのよ……!
ジェイルはジェイル自身の考えの下で判断して、あたしにしっかり意見してるだけ。元々はジェイルにそういう役割を求めていたんだから嫌がらせだなんて思うはずがない。そういうところに助けられてたしね。
「俺自身の考えは今後もはっきりお伝えしていきますが、それとは別にお嬢様の意志も尊重したいです」
「……矛盾してない?」
「いえ? 俺の中では矛盾してないので大丈夫です。ですから、お嬢様はご自身の考えを大切にしてください。必ず俺がお嬢様の望みを叶えます」
必ず、だなんて……お、大きく出るわね。
とは言え、これまでジェイルはあたしの言うことを聞いて動いて、確かにあたしの望みを叶えてくれていた。ジェイルがいなかったらここまでは辿り着けなかっただろうな。そう思うと感慨深い。
でもまだ終わってないからお礼を言うのは早い。……ケリがついたらちゃんとお礼を言おう。
「わかった。期待してるわ」
「はい、お任せください。──あ」
急に「あ」って何!? 不穏な雰囲気を感じて、思わずジェイルを凝視する。
ジェイルが口を押さえて立ち止まっていて、余計に不安になった。
振り返ってジェイルを見つめ、「あ」の続きを待つけどなかなか言おうとしない。
「ちょっと、何? 気になるじゃない」
「いえ、……その。……ユキヤから連絡があって、明日のお昼前にこちらに伺うとのことです。直接自分の考えをお伝えしたいと言っていました。
……すみません、そのことを伝えに来たのですが……忘れてました。申し訳ございません」
「そんな重要なこと忘れる?! 先に伝えなさいよ!」
驚いて声を荒げるけど、ジェイルの申し訳無さそうな表情は一瞬だけだった。
「……お嬢様との散歩が楽しくて、つい」
申し訳ないという気持ちよりも、自分で自分にびっくりしているようなのが印象的。どこか無防備にも見える表情に毒気が抜かれてしまった。それ以上怒る気にもなれず、気が抜ける。
「……次は気を付けて」
「今後は重要なことは先に伝えるようにします」
「ええ、そうして頂戴」
ジェイルのことだし同じことは繰り返さない、と思いたい。
そう思いながら歩きだすと、さっきと同じようにジェイルが横に並んだ。
「お嬢様、またこうしてご一緒させていただいてもよろしいでしょうか?」
「……まぁ、時間があればね」
「ありがとうございます」
嬉しいのが表情から伝わってくる。
何が嬉しいのか、どうしてそんな風に笑うのか──急激に落ち着かない気分になってしまい、視線を逸らすことしかできなかった。




