207.『お嬢様の味方』①
威圧感を感じつつジェイルを見上げると、ジェイルが少しだけ腰を折った。
顔が近くなって、妙にドギマギする。
「自分としてはお嬢様に後継者の自覚を持って頂き、ゆくゆくはその座に──と考えています。現状、お嬢様の他に後継者に並び立つ方がいないのは事実なので。しかし、それとは別に、自分は……いえ、俺はあなたの味方でありたいのです」
前から再三言われてきた言葉。わざわざ「俺」に言い直すから無駄にドキッとする。
「ええ、そう言ってたわね」
「ですので……会長を継がない場合、お嬢様がどうされたいのかを教えていただけないでしょうか。そのために、俺は何ができるか考えておきたいので」
何を言われているのかわからなくて、ジェイルの顔をまじまじと見つめてしまった。
え? ジェイルって血統重視で、あたしがまともならそのまま継いで欲しいと思ってるんじゃない、の?
今の言い方だとまるであたしがいずれ会長にならなくてもあたしの護衛を続けるって意味に聞こえる。流石にあたしが後継者候補として名指しされなかったら伯父様は自分の下にジェイルを呼び戻しそうなものだけど、その場合はどうする気?
腕組みをしてジェイルを見つめ、ちょっとだけ首を傾げた。
「……ジェイル。あんた、何考えてるの?」
「? お嬢様のことですが」
そ、そうじゃなくて……。がくっとバランスが崩れるのを感じつつどういう風に聞くべきかを悩んだ。
腕組みをしたまま上を見上げて、下を向いて──自分の聞きたいことをまとめる。どう聞けば齟齬が発生しないかも考えるとちょっと難しいわね。一問一答方式の方がいいかも知れない。
「えっと、一つずつ確認させて頂戴。まず、あんたはあたしに会長になって欲しいの?」
「俺個人の希望としてはそうです」
「あたしにその気はないけど?」
「お嬢様にその意志がないのであれば当然無理強いなどできません。お嬢様の決定に従います」
淡々と答えるジェイル。表情や口調に迷いはなくて、彼の中では何かしらの答えは出ているみたい。
あたしの決定……そもそも伯父様から指名されるかどうかという話もあるけど、それはさておき。けど、従うって言い方もなんか変な感じだわ。
「つまり、どっちに転んでもあたしに意志を尊重してくれるってこと?」
「そうです」
ジェイルはしっかりと頷いた。
なんかこうやって真っ直ぐ、そしてはっきり言われると照れくさいものがある。これまであたしの意志はどういう意図であれ優先されてきたけど、自分の将来のことを言及されたのは初めてかも知れない。あたしがこれまでその話題をあまり出さなかったのもあるけど。
「……伯父様に呼び戻されたらどうするの?」
そうなるとあたしの意志を尊重するなんて無理じゃないかしら。だって直で伯父様の命令に従う立場に戻るわけだし。
しかし、あたしの疑問などまるで意に介さないと言わんばかりに、ジェイルが口の端を持ち上げる。
「それは以前ご相談させていただいた立場の話に繋がります。仮に後継者問題でお嬢様とガロ様の意見が対立するようなら──俺はお嬢様の味方になります」
「……。……。……えっ!?」
何を言われたかわからなかった。
どれくらい呆然としていたのか──少し離れた場所で鯉が跳ねて、ぽちゃんっと音を立てたところで我に返る。
あたしにとってはすぐに飲み込めないセリフだった。
お、「お嬢様の味方になります」ぅ?! ジェイルが!?
い、いや、前から味方味方ってかなり言われてたけど、流石に今だけの、期間限定のものだと思うじゃない?! 伯父様の命令があったら絶対にそっちが優先だと思うわよ! しかも後継者問題で伯父様と対立したら、なんて……。
あたしは手を震わせてジェイルの顔を指差してしまった。
「……あ、あんた、何考えてるの……!?」
「ですから、お嬢様のことです」
さっきと同じやり取りをしてしまった。
あたしは思いっきり動揺していたけど、ジェイルはめちゃくちゃ呆れてため息までついている。ムカつく。こいつ、ちょくちょくあたしのこと馬鹿にしてる。頼りになるけどこういうところがムカつくのよ。
ジェイルは再度ため息をつき、軽く首を振った。
「失礼しました。つまり、お嬢様が次期会長の座に就きたいと仰るなら全力でサポートしますし、なりたくないと仰った時も全力でサポートします。
ですので、会長になりたくない場合、お嬢様がどうしたいのかを聞かせていただきたいのです。ひとまずどこかでゆっくりされたいのであれば行き先を見繕っておきますし、会社を興したいというのでしたら下調べと準備をします。ああ、大学に復学をされるというのであれば手続きをしてきます」
唖然とする。
こ、ここまで突っ込んで聞いてくる相手は他にいなかった。
先のことなんて考える余裕がなかった時もあって、今は終わりが見えてきたからとりあえず買い物行きたいとか伯父様と旅行したいとかそんなことを考えている。けど、そんなの空想レベルの話で全然現実問題としては考えてなかった。こうなったらいいな、こうしたいな、っていう願望でしかない。
びっくりしてジェイルの顔を穴を開けんばかりの勢いで見つめてしまっていた。
「……どうして、今そんな話をするの?」
ちょっと声が震えてしまった。
午前中は後継者の話題で驚いていたようなのに、たった数時間で何があったんだろう。後継者なんてどうでもいいというのは言い過ぎだけど、さしたる問題でもないと言わんばかりだった。ジェイルにとってはかなり関心の高い話題のはずなのに。
あたしの動揺をよそにジェイルがぎこちなく笑った。
「羽鎌田の提案に対する回答をする際に、もし後継者問題が懸念であるなら取り除きたいと思ったのです」
「……どういう意味?」
「お嬢様は提案を飲みたいと仰っていましたよね? 提案を飲み、今回の件が上手く行けばお嬢様への世間の評価は上がるでしょう。その結果、九龍会の後継者として見られることに抵抗があるのかもしれないと考えました」
つ、つまり、その抵抗をなくすために伯父様と対立してもいいと表明したってこと?
バートへの回答を、後継者問題で悩むかも知れないと考えて?
頬が熱くなるのを感じた。
なんか、ここまで考えてくれているとは、流石に想像してなくて……そわそわする。
あたしはゆっくりと静かに深呼吸をして自分の気持ちを落ち着けた。
「あ、ありが、とう。……ジェイルがそこまで考えていたなんて、知らなかったわ……」
まともに顔が見れなくて、ふいっと視線を外してしまった。なんか照れくさいのよ……!
顔にかかる髪の毛を耳にかけながら言うと、ジェイルが満足げにしているのが視界の端に映った。そして、ジェイルの手がゆっくりと伸びてきて髪の毛を触るあたしの手にそっと触れる。
手を捕まれ、顔の前から退かされ、ゆっくりと降ろされた。
顔を見せろと言われてるようで……うっわ、何これ。なんか追い詰められてる気分……!
「──言ったでしょう? あなたの味方でいたいと」
そう言って笑うジェイルの顔は得意げで、どこか意地悪っぽい感じもした。
けど、それ以上に満足そうなのに気付く。何故なのかと働かない頭を動かす前に、ジェイルが続けた。
「ようやく伝わったようで安心しました」
掴んだままのあたしの手を持ち上げたかと思うと、あろうことかそのまま手の甲にキスをした。
「!?!!?!?」
何の反応もできずに固まってしまう。
眩しそうに目を細めるジェイルに見つめられ、あたしは身動き一つできなかった。目の前のジェイルを凝視するしかできず、石像か氷漬けになったみたいにカチンコチンになっている。
こ、こないだは手を掴んだだけで赤くなっていたのに──!!




