203.嘘と本音③
メロの腕を掴んで引き止める。後ろに引っ張られる格好になったせいでびっくりしていた。このまま部屋から出ていかないように自分の方に引き寄せると、メロはバランスを崩して転びそうになってしまう。
けれど、そんな様子を気にかけてる余裕もなくて、腕を掴んだままメロを見つめた。
「あんた……アリサのこと、知ってる、って……!」
「お、お嬢、顔近い……」
あ、本当だ。お互いの顔の距離が五センチくらいしかなくて流石に近すぎたわ。
腕を掴んだまま一歩分だけ距離を取る。
真っ直ぐにメロを見つめると、何故かメロは居心地悪そうにあたしから視線を外していた。
「で。どういうこと?」
「どうもこうも……デパートでさ、お嬢の後に出てきた清掃員いたじゃないっスか。あれ、一目でアリサってわかったっスよ」
「えっ……!?」
驚く。流石に驚く。
だってあの時のアリスって本当にモブ清掃員ですって感じの変装だった、と思う。間近で見たあたしだって正体をバラされなかったら絶対に気付かなかった。
な、なんで? これってやっぱり恋愛センサー的なものじゃなくて? なんてことを言うとまたメロが機嫌を損ねるからやめておこう。
そうじゃなかったとしてもどうしてわかったのか、理由が知りたい。あとはその事実を誰が知っているのかも。
「……どうしてわかったの?」
「いや、なんとなく? 理由とかなくて……そういう勘が結構働くっていうか?」
「勘……」
本当かしら。確かにメロの野生の勘みたいなものは鋭いと思う。あの時のことはあたしも動揺しててあんまり覚えてないけど、ほんのちょっとすれ違っただけじゃない? まじまじと見る時間とか、メロにはなかったわよね。
どうしてもアリスへの恋心として考えてしまいそうになる。しかし、その考えを頭の奥に押し込んだ。
なるほど。でも、それでさっきあたしの発言に対して「嘘」ってはっきり言えたんだわ。アリスがただのメイドじゃないって知っているから、ただの人材派遣の話じゃないってわかったのよね。まぁ、バートが怪しかったというのもあるだろうけど!
「──お嬢、また変なこと考えてない……?」
「変なこと?」
しれっと聞いてみるけど、メロはジト目であたしを見つめる。
「……おれが、アリサのことす、気になってるから気付いたんだろう、とか……」
表情がちょっとこわばる。顔には出てなかった、はずだけど、そんなにわかりやすい反応してた!?
何も言わずにメロを見つめ返すと、メロは大きくため息をついた。
「違うからね? ……やめてよ、ほんと。そういう勘違い」
「何度も言われなくてもわかってるわよ」
しれーっと視線を逸らせば、メロの視線がちょっと険しくなった。勘違いだと言われてちょっと悔しくなるけど、今はそういうことにしておく。いずれそういう話題を出そうものなら「ち、違うし!」って真っ赤になって否定してくるかも知れない。
メロがもう一度ため息をつき、半歩だけ距離を詰めてきた。
「……そういうのに気付けるのはお嬢のこと、ちゃんと見てるからっスよ」
「へぇ?」
「あれ? なんかバカにしてる?」
「あんたにしてはいい心がけだと思って」
メロが口をへの字に曲げる。一応褒めたつもりなのにお気に召さなかったらしい。
「……褒めたのに何よ、その反応は」
「は?! 嘘でしょ? 今のは褒め言葉じゃなかったっスよ」
メロの反応を笑ったところで、扉がコンコンとノックされた。扉の方に視線を向けて「どうぞ」と言えば、「失礼します」という返事がある。
「ロゼリア様、そろそろお昼の準備、が……」
ユウリが静かに扉を開けて中に入ってくる。
が、あたしを見た瞬間に固まってしまった。何か見てはいけないものを見てしまったって感じの反応。メイドは見た、みたいな?
視線はあたしと、そしてすぐ目の前にいるメロへ交互に送られている。そう言えばちょっとメロとの距離が近いかも知れない。腕も掴みっぱなしだったし、喧嘩でもしてると思われたかしら。
「ユウリ」
確かに時計を見ればもうお昼になっていた。
あたしは掴みっぱなしだったメロの腕を離してユウリの方に近づいていった。ユウリはあたしが近付くと我に返って慌てる。
「ぁ。え、えっと、もうすぐ準備ができるので、呼びに来ました……。あの、メロと何を……?」
「別に? ただの雑談よ」
「……メロ?」
「ただの雑談ですゥ」
メロは頭の後ろで手を組み、飄々とした様子で笑っていた。ユウリはその態度が気に入らないみたいで(わからなくもない)、何か言いたげにメロを睨んでいた。けど、この場ではそれ以上言う気がないらしく、苦々しげにため息をつく。……ユウリも随分感情表現豊かになった気がするわ。以前なんてこんな態度は絶対に取らなかったものね。あたしのせいでずっとオドオドしっぱなしだった。
もうこのまま食堂に行こうかしら。
あ、でもジャスミン茶がそのままだわ。ジャスミン茶の存在を思い出して振り返ると、メロと目が合った。
「え。お嬢? 何?」
「あんたじゃないわよ」
「……ひどい」
しょげるメロを無視してテーブルの方に向かう。まだ半分以上残ってるのよね、流石に勿体ないわ。飲んでから行こう。
ユウリが不思議そうにあたしを見ているのに気付き、椅子に座りながら振り返った。
「お茶がまだ残ってるから飲んでから行くわ」
「え? お茶なら新しいものを──」
「半分以上残ってるのよ。勿体ないでしょ?」
全部飲んだらお腹がたぽたぽになりそうだけど、流石に戻ってくるまで置いておく気にはなれない。かと言って、このまま捨てるのも気が咎める。
「なら、そのまま食堂にお持ちします」
「わかったわ。でも、カップに入ってる分だけ飲んじゃうわ」
なるほど。ポットに入っている分はそのまま食事中に飲めばいいってことね。流石ユウリ、機転が効く。あたしは今飲むか捨てるかの発想しか出てこなかったわ。多分極端なのよね、考え方が。
そう言えばハルヒトはもう食堂にいるのかしら? ちょっと心の準備的なものがしたい。
「ユウリ、ハルヒトは?」
「ぁ、……えっと、厨房で水田さんのお手伝いをして、ました」
「は?」
言いながらユウリが近付いて来て、テーブルの上に置いてあるポットをトレイの上に載せ替えていた。
カップの中を空にしたところで、ユウリがそっとそのカップを取っていく。
ハルヒトが? 水田の手伝い???
なんで?
「え、なんで?」
思ったことがそのまんま口から出てしまった。ユウリは苦笑している。メロも呆れたような顔をして笑っていた。
「何だか料理が面白いみたいで……最近たまにお手伝いされてますよ」
「へぇー……」
なんて反応していいやら……。料理に興味を持つのは多分いいこと、よね? 水田の邪魔になってなきゃいいけど。
料理は誰かが用意してくれるものであって料理は絶対にしないし、あたしは食べる専門。なんて言葉にするとこれまた印象が悪いから言わない。とは言え、周りの人間はわかってると思う。あたしがそういう人間だってことを。他人の仕事を奪うのはよくないしね。
ユウリが「行きますか?」と言いたげに微笑む。軽く頷いて、ゆっくり立ち上がった。
と、そこでメロと目が合う。
「……。メロ」
「え? なんスか?」
「あんた、さっきの話──……」
しまった。ユウリがいる前で話すことじゃなかったわ。
アリスのこと。ユウリにも話してないんだとしたら、話題にすらできない。
口籠ったのを見たメロはきょとんとしていたけど、どうやら察したらしい。軽く笑いながら首を振った。
「誰にも話してないっスよ」
「……そう」
「なー、ユウリ?」
突然話を振られたユウリはびっくりしてメロとあたしとを見比べる。やがて、困ったように笑ってあたしを見てきた。
「ああ見えてメロって口が堅い時もあるので……ロゼリア様に関わる話であれば、多分ちゃんと黙ってると思いますよ」
「……ああ見えて、ってなんだよ」
メロが脱力し、ユウリがおかしそうに笑っていた。
まぁユウリが言うんだったら大丈夫、なの? なんかよくわかんないけど。とりあえず、アリスのことはこれ以上ここでは話せないし、食事の時間だって言うなら移動しよう。
あたしが部屋を出ると、当たり前のような顔をしてメロもユウリもあたしの後をついてきた。
……ひよこみたいで可愛い、と思ったのは内緒。




