187.分岐点②
「白木、話の途中だ」
「いえ、あの……デパートでの、こと、で……すこし」
あら、まさか言う気? バートの様子を窺うと仕方ないとでも言いたげにため息をついていた。
アリスはもじもじしながらジェイルを見つめる。
「ロゼリアさまに黙っていて欲しいとお願いをしたのは……わ、わたしなんです」
「……何?」
「正確には、わたしたち、ですけど……」
ジェイルの眼光が鋭くなる。なんでそんなことをさせたんだと言いたげな表情。ユキヤとハルヒトも軽くではあるけどアリスを睨んでいて、ちょっと嫌な雰囲気だわ。こんな風にアリスが非難を受けるシーンは想定してなかったし、第一見たくもないし……。
相手が相手だからか、ジェイルが怒鳴りつけるようなことはなかった。代わりに、息をすーっと吸い込み、思いっきり吐き出して、自分自身を落ち着けているのがわかる。
そして、ギロリとアリスを睨んだ。……あんまり落ち着いたように見えないわ。
様子を見て仲裁に入らなきゃ……。
「──あの時点で存在を知られたくはなかったんです。ジェイルさんたちに警戒されることで、『組織』の動きが完全に見えなくなるのは避けたくて……泳がせる時間が欲しかったんです」
「そのためにお嬢様に口止めを?」
こくん、とアリスが頷いた。ジェイルは思いっきりため息をつく。
『陰陽』に事情があることはジェイルもわかってるとは思うけど、なんでそれにこっちが付き合わなきゃならないんだって気持ちは当然あるわよね。元々協力関係にあったならまだしも、今日初めて協力を依頼してきた相手だもの。
今あたしが「まぁまぁ良いじゃない」って言っても火に油を注ぐだけだから黙ってる。
なんていうか、ジェイルには一応事情に納得してもらいたいっていうか……事情に納得した上で、ちゃんと相談に乗って欲しいのよね。今は断固反対派だけど、この話に乗らなかった場合の方法も一緒に考えて欲しい。それくらいには、ジェイルのことを信頼してる。
「……あれから何もなかったとは言え、その間お嬢様を無防備な状態にしたことには変わりがない」
「それは……その、返す言葉もありません。何もなかったからよかった、というのはただの結果論だということもよくわかってます……」
「そういうところも含めて、自分はお前たちを信用できない」
眉間に皺を寄せ、不機嫌そうに言うジェイル。
それを目の当たりにしたアリスが子供っぽく唇を尖らせ、ぷいっと顔を背けた。
「……。……。……別にジェイルさんに信用してもらわなくていいです」
「何だと……?」
ジェイルの眼光が更に鋭くなる。アリスはそっぽを向いたままだ。
アリスって本当にスパイとか向いてない! こんなところでジェイルと喧嘩してもしょうがないのに!
バートもそう思っているのか、渋い顔をしてため息をついている。「あんたが教育したんでしょう、どうにかしなさいよ」と言いたいのをぐっと堪えて、あたしもため息をついてしまった。
「ジェイル、そのあたりにしておいて」
「お嬢様……」
「あたしが黙ってその子の言うことを聞いたのには理由があるのよ」
「……理由?」
アリスと言いそうになったのをもう一度飲み込んだ。アリスとバートの顔を交互に見て、あの時アリスに助けられたことを言ってもいいかどうか視線で問いかける。アリスがバートを見たので、バートに意見を求めることにした。
バートは一瞬困った顔をしたけど、すぐに「どうぞ」と言わんばかりに頷いてくれる。
「さっきデパートで襲われたって言ったでしょ。助けてくれたのがその子なの」
「……え?」
「女子トイレだったからね。来てくれなかったらヤバかったわ。──だから、黙ってることに了承したのよ。まぁ、行動が制限されるのが嫌だったって理由もあるけどね」
流石にジェイルは黙ってしまった。言うのが遅くなったから、ちょっとジェイルには申し訳ない。
しばらく黙り込んでいたジェイルは渋い顔をしてあたしの顔を見た。かなり真剣な様子だったので、こっちも釣られて緊張してしまう。
「……お嬢様は、羽鎌田の提案を飲むつもりなのですか?」
うっ。今度はこっちが黙ってしまった。
い、今の流れだと確かにあたしがアリスの肩を持ってるように見えてもしょうがないのよね。アリスがただ非難されている状況が居心地悪くて、あたしとしては間一髪(?)のところで助けてもらった恩があるってだけ……けど、それだってアリスに恩があるってだけで、バートや『陰陽』に恩があるわけではない。今そんなことを説明する気はないし、ジェイルにとってはどっちも同じかも知れない。
あたしは腕組みをして考え込み、それからジェイルを控えめに見つめた。
「正直に言えば……心情的にはあんまり協力したくない。理由はあんたが言ったのと同じよ」
「では、」
「けど、ケリをつけるにはいい話だと思ってる。……だから、まだすぐに答えは出せないわ」
ジェイルに説明しつつ、最後の言葉はバートに向けた。
バートもこの場で即座に返事がもらえるなんて思ってないんじゃないかしら。だから相談の日程を極力早くして欲しいという話に繋がってるはずよ。多分あたしの返答を待つまでの期限はある程度用意してくれると思う。
そんな事を考えていると、バートは胸ポケットに手を突っ込んで何かを取り出した。また名刺かと思いきや、今度は何の変哲もない封筒だった。それも二通。
何かと思いながら二通の封筒に注目していると、あたしとハルヒトの前に置かれる。
ロゼリアへ、と書かれた封筒。そして、もう一通はハルヒトへと書かれている。
どくん、と心臓が大きく脈打った。
何故って、その筆跡は──伯父様のものだったから。
「ガロ様からロゼリアお嬢様へのお手紙、そしてミチハル様からハルヒト様宛のお手紙です。どうぞお納めください」
なんでこいつが伯父様からの手紙を──。
いや、以前から伯父様があたしの行動に感づいている節があった。ずっと無視を続けるのかと思ってたけど、こんなところで出てくるなんて……あたしは恐る恐る手を伸ばして封筒を手に取った。封筒は薄くて、中身は紙一枚だけのようだった。
ちらりとハルヒトを見ると封筒を手に取らなかった。あんまり受け取りたくなさそうだわ。
ハルヒトはハルヒトで好きにしてもらうとして、あたしは伯父様が何を考えているのか知りたい。
そう思い、ゆっくりと中に入っている紙を抜き取った。
見たいような見たくないような……けど、やっぱり伯父様の考えを知りたい気持ちが大きくて、あたしはそっと三つ折りにされた白い紙を開いた。
『全部聞いている。どうするかはロゼリアの判断に任せた。期待してる。 九条ガロ』
たったそれだけの短い文章。ご丁寧に伯父様の九条印が押されていた。
紙を持つ指先に力が入り、少しだけ皺が寄る。全部って何なのって気持ちと、任せるって言われても困るって気持ちとがぐるぐると巡っていく。
わかることは、バート──いや、『陰陽』が介入していることを伯父様は承知しているし、南地区の問題も把握している。そして、その上でそれらをどうするのかをあたしに任せるって言ってるんだわ。もっと言えば、自分の尻拭いは自分でしろってことなんでしょうけど……一層責任重大になってしまった。
この手紙のことを含めて、ちゃんと考えないといけなくなってしまった。
そう思い、紙を元の通りに三つ折りにして、封筒の中にしまう。
「……ロゼリア、なんて書いてあった?」
いつの間にか封筒を手にしていたハルヒトが、じいっと封筒を見つめたまま聞いてきた。この様子だとまだ見てないわね。
「あたしに任せるって」
「そっか……。うーん、そっか」
「ハルヒト様。今でなくとも構いませんが、目を通していただけると助かります。ミチハル様に一筆もらうのにかなり骨を折りましたので……」
「だろうね。あの人はこういうの嫌いだろうし」
そう答えてハルヒトは封筒を膝の上に置いてしまった。今は見る気はなさそう。
バートは最初に浮かべていたようなにこにこ笑顔に戻っている。
「私からの話は以上です。お忙しいところ申し訳ございませんが、三日後にお返事をいただきたいと思います。──それでは、本日はありがとうございました」
三日後──。
そして、バートはにこやかな笑みとともに椿邸を去っていった。




