181.『先生』
外見の情報を先に貰ってたら、アリスの言葉には頷かなかった可能性が高い。
だってそれくらいに怪しい。
『妄想上の先生』のファンアートを描いていた同志たち、実際の『先生』は全然違ってたわよ。糸目やモノクルを単体で描いてた人たちは見たことあるけど、両方混ぜ込んでた人はいなかった。
『先生』は周囲の視線を気にすることなく、あたしに向かって一礼する。緩く編まれた三つ編みが揺れる。
顔を上げてにこりと笑った。……すごく怪しい。
「お邪魔致します。──ロゼリアお嬢様、本日はお忙しい中、お時間を作ってくださってありがとうございました」
「……いいのよ、気にしないで」
なんて答えて良いのかわからず、こんなことしか言えなかった。アリスにちらりと視線を送ってみるけど気まずそうな顔をしているだけ。アリスもひょっとしたらこの人の風体が怪しいって思ってるのかしら。ゲームの中じゃ、この二人は通信しかしてなかったからそんな情報なかったのよね。
ここで注目を浴びたままなのもまずいので、応接室に行こうとしたところでジェイルが『先生』の前に立った。
「名前は」
「失礼しました。羽鎌田バートと申します」
「どこの人間だ」
「この子の上司に当たります。詳しいことは後ほどじっくりお話させていただければと……」
ジェイルが敵意を露わにして詰問している。『先生』もとい、バートはにこにこと笑顔のまま答えた。この子、というのはもちろんアリスのこと。アリスは慌ててジェイルに向かってぺこりと頭を下げる。
アリスの、ということはメイドなどの人材派遣を行っている会社の人間だという認識になるだろう。
「白木の……? 本当か」
「はい、わたしの上司です」
ジェイルの視線がアリスに向き、アリスは問いかけにはしっかり頷いていた。
ちなみに敵意を持っているのはジェイルだけじゃなく、ユキヤも珍しく険しい表情をしているし、メロもユウリも「なんだこいつ」という視線を向けている。あたしだって現時点では敵なのか味方なのかわからないので、やっぱり警戒せざるを得ない。
けれど、このままにしておいても埒が明かないので、ジェイルの肩を叩いた。
「ジェイル、そのへんにしておいて」
「しかし、このような者を……」
「いいから。とにかく応接室に──。……バートさん。こっちよ」
渋るジェイルを嗜めつつ、バートに向かって自分についてくるように促す。
部外者だし、明らかに年上だったので迷った末に”さん付け”をした。メロじゃあるまいし、呼び捨てにはしないわ、流石に。
「ありがとうございます。バートで結構でございますよ、ロゼリアお嬢様」
「そう。わかったわ。……ジェイルとユキヤも来て、メロとユウリは入らないで。ノアも」
メロの「えー!?」という声が聞こえる。怪しいし、話の内容が気になるのはわかるけど、アリスたちにメロやユウリを同席させることは聞いてないしね。途中で必要があれば聞いてみるけど、話を聞くのはジェイルとユキヤで十分だと思っている。……メロやユウリはこの話題から遠ざけておきたいって気持ちもある。だって、直接関係ないもの。
あたしの斜め後ろをついてくるバートを振り返る。
「アリ──……その子は、同席させるの?」
あっぶない。最近の癖でアリスって呼びそうになった。他の人間がいる時はアリサよ、アリサ。咄嗟に言い換えられず、その子という呼び方になってしまった。
バートは変わらぬ笑顔のまま頷く。……その様子をジェイルとユキヤが怪しそうに見つめていた。
「はい、途中で少し退席をお願いしますが……同席させます」
「そう、わかったわ」
聞かれたくない話でもあるのかしら。
とにかく話を聞いてみないことには何にも反応ができないのよね。もどかしいわ。
あたし、ジェイル、ユキヤ。そしてバート、アリスの五人だけが応接室に入る。
キキがお茶とお茶菓子を出してから、不安げに部屋を去っていくのが印象的だった。あたしは最初からジェイルとユキヤを両隣に座るように促す。アリスにも一応声をかけたけど、アリスは「立ったままで」と言うことだったのでソファの後ろに立つことになった。途中で退席するって話だったものね。
あたしの目の前に座る羽鎌田バートはぴしっと背筋を伸ばし、かしこまった様子であたしを真っ直ぐ見つめた。改まった様子でその場で深々と頭を下げる。
「改めまして……この度は貴重なお時間をいただき、ありがとうございます。急なことだったのに、ロゼリアお嬢様のみならず、ジェイル様もユキヤ様もお時間を作ってくださって……重ね重ね感謝を申し上げます。
先ほども自己紹介させていただきましたが、……羽鎌田バートと申します。以後、お見知りおきを」
「自分はお嬢様の望みを叶えただけに過ぎない」
「ジェイル、止めなさい」
どうにもジェイルはバートが気に入らないらしい。仏頂面で威圧的に話すものだから、流石に止めなきゃいけないわ。話が進まないもの。とは言え、ジェイルの敵意もバートはそよ風みたいに躱している。
バートは胸ポケットに手を突っ込み、ごそごそと何かを漁る。
なんだろうと思って見ていると(ジェイルとユキヤはものすごく警戒していた)、黒い名刺ケースが出てきた。そこから一枚取り出して、テーブルの上をすすっと滑らせ、あたしの前に差し出した。
「本来ならお手渡しするところなのですが……お許しいただけなさそうなので、このような形で失礼します」
あたしが名刺に向かって手を伸ばしたところで、横からジェイルが奪っていった。
「ちょっと」
「何があるかわかりません。先に確認させてください」
何が、って何よ!? 毒でも塗られてるって!?
たかだか名刺一つで……。ジェイルのこういうところ、警戒心が強いって言って良いのか、過保護って言った方がいいのかわからなくなってくるわ。
「……『人材派遣会社ライトサービス』、」
「はい、人材派遣をやっている会社、になるのですが……ジェイルさん、裏面をご覧になっていただけますか?」
「? 裏面……?」
ジェイルがぺらりと名刺の裏面を返す。あたしとユキヤが見えるようにしてくれるけれど、支店の住所が書いてあるだけで何の変哲もない普通の名刺だった。
バートはにこにこと笑ったまま名刺を指さした。
「裏面を少し温めていただいて……こう、手のひらで包み込むように」
「……こうか?」
「はい、少しお待ち下さい」
ジェイルは訝しげな顔をしつつもバーとの指示に従って名刺を両手で挟み込んだ。一体どういうことなのかしら?
とは言え、今のままだと人材派遣会社の人間ってことしかわからないのよね。
「浮かび上がっていると思います。再度ご確認ください」
一分ほど経ったタイミングでバートがもう一度名刺を見るように促した。
ジェイルが手を開き、名刺の裏面を見せる。
そこには陰陽のマーク、いわゆる『太陰大極図』が浮かび上がっていた。
あたしは目を丸くする。なるほど、名刺を両手で温めるなんて発想は普通はしないから、知ってる人間だけが確認できるってことよね。
元々バートとアリスが『陰陽』の人間だって知っていたから、そこまで驚かなかったけど、ジェイルとユキヤは目に見えて動揺していた。
「こ、これは……!?」
「陰陽の……?」
あ、まずい。
あたしもこれくらい驚かなきゃいけなかったのでは……!?
内心出遅れたと焦っていたけど、バートはジェイルとユキヤの反応を見て満足気に頷いていた。
「──はい。私は『陰陽』の構成員の一人です。本日はロゼリアお嬢様に折り行ってご相談があって参りました」
相談……。バートが『陰陽』の構成員だってことよりも、相談の方に気が向く。
今更緊張してきて、心臓の鼓動がどんどん大きくなっていることに気付いた。




