180.約束の日
そして翌日。
当然ながら朝からソワソワしていた。
なんで急に『陰陽』の人間と話すことになってんだかって感じ。一晩経ってみたら、ものすごく無謀なことをしたように思えてしまってダメだった。
そもそもゲームであたし、もとい九条ロゼリアを殺そうと決めた組織なのよ。油断させて横からズブッ! って刺されるかも知れない。以前よりマシになったとは思うし、周囲との関係性も随分変わったけど──……外から見て『九条ロゼリア』という人間が無害で信用のおける人間かどうかなんてわからない。
この話し合いがきっかけでもっといい方向に進むかも、って思いたい気持ちもあるけど、やっぱり不安が大きい。
とりあえず、相手は椿邸に来るし、話し合いの場にはジェイルもユキヤもいるし、今日いきなり殺されるということはないでしょう。流石に!
死ぬのは、いや、殺されるのは十二月だから、まだその時ではない。
流石に現状でゲームよりも早く殺されることはな──いや! アリスもハルヒトよりもゲームより早く現れたし、わかんない!
あー、怖!
落ち着かない気持ちと、心を強く持ちたい気持ちから、キキにはちょっときついメイクをお願いした。アイラインをガッとしっかり引いて、マスカラも盛ってもらった。おかげさまでかなり目力が強い。
けど、途中で何度も「いいんですか? 最近優しい感じにしていたのに……」と不安がらせてしまった。「今日はそういう気分だから」ということで納得してもらったわ。確かに最近は吊り目を優しげに見せるメイクをしてもらっていたし、キキも研究してくれていたのよね。
今日は武装優先だし! これでいいの!
と思ってたのに、メロには「お嬢、今日メイク濃くないっスか?」って言われてムカついちゃった。ユウリが慌てて「今日は凛々し、いや、か、かっこいいですね!」と咄嗟にフォローしていた。フォローになったのかどうか微妙だわ。ハルヒトも「ロゼリアってそういうメイクもするんだね」って言ってたし……。
そんなこんなでソワソワしていると、あっという間に約束の時間が迫ってくる。
あたしは執務室で落ち着かないままソファに座っていた。
部屋には不思議そうな顔をしたジェイルがいる。
「……お嬢様、本日はどういうお話をする予定なのでしょうか?」
答えたくてもあたしは答えを持ってない。
ジェイルのこともユキヤのことも、「話がある」と言って呼び出しているんだけど、話をするのはあたしじゃないからね。あたしはジェイルたちと同様に話を『聞く側』でしかなくて、アリスたちが何の話をしにくるのかは全く聞いてない。
昨日、アリスにも聞いてみたけど何も答えなかった。知らない、というわけじゃなさそうだったから、「事前に言うな」と厳命されていたに違いない。
あたしは思いっきりため息をついてしまった。
「お嬢様……?」
「……実はあたしも知らないのよ」
「……は?」
あたしの答えに、ジェイルは間の抜けた声を上げた。
まぁそういう反応になるわよね。ジェイルを改めて見上げると鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしていた。その顔がおかしくてちょっと笑いそうになる。
話の内容は聞かされない代わりに、そのあたりの事情を話すなとも言われてない。とは言え、アリスとその上司と話をしたい、なんて言ったらジェイルが反対しそうだから黙ってるだけなのよ。
しばらくフリーズしていたジェイルはどこか慌てた様子だった。
「お嬢様、知らないとはどういうことですか?」
「今日話をしたいのはあたしじゃないの」
「じゃあ誰が──」
「そのうち来るわ。それまで待ってて」
「しかし、……いえ、わかり、ました」
約束の時間まで三十分を切っている。
この状況でジェイルも何か言う気にはなれなかったらしい。もしくはあたしに考えがあるとでも思ったのか。
ないけどね、考えなんて。昨日アリスに畳み掛けられて約束しちゃっただけだもの。
刻一刻と時間が迫り、三時まであと十五分になったところで、扉がノックされた。
「ロゼリア様、ユキヤさんがお見えになりました」
「わかったわ」
ユウリの声に答えて立ち上がったところで、ジェイルがあたしを制する。
「お嬢様、自分が」
「予定をキャンセルさせてるんだから、あたしが迎えた方がいいでしょ」
ジェイルは前みたいに先にユキヤを応接室に通してからあたしを呼びたかったみたい。それはそれでもいいんだけど、今回はちょっと無理言ってるからね。あたしが迎えに行っても問題ないでしょ。
そう思ってついてくるように言う。ジェイルは渋々とあたしについてきた。
扉の外にはユウリが待っていて、あたしが出てきたことに驚いている。
「あ、あれ? ロゼリア様……?」
「今日はあたしが行くの」
「は、はい。玄関でお待ち頂いています……」
ユウリの横をすり抜けて玄関のある階下に向かう。ジェイルとユウリはあたしの後をついてきた。
だだっ広い玄関にはユキヤがいて、当たり前のように小さな薔薇の花束を持っている。……マメよね、本当に。待たせている間、メロが話し相手になっていたようで、二人とも親しげな様子で笑いながら話をしていた。が、ノアがユキヤの後ろで面白くなさそうな顔をしてる。
あたしの姿に気付いた二人はおしゃべりを止めて、あたしの方に近づいてきた。
「ロゼリア様、こんにちは」
「こんにちは。……悪いわね、急に呼び出して」
「とんでもございません。いつでも気軽に呼んで頂ければ……ああ、こちらを」
赤い薔薇の花束だった。受け取ってお礼を言い、薔薇はユウリに預ける。ついでにあたしの部屋に飾るようにお願いした。
そして、薔薇を受け取ったユウリも、それを見ていたメロも、どこか面白くなさそうな顔をする。……前の話を気にしてるのかしら。ユキヤとは違うんだからしょうがないって言ったのに、変なの。
二人のことは放っておき、ユキヤとノアを交互に見る。
「何か……?」
「ちゃんと昼食は取ってきたんでしょうね?」
「はは、大丈夫です。申し付け通り、食べてからこちらに来ました」
ユキヤ、笑いながら無理するのよね。裏を取るためにノアを見る。
「ノア、昼食は何を食べたの?」
「えっ! ぼくはドリアを……あ、ぃや、ユキヤ様はオムライスを食べてきました」
「わかったわ、ありがとう」
無事に裏が取れたのでホッとした。口裏を合わせてたらどうにもならないけど、今の流れで嘘ってことはないでしょ。
あたしの言動を目の当たりにしたユキヤは困り笑いを浮かべていた。
「……私は、信用がないんですね」
「しれっと無理してそうだと思うだけよ」
「それは──」
ユキヤが何か言おうとした瞬間、チャイムが鳴った。そしてそれとは別にノッカーの重い音がする。重い音がかなり響いた。
玄関扉には普通のチャイムの他に、龍の形をしたノッカーがついていて、それが結構重い音を立てる。これは伯父様のいる屋敷にも同じものがついている。
玄関付近にいる人間が黙り込んでしまった。
ユキヤ以外の来訪者の存在を誰も知らない。──あたし以外は。
「──ごめんください。九条ロゼリア様との約束で参りました」
え。と誰かが声を上げた。あたしは小さくため息をつき、玄関扉に一番近いところにいるメロを見る。
「メロ、開けて頂戴」
「ええっ?! お嬢、約束って」
「お嬢様、聞いていません」
「いいから開けて」
メロとジェイルの声を遮り、とにかく玄関扉を開けるように言う。周囲の人間はみんなちょっと心配そうだった。
あたしが「早く」と言うと、メロは納得してなさそうな様子で渋々と扉を開ける。
玄関扉は大きくて重くて、開けようとするとどうしてもゆっくりしか開かない。
扉の向こうには知らない顔と、そのすぐ後ろにアリスがいた。アリスがここまで案内してきたんだろう。
緑色の髪の毛にグレーのスーツを着て、右目にはモノクルをつけている。モノクルってだけでどこか怪しいのに、極めつけは糸目だった。
これは、怪しい……!
百人いたら九十八人くらいは「終盤に絶対裏切る」「怪しさが服を着て歩いている」とでも言うに違いない容姿。
あたしは約束をしたことを急速に後悔し始めていた。




