178.例の約束①
視察から戻った翌日、ジェイルは「ユキヤと今後について話をしてきます」と言って出ていってしまった。隠し通路らしきもの、そしてあの場に隠し通路があるかもしれないという可能性が急浮上してきたので、その裏取りをするためだろう。あたしは「よろしくね」と送り出している。流石にその後の調査にまで首を突っ込むつもりはない。調査のためのお金が足りないって言うなら出すくらいかしら。
ユキヤをはじめとして南地区に詳しい人間がいるし、地元の人間の方が調査もしやすいでしょう。何なら、あたしに報告してないだけで八番倉庫付近で作業をしている作業員や関係者にツテや、何ならスパイ的なものを潜り込ませているかもしれない。
一旦、あたしはその報告を待つってことで……。
その間にあたしはアリスに話を聞きたかった。
あの場にいたことと、あとはアリスと上司とやらを交えて話をする時間を取ること。
前者は「あれ、あんたよね?」という確認が取りたい。あとはあの場での目的を聞けるなら聞きたい。
後者は結局話をするにあたってあたしが条件をつけたからその答えね。ジェイル、話の内容によってはユキヤを同席させる。もしくは場所を椿邸にする。どちらかの条件を満たさなかったら話をしないと言っている。正直どっちも厳しい気がしてるから、なしになるんじゃないかしら。
というわけで、昨日は病欠、今日は普通に出勤してきたアリスを部屋に呼んだ。
午後三時過ぎ。おやつの時間。
おやつを持ってこさせるついでに話をしようと思ったのよね。あたしがおやつを持ってきてくれたユウリ、メロ、キキはもちろんのこと、メイドとも話をするのは別におかしいことじゃない。というか結構前から「よかったらちょっと話をしましょう」ってメイドには声をかけてる。墨谷にも少し話をする時間が欲しいと言って了解もらってるし、言い方がアレだけど……ふれあいタイムみたいなものよ。だってあたしから歩み寄らないと絶対に距離なんて縮まらないもの! 最初は何を話したら良いかわかんなくてただの面接みたいになってたのも既に懐かしいわ。最近では結構色々話してくれるようになってるの。
今日のおやつはさつまいものパウンドケーキだった。飲み物はコーヒー。
執務室の応接テーブルにおやつが置かれたところでアリスを見上げた。
「アリス」
「はい、ロゼリアさま」
「話があるの。──ケーキ、一切れ食べて頂戴。三切れはちょっと多いから……」
そう言うとアリスは最初から話があるのはわかっていたと言わんばかりに頷いた。ケーキのことは予想外だったのか、ちょっと困った様子。けど、多いと言われてしまうと断ることもできないらしかった。
「お話は、はい。大丈夫です。ケーキまで……いいのでしょうか?」
「いいの。最近ちょっとおやつは控えめにしたいし」
そう言って取り分け用の小皿とフォークを手渡した。アリスはおずおずとそれを受け取り、ちょっと迷った末に、正面ではなくあたしの直ぐ側までやってきた。
「あ、の……お隣りに座っても、よろしい、でしょうか……?」
「別にいいけど……?」
「ありがとうございますっ!」
ぱあっとアリスの表情が華やいだ。う、可愛い。
わざわざ隣に座ろうとする子なんていないからびっくりしちゃったわ。話をする場合は基本的に正面に座るしね。
隣に座ったアリスはうきうきとした様子で小皿にパウンドケーキを一枚移動させていた。
「……隣に座りたいなんて、どういう風の吹き回し?」
コーヒーカップを手に取り、何も入れないまま口につける。さつまいものパウンドケーキはかなり甘そうだし、ブラックの方が美味しく食べれそう。あたしはジャスミン茶が特に好きだけど、紅茶もコーヒーも嫌いではない。
あたしの問いかけにアリスは目を丸くする。
「え? 正面だとロゼリアさまと距離が離れていて寂しいので、」
「ぶっ!」
「ロゼリアさま!?」
コーヒーの表面を吹き飛ばしてしまった。ちょっとだけコーヒーが飛び散る。
……アリスって、あたしのことかなり好きじゃない!? なんで!? 正直ちょっと怖い!
あまり慌てた様子は見せないようにする。アリスの方が慌ててティッシュを持ってきた。あたしはそれを受け取り、テーブルを軽く拭き取る。
「だ、大丈夫、ですか?」
「ええ、大丈夫よ。ちょっと湯気でむせただけ……」
努めて何でもないふりをした。アリスは心配そうにあたしを見つめている。
おかしい……。本来ならこの視線は攻略対象の誰かに向けられているはずだったのに……。何故か『レドロマの悪役兼ラスボスである九条ロゼリア』にその視線が向けられている。確かに攻略キャラであるジェイルたちと親しい雰囲気はさっぱりなかったし、メロに至ってはその可能性を全否定してたし……ゲーム通りのストーリーじゃないのはありがたいけど、この点は本当に残念。遺憾の意よ。
コーヒーを一口飲んでから、隣に座るアリスを改めて見つめた。
「で、話なんだけど……」
「はい」
「……昨日の女子高生、あんたよね?」
話を切り出すと、アリスがぎくりと身を震わせた。バレるとは思ってなかったのか、はたまたこの話じゃないと思ったのか、どっちかしら。
けど、アリスは気まずそうに視線を逸らし、控えめに頷いた。
「……えっと、はい。そう、です」
「そう、やっぱりね」
否定されなくてよかった。ホッとしていると、アリスはどこかしゅんとしていた。
「……わたし、バレないと思ってたんです。いつもとぜんぜん違う格好だし、声もちょっと変えたので……それに、前回みたいに隠れるための変装じゃなくて、目立つための変装だったので……どうしてわかったんですか?」
デパートでは全く気付かなかった。なのに、今回は一目でわかってしまった。
なんで、と聞かれると困るのよね。決定的な証拠みたいなものがあったわけじゃないし……あたしは少し黙ってパウンドケーキをフォークで口の中に運んだ。それを咀嚼して飲み込んでから、軽く首を傾げる。
「なんでかしらね? 何故かすぐにアリスだって気付いたのよ。……普段と全然違う格好だから驚いたわ」
「……。……バレてちょっと悔しい気持ちもあるんですけど、なんだか……その、見つけてくださったのが、嬉しい、です」
「そ、そう」
アリスがあたしへの好意を隠さないのが怖い! いや、本来ならあんたがあたしを殺すのよ?! でも、こんな事実を知ったらめちゃくちゃショックを受けそう。言う気はないけど、物凄く落ち着かない。九条家の人間だから気を遣われたり好意っぽいものを向けられたことはあるけど、下心なしの好意なんて向けられたことがないのよ。
なんか反応に困るわ。サラッと流しておこう……。
「昨日は何のために倉庫街へ?」
「えっ。それはもちろんロゼリアさまに何かあった時、すぐに助けに入れるようにと……」
「え、それだけ? 他に何か調べ物があったとか──」
「いえ、ぜんぜん。それはわたしの仕事ではないので……」
あっけらかんと答えが返ってきたのでちょっと面食らった。あの女子高生の変装じゃ動きづらそうだと思ってたけど、目的があたしの護衛やフォローだったとは思わなかったわ。他に何かついでで済ますような用事があったのかと思ったもの。
本人がそう言うならそういうことにしておくとして、本題は別のこと。
「昨日のことはわかったわ。……本題よ」
「──はい。わたしが上司を交えて話をする時間が欲しい、とお願いした件ですよね」
「ええ」
アリスは真面目な顔になって大きく頷いた。二人の間に緊張感が漂う。
さて、アリスの上司──もとい『先生』は、一体どんな判断をしたのかしら。




